第二十五話
「......あなたは」
声は静かに吸い込まれていく。
「はじめまして」
透き通るような肌。
淡く光を宿した瞳。
長い銀髪の髪を揺らす。
「私は、アルカイア」
女性は柔らかく微笑む。
やはり。
だが、想像していた姿とは違った。
もっとーー
「もっと冷たい存在だと、思っていましたか?」
「え?」
思わず声が漏れる。
アルカイアは小さく笑った。
「ここは、あなたの意識の中。そして私の眠りの庭」
「思っていることは、すべて伝わっています」
彼女は静かに歩み寄る。
足音はない。
「あなたが樹に触れたことで、私たちは繋がりました」
少しだけ、恥ずかしくなる。
俺は気持ちを切り替え、問いかけた。
「......あの本には、力があったんですか?」
アルカイアは頷く。
「正確には”文字”に力を注いでいました」
「読むことで、力が宿るように」
そして続ける。
「”はんぶんびと”。そしてアルケア様の力を持つ者」
「それが、本を開く鍵だったのです」
はんぶんびと。
その言葉に胸がざわつく。
「その言葉を知っているということは......わらべ歌を?」
アルカイアは首を横に振った。
「あの歌は、もともとーー」
「アルケア様が子どもへ歌っていた子守歌でした」
子守歌
「長い時の中で形を変え、わらべ歌として残ったのでしょう」
静かな声が続く。
「そして力についてですが」
「ボーダーキーパーであるあなたには、もともとアルケア様の力が宿っています」
「本を読むことで、より強くなったのです」
俺は息を呑む。
「つまり......」
「あなたは、歪みを”静める”だけでなく、”鎮める”可能性を得たのです」
「でも俺には、まだ静める力すらーー」
アルカイアは優しく言った。
「ケアリス......いえ、ルミナ草と言った方が分かりやすいですね」
「あの花は、煎じて飲めば深い眠りをもたらします」
アルカイアは静かに続けた。
「特に、子を宿した女性は夜に眠れなくなることも多いものですから」
まさか。
「はい。あれは私が生み出した、アルケア様の力の一部です」
そして静かに続けた。
「失われていた記憶を取り戻した今、あなたはすでに歪みを静めることができます」
胸の奥が強く脈打つ。
「......じゃあ、鎮めるには?」
アルカイアは少し考え、答えた。
「アルケア様は、二つの世界の”始まりの地”で眠ることで歪みを鎮めました」
始まりの地で眠る。
「ですが、それは一時的なものでした」
「アルケア様が亡くなられた時、歪みは再び現れたのです」
「......それじゃ、また繰り返すことになる」
アルカイアは静かに頷く。
沈黙が落ちる。
そのとき。
「私はーー」
彼女が口を開いた。
「ここで眠り続けることで、この地に結界を張り続けています」
そして、まっすぐ俺を見る。
「可能性の話ですが」
「始まりの地で眠り続ければ、歪みを長く抑えられるでしょう」
「その代わり......」
言葉の続きを、俺は理解していた。
「......俺は、永遠に眠ることになる」
アルカイアは否定しなかった。
胸が締め付けられる。
だがーー
守れるのなら。
そう思った瞬間。
俺は思い出した。
「アルカイアさんは......本当は、アルケアのもとへ行きたかったんじゃないんですか」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「ええ。それは事実です」
「ですが、守りたい者たちがいました」
「ディストラの民も、エルフたちも」
少しだけ寂しげに。
「時折、孤独を感じることもあります」
「それでもーー皆の成長を見届けられる私は、幸せですよ」
その笑顔は、とても儚かった。
「......すごいですね」
言葉が自然にこぼれる。
「俺も、守りたい人のために覚悟を決めたい」
もし俺が眠れば。
未来で誰かが犠牲になることはない。
次の”はんぶんびと”を待つ必要もない。
そう思った瞬間ーー
「ミナトさん......」
アルカイアが静かに名を呼ぶ。
「......少し、ここにいてもいいですか」
彼女は優しく頷いた。
ここを出れば。
姉さんや、カイルの顔を見れば。
きっとーー覚悟が揺らぐ。
だから今は。
まだ戻りたくなかった。
そう考えていると、アルカイアがそっと俺を抱きしめた。
まるで母親が子供をあやすように。
堰を切ったように、涙が溢れる。
止められなかった。
気づけば俺はーー
子供のように、声をあげて泣いていた。




