第十九話
「......父さん」
その言葉は、無意識にこぼれた。
目の前に立つ男ーー神崎先生は、確かに動揺していた。
「え......湊?
......ミナトなのか?」
低く震える声。
その響きは、俺の記憶にある父と同じだった。
翔が戸惑いながら、俺たちを見比べる。
「え?......知り合い?」
答えられない。
ここは向こう側の世界だ。
なぜ父がいる?
神崎先生ーーいや、レオニスは俺を見つめ、静かに言った。
「朝霧、皆も今日はここまでだ。月島と少し話がある」
「は、はい!」
翔含めた部員が戸惑いながらも部室を出ていった。
静寂。
窓から差し込む夕日が、畳を橙に染める。
「......どうして、ここに父さんが?」
「それは、こっちの台詞だ」
レオニスは深く息を吐いた。
「まさか......夢なのか?」
「夢じゃない。実在してる」
俺はこれまでのことを話した。
話し終える頃には、父の目には涙が浮かんでいた。
「歪みか......それに吞み込まれたのか、俺は」
レオニスが静かに続ける。
「最初は、ここが夢だと思っていた。
寝ても覚めても終わらない夢に、いつしか俺は、
お前達に、もう二度と会えないんだと悟った」
かすれた声。
「見ないうちに、こんなに大きくなって。
すまない......そばにいてやれなくて」
胸が締め付けられる。
「......絶対、一緒に帰れる方法を見つける」
涙を堪えながら言った。
だが、疑問が残る。
「父さんが”はんぶんびと”なら、身体に弾かれるはずだ。
湊の影は、俺に中に長くいられなかった。なのに、どうして父さんは......」
レオニスはゆっくり目を閉じる。
「完全に吞み込まれたからだろう」
「......どういう意味だ?」
「最初はここが夢だった。
だが今はーーエルノア村での記憶の方が、夢のように感じる」
息が止まる。
「俺は、神崎恒一として生き始めている。
知らないはずの子供時代の記憶まで、自然に思い出せる」
自嘲するように笑う。
「俺が本当に消えるのも、時間の問題かもしれん」
「そんな......!」
思わず声を荒げた、その時。
バンッ!
部室の扉が勢いよく開いた。
「俺にも協力させてくれ」
振り向く。
目を赤くした翔が立っていた。
「翔!?なんで......」
無言で部室の隅を指す。
そこには置き忘れたカバン。
「取りに戻ったら、聞こえちまってさ。
......悪い。でも全部聞いた」
頭を下げる。
俺は少し笑った。
「何度も話そうと思った。でも信じてもらえないって思ってた。」
「そりゃ思うよな。でも信じる」
真っ直ぐな目。
「神崎先生も”湊”の父さんも、両方救おうぜ」
その言葉に、胸が熱くなった。
――――――――――
どうしたらいいか、しばらく考えていた。
「なあ湊。今ここで寝たら、向こうに行けるんじゃないか?」
翔の一言。
確かに試したことがなかった。
俺ははっとする。
「......俺の意思が関係しているのかもしれない」
夜に寝るから、向こうは朝になる。
それが”当たり前”になっていた。
「今ここで寝ると決めて、時間を覚えておけば......
向こうで寝たとき、戻って来られるかもしれない」
「なるほど」
レオニスが頷く。
「やってみよう。保健室だ」
――――――――――
保健室。
「ちょ、ちょっと!どうしたんですか?」
安田先生が慌てる。
「月島が貧血気味で。少し横にさせてもらえますか?」
レオニスが自然に答える。
「最近顔色悪いものね。一度病院も考えてね
少し職員室へ行ってくるわ」
先生が出ていく。
カーテンの向こうで、翔が小声で言う。
「いけるか?」
「ああ」
目を閉じる。
――――いいか、今日の放課後だぞ。忘れるなよ!
翔の声が遠ざかる。
意識が沈む。
――――――――――
目を開く。
テントの天井。
外へ出ると、ディストラの森に朝日が差し込んでいた。
胸が高鳴る。
「......成功だ」
俺は静かに呟いた。
二つの世界を、自分の意思で渡れた。
歪みの影響だろうが、役に立つこともあるだなと思った。
俺はセレナのテントへ向かった。
伝えなければならない。
父が生きていることを。




