第十一話
王都を出て、巡回区域へ向かう道は静かだった。
石畳の先に広がる森も、いつもと変わらないはずなのにーー。
小さなウサギが、茂みから飛び出してきた。
まるで、何かに追われているかのように。
「......何か、いる?」
胸の奥がざわつく。
「姉さん!こっちに影が!!!」
そう叫ぶと同時に、ミナトは私には視えていない”何か”の方へ走り出した。
「ミナト!勝手に一人で行っちゃだめ!!」
私は必死に追いかける。
次の瞬間、ミナトの身体が何かに包まれ、吞み込まれていく。
「歪み......!」
私は咄嗟にミナトの腕を掴み、杖に祈った。
引き裂かれるような感覚の中、消えかけていた彼を、なんとか引き止める。
だがーー
ミナトの銀髪は、完全に黒く染まり、
彼はそのまま意識を失った。
「......っ」
まだ、終わっていない。
歪みは、完全には消えていなかった。
ここは安全じゃない。
直感が、そう告げていた。
一人では運べない。
私はミナトを木陰に寝かせ、急いで周囲を探す。
「誰か......誰かいませんか?」
「どうしました?」
たまたま薬草を摘んでいた冒険者と出会い、
事情を説明すると、彼はすぐに同行してくれた。
だがーー
「......いない?」
木陰に隠したはずのミナトの姿が、消えていた。
嫌な予感が、背中を駆け上がる。
その時、奥から再び、歪みの気配がした。
急いで向かうと、
そこにはーー歪みを、じっと見つめて立つミナトの姿があった。
私は歪みを静め、彼の元へ駆け寄る。
「ミナト!!」
「......どうして、俺の名前を?」
そこに立っているのは、確かにミナトなのに、
中身だけが、別人のようだった。
「えっと......目を覚まされたようなので、私はこれで......」
気まずそうに冒険者が一歩下がる。
「......ありがとうございました」
軽く会釈をすると、彼は来た道を引き返していった。
私は、改めてミナトを見る。
「......私が誰だか、わからないの?」
「......どこかで、お会いしました?」
胸の奥が、静かに崩れた。
――――――
私は、とりあえず城へ戻り、
これまでのことを一通りミナトに話した。
「......はい。確かに俺は”湊”で合ってますね。
現に、日本という国に住んでいますし......話も、辻褄は合います」
窓の外には、いつの間にか月明かりが差していた。
「ごめん。こんな遅くまで話しちゃって。
続きは明日話しましょう。この部屋はミナトの部屋だから、自由に使って」
「......ありがとうございます」
敬語。
その一言で、本当に記憶がないのだと、改めて突きつけられた。
「おやすみなさい」
そう言って、私は部屋を出た。
――――――
翌日。
ミナトの部屋をノックする。
「どうぞ」
「昨日は、眠れた?」
「はい。......あの、名前を伺っても?」
「昨日、言ったじゃない」
ミナトは、きょとんと首を傾げた。
「......もしかして、昨日の話、覚えてないの?」
「何の話ですか?」
頭が、真っ白になる。
詳しく聞くとーー
影を見て、私と出会い、城へ来て、部屋で眠ったことは覚えている。
だが、話した内容は、すべて抜け落ちていた。
「......そんな。あんなに説明したのに」
「......すみません」
それから私は、
次の日も、その次の日も、ミナトに過去の話をした。
けれど、朝になると、その部分だけが、きれいに消えている。
理由は分からない。
ただ、
朝の挨拶に、ほんの少し期待してしまうこの心が、
日に日に虚しくなっていった。
――――――1ヶ月後
私は、もう過去の話をするのをやめた。
自分で気づかなければ、記憶は残らない。
そう、思うことにした。
ミナトは、歪みを視ることができた。
けれど、静めることはできない。
ーーはんぶんびと。
あのわらべ歌が、脳裏をよぎる。
私は、彼に告げた。
「あなたは、歪みを視ることができる。
だから、ボーダーキーパーとして働かなきゃいけない」
そばにいれば、少しでも彼を守ることが出来ると信じて。
弟に敬語を使われるのが嫌で、
私は年齢を偽り、同い年だと伝えた。
そして、彼のことを
”ミナト”ではなく、”湊”と呼ぶようにした。
別人のような彼と向き合うのが、苦しかったから。
私は、決めた。
ただの仕事のパートナーとして接することを。
ーーいつか、ミナトが記憶を取り戻す、その日まで。




