7.お義姉たちを助けなきゃ!
きっかけは何だったのか、もう覚えていない。
ただ唐突に、ここではない世界の映像が頭の中に流れ込んできた。今の私とは違う自分の記憶だと理解するまでに、瞬き二回分くらいしかかからなかったんじゃないかしら。
優雅な曲に合わせ、右の手のひらを合わせながら踊っていた王子様の顔を、私は呆然と見上げる。
私の視線を受け、なに? と聞くように彼の目が柔らかく細められる。その表情の甘やかさに、手のひらから伝わる熱に、私の胸の奥がぎゅうっと痛くなって泣きたくなった。
きらびやかな舞踏会。
白い鴉の助けで母の形見のドレスを手直しし、王子様と踊っている自分。出会ってすぐに二度踊って、軽食とおしゃべりを楽しんで、同じ人と踊る三度目のダンスだった。
王子様のそばにいるのは夢のような時間で。エラである私にとってはあまりにも幸せで。
このままこの時間が永遠に続けばいいとさえ思ったのに――――。
(嘘でしょ。これってシンデレラ?)
浮かんだ言葉は、エラとしては一度も聞いたことがない名前だった。なのに次に浮かんだのは、エラではなかった幼い私に、絵本を読み聞かせるお母さんの姿。
(いやいやいや。だめよ、そんな)
自分の前世の名前さえ思い出せなかったのに、最初に浮かんだ映像に血の気が引くのを感じる。一番最初に読んでもらったその絵本は内容も挿絵もすごく怖くて、違うバージョンを読んでもらうまで、シンデレラは大嫌いな絵本だったのだのだ。
だって、シンデレラの姉たちが靴に自分の足を合わせるために踵を切ったり、最後に目をつぶされたりするのよ⁉ 残酷すぎるでしょ!
その後、幼稚園で読んでもらった絵本はアニメチックで可愛いものだったから、何度も読むうちに最初の印象は薄れていった。
でも最初の印象は、私の魂にがっつり刻まれていたに違いない。
(お義姉たちを助けなきゃ!)
おかげで、まっ先にそんなことが浮かんでしまった。
一度目の人生で、私が義姉たちと仲が良かったわけではない。むしろ逆。継母や義姉たちとは仲が悪かった。まさに、絵本のシンデレラの通りだった。
でも仕方がない。仲が悪くたって、意地悪だって、残酷な仕打ちを受けてほしいわけじゃなかったんだもの。
まだ継母たちの裏事情を知らなかった一度目の時間でも、そう考えられた自分を私は褒めてもいいと思う。
とはいえ、アニメのシンデレラのように魔法で変身したわけではなかったから、私だけのカボチャの馬車はない。お城へ来るときに乗っていた下級貴族御用達の乗合馬車は門の前に停まっているけれど、それは一定以上の乗客が乗るまで出発はしない。
舞踏会はまだまだ中盤なのだ。
だから私は家まで走った。普段家事で鍛えた脚力が実力を発揮し、それはもう全力ダッシュで。
片方脱げた靴を拾わなかったから、残った靴も脱いでポケットに入れ、スカートのすそを両手で持ち上げて走る女の子の姿は、もし見かけた人がいれば異様に映ったと思う。
でも気にしてられなかった。
「待ってくれ!」
私を追いかける声も聞こえないふりをする。
(だって私は幸せになる権利なんてないんだもの)
ふと浮かんだ言葉は、私を呼ぶ過去の声に重なる。
『玲良!』
玲良。――吉井玲良。そうだ。それが私の名前だった。
ふいにあふれ出す涙を手の甲でグイッと拭って、私は走る速度をあげた。
(もう嫌なのよ。私のせいで誰かが不幸になるなんて)
それがどうしてなのか、この時はまだ思い出せなかった。




