37.叔父様が地獄の釜の蓋を開けちゃった。
『野蛮ですわね。本当に見苦しい』
奥の宮の入り口から聞こえたその声に、ピタリと動きを止めた燬皓。
『何をその様に喚き散らしているのでしょう。やはり、あの女の身内。何と品のないこと……』
先ほどまで臨戦態勢に入っていた燬皓を嘲るように、奥の宮の入り口に立った人物が口を開く。
『たかが南の蛮族風情が、この煬帝城に入り込んでいる事さえ不快ですのに、醜い声で喚き散らすなんて…』
『玉婷殿…………』
宮に居る誰かが玉婷と呼んだ…きつい顔立ちに派手な色の紅を引き、華やかな裳を重ねた女は気に留めず更に続ける。
『傍迷惑な事をせず、早くあの女の遺骸でもなんでも持ち帰ればよいでしょうに。』
『…!貴様…姉様を、我等を侮辱するか…』
高飛車にいい放つ女に、青筋を浮かべて詰め寄ろうとする燬皓。
『止めよ玉婷。総灯は我が伴侶ぞ。亡骸は祖霊の廟に、殯宮に納める。それに……城より消えた我が子を探さねばならぬ…』
籟暭が燬皓を目線で制するように見やり、行方が知れない子の捜索を告げるも、玉婷が信じられない言葉を返してきたのだ。
『何をおっしゃいますの御方様?そのような子など探されずとももう居りませんわ。』
『!?』
『なっ!』
さらりと何でもない事のように告げられた内容に凍りつく空気。
その場に居る者が固唾を呑んで玉婷の方を見る。
玉婷はそんな周囲の目など気にならないようで、続け様に有り得ない事を堂々と告げた。
『あの様な者の子など居らぬでも、御方様には優秀な跡継ぎが、我が子煌藍がいるのです。あの女が生んだ出来損ないなど、御方様に、籟暭様には無用の長物。天涯から投げ捨てたからには今頃冥府に渡ったあの女の元におりましてよ。』
さも嬉しげに、子を投げ捨てたという玉婷に流石の籟暭も目を剥いた。
『!!玉婷、其方この籟暭の子を…我が最愛との愛し子を捨てたと、天涯から投げたと言うか!!!』
『えぇ!御方様。貴方様の正統な御子は煌藍のみ。フフフ、あの様な出来損ないは塵芥と同じ。不要なものを片付けただけですわ!』
哄笑しながら当たり前の事をした、自分こそが正しいと言うその傲岸な態度が…一度は治まりかけた燬皓の怒りに火をつけた。
『貴様…姉様が…姉様が命を賭して生んだ愛し子を下界に捨てたのか……』
静まっていた空気が一気にひりつき、燬皓の腕に赤い焔が纏わりつく。
『……三界に有り得ぬ程の苦痛を味わいながら死ね、』
『な、ヒッ!!』
その腕を目の前の玉婷に振り抜こうとした瞬間、がしりと別の手が伸びてきて腕を止められた。
『なっ!!?はな、せっ?!』
憎い仇を葬るために振り上げた腕を止めたのは血を分けた姉弟である烔黎だったのだ。
子の安否を尋ねた後、今まで燬皓の背で静かに佇んでいた烔黎が…燃え盛る燬皓の腕を軽々と抑えながら重く閉ざしていた口をひらく。
『義兄上…いえ、北辰の皇、籟暭よ。』
静かに、義兄の名を呼ぶ烔黎。
『……………。』
先ほどの玉婷の言葉に唖然として固まっている義兄に向かって言い放つ。
『此の女は…北の衆は我等が何であるかお忘れとみえる……』
途端に周囲に解き放たれた、体を押し潰されるかのような重圧に次々に膝をつく周囲の人々。
『ひッ……!?』
『な、……がはッ!』
『は、はっ、グゥぅぅ…』
完全に止まった燬皓の腕を放し、腰を抜かして座り込む玉婷と倒れこみのたうつ人々の間を無表情で歩く烔黎。
『我等は帝鴻……此岸に大禍を齎す事など容易き事。其をお忘れか?』
宮の簡易の玉座に腰掛ける籟暭の目前で足を止めた烔黎が道理を知らぬ者を諭すかのようにゆっくりと告げる。
『北辰の皇よ。姉上様の御子を今すぐ探されよ。此より七日の間に御子を見つけられねば……煬帝城を、北の地を、そこな愚民共々消える事無き禍津火で永久に焼き尽くし、灰塵に帰しましょう。』
轟と音を立てて烔黎の腕に現れた黒い火焔が宮の中を照らす。
それは……一方的な殺戮宣言。
天涯より投げ捨てられた子を…生きている事など絶望的な子を探せ、と。
七日のうちに見つけられねば、一族郎党のみならず、北の地の民諸とも皆殺しにする…という苛烈な報復に他ならず……
『ははは、即死させるなど生温い。姉上様の御子が受けた苦しみと、仕打ち、幾百、幾千、幾万倍にして必ずや貴殿らに返して差し上げましょう!!』
薄ら笑いを浮かべ、黒い焔を噴き上げる手を高らかに掲げて宣言した烔黎の姿は…魔王と呼ばれても仕方ない程の禍々しさであった、と後に籟暭は語ったそうな…
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その頃……
投げ捨てられた波瑠は…
『ぱるぅ、あーぎ、るぅあーける(あの、アイギスさん、わたし歩けますが……。)』
『ん?そうだな~パールは歩けてえらいな~。』
『パールちゃん、駐屯地はもの凄く広いから疲れちゃうし、もう少ししてから歩こうね?』
『るぅ、ぱるぅ(え、そんなに)?。……ぅぱるるぅ?(ん?何か鼻がむずむずする?)…へっくちっ!!』
『!!?え、パールちゃん風邪引いた!!?』
『む!いかん、直ぐ天幕に連れて帰るぞアイギス。』
『お、おぉ!ごめんな…寒かったか?おっちゃんが直ぐにふかふかで包んでやるからな!!あ、ラグザ…今さらだけどよ…お前の天幕飛び出したっきりだし、片付いてねぇんじゃ……』
『しまった…確かに…其のままだな…』
『私の天幕に白雪熊のブランケットがあるから、一旦其を使うか?』
『ガンウェイン、白雪熊は暖かいが、ちょっと硬いだろう…毛質が…。』
『!…確かに。』
『………あ、衣料部にムルムルの羽毛で作った羽布団があったような……』
『フラッガ、それは…ふかふかなのか?』
『……ふかふか、というよりはフワフワですね…。』
『………あー、雲狸の毛皮だったら俺の天幕にあるぞ。』
『ノードお前…天才か!!』
『うん、アレはふかふかだな。』
何故かまた『ふかふか』談義に巻き込まれ…
今世の叔父が自分の安否と北の人々全員の命を天秤にかけて激怒している事など…
(うーん?誰かが噂してるのかな……)
知るよしも無い。




