26.予告のない樹上へのご招待
辺境の治安維持というものは、人が齎す被害のみならず、手付かずの自然の中に発生する様々な事象とも向き合わねばならない。
概ねは大規模な傭兵団であれば、それらに迅速に対応可能な人材を多数有するので、滞りなく問題の解決に至るのだが、時には命の危険が伴う事もある。
それは有能な団員を多数抱える白暁の護人に長く所属している古参のノードにも言える事であった。
というのも…今回の辺境での滞在任務に就いて間もなく。一巡目の巡回中に、駐屯地から然程離れていない場所で魔狼の群から襲撃を受けたのだ。
(こんな森の浅い処に、俺がいるのにヴィルカシスがこちらを襲うとは、珍しい事もあるもんだ…適当にいなして、散らせるか…)
と、軽く蹴散らして巡回を終える予定だったのだが…事は思い通りに運ばず…
『うわぁぁ!!?ま、魔狼が!!?』
『やめろ、隊列から離れるな!!』
『ダルドネア!!そいつを拘束しろ!!』
運悪く今回から加入した新参の団員が急に出現した魔狼の群に驚き慌て、隊列を乱したために乱戦となり…
『駄目だ!落ち着け!心の安寧を!』
グルルル!ガァァァ!!
『大人しくしやがれ、犬共が!!』
『!!なっ!?』
頸を食いちぎられそうになった部下と、飛びかかる魔狼の間に自分の腕を挟んで回避したが故に傷を負ったのだ。
負った傷自体は問題のない程度だとノードは思っていたのだが…帰路の途中随行していた他の団員と庇った部下からは「必ず治癒師の天幕へ」と執拗く言い縋られ、半ば仕方なく治癒師の天幕に足を運ぶことになったのだった。
(ただの掠り傷なんだがな…)
『おい!済まねぇが傷の診察を頼む』
到着した治癒師の天幕の入り口で声をかけるノード。
『今は手隙だから私が診よう。ノード、お前が負傷とは珍しい事もあったものだ。明日は雪が降るやもな。』
天幕の中からの応えは同期のガンウェインのようで、丁度手が空いているから自分が傷の診察をすると言う。
『へぇ、治癒師長自らご診察とは、有難いこった。辺境は暑いから、雪降ったら氷菓子が食えて一石二鳥だろうがな…まぁ、じゃあ頼むわ。大した傷じゃねぇんだが、診てもらえと煩ぇんだよ…』
と軽口を交わしながら傷の具合を診てもらい…
『外傷自体はお前の見立通り、塞がるのは早いだろうが、傷の内側の命の焔が若干揺らいでいる。一応大事を取って生命の揺籃に入っておけ。』
と、安静を言い渡されたのだった。
※※※※※※※※※※
(ポッド内は暇なんだよな…。閉塞感はねぇが、寝てばっかりってのも性に合わねぇ。)
昼過ぎから大人しく生命の揺籃に入ったものの、退屈で仕様がない。
(今何時だ?早く出してくれねぇかな…)
と、ポッド内でぐだぐだしていたのだが…
『(?何だ?ポッドが、いや地面が揺れてる?)』
突如として揺れを感じたノード。
当初は軽く細かい震動だったものが、ガタガタと大きくポッドを揺らしはじめ、内部にもその震動は伝わり…そして、ガン、という何かに突き上げられたかのようなかなりの衝撃を受けた。
『あ?一瞬浮いたぞ?天幕で何かあったか?』
体を起こそうにもポッドの中では半身を起こす程度が関の山、ポッドからは外が確認出来ないため、現状も不明である。
『(…ポッドの故障…じゃねぇみたいだな…防護幕の緊急解除警報も出てねぇが、不可視状態のままか…)あー。こういうのを非常事態って言うよな。よし、ガンウェイン許せ、俺は悪くねぇ。』
一応行動に移す前に、此処にいない同期に形だけ謝罪し、力を溜めた後…思い切りポッドのシェードを内側から叩き割った。
パラパラと上から体に降ってくるシェードの欠片などものともせずに、開いた破損部分に体を捩じ込んで脱出したノードだったが、外の景色を見て呆気に取られる。
『おい……何で森の木が下に見えるんだ…?』
いつの間にかポッドは太い幹の大きな木に持ち上げられたようで、まるで樹上の家の様に枝の合間に乗っていたのだ。
『(こりゃあ…魔木か?いや、にしては気配が凪いでやがるし。)…ん?上か?』
その時、ノードの耳が頭上の微かな音を拾う。
見上げると、もう一段高い木の頂点に別のポッドが乗って居るのが見えた。
『あの状態って事は…中に誰か入ってるな。災難だよなぁ。こんな訳がわからん状況に治療中に巻き込まれるなんぞ…』
同じ境遇であろう…上のポッドの中の人物に同情しながら、生い茂る枝を軽々と登る。
『?おい、防護幕がおりてるって事は中に居るんだろ?返事しろ!おい!』
ガンガンと外壁を叩くも、こちらのポッドも不可視の機能が解除されていないようで、内部の様子は伺えず、気配と僅かな音が拾える程度でまどろっこしい事といったら…
『ちっ、面ドクセェ。おい、中で目が覚めてたらシェードから体を離して頭守っとけ、』
痺れを切らしたノードが、握りしめた拳でポッドのシェードを叩き割り、割れた空間から腕を差し込んで内部が見えるようにバリバリと引き剥がすと…
『ん?何だこいつ?』
おそらく幼体であろう、白くキラキラとした体表を持つトカゲに似た生き物がポッド内で丸まって泣いていたのだ。
『ぱる゛る゛る゛ぅぅ(ぎゃゃあ゛ぁぁ!)!』
『何でトカゲの子がポッドに入ってんだ?』
大きな目に涙を浮かべ、それはそれは哀れな様子でプルプルと震える、丸っこい生き物がノードをじっと見上げている。
『(何でポッドにトカゲを入れてんだか…)……はぁ、仕方ねぇ。ほらこっちに来い。オマエ自分で此処から降りれねぇだろ。俺が抱えてやるから、取り敢えず出てこい。』
手をちょいちょいと動かせば、恐る恐る近寄ってくるトカゲの子。
『ぱるるぅ(あの…)』
『よし、噛むなよ。ポッドから出たら足場が悪ぃからな。じっとしてろ。』
そっと脇に手を差し込んで持ち上げ、ポッドの外に出してやる。
『るぅるぅ。(ありがとうございます。)』
『大人しいじゃねぇか。そのままもう少し待ってろ。下を確認してから降ろしてやるから。』
ノードの足元からこちらを見上げるトカゲの子のあたまを軽く撫でてやり、樹下を確認しようと身を乗り出した処…
『ノード!!!無事だったか!』
遥か下からガンウェインの声が聞こえた。
『(おー総員戦闘配置ってか。あーあー団長までおでましかよ…って事はこの木やべぇ案件か…)よし、大丈夫だ。さっさと降りるぞ。ほら、来い。』
ノードは脇に波瑠を抱えて木の下にいたガンウェインに叫ぶ。
『おい!ガンウェイン!何で目が覚めたら俺は木の上にいるんだよ!!?』
『いや、うむ。気晴らしになって良いのではないか…木だけに…』
何か、面白くもない駄洒落めいたものが聞こえたが、ここにいても仕方ない。
『…ちっ、おい、下にいる奴らちょっと退け。こっから降りるからよ。離れてねぇと潰すぞ!』
下に群がっている団員に、着地場所を空けるように大声で怒鳴る。
『ぱるぅ(降りる?)?』
『心配ねぇよ。ちゃんと地上に降ろしてやる。怖けりゃ目を瞑ってろ。今から跳ぶぞ。』
小脇に挟んだ波瑠に声を掛けてから、体を中に投げ出したのだった。