16.生死を分かつ境界線(レッドゾーン)
ふわふわ。
ぷかぷか。
(何だろう…この感覚…。というか、また水の中にいたりする?真っ暗で何も見えないし…。体が浮かんでる?気がするんだけど…)
ラグザの寝台の上でお世話され、ルバーブを食べさせられて、あちこち青くなり、口や手を拭かれた…までは記憶にあるのだが、何故かその後の記憶がない波瑠。
(ええと、たしか巨人なおじいちゃんが、何かどっちが口を拭くか揉め散らかした1号2号を宥めてくれてたような…)
急に途切れた胡乱な記憶を遡れど…やはりその後が思い出せない。
(うーん。たまごから出た、いや、出してもらった。で、巨人1号に振り回されて、2号に助けてもらって…何かしらないけど絨毯を沢山買ってくれる話になったんだっけ?え?絨毯沢山買ってくれるって何?絨毯そんなに沢山要らない、っていうか、何で絨毯を貢がれる話になったの?)
時系列で自分の状況を確認しようとしたのだが、どうもアイギスの絨毯買ってやる発言が頭に酷く残ったようで…
(アラブの石油王じゃあるまいし、狭い部屋にそんなに何枚も絨毯どこに敷くの?え、平たく敷けなかったら…縦に積むとか?某テレビ番組みたいに山○くん座布団1枚あげて~、って絨毯タワーの上に乗るの?崩れない?何枚ならOK?)
どんどん思考が明後日の方向に向きはじめたが…はっと我に返り…
(いや、問題は絨毯じゃなかった!今わたしどうなってるんだろう…?そういえばしっぽ!しっぽが生えてた!後は…足が超短い?ドラゴンじゃなくて龍?って言ってたっけ…あのおじいちゃんが…)
そこまで考えて、ふと体の下の方から声が聞こえる事に気付く。
『………摂取させた量……』
『……かと、………では…』
『いや、………には………だと、』
(ええと、体の下から声が聞こえるんだけど、どういう状況?)
体の下から声が聞こえるなど…
通常では有り得ない不可思議な現象だが、断片的に聞こえる内容が気になり、声を出来る限り拾おうと波瑠は意識を研ぎ澄ます。
『では、一度嘔吐しているのだな?吐瀉物は摂取したルバーブ全てが吐き出されていたか?』
『…我々も慌てていたから、正確ではないが…2つ程青い塊があったと思う。後は血が混じっていた。』
『口にしてから吐くまでそんなに時間は経ってなかったはずだぞ。じじぃ、そうだよな?ラグザが食わせてから俺が手巾を持って口を拭いてやるまで、ほんのちょっとの時間だったよな?』
『是、食してから差程経ってはおらぬ。しかし…』
『…食べさせた量が多い、か…』
『丁度この程度の大きさのものを2つ、だ…』
『その量でこの状態という事は、吸収される前に大部分を吐き出したのだろう。まだ胃の腑の中にルバーブが残っていたなら天幕に連れてきた時点で既に打つ手もなく命を落としているはずだ。』
(うーん?声の主は巨人1号と巨人2号、後は巨人なおじいちゃん?と、聞いたことの無い男の人の声かな?かなり深刻そうだけど…)
視界が開かぬまま更に会話の内容を探る波瑠。
『いや、………子の内腑は一時的に吾が時を止めておるのだ。毒ならば…体に取り込む腑が動かねば猶予もあろうと思うてな…』
『では…………。ヨグ殿の話からすると、この状態は毒の吸収を一時的に阻害している、と。』
『如何にも。故、時間を解き放てば…子の状態がどのようになるか、吾もよめぬ。』
ヨグの話を聞いて一瞬無言になるガンウェインだったが、直ぐにフラッガに指示をだす。
『………やむを得まい…。フラッガ、開腹の術式の準備を。』
『先生っ、ですが…』
『なっ!!!?龍の子の、この幼子の腹を開くと言うのか!!』
『話を聞いただろう?今は体に残存する毒を吸収しないようヨグ殿が術で時間を止めているのだと。その術を解けばどうなるかわからん。ならば…術を解く前に腹を開け、汚染されている胃の腑を洗うしかない。洗わねば恐らくは…』
『っ、恐らくは?』
『八割方は助からん…』
『!!!そんな……』
何やら体の下の会話を聞いているうちに…どうやら話題の中心は波瑠であり、何がどうなったのか、自分は死にかけているらしい。
しかも、原因は先程あーんされた、あの果物のようで、
(!!?紐無しバンジーから助かったと思ったら、今度は食中毒(?)で死にそうなのわたし!?どんだけ運がないの!?というか、巨人2号は何をわたしに食べさせてくれちゃったの!!)
さらに、話からするに…このままでは確実に死ぬので、原因を取り除くために開腹手術らしい。
(まさかの開腹手術!?)
『ガンウェイン!!腹を開く以外に何とかなんねぇのか!!こんな、こんな小さい体で腹なんか開けて大丈夫なのかよ!!』
アイギスが悲痛に叫ぶも…
『……それしか方法はない。』
それ以外の選択肢はなく、
『!!』
『ヨグ殿、処置が終わるまで術をかけ続ける事は可能ですか?』
『是、何としてでもかけ続けようぞ。』
『では用意が調い次第処置を。フラッガ、すまないが手伝ってくれ。』
『わ、わかりました、先生。』
淡々とガンウェインは処置の指示を出しはじめる。
(待って、開腹手術って、今からお腹切るの!!?
え!?わたしの意見は無視!?)
どんどん状況は悪い方向に向かっているのに、何故自分は周りが見えないのか…
そこにポツリと落とされたガンウェインの一言。
『…今はこの子の意識が無い事が幸いか…』
その一言によって体の浮遊感の原因に思い至る。
(!!!いや、待って!!
…………ひょっとしてわたし、今意識不明!!?…………)
『必ず、助けてやるからな…』
(……しかも、まさかの幽体離脱ーーー!!!?)
結構な危機的状況であったのだ。
※※※※※※※※※※
アイギス、ラグザ、ヨグの三者に、波瑠への処置の説明を終え、開腹術式の準備をいよいよ開始したガンウェインとフラッガであったが、問題に直面していた。
『やはり魔法薬が足りんか…』
『はい…赤ん坊に開腹術ともなれば大人のようにはいきません…胃の腑を洗って毒を除いたとしても、開いた傷を即座に塞がなければ、恐らく出血死は免れないと思います。』
当たり前の事であるが、今の波瑠の体は中身とは異なり、生まれて間もない赤ん坊であるからして…開腹手術も大人のように行えるはずもなく…一歩間違えれば、ルバーブの毒ではなく、開腹による出血で死んでしまう。
そのリスクを避け、開腹の傷を塞ぎ、迅速に癒すことが出来る魔法薬が駐屯地にはもともと不足していたのだ。
『(これが先程の違和感の正体か…)
…フラッガ、すまない…イリシュネア様に繋ぎをとれないか…』
『お祖母様に?そうか、奇蹟の霊薬ですね!!大丈夫、宵っ張りなお祖母様のこと、この時間ならばおそらくまだ起きておられると思います。丁度辺境から里は差程離れておりません。早足鳥をお借りすれば直ぐに訪えます。』
『……あの方ならば…この子の命の焔を繋ぎ留める方策をお持ちのはずだ。開腹の術式はイリシュネア様の返答を待って行う。頼んだぞ。』
『はい、直ぐに里に向かいます!』
波瑠の命を繋ぐために各々が動きだし――
長い闘いの夜が幕を開けた。