彼は糸を操る
実は全部兄様が手を引いていたあれこれ。
幼馴染みと後輩はなんとなく察してそうだけど、弟は何も知りません。
後書きは手を抜いて会話文だけ。
「協力させておいて、肝心な情報を渡さないとはな」
静かに苛立った声で彼女はジュルクを睨み付ける。
いつかの酒場のカウンターで、ジュルクは赤銅色の髪の執行官と並んで座っていた。
彼女に呼び出されてここにきたはいいが、さてどの情報かと内心では首を傾げながら、表面上はにっこりと爽やかに笑って見せた。
「この程度も掴んでいないとは。執行機関が聞いて呆れるな」
馬鹿にしたように言ってやれば、執行官は忌々しそうに美しい顔を歪めて控えめにテーブルに拳を叩きつけた。力を入れてしまうとカウンターを割ってしまうからだろう。
「掴めるか! 階級章なんて目に付くものに呪いを掛けるなんて、思いつきもせんわ!」
なるほどそっちかと酒を飲みながら、渡す情報を頭の中で整理しておく。
先日、ニールからの情報を元に、問題の十人に背格好を似せた部下達に酒場でレーヴェの命令など無視してやると吹聴させた上で、ストゥーケイに話を持ちかけ、レーヴェを隊長として三十五人の臨時部隊を組ませてアンデッド討伐に向かわせた。
こんなに人数が必要かとレーヴェは疑問を口にしたが、そこはストゥーケイが上手く言いくるめたようだ。この内十人がアンデッド化し、二十五名で二十体以上のアンデッドと戦うことになるからとは言えなかっただろう。
階級章については回収後、遺族に返す前にニールがさり気なくヴァスクかティカに触らせて、呪われていることを示す計画だった。その前にティカが「それ、綺麗だね」と呟いてアブリスに異常を気付かせたのは良い誤算だ。その後、第二騎士団から移籍した騎士の階級章も呪われていると気付かせ、即座に総長へと情報を持っていったのも良い動きだった。
ティカは本当に良い隠れ蓑だ。彼女はいつも一般論しか言っていないのに、水の都を救った英雄という肩書きが、彼女の言葉に勝手に重みを持たせる。そしてそこに彼女自身の幸運――彼女にしてみれば不運かもしれない――が重なって、たった一言でいろんなものを引きずり出す。
おかげでジュルクが伝えるまでもなく、執行機関に情報が渡った。
実は伝えるのを忘れていたのだが、これも計算のうちだという顔を崩さずにジュルクは口を開く。
「だが、実際には効果的だ。高位神官と接する機会の少ない第二騎士団では特に、な」
「ああそうだ! 呪いが見える高位神官に頼み込み、第二騎士団二百四名の階級章を秘密裏に調べたところ、実に半数以上が呪われていた。勤務態度が真面目な者、騎士道精神に溢れた者、その逆で足を引っ張るしかしない愚か者ばかりだな。
その上、何名かが行方不明であるのに捜索依頼が出されていない。
西で発生したアンデッドは、こいつらだな?」
「ご明察。ついでに、東の拘置所に収容されたゴロツキが数名行方不明だ。これも加えておいてくれ」
ついでにまだ手に入れていないだろう情報を渡せば、彼女はもう怒りを通り過ぎて笑えてきたか、疲れたように口の端を上げて酒を飲んだ。
「これでも、皆真面目に情報収集をしたんだが……パルスートには敵わんか。ソルだけでなく、トトも動いているな?」
『友人』のことを指摘されてもジュルクは微笑んで酒を飲むだけだ。彼女も答えが欲しかったわけではないようで息を吐いた。
「執行機関なんて大層な名前だが、情報収集すら太刀打ちできんとは」
「いや、使える人数の違いだ。少ない人数ながらよくやっていると思うぞ。
それに、今回は王家の害になると判断したから『友人』も動いただけだ。騎士団内のいざこざなど本来ならどうでもいいからな」
王家の害になることもそうだが、惚れた女を救うために力を貸してくれと頭を下げたことは黙っておく。パルスート家の人間はどの家も惚れた者のためには全力を尽くす血族なので、年上の『友人』達は「若いな」と笑いながら力を貸してくれた。いずれ彼らの息子・娘が頭を下げてきたら、ジュルクも力を貸す。パルスート家はそうやって助け合ってきた。
執行官は「そうか」と呟いたきり、しばらく黙って酒を飲んでいた。
「――アリス・ラベルタが、主犯は自分で、副隊長及び隊員は自分の命に従っただけだから減刑をと言い出した」
とても言い辛そうに小さく囁かれた言葉は、アリスがジュルクの想い人だと知ってのことだろう。想い人が罪人として裁かれるのは辛かろうという心遣いのつもりだろうが、そちらについても手は打ってある。
呪いの階級章の件で魔導部隊の半数が何らかの罰を受けた。アリスは主犯として投獄されたのも聞き及んでいる。表向きはそれで構わない。
「ああ。それが本当にアリスの言葉なら減刑をしてやってくれ。
だが先にエボルタ嬢の力を借りて、副隊長のロペテギを尋問した方が良い。
――最低でも八ヶ月以上、アリスは監禁されている」
執行官が顔を上げ、不審そうにジュルクを見てくる。アリスの姿を城内で何度か見たことがあるからだろう。
この情報は総長にすら渡していないので当然彼女も知らない。口にするのも初めてだ。
「アリス本人も気付いていないだろうが、マリオネットに意識を移され、マリオネットを動かしていた。
まるでアリスが働いているように見えるだろうが、実質は副隊長が魔導部隊を指揮している。アリスの記憶も弄られている可能性が高い」
「では、本人はどこに?」
「第二騎士団の仮眠室。彼女の寮の部屋に似るようにレイアウトが変更されていた。あそこは個人用のシャワーもあった。
隊長になると部屋にシャワー室が付くから、本人は疲れて寮に帰ってきたと思っているだろうが、実際に寮に帰っていたのはマリオネット。接続が切れたのは一瞬寝てしまったとでも思っているだろうな。本来の体を動かし、シャワーを浴びて、自分で持ってきた食事を食べ、就寝している。
友人の使い魔が一日中監視をしていたので間違いない」
ニールの情報から友人に頼んで監視をしてもらった結果、本人の足で寮に帰ってはいなかった。仮眠室に一度食事を置いてから、マリオネットが寮に帰っていたのだ。ニールのように監視をする人間への対策だろう。
執行官の顔から表情が抜け落ちた。おそらくジュルクも同じ表情になっているだろう。
「アリスは、奴らの人体実験の実験台にされていた。友人曰く『千近い呪いを掛けられて、大きな精神異常もなく、そもそも正常に動いて生きている彼女は、紛れもなく聖女の素質がある』だそうだ」
「流石に千という数字は誇張だろうが……いや、いや。その顔はやめてくれ」
数字が大きすぎて現実感がなかったために、執行官は場を和ませる冗談だと思ったのだろうが、言葉の途中でジュルクがにっこりと微笑んだために顔を引きつらせた。
「腸が煮えくり返って、どうやって奴らを殺そうかと考えている」
「…………やめてくれ。貴様まで捕らえねばならなくなる」
「オレの手が汚れたらアリスが悲しむからやらない」
笑顔を引っ込め、怒りを隠さずに酒を飲む。すぐに空になったのでおかわりを頼んだ。せっかくの二十年物のウィスキーだというのに、安酒のように飲んでしまった。もったいなさでさらに苛立つ。
目の良い『友人』がアリスを監視し、掛けられた呪いを遠隔で解析した結果、九百五十七もの呪いが掛けられていたと報告してきた。これで魔に落ちず、人間性を保って、人間として生きている彼女は歴代でも最高位の聖女だと感心していた。そもそもアリスは祖母の黒魔法を継ぐために黒魔道士をしているだけで、実は黒魔法よりも白魔法や神官が使う神聖魔法のほうが適性がある。
「……『投獄されたのは偽物で、本物は監禁されており救助された』という筋書きか」
「ああ。さらに『多数の呪いを掛けられていたため、まともな精神状態ではなかった』という話を流す」
「ならば『内部告発をしようとしたが監禁され、呪い耐性と浄化作用の強さから呪いの人体実験にされていた。保護された彼女には六百もの呪いが多重に掛けられていた』と、我が家から流してやる。勤務態度はとてもよく、評価は高い女性だったからな。こちらのほうがいいだろう」
軽く目を見張って彼女――フリーア・レベレスターを見た。レベレスター公爵家は王家に長く仕える、忠臣の家だ。何代か前の王女が降嫁した家で、赤銅色の髪はその名残である。
驚くジュルクに、彼女はほんの少し意趣返しが出来たとばかりに鼻で笑った。
「ラベルタの魔草のおかげで、我が領地のランクの低い魔石が研究に回せるようになった。
ちょっとした実験に高濃度の魔石を使うのは危険だし、もったいなかったからな。安全に、安価に、新しい魔道具を試せるようになったのは大きい。
その礼だ」
人の繋がりとはわからないものだ。まさか彼女の実家のおかげで、公爵家まで動くとは思わなかった。
事実はどうであれ、世間的には公爵家が話した話が真実として広まる。アリス及び、ラベルタ家の評判まで護ってくれるというらしい。ジュルクでもある程度は保護できたと思うが、これ以上ない後ろ盾に思わず笑ってしまった。
「これであとは団長だけだ。何かネタはあるか?」
「いいや。流石に侯爵家となると尻尾を掴みにくい」
フリーアがしれっと情報を求めてくるも、本当に何も無いと両手を挙げた。
だが、これからの計画を話してもいいだろうと口を開く。
「だから、尻尾を作る。もう第二にうちの部下が入り込んでいる。
魔導部隊が減っている今、巡回に出る人間を補填する必要がある。それを冒険者から募れと助言する。
そしてこう囁く。「駆け出しの冒険者は人脈作りに必死です。良い感じに煽れば、遊撃隊に嫌がらせが出来る。精神的な負荷を掛け続けていたら、こんな部隊にいたくないと、有能な人材は逃げ出すかもしれませんね」とな。
あの男は遊撃隊をいたく気に入っているからな。手元に置きたいとずっと考え、ちょっかいをかけていた。
まー、そのまま潰れてしまえと考えるかもしれないが、それはそれでいい」
「貴様……」
ピクニックの計画を話すかのような明るい顔で計画を話すジュルクに対し、フリーアは非常に呆れきっていた。必要であれば弟が所属する部隊も利用し、弟たちに精神的負荷をかけてでも尻尾を作り上げようとする兄に言葉もないようだ。
ジュルクとしても、特に背負い込みがちなレーヴェに精神的負荷を掛けたくはない。彼はストレスが溜まると不眠症になるのも理解している。だが、その程度で潰れるような彼らではないと知っているし、完全に潰れる前にティカが動く。
「そろそろクラーケン討伐に遊撃隊が向かうだろう。何かあったらどうする」
「【不可視】が動くように、噂を流してある」
毎年クラーケン討伐の間、ティカだけが留守番をしていることは有名だ。つまらなそうに図書館で本を読んでいる姿を毎年確認している。そして、【不可視】は非常に愛妻家なのだとアルクから聞いている。
愛妻家の男が、妻を不穏な気配のする王城に残すだろうか。答えは否だ。
そのために騎士団内が少々きな臭い様子を冒険者にそれとなく話してある。【不可視】が懇意にしている情報屋はしっかりと掴んでいるだろう。
自主的に動かなくとも、ジュルクが直々に頼みに行けばいいだけなので何も問題が無い。
「さて。あの男がどんな計画を立てるのか楽しみだ」
あとは、第二騎士団長がどんな愚かな計画を立てるのかを待つばかりだ。
数日後。
思惑通りにやってきた冒険者から直接話を聞き、纏めて、フリーアへと放り投げる。
思った以上に手の込んだ嫌がらせをしていることを知り、その細やかさをもっと違う方向に使えば、団長の座にあと二年は座れただろうにと呆れてしまった。
「これ以上は難しいからな。後は頼んだ」
「貴様……面倒になったな?」
「まさか。裏取りをするのは総長の情報屋のほうがいいと判断しただけだ。流石にギルドには手を出せん」
「……いいだろう。渡しておく」
しかし、水の都の情報屋を片っ端から捕まえて牢獄に放り込んでいたとは掴んでおらず、裏取りに少々時間が掛かることになった。
冤罪を複数人にふっかけて、何故大丈夫だと思ったのだろうか。バレたら即懲戒免職。さらに極刑だとまで思いつかなかったようだ。
更に、副団長は火の国からの勧誘を受けており、ティカとアルビレオの引き抜きをするため、手伝っていたことが判明した。自分も一緒に抜けて火の国の重役に就けると思っていたようだが、普通に考えて二人を引き抜いた時点でお役御免でこの世とさよならだ。
思った以上に腐っていた騎士団に、フリーアと共に頭を抱えた。
「これは……ティカさんが怒鳴り込むのを待っていますね」
「おそらく。そして、団長権限で追い出せるとでも思っているのでしょう」
「……火の国との繋がりはないのですね?」
「団長はありませんでした。副団長は繋がっており、エボルタ様とシグヌス様を引き抜こうと躍起になっています」
「そうですか。……ここまで腐っているとは思いませんでした。
至急、ティカさんへ「動くな」と伝えてください」
「わかりました」
「エボルタ様が来てから、二年ごとに大きな事件がが起きている気がしますね……」
「……三年目は二匹の大海蛇の出現、五年目は妹を攫ったとして黒龍の襲撃、七年目の今年は第二騎士団解散で一番大人しいですね」
「ははは。ここまで来ると再来年はヒュドラとか出てきても驚きませんね!」
「ヒュドラは流石に驚きますが……キマイラ程度なら出そうで怖いですね」
「ティカさんとアルビレオさんがいるからどうにかなるでしょうが……」
「総長! 報告です!! 沖合にクラーケンではなく大海蛇の幼体が一体出現!」
「「「…………。」」」
「先行していた【不可視】がバリスタを積んだ船を招集! 到着次第、討伐するとのことです!」
「……わかりました。冒険者ギルドにも連絡はいっていますね?」
「はい! 騎士団はどうしましょう」
「我々は待機で良いでしょう。通達も必要ありません。ああ、第三騎士団長にのみ報告し、待機する旨を伝えておいてください」
「了解しました!!」
「…………大海蛇って、そんなにほいほい迷い込む種でしたっけ……?」
「……案外、迷い込んでは戻っていたのかもしれませんね」
「偶然遭遇しなかった線はありそうですね……」