彼は踏み出せない
アリスは大海蛇戦で、意外な才能を発揮したらしい。
「実際凄かったぞ、あの嬢ちゃん」
「……その場にいたかった……っ!!!」
第三騎士団団長――ストゥーケイとの慰労会という名の飲み会の席で、アリスの活躍を聞いていた。
ストゥーケイはかつて第一騎士団にいた先輩だった。第三騎士団の副団長が家を継ぐことになって交代せねばなくなり、第一騎士団から経験を積むために第三騎士団に移った。そのまま空気が馴染んで団長まで上がった男である。
アルクとレーヴェが心配で話を聞かせてもらうため飲み会に誘ってから、互いに団の近況を話し合うようになった。最近は妻帯者ということで恋愛相談にも乗ってもらっている。
「隊長が食われ、混乱に陥った魔導部隊を一言で落ち着かせてた。
つーか、副隊長は使えねぇな。あの程度で怯えやがって」
「いや、話を聞く限り普通は怯えますよ……」
初めての魔物との戦いで隊長が戦死し、自分たちもそうなるかもしれないと恐慌に陥るのはおかしくない。
いつもいつも魔物と戦っている第三騎士団とは違うのだ。第一も第二も、相手は人間だ。脅威は自分たちの想像を超えない。だが、魔物は自分たちの想像を優に超えていく。現に、港に打ち上げられた大海蛇を見て、その巨体にジュルクは恐怖を感じた。アレが生きて暴れるなど、足が竦んで上手く動けないだろう。厄災襲撃事件ではジュルクの隊は後方支援と治療に専念していたので戦闘は経験していない。
「まぁ、そうか。あの嬢ちゃんは慌てふためく野郎どもの中、杖で甲板を強く叩いて注目させ、こう叫んだんだ。
「顔を上げなさい!! 第三騎士団に負けていいんですか!!」
ってな。アレは風魔法で拡声していたな」
彼女の声はよく通るとはいえ、流石に戦場にまでは届かないだろう。それに魔導部隊は六隻の船に分散していたので、声を届けるには魔法の力が必要になる。
「「このままでは、彼らにすべての功績を持って行かれますよ!!
お飾りの部隊と笑われたくなければ、自分たちの仕事を全うしなさい!!
第一から第三、遊撃隊支援の第六部隊は足場の維持! 足場がなければ海の生き物に人間が抗う術などありません!」
って堂々と言い放って。それで我に返った奴らが足場を作るようになってな。
おかげで崩れかけてた足場を維持してたうちの魔道士達が自由になって、攻撃に転じられたんだ」
きっとフードを脱ぎ捨て、堂々と。あの美しいターコイズグリーンを惜しげも無く海風に晒して、胸を張って指示を飛ばしたのだろう。
彼女ならそれぐらいが出来てもおかしくはない。魔草は魔力が豊富なせいで魔物に狙われやすく、自警団を組んで兄と交代で護っていたそうだ。スケールは違えど、魔物との戦いに慣れている。
「あの嬢ちゃん、隊が落ち着くと、氷魔法が使えないが部隊として連れてこられた奴らにも役目を与えたんだよ。各部隊に連絡役とマナポーション配る役を配置してた。
上手いのが副隊長に何もさせなかったことだ。「副隊長が船全体の防衛に努めてくださっています! 隊長に代わり、私たちの背中を護る副隊長に負担を掛けないよう、早期決着を目指しましょう!」だったかな。実際には船に攻撃はさせないよう俺達が防いでたが、副隊長の野郎は大したことないなってふんぞり返ってて笑ったわ。
嬢ちゃん自身は各部隊の情報を聞きつつ、回復が使える奴らを連れて船から下りて、こっちの後方で治療を手伝ってた」
「ああ~……その場にいたかった……っ!!!」
絶対に格好が良いじゃないか。副隊長は防衛に努めていることにして、彼が指示を出していない不自然を覆い隠した。副隊長自身も防衛のために大海蛇の動向を見ていなければならないため、周りを見る余裕がない言い訳が出来る。
それでいて本人は全体を見つつ戦場を駆けている。紺のローブをはためかせて、氷の戦場を駆ける彼女をその場で見たかった。
ジュルクはソル・パルスート家の当主であり、現在水の都唯一の蘇生魔法を使える白魔道士である。そのため、有事の際にすぐに駆けつけられるように騎士にされたが、戦場に駆り出されることは絶対に無い。本当は一緒に行きたいのだが周りがそれを許さない。
だからきっとこの先も戦場で凛と立つアリスを見る機会は無いだろう。とてつもなく悔しい。
「あの嬢ちゃん、おそらく副隊長になるぞ。これで第二も多少はマシになるだろ」
「そうだといいですね。ほんっとあの足の引っ張り合いしかしないクズどもが……」
今回の功績を考えれば、副隊長が隊長に上がり、アリスが副隊長に就くだろう。そうすればアリスが上手く隊長をおだてて大人しくさせ、彼女が指示を出すという構図になるはずだ。
市街で事件が起きたら、今までだと誰が功績を挙げるか団内で競い合って対応が遅れていたが、アリスが上手く間を取り持って早期解決できるようになるかもしれない。
むしろそうなってくれという期待を籠めていたが、残念ながら希望通りにはならなかった。
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年若いアリスを隊長に、副隊長はそのままに。そんな人事で副隊長が納得するはずが無い。
結果として、魔導部隊は二つに割れてしまった。
忙しいのかアリスが図書館を訪れることは無くなり、しかし第二に顔を覗かせるわけにも行かないのでジュルクは図書館で待ち続けるしか無かった。
今日も図書館でアリスを待っていたところ、ニールがひそりと近寄ってきた。珍しい来客に目を丸くする彼に、彼女は周りを素早く確認して、声を潜めて伝えてくる。
「パルスート先輩。うちの魔本士が持ってきた噂なんだけど、第二の間で「魔導部隊の隊長に若い女が付いたのは、第一の騎士が根回ししたからだ」ってのが流れてるみたい。アリスだっけ? あの人のことが大事なら、しばらく接触を控えたほうが良いかも」
「なんだと」
かつての後輩が持ってきた情報に眉を顰める。確かに、ここで魔導議論を交わしている姿は不特定多数に見られている。迂闊だったと眉を寄せた後、はたりと我に返った。
「いや、何故オレにそれを伝える?」
そんなにわかりやすい行動を取ったつもりは無い。今動揺を見せてしまったが、これでも伯爵家当主なので表情や行動に気を付けている。アリスが自分の大事な人だと理解しているのは、自分が伝えたストゥーケイくらいのはずだ。第一の皆には色々と聞いて回ったためにバレているのはわかっているが、口が硬いからそこから漏れたとは思えない。
とぼけようとするジュルクに対してニールは呆れた顔をして髪を指差した。
「先輩、あの人と関わってから身なりを整えるようになったでしょ。好きなんだろうなーって女の子達は気付いてるよ。ただ先輩が伯爵家だから、第一の騎士ってぼかしてるだけ」
周囲にはモロバレだったらしい。まさかこんな弊害があるとは思わなかった。思わず頭を抱えかけて額に手を当てるだけに留める。何とか笑顔を貼り付けるも、動揺は簡単に消えてくれない。
「……彼女には、バレてるだろうか」
「どうですかね。私は様子を見たことないのでわかんない」
「……そうか」
ここ数日現われないのは忙しいからだと思っていたが、もしやバレて避けられているのだとしたら後悔しかない。しかし、ならばあの誕生日プレゼントは一体どういうことなのだろうかと頭の中でグルグルと思考が回る。
恋愛に対する経験があまりにもなさ過ぎて判断が付かず、ひとまず今考えることではないと置いておく。
「教えてくれて助かった。ほとぼりが冷めるまでは人目に付くところで会うのは避けるとしよう」
ニールに礼を言い、本を持って席を立つ。彼女はひらりと猫のように身を翻して去って行った。
本棚に本を片付けながら、思った以上に気落ちしている自分を笑顔の奥に押し込んだ。
アリスと創っている途中の新しい魔導理論はしばらく凍結だ。
数日後、噂の第一の騎士がジュルクだと判明しだしたのか、第二騎士団の団員が、自分も取り立ててほしいとすり寄ってくるようになった。彼女自身の実力だとは誰も思っていない様子なのが苛立つ。
魔導部隊の人間は人事に納得していないがアリスの実力は認めているようで、きちんと指示には従っているようだ。
「――表向きは、ですが」
「やはりな」
自宅で自分の密偵からの報告を聞き、ジュルクは息を吐く。本来なら密偵を城内に放つことは禁じられているが、恋心の暴走ですと堂々と総長に言い切り、アリスの身を護らせるために一人だけ置くことを認めさせた。執行官にもアリスの護衛以外のことはしないと説得させた。赤銅色の髪の執行官にはストーカーか。と呆れた様子で言われたが、堂々と護れないのだから仕方がない。
いくら隊長になったばかりで引き継ぎに時間が掛かっていると言っても、流石に休憩も取れないほどとは思えない。内部で何かがあると探らせれば、備品の申告をしない。書類を提出しない。彼女の筆記具を捨てる。などの小さな嫌がらせをしていることが判明した。
「こうして探らねばわからんような小さな嫌がらせをするとは……潰して、やはり小娘には務まらんとでも告発する気か。
第二の団長も何を考えてるんだ」
内部分裂でもさせる気か。それとも逆にアリスの真価を発揮させないためか。彼女が真価を発揮すれば、間違いなく魔導部隊は他の部隊よりも功績が上がる。彼女の実家の功績に加え、アリス自身の評価が上がれば、誰もが注目し見合い話なども出てくるだろう。結婚して辞める女性隊員は珍しくはない。辞めさせたくないというのなら他に方法はあるのでこの可能性は低いだろうが。
いくらでも可能性は考えられるが、間違いが無いのはこのままでは彼女が潰れるということだ。
「第二団長息子との見合いを執拗に迫っています」
「……そうか」
一番考えたくない可能性だった。団長の息子は今年二十八だったはずだ。アリスは二十一。七歳差は貴族間ではおかしい年齢差でも無い。
だが、真の目的はラベルタ領の秘密を探るためだろう。第二騎士団長の実家、アラーニャ領とラベルタ領は隣同士だと調べて分かった。ラベルタ領の魔草の秘密を探り、自分の領へ情報を流して育てようと画策していてもおかしくない。
「しかし、断っているんだな?」
「はい。『好きな相手がいます』とのことです」
「だろうな。上位の貴族からの見合いを断るにはそれしかない」
水の都は自由恋愛を推している。王族ですら見合いよりも恋愛を優先させるため、年頃になると王立アカデミーに通わせ、出会いの場を増やすようにしている。表向きは。実際は幼い頃から選ばれた相手と顔を合わせて交流させ、愛するように仕向けられている。それなりに上手く行っているようだ。
ともかく国が推している以上、嘘でも本当でも『好きな人がいる』として見合いを断ることは失礼に当たらない。
「『相手が結婚するまではこの恋を続けると決めましたので、お断りし続けます』と、本日きっぱりと言っておりました」
「……上手いな。相手の名前を言わずに、自分よりも上位貴族で芽がないことを示しつつも諦めないか」
できればその相手が自分であれと思ってしまうのは仕方がないだろう。
「探れたか?」
「いいえ。相手の迷惑になるとして徹底的に隠しております。ジュルク様のお名前を出して聞いた女性隊員にも、笑顔で「共同研究をしてくれる優しい方です。ジュルク様のご迷惑になるのでその話はやめてください」と告げており、好意の有無については探れませんでした」
「……オレではない、か……」
誕生日に持ってきてくれた手作りクッキーと手製だろう刺繍のリボン、渡したときの様子から脈を感じたが、単に緊張しすぎだった可能性が出てきた。わざわざ手作りにしたのは、店に買いに行く暇が無かったか、少しでも真心と考えたかもしれない。いや、そもそも誕生日プレゼントの話題になったときにジュルクが「手作りクッキーに憧れているんだ」と言ったのを覚えていて、叶えてくれただけかもしれない。
「…………いっそ、見合いの申し込みをしてしまうか」
「恐れながら、お断りされるだけかと」
「……そうだな……」
重い溜め息をついて、ジュルクは密偵を下がらせた。
引き出しから大切に畳んで入れてあるアリスが贈った刺繍入りのリボンを手に取る。
どうにか手に入れたい。だが、現状は彼女と会うことすら叶わない。どうにか彼女の接点を作らねばならない。
「…………【創造詩】……」
自分とアリスを繋ぐものを考えて、思いつくのは魔法。その中でも、一番アリスが興味を引かれたのは遊撃隊にいる外部協力者の姿。
子供にしか見えない小柄な女性は自由気ままに城内を歩き回っているが、彼女のことを探ろうとすると必ず邪魔が入る謎の人物だ。
ティカが操る魔法【創造詩】は現状彼女一人だけが使える魔法となっている。どの魔法形態にも属しない新しい魔法についてならアリスと話そうとしても違和感はないし、ティカも巻き込んで話が聞ければ二人きりになるという事もない。
問題は、ジュルクはアルクの兄であり、レーヴェの幼馴染みだとしても、第一騎士団の団員が第三騎士団においそれと足を運べないことだ。しかもつい最近、大海蛇をたった二人で沈めたために団内でも注目を集め出した。
これから先、遊撃隊はもっと功績を上げるだろう。そこにジュルクが関われば、謂れのない噂が立つことになる。アルクを経由してティカを家にと思っても、相手は既婚とは言え女性を独身の自分が呼ぶのは憚られる。シリカの店は出禁になっているので使えない。
現状は八方塞がりだとジュルクは溜め息をついて、背もたれに体を預けた。