彼女を月は見ていた
「アリス!」
「お母様!」
既に行くことは伝えてあったのだろう。門の前で今か今かと待っていた様子の両親の元へ、馬車を降りて駆け寄っていく。同じように駆け寄ってきた母を抱きしめれば、二人纏めて父が抱きしめた。
また生きて両親に会えるとは思っていなかったために涙が少し滲んだが、化粧が崩れるので意地で涙を引っ込めて、離れた。
「……迷惑を掛けて、ごめんなさい」
「いいのよ。大丈夫。社交界では貴女が勇気を持って内部告発をしようとしたところで監禁され、偽物が一年務めてたことになっているわ。
六百近い呪いを掛けられて眠り続けていたなんて話もあるけれど、流石に誇張が過ぎるわね」
「ははは……」
謝るアリスに、母は涙を滲ませた笑みで首を振り、現状を伝えた。呪いの話は間違ってはいないのだが、これ以上の心労はかけたくないので黙っておく。
父はジュルクと何か話しているようで、怒りにも似た表情で睨む父に、ジュルクは神妙な表情で胸に手を当て頷いている。
「アリス」
話が終わった父がまたこちらに来るので見上げれば、両手に肩を置かれた。父の表情はアリスが騎士になると決意して家を出たあの日のように、真剣で、心配をしている親の顔だった。
「嫌なことがあればいつでも帰ってきなさい。
それと、また騎士団に務めるそうだが、異変に気付いたら、今度はまず第三者に相談をしなさい。いいね?」
「はい、お父様」
執行官として務めることは伝えているのか分からないが、また騎士団に務めることは変わりない。父の心配を素直に受け止め、アリスはしっかりと父の目を見つめて頷いた。
自分と同じ、金の瞳がどこまでも心配そうに見つめていたが、やがて名残惜しそうにきつく目を閉じて手を離した。
まだ名残惜しそうな父を押しやって、母が再びアリスの前に立つ。
「アリス。何か持っていくものはある? 貴女の寮にあった私物で、服以外はすべてそちらの家へと運んであるわ」
「……それなら、もう持っていく物はないよ。騎士になる日にすべて持って行ったから」
服は非常に名残惜しいが、推定伯爵家夫人となるのだ。相応しい物を仕立ててもらおう。
それ以外の物は、家を出る日にすべて持っていったし処分した。寮の私物がすべて向こうの家にあるというのなら、アリスがこの家から持ち出せる物は何も無い。
使用人も全員出てきているようで、一人一人見回した。何人かは入れ替わっているが、執事とメイド長は彼女の知っている顔だ。皆、彼女が想い人がいることは知っていても、誰かは知らない。だから仇敵のようにジュルクを睨んでいる。ジュルクはその視線を当然の如く受け止めているが、あなたが受け取るべきではないとそっと立ち位置を変えて、背に庇った。
「大丈夫。旦那様は私のこと本当に愛してるってもう分かってる。この服も旦那様が贈ってくれたものだよ。
私は寝てたけど、毎日パルフェソートを贈ってくださっていた方だもの。絶対大切にしてくれるって分かってるから、心配しないで」
皆を安心させようと微笑んで、見たこともない旦那様を庇う。自分でも滑稽だなと思うが本心だ。大事にしてくれる愛には応えたい。
しかし、逆効果だったようで皆が涙ぐんでしまった。父なんて凄い形相でジュルクを睨み、母が扇子で思いっきり顔面を叩いた。だが母も鋭い視線でジュルクを睨んでいるのでどっちもどっちだ。
「ジュルク様」
「はい」
怒りを非常に押し込んだ、とても平坦な声で母がジュルクを呼ぶ。アリスの隣に並んだジュルクへ、母は下から睨み上げる。相手は伯爵家当主なので本来なら不敬だが、ジュルクは大人しく視線を受け取っている。
違和感に内心で首を傾げるも、次のやりとりで違和感など吹っ飛んだ。
「娘には、想い人がおりました」
「存じております」
(待ってお母様目の前のその人が想い人なんですっ!!!!!!!!)
口に出して叫べるはずもなく、アリスはキュッと口を噤んだ。どうしよう。誰か助けて。どうして唯一恋心を知っているメイドはいないんだ。もう辞めると言っていたからこっそり教えたんだった。だったら今すぐここを通りかかってくれないかっ!!
無茶なことを内心で祈りながらアリスは二人のやりとりを見守るしか出来ない。
「騎士団に務める以上、危険な目に遭わせないとは誓えませんが、彼女に何かあれば、私が必ず助け出します」
真摯に答えるジュルクの横顔はいつになく真剣で、ここまで真剣に誓いを立ててくれるのなら、やはりパルソート家の上位の家なのだろうか、などと現実逃避をしてみる。
いや、なんとなく分かってきたのだけれど、ちょっと現実を認識するのが辛いというか。夢のようで信じたくないというか。
ジュルクの誓いに、母はまだ僅かに不満そうだがアリスへと視線を移した。
「アリス。お父様も言っていたけれど、嫌なことがあればいつでも帰ってきなさい」
「はい、お母様」
ああもうなんか確定事項じゃないですかこれは。
それでも信じがたくて、緊張のあまり硬くなってしまった声で母に返事をする。
神様。もし夢だというのなら今すぐに目を覚ましたいです。
****
夢ではなかったです。
実家から相手の家に向かう馬車の中。話題を探すこともなく現実逃避のためにアリスは窓の外を見ていた。ジュルクのほうから無理に話しかけてくることはなく、じっとアリスを窺っているのが逆に辛い。
長くも短い道を走って辿り着いたのは、実家と同じぐらいの屋敷だった。伯爵家ではあるが大きくはない。なぜなら、家にかける金があれば本につぎ込みたいという家だからだと彼女は知っている。
馬車から降りれば、使用人達がずらりと並んで出迎えてくれた。誰もが歓迎をしているが、申し訳なさそうだったり、哀れむような表情だ。そんな使用人達の視線を遮るようにジュルクが目の前に立った。
「アリス。今日からここが君の家になる。伯爵家としてはこぢんまりとした家だが、その分魔導書の豊富さだけは自慢できる。王都内すべての図書館の禁書エリアも利用できるよう手配済みだ。いつでも馬車を出せるように君専用の馬車も用意した。
それと社交についてだが、我が家はあまり出る必要はないし、誘われることも滅多にない。王家主催の物は出なくてはならないが、それぐらいだ。安心してくれていい」
あと君が気にする点はなんだったか……。と思い出そうとしてくれているジュルクには悪いのだが、アリスはもうそれどころじゃなくその場で崩れ落ちそうになる足を必死に踏ん張っていた。
「あの。ジュルク様。私、旦那様が誰なのか、聞いていません」
何とか言葉を紡げば、思い出そうと視線を逸らしていたジュルクが驚いた様子でアリスに視線を戻した。
見上げるアリスの視線を受け、一瞬どこか痛そうに僅かに顔をしかめたが真剣な物にして彼女を見つめてくる。
「このオレ、ジュルク・ソル・パルソートが君の夫だ。
ドゥガローヴェが書いた蒼の章のように美しく、オレと同じくらい魔導書を愛している君とどうしても一緒にいたくて、君の同意も無しに強引に話を進めた。いくらでも罵ってくれて」
おそらく「構わない」とでも続いたのだろう言葉の途中で、アリスはジュルクの胸ぐらを掴んでその唇を強引に塞いだ。淑女らしさとかどっかに行った。知らん。
使用人達も流石にざわつく中、合わせただけの唇を離す。案外リップ音という物は鳴らないらしい。あと、初めてのキスは甘酸っぱくもなかった。
あまりの暴挙に固まったジュルクの瞳を嘘偽りはない証明に覗き込み、アリスは胸の内を正直に話す。
「私の想い人は『月に愛された人』で、エッデアガーの夜の章のように格好良くて、私と同じぐらい魔導書を愛していて、一緒に魔法理論を考えてくれる年上の方――ジュルク様です」
そのままこぼれ落ちてしまいそうなほど大きく目を見開いたジュルクの顔が、徐々に赤くなっていく。
流石に恥ずかしくなって離れようとしたが、それよりも先に抱きしめられてアリスは小さく悲鳴を上げた。
「ジュルク様!?」
「すまない。夢のようで信じられない」
肩口に顔を埋めてくる彼に困っていたら、ふと髪を纏めるリボンが随分とくたびれた物であることに気付いた。色褪せたターコイズグリーンのリボンの端、金色の糸で羽根ペンの刺繍が刺されている。
悲鳴を上げかけて咄嗟に飲み込んだ。
「……じゅ、ジュルク様」
「なんだ」
「こ、の、りぼん、は。なんで」
言葉を上手く紡げない。だってこれは、五年前、誕生日プレゼントのクッキーの袋の口を止めるために使ったリボンだ。当時、騎士の間で想い人に自分の色の小物を渡して告白することが流行っており、ちょっと熱にあてられたのだ。
でも告白する勇気はないので、男性では使わず捨てられるような物としてリボンを選び、ちょっとだけ自分で刺繍もしてみて。買ってきたクッキーでは一度解いたことがバレるかもしれないので、実家に戻って自分で作って、市販の物を買ってきたことにして渡した。
てっきり捨てたと思ったものがなんで。しかもこのくたびれ具合は、大切に保存して置いて今日取り出したとかではなく、日常使いしていないか!?
途切れ途切れの質問でもジュルクは分かってくれて、顔を上げてアリスの腰を抱いたまま微笑む。
「ああ。あの頃から君のことが好きだから、君色の物は捨てられなくてな。これが付けられるように髪を伸ばして、休日の度に付けていたんだ」
今度はアリスがジュルクの胸に顔を埋めた。なんと言うことだろう。そう言えば髪を伸ばし始めていたななんて思っていたが、実は相思相愛だったなんて誰が思うか。
ごほん。とわざとらしい咳払いが聞こえて、我に返ったアリスが離れようとしたがジュルクが離さない。もぞもぞと動くアリスの動きを封じながら、彼は肩越しに振り返った。
「ジュルク様。両思いだったことが発覚して何よりですが、そろそろ中に入りましょう。歓迎の用意をしている料理人達にも奥様を紹介しませんと」
「……そうだな」
執事だろう男性の言葉にジュルクは頷き、流石にアリスを離して微笑む。
「アリス、行こうか」
「……はい」
使用人達からのとても温かな微笑ましい物を見るような視線は気になるが、とてつもなく気になるが、頑張って無視をして、微笑みを返す。
そして二人並んで屋敷へと歩き出した。