囁きの魔女は見学する/彼は彼女の目覚めを知る
たまにはティカ視点。そして顔を合わせ忘れた兄上。
昼を過ぎた訓練場では、実技試験が毎日行われていた。
刃を潰した訓練用の剣は重さだけならば本物と変わりはない。それをジュルクは悠々と片手で扱い、同時に向かってくる三人の騎士をあしらっていた。
「握りが甘い!」
右から大きく振りかぶって剣を振るって来た騎士の、手の端から出ている柄頭を殴って剣を飛ばし、腹に蹴りを入れて騎士を吹っ飛ばす。
「貴様もだ!!」
蹴飛ばした足を力強く地面に降ろし、重心を移動させて、背中側から迫ってきた騎士の剣を後ろ回し蹴りで蹴り飛ばす。そのまま足を引きつけ、顔を蹴って無力化。
最後の一人が刺突の構えで迫ってきていたが、逆手で剣を持ち替え剣の腹を当てて剣先をずらしながら身を捻り、驚いた顔をしている騎士の顔へと拳を振るう。寸前で止められたが拳圧でふわりと団員の前髪が動いた。そのまま団員は膝を付く。
「最後の貴様は狙いは悪くなかったが、刺突はこうしてずらされる。それに相手を傷つけるのは仕方がないが、殺してはならん。刺突は相手を殺しかねんから辞めておけ」
冷静に、息一つ乱さずに注意点を告げるジュルクは、普段の笑顔などどこにもなく、冷徹な上司の顔で立っていた。
(さすが、レーヴェ君とアルクを鍛えただけあるな……強いわ)
実技試験の試験官を務めるジュルクを眺めていたティカは、素直に彼の事を賞賛した。自分よりも体格の良い相手すら身体強化の魔法無しでいとも簡単に投げ飛ばして見せ制圧した。初日は白魔道士如きと嘗めていた団員達も、今では畏怖と共に真面目に訓練を行っている。
見ていて感心したが、彼は剣を一度も振るっていない。右手の剣は防御のためにしか使っておらず、左手と足だけで十二人を一瞬で制圧している。
第二騎士団の団員は真面目に職務に就いている者ばかりが残ったが、新人指導などはあまり力を入れていなかったらしい。あるいは追加で謹慎を言い渡された者達が教育係だったか。
今相手をしているのは今年入ったばかりの新人で、ほとんどの者が握りから注意を受けていた。治療をしてやった後、ジュルクはそれぞれに課題を言い渡している。それが終われば次の相手を呼んでまた手合わせだ。
「兄上は強いだろう」
「うん。強いね」
後ろから誇らしげな声で話しかけられ、ティカは振り向くことなく同意を返した。
対人戦においてはおそらく第三騎士団の団長よりも格段に上の実力を持っている。魔物に対してもある程度は善戦できる。白魔道士としての実力は、ティカが知っている範囲なら一番だと言って良い。レーヴェの師匠だけはある。むしろレーヴェはそろそろ拳よりも白魔法の鍛錬をしてほしい。
事件が解決し、アリスが眠り続けて一ヶ月が経とうとしていた。
ジュルクは毎日神殿へ花を届けてから、午前中に団長としての引き継ぎや仕事を終わらせ、午後から試験として団員を鍛えていた。定時になれば家に帰って当主の仕事をしている。
休暇も取らずに毎日働こうとしたので、三日に一度はアルクとレーヴェが強制的に休ませていた。だが、執事曰く、朝起きる時間を一時間ほど遅くはしてくれるが、神殿にアリスの見舞いに行って顔を見たらすぐに帰ってきて、色々と暗躍をしているらしい。休みの意味が無いほどに動き回っていると嘆いていた。
アリスと婚姻を結んだことは聞いている。ジュルクがアリスのことが好きなのは彼を知る者の間では有名な話で、ついに告白したかと皆祝いムードになっていたが、アリスは眠り続けていると言われて非常に困惑した。どうやら彼女は特異体質を持っており、保護をするためにジュルクと婚姻を結んだのだという。
本人の同意のない婚姻に一部の人間はあまり良い感情を抱いていない。ティカもその一人だったが、自罰的に動き続けるジュルクを見ていると、本人も不本意な婚姻なのだろうと理解してしまった。そもそもジュルクの性格からして、いくら好きだからと言って相手の意思を無視した婚姻など望まないだろう。
つまり、それだけアリスの体質は緊急で保護しなければならないほど希少か、危険なものということだ。
「アリスさんの体質、お兄ちゃんは分かる?」
訓練場端のベンチに座ってジュルクを眺めていたティカは、隣に座ったアルクに問いを投げる。何の脈絡もなく投げた質問に彼は少し首を傾げ、頷いて見せた。
「おおよそ見当は付くな」
「ほう?」
まさか分かるとは思っていなかったので、視線をアルクへと移しきちんと聞く体制を取る。
「おそらく、白魔法か神聖魔法への適性がとても高いんだろう。
うちは代々白魔法の家だ。たまに俺のような例外も生まれるが、生まれた子供は基本的に白魔道士になれるほどに適性が高い。その適性を保つため、うちに来る方はなるべく適性の高い方が選ばれている。
あとは、魔力の高さだろうな。夫婦間で魔力差が大きいと子供を授かりにくいし、授かったとしても母親のほうが父親よりも魔力が低いと、子供の魔力に母親が耐えられずに命を落とす危険もある。
その点、ラベルタさんは隊長職に就けるほどに魔力が高い。四年前の大海蛇戦では、魔力移譲で回復が使える魔道士達に自分の魔力を与え、戦場を支えたらしい。
それで兄上の惚れた女性。ここまで来ると、兄上自身よりも、周りが押し進めた可能性がとても高い」
アルクの長い説明を聞いて、ティカはなるほどと納得した。ジュルクが自罰的なのも、周りを止められなかったことへの罪悪感からの可能性が出てきた。
「目を覚ましたアリスさんが、嫌だーって逃げ出さなきゃ良いけど」
「子爵令嬢だから政略結婚の覚悟はあるだろう。兄上と交流もあったようだし、そこまで悪いことにはならないはずだ」
「それならいいけど」
結婚はしてしまった以上、後は彼ら次第だ。知らない相手でもないので、出来れば幸せになってもらいたい。
出来る事があれば手伝いたいと思いながら訓練を付けているジュルクへと視線を戻した。
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強制的な休日をまたも作られて、ジュルクはいつもよりも一時間遅く起きる。夢見など最悪で、今日も寝た気が全くしない。それでも動けるのでメイドが用意したお湯で顔を洗い、着替えてからメイドを呼び、髪を纏めさせる。今日も黄色系のリボンだ。
予定を確認しながら朝食を取り、外に出る支度をして、もはや日課となった外の花畑に向かう。出勤の時は馬車で向かうが、休日は歩きだ。人通りの少ない道を選んで城壁の外に出て、花畑へ足を踏み入れた。踏み固めて道とならないよう、摘む場所は変えるように気を付けている。
そろそろパルフェソートの開花時期を終えるので数が少なくなっている。まだ目覚めなければ、彼女の好きそうな花を考えなければと考えながら、紺と銀の花へと手を伸ばした。香りの少なく、色を変えてしまうこの花のどこが好きなのかを、ジュルクは教えてもらっていない。目覚めた彼女は教えてくれるだろうか。
(……そもそも、もう話してはくれないかもな)
彼女が眠り続けて今日で一ヶ月が経った。最初の見立てでは二週間だったが、彼女の総魔力量が想定より大きかったために回復に時間がかかっていると説明を受けた。
アリスの両親には定期的に健康状況を添えて連絡を入れていた。ちょうど魔草を狙って魔物が現われる時期らしく、離れられない状況だと聞いて、目を覚ましたら転移魔法を使える者を迎えに出すと伝えてある。ある意味助かった。
神殿に着いたジュルクは、いつもの見舞いの受付をしようとカウンターに向かう。顔馴染みとなった女性がジュルクに気付き、表情を明るくしたので内心で首を傾げながら歩み寄れば、彼女はカウンターから出てきた。
「ソル・パルスート様! 奥様が目を覚まされました!!」
奥様。聞き慣れない単語に誰を指すのか理解が遅れた。アリスのことだと理解した瞬間、病室に向かいかけて受付をしていないために動きを止め。
「後ほどで構いません! どうぞ、お部屋へ!」
「ありがとうございます!!」
そのまま行けと女性が病室への道を示したので、礼を言って走りかけて、競歩に変える。それでも一般人の小走りぐらいの速さだがまだ安全だ。
彼女の病室までの道で、銀髪の執行官とアリスの看病をしている神官と会った。執行官がいるとは思っていなかったので目を丸くしたが、向こうも同じだったようで少し驚いていた。
まさかここで執行官としてのアブリスと会うとは思っていなかったので一瞬対応が遅れたが、彼のほうが先に動いた。
「ジュルク・ソル・パルスートだな。アリス・ソル・パルスートの教育を任された執行官のフェルステマンだ。
その様子だと目を覚ましたと受付で聞いたな。ちょうどいい。彼女は明日以降、いつでも迎えに来て構わんとのことだ」
「なっ……!? 今まで寝たきりだったのに!?」
すぐに起きて大丈夫なわけがない。心配して後ろで控えている神官へと顔を向ければ、彼女は困ったように微笑みながら「大丈夫です」と答えた。
「ご自身で白魔法をかけて、すっかりと体力は戻っております。筋力は鍛え直しですが、健康体ですよ」
「そう、か」
白魔法が使えることなど聞いたことがなかったが、アリスの性格だと隊長に就いたのだから白魔法も使えるようになっておこうと覚えた可能性がある。
それでも明日すぐはやめておいたほうが良いと神官に進言され、準備もあるのでジュルクは大きく頷いて花を彼女に預けた。
「アリスを迎え入れる準備をして来る。二日後に来ると彼女には伝えてくれ。
それと、彼女の服を仕立てるために二時間後にメイドと仕立屋をここに派遣したい。いいだろうか?」
「かしこまりました。受付にそのように伝えておきます」
寮にあったアリスの私物は、服も含めてすべて回収され、呪いの有無を確認されたのちに王都の本邸へと送られた。その後、籍を移したタイミングで服以外の私物をすべてジュルクの家へと送ってもらった。
アリスの私服も全部送ってくれて良かったが、伯爵夫人になるのだからあの格好はもう卒業しろとの親からの圧だろう。大きめのTシャツとGパンは男避けに良かったと思うのに。しかし、ソル・パルスート家の執事とメイド長も笑顔で圧をかけてきそうなので、服については何も言わないことにする。
ドレス類は苦手と言っていたのとアリスも騎士のため、有事の際に動けるような服装でと伝えたので、装飾の少ないものが選ばれていた。サイズは隊服を元に選んであるが、寝たきりだったために筋力が落ちてサイズダウンはしているだろうから、彼女が起きたら仕立屋を派遣して、サイズ直しをする必要があるとメイド長に言われていた。
「では、失礼する!」
大慌てで元来た道を戻り、一応受付で見舞いの手続きをしてから、ジュルクは急いで家へ駆け戻った。
気が急いて戻ってきてしまったが、顔を見てから戻れば良かったと屋敷の門を見てから思いついた。
「ジュルク様……」
「呆れないでくれ。オレも自分の馬鹿さ加減にいい加減、嫌気が差してきている……」