彼女は目を覚ます
本編の三章。ティカに喧嘩を売った彼女のお話。
王城図書館の一角。魔法理論の並ぶ本棚の近くの机で、二人の男女が熱い議論を交わしていた。
「ですから、ここの文章と『蒼の棺』の間にもう一文加えることで、効果の安定を図ろうと」
「それは誰もが気付いたが、『枯れ果てぬ聖火の花』から続けられる句が無い。それならば『蒼の棺』以降、最後に加えるほうがまだ可能性がある」
「……ジュルク様はどう繋げますか?」
「そうだな――」
一つの本を二人で肩を並べて読みながら、メモ用紙に議論の内容を書き込んでは線を引く。
『新しい魔法を創る』
それが二人の目標で、二人を繋いでいた。
今ある詠唱を組み替えるだけでも難しいのに、新しい魔法など夢のまた夢だが、満ち足りた日々だった。
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懐かしい夢を見ていた。
身分は違えどもまだお互いにただの団員で、同レベルで話が出来る貴重な友人だった。
それがいつしか想い人になったのは、きっと彼女だけだろう。しかし、いくら水の都が自由恋愛を推薦しているといっても相手は伯爵家当主。令嬢教育は多少受けていたとはいえ、社交界に出たのはデビューした一度だけ。夫人として社交界で戦う術を学んでいない自分では相応しくないと胸の奥に押し込んだ。
四年前。海で大海蛇が二匹現われ、第三騎士団と協力して出陣した際に前隊長が戦死してしまい、混乱に陥る副隊長に代わって、彼女が部隊の指揮を執った。その功績を買われ、次の隊長に選ばれた際、辞退をせずに喜んで受けたのは、彼との身分の差を埋められると思ったからだ。
しかし、副隊長がぽっと出の彼女が隊長になることを納得しなかったため、魔導部隊は彼女の派閥と、副隊長の派閥の二つに分かれてしまった。
それでも仕事はきっちりとこなすのでいいと、彼女は割り切った。反発があろうとも、騎士として国を守る意思が同じならそれでいいと。
だが、小さな嫌がらせを受けるようになった。各自必要な備品の申告をしてくれなくなったのだ。部隊の中でも小隊があり、小隊長がとりまとめている。使った備品があれば小隊長が隊長へと申告する事になっている。
申請期限が過ぎてから申告され、補給担当に頭を下げることが多くなった。
彼女が直接備品を確認するようにしてみたが、今度は隠されて過剰に申請することになってしまい、補給担当にまたも頭を下げた。
何度も投げ出しそうになったが、その度に想い人ならどうするだろうかと考えて、自分なりの方法で頑張ってきた。
その人に好きな人がいると聞かされても、彼女は顔を上げ続けた。人柄もよく、顔立ちもよく、貴族も平民も分け隔て無く接する人だ。彼女のように一方的に想いを寄せている令嬢は多くいるはず。自分はその内の一人にしか過ぎない。
むしろ幸せであれと願っていた。あの式典までは。
そして顔を出した嫉妬心が、彼女の足を踏み外させた。
****
牢に入れられた彼女――アリス・ラベルタは、それまでの原動力が途切れたためか、動力の切れた魔道具のように昏々と眠り続けた。
瞼越しに感じた明るさに目を覚ませば、清潔な天井が見えた。
体は長く寝過ぎた後のように硬直していて、首を動かすのも少しぎこちない。それでもぼんやりとした頭のまま状況を把握しようと、動ける範囲で周囲を見回した。
窓は大きく、換気のためか少し開いていて、風がレースカーテンを揺らしていた。反対側は石畳ではなく、壁紙の貼ってある白く清潔な壁が見えた。ドアは木製で、鉄格子などどこにも見えない。牢ではなく、どこかの部屋。左腕に生命維持の腕輪を付けられていることから、神殿だろうと見当を付けた。
神殿は医療機関だ。大概は魔法で治してしまうが、時間が経ってしまい治せなくなった怪我や、そもそも魔法の効かない体質の人間を治療する場所でもある。ちなみに病気は魔法で治せないため、病気になった人間を治療する神殿は、感染のリスクを避けるために郊外に造られている。
あまりにも眠り続けるものだから、刑が確定するまで生かすために一時的に神殿に移送され、延命治療でも受けていたか。
(……そのまま眠り続けて死ねたら良かったのに)
まかり間違っても彼女が無罪とはならない。たくさんの人間を呪い殺す計画を立てていたのだ。実行犯は別だったとは言え、最初にやりたいと言ったのは彼女なのだから、主犯だ。むしろ自分の手を汚さずにやらせてしまった分、罪は重い。
ドアがノックされ、声を掛けられたが、返事をする前にドアが開く。顔を出したのは女性の神官で、アリスと目が合うと驚いたように息を飲んですぐに微笑んだ。
「良かった。目を覚まされたのですね」
失礼しますね。と改めて声をかけ直し、彼女は隣までやってくる。アリスは身を起こそうとしたが動かなかったので、失礼と分かりつつもそのまま迎えた。隣に座った神官は簡単に脈を測り、喋れるかと問いかけられたので声を出そうとして、掠れた声に自分でも驚いた。すぐに神官はアリスの背中側にクッションをいくつか置いて身を起こさせ、薬湯を用意して口元に持ってきたのでゆっくりと飲む。二口ほど飲んだのを確認して、彼女は薬湯を置いた。
「無理もありません。ラベルタさんは一ヶ月近く眠っていたのですから」
「……え?」
一ヶ月。流石に想定外だ。腕輪をされているのも頷けるし、体が固まっているのも分かる。裁判は流石に終わっただろう。隊長だったので最速で決着を付けられるはず。
「……私は、どんな刑が執行されることになったのですか?」
少なくとも死刑は避けられたらしい。一ヶ月となれば、きっとそのまま衰弱死させるなり、安楽死させたほうが処理が楽のはずだ。それが生かされているというのなら、無期懲役か国外追放か。同じ騎士団に対して攻撃行為をしたのだからその辺りが順当だろう。
アリスの問いに、神官は申し訳なそうに首を振った。彼女は何も聞かされていないという。執行官を呼んでくるとのことで、しばらく待つように言い残して神官は部屋を出て行った。
見送った後、アリスはしばらくぼんやりと揺れるカーテンを眺めていた。どれくらいの時間が掛かるか分からなかったが、流石に眠るわけにもいかない。
寝ないためには何かしたほうが良いだろうが、体が酷く重く動けない。もう少し部屋の中を見ようと首を少し動かし、サイドチェストに花が生けてあることに気付いた。
白く細い花弁が重なり合っている、中心部が銀の花。パルフェソートという名前の花はこの時期に咲きよく見る花だが、一度手折ると一日で萎れてしまうため、花屋にも置いていない。萎れているこれは昨日持ってきたものだろう。城壁の外ではよく生えていると聞いたことがあるが、誰かがわざわざ持ってきてくれたのだろか。
この花が好きだと知っているのは、兄とメイド、あとはあの方だけだ。一ヶ月も寝ている妹を心配し、兄が執行官か神官にお願いして飾ってくれたのかもしれない。
ノックの音が聞こえ、先ほどの神官がいつ頃来るかを教えに来てくれたのだろうと思い、入室許可を出す。
ドアを開いたのは見知らぬ顔。銀の短髪の男性だった。着ている制服は黒に銀のボタン。執行官の印だ。後ろには先ほどの神官も付いている。二人とも入って来て、椅子はあるが手短に用件を済ませるつもりなのだろう、側に立った。
「一応自己紹介をしておこう。執行官のフェルストンだ。貴様の体調を鑑みて手短に伝える。
アリス・ラベルタ嬢。裁判の結果、貴様は無罪になったが、ある意味無期懲役が確定した」
「……はい?」
無罪なのにある意味無期懲役とはどういうことだろうか。そもそも何故無罪なのか。
フェルストンは後ろで腕を組んで、背を伸ばしたまま淡々と説明をしてくれる。
「貴様は団員へ呪いを掛けた疑いがあるとして捕らえ、自身の自白もあり主犯として投獄したが、調査の結果、被害者であることが判明した」
「被害者、ですか?」
「そうだ。貴様は協力者を求めたと言っていたが、実際には実行犯の一人、副隊長のロペテギのほうから声を掛けてきたことが判明した。ヤツは貴様を死刑にするために、自分の罪をすべて貴様に押しつける工作をしていたのだ。【囁きの魔女】が発言の矛盾に気づき、ヤツを尋問して真実を突き止めた」
【囁きの魔女】と聞いても、前まで感じていたざらりとした不快さを感じなかった。胸の内にあるのはむしろ感謝と罪悪感だ。迷惑を掛けていたというのに、かの魔女は無視することなく救ってくれた。冒険者だって国に貢献していることをアリスは知っていたはずなのに、なぜあんなにも嫌悪していたのか不思議だ。あの方に話しかけられて不快そうな顔をしたことは腹が立つが。
その謎はフェルストンの次の説明で解かれた。
「貴様はロペテギ及び奴の派閥の隊員に、四年掛けて呪いを掛けられていた。体力低下、魔力低下、生命力低下、気力減衰、精神汚染、負の感情をかき立てるものなど。どれも微弱であったが、何重も重ねがけをされていた。
元々呪い耐性があり、浄化作用が強い体質だった上、黒魔道士だから呪いの気配がして当然だと、見かけたどの神官も放置したのが災いして、今回の事件まで誰一人としてしっかりと貴様の呪いを確認した者がいなかった。
すぐさま貴様に神官が派遣され、重ねがけされた呪いを剥がしていったよ。その日数は三日に及び、掛けられていた呪いは実に五百二十九。むしろ何故生きていると神官のほうが発狂し、その場で治療する羽目になった。これでもおそらく貴様自身の浄化作用で減っているとの見立てだったぞ。
この時点で、貴様はまともな精神状態ではないと判断され、主犯とされていたが罪を被せられただけの被害者だと王が判決を下した。
そして貴様は体力、魔力、生命力取り戻すように昏々と眠り続けたので神殿へと移送した」
自分の事ではあるが、まるで現実味がなくて呆然と聞いていた。ごひゃくにじゅう。呪いの重ねがけはそこまで出来るのかといっそ感心してしまう。通常は十も掛けたら精神崩壊か生命力が尽きて死ぬ。約五十三倍なんて人間か。一応人間のはずだ。
思わず自分の手のひらを見るアリスに、フェルストンはまだ説明を続ける。
「その他にも色々と第二騎士団は問題を起こしたため、この一ヶ月で一度解体となった。
全員が新兵の座学からやり直しで、座学と実技の試験を受け直し、合格した者から第二か第三へと編成されることになった。
貴様には、その新生した第二騎士団団長と結婚し、執行官になることを命じられた」
脳が、理解を拒否した。
目を閉じて息を大きく吸い、ゆっくりと吐いて、なんとか告げられた言葉を理解しようとする。
「…………執行官になることを命じられたのは理解しました。ここまで呪い耐性があれば、適正だと判断されるのも理解します。
しかし、あの……結婚と聞こえましたが、私の聞き間違いでしょうか……?」
一縷の望みを託して訊いてみたものの、執行官は無言のまま首を振った。
「残念ながら、聞き間違いではないな。新団長殿が部下の一人も連れて行かず、実技の試験官を受け持つ代わりに、執行官に命じられた貴様との結婚を認めろと執行機関と騎士団総長に交渉した。執行官となった者は最初から結婚しているならともかく、任期途中での結婚は許されないからな。執行官になる前に娶りたいとのことだ」
「そこまで想われているとは光栄ですね……」
部下を連れて行くというのなら、小隊長以上の職に付いているはずだ。一応団長は伯爵以上が義務づけられているので、来るのなら第一騎士団だろう。しかし、あの方以外は交流をした相手などいない。一方的に想われているなど信じられない事態だが、そういうこともあるだろうとアリスは諦めることにした。せめて年が近ければ良いのだが。
フェルストンは僅かに哀れみを込めた水色の目で見下ろしてくるが、アリスは貴族らしく笑顔を装った。確かに『ある意味無期懲役』だ。
「そうまでして娶りたいと願っていただけるのなら、きっと大事にしてくださるでしょう。ダメであっても執行官として働けます」
これでも貴族の娘だ。ファルガールは恋愛結婚を推奨している国だが、見つからなければ当たり前に政略結婚をする世界。見も知らぬ相手に嫁ぐ未来があることぐらい覚悟していた。それに後ほど冤罪だと分かっても、主犯として捕まった事実は城内に駆け巡っている。噂話の的になるくらいなら、相手の家に庇護してもらったほうがいい。
呪いが抜けたおかげか、すっかりと前向きな思考を取り戻したアリスは、これからのことに目を向ける。
「それで、これからの私の予定はどうなっていますか」
「……貴様の体力が戻り次第、迎えが来る手筈になっている。式を上げるかどうかは貴様次第だが、籍はもう既に移っている」
「ならば、明日以降いつでもどうぞとお伝えください」
「なっ!?」
アリスの返答に驚いた声を上げたのは、彫像のように黙って立っていた神官からだ。たった一晩で戻る体調ではないと彼女は思ったのだろう。フェルストンも怪訝そうに眉を顰めて見下ろすが、アリスは二人の目の前で腕輪を外し、自身に白魔法をかけてみせた。見る間に体力が戻り、呼吸が楽になる。
声が出て、魔力があるのなら、自己回復ぐらい出来る。魔導部隊の隊長として相応しくあろうと黒魔法も白魔法も習得した彼女の努力は、一ヶ月寝ていた程度で衰えはしない。浄化魔法までは覚えていなかったので、今後の為に覚えておこうと思う。
すっかりと回復したアリスに神官は慌てて彼女の手を取り、顔色を見て、瞳を覗き込み、ホッとしたように息を吐いて離れた。フェルストンに問題が無いことを報告し、再び後ろに下がった。
フェルストンはアリスを見下ろし、僅かに口角を上げる。面白いと瞳が笑っているような気がするが、すぐに感情が消えた。
「無茶をする、と言いたいところだが、仮にも隊長職に就いた女だったな。
わかった。先方にはそう伝えておこう。他に訊きたいことは?」
「執行官の仕事はいつからでしょうか」
「来月からになるだろう。貴様の制服も作らねばならんからな。規則を記載した本は先に渡しておく。
貴様の配属する場所は追って知らせることになっている」
「わかりました。質問は以上になります。どうぞよろしくお願いします」
頭を下げたアリスに小さく返事を返し、フェルストンは神官と共に出て行った。
執行官:騎士団を監視する執行機関『影』の人間。騎士団に騎士やメイドとして紛れ込んでいる。騎士団の制服が基本的に白と金のボタンに対し、執行官は黒と銀のボタンを付けているが、この姿を見るのは罪人となった者だけである。