『この夜は誰のもの』
一話完結の短編です。私の世界はとても綺麗だが、さらに綺麗な世界がどこかに広がっているはずです。
清々しい夜だ。私はこの夜が"見えない"。
私は小学生の頃から目が見えなくなってしまった。その原因を家族は教えてはくれなかったが、感染病かなにかで失明したのだと今は思う。
私は微かな光を頼りに世界を想像するが、幼い頃に見た記憶しかない箱庭のような私の世界はとてもちっぽけで、自分の想像よりもっと世界は綺麗だと思っている。
たまに目を常に開けている人もいるが私は疲れてしまうだけなので目を開けることはほとんどない。だがかすかな光だけは見えるためその目を開けるときがある。それは夜になるときだ。
夜になると自分の暗闇の世界と夜の世界が混ざり合って同じ世界に感じるから目を開けてしまう。
夜の海によく来る。盲導犬と暮らしているため盲導犬が海まで引っ張ってくれる。途中階段があるが、もう慣れてしまった。だがそれでも盲導犬は優しく連れて行ってくれる。
到着すると波の音が、草木の音が全てが心地の良い世界で、私は癒される。この世界は私だけでできているかのように私の中に世界が生まれる。
夜は何も見えない世界だから。夜には何も無いと思っている。だが、それが良い。昼には人の声が聞こえてくる。その時点でその世界は私だけのものではないと自覚してしまう。だから私は夜が好きだ。
数日後の夜の海で盲導犬が吠えた。私は海の音に集中していたため何が起こったのか分からなかった。
盲導犬が吠えている。盲導犬として躾られているため吠えることは少ないはずなのにだ。
また吠える、
「ワン!!」
と。
その声は私の耳に強く残り、緊急事態が発生したのだと本能で伝えてくる。
思い出せ何があった?
海の音に集中なんてするんじゃなかった。私が気づけばこんなことにはならなかったはずなのに…!
「あの…」
その時、声が響いた。私の声ではない、別の声。低く耳に残る男らしい心配するような声。未だに盲導犬は吠えている。盲導犬のいつものポジションまで手を伸ばし、撫でて大人しくさせる。
「いい子だからもう鳴かないで」
私の声だ。いつも一人で過ごしているため久しぶりに聞いた。あぁ、こんな声だったんだ。私。
撫でている手に温かいものが触れた。おそらく、手だ。触られているだけでわかるゴツゴツした強そうな手。その手が優しく触れている。
「すみません。手を触れさせてもらいますね。えっと…目が見えない…で合ってますか?失礼なことを聞いてしまってすみません…」
男性の声は困惑したようなすこし不思議な声で言う。
「え、あぁそうです」
別に隠しているつもりはないし、公言している私にとっては失礼な質問ではないためすぐに答えた。
私が引っかかるのはその不思議な声だ。なんていうんだろうか、変…というのは違う。どこか発音が違うような…
「そうなんですね…僕は失聴なんです。先天性の難聴ではなく中途失聴で…すみませんがあまり声が聞き取れないんです。と言っても普通の会話が聞き取りづらい程度なんですが…」
そんなカミングアウトを聞いてハッとした。そう言えば盲導犬の声にもあまり反応していなかった。犬の吠え声ってあまり聞かない人にとっては怖いと思うのだがそういえばあっさりしていた。
そして声に違和感があった理由もわかった。耳が聞こえづらいため発音がわからず発していたからだ。だが中途失聴…つまり人生の途中で耳が聞こえなくなってしまったこの人は耳の聞こえていた間の発音しかわからないんだ。だから変とまではいかず、不思議な声をしていたんだ。
「筆談で話したほうがいいですか?」
「いえそんな!貴方の声はとても聞きやすいので…」
そんなことを言われてすこし照れてしまった。
「僕は向こうの砂浜から来たんです。この砂浜はすごく好きでよく来ていて人もいなかったから秘密基地のようなものだと思っていて…初めてこっち側に来てみて貴方に出会ったんです。ここに来る人がいるんだと知って少し興奮気味で近づいたら犬…盲導犬かな?がおそらく吠えていて…ごめんなさい…」
「あぁ、そうだったんですね…」
自分はここにずっと座っているだけだったからどこまであるのかがわからなかった。だからその発言を聞いてこの海は思ったより広いんだと思った。だが同時に自分だけの世界が壊れる音がした。
男性はハッとしたように素早く手を離す。
「すみません。ここに人がいるよってこと伝えたくて手を触ってしまい…」
「いえ、大丈夫ですよ」
男性は人がいて嬉しかったんだな。…私は…
「でも、いいなぁって。思ってしまいます。きっと海の音も聞こえているでしょう?それがとても羨ましい」
「…私は貴方が羨ましいですよ。星空が見えるでしょ?」
「ふふ、ないものねだりですね」
「そう、ですね…」
私は脱力した。自分の身勝手さに怒った。私は、私は。こんな優しい純粋な人に仲間だと思われたくないって。
でも。
「もう一回、手を繋いでもいいですか?」
あの暖かさが、あの優しさが
「え?はい、もちろん」
もう忘れられないほど
(初対面の人に何ねだってるんだ…私は…)
とても欲しくなってしまったのだ。
手を繋ぐ、その瞬間。
光が視界を覆った。
私は目を強く瞑り、次に目を開ける。
星空が広がっていた。満天の星空が、星空が映る海が目に映った。
「……え?」
「え、うそ」
男性に目をやると目を開けたまま泣いていた。
「声が聞こえる…海の音が…草木の音が…でも…」
空いている手で涙を拭って、その口をを開ける。
「僕、目を開けていますよね…?」
終
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