オリビア・バース
突然だが、転生した私には姉がいる。
オリビア・バース。
私より三つ歳上で、もう少しで七歳になる。お父さん似の私とは違って、お母さんによく似た髪色のお姉ちゃん。
酷く穏やかな性格で、夜は一人で眠ることもできない。今は私と同じ部屋、同じベッドで、二人並んで夜を明かしている。
「ねえ、アニュエ」
「うん? どうしたの、お姉ちゃん」
布団を被ってから、改まったように、お姉ちゃんが名前を呼んだ。
「バッツおじさんのお店、行ったんだよね?」
「うん。剣を打ってくれるって……それがどうかしたの?」
お姉ちゃんは顔を半分布団で隠したまま、何やらもじもじとしている。
「その……アニュエが魔法剣士になりたいって話、本当?」
「本当だよ。もしかして、お姉ちゃんも?」
そう聞くと、お姉ちゃんは布団から飛び出して、ものすごい勢いで首を横に振り、否定した。
「う、ううん! そんな、はっきりとした目標があるわけじゃ、ないんだけど……」
俯きながら言うお姉ちゃん。何やら様子がおかしいようにも思える。
「お姉ちゃん、何か、悩みでもあるの?」
お姉ちゃんは肩をびくつかせ、目を逸らす。じっと見つめると、観念したように口を開いた。
「……その、私、上手く魔法が使えなくて……」
「魔法が?」
こくりと首を縦に振ると、お姉ちゃんは水を掬うように両手を合わせた。静かに目を閉じ、意識を集中させる。
「風の精霊よ、優しく舞い上がれ」
そんな短い言霊……詠唱と共に、お姉ちゃんの両手の上に、小さな風の渦が生まれる。風はそのまま優しく舞い上がり、天井の埃を降らせて消えた。
魔法というのは、具体的な指示を詠唱にすればするほど、正確さが上昇するとされている。今のがお姉ちゃんの想像していたイメージと同じものかどうかは私には分からないけれど、引き起こされていた現象自体に問題はないように見える。
「……使えてるように見えるよ?」
「うん。でも……」
お姉ちゃんは両の手をそのままに、再び詠唱を始める。
「水の精霊よ、雫となりてこの手に集え」
詠唱の直後、何やら空気がざわつき始める。お姉ちゃんの手のひらに水の渦が生まれたかと思うと、それらはお姉ちゃんの詠唱の一切を無視して弾け飛び、少し、布団を濡らした。
上手くいかないとは、こういうことか。
今、お姉ちゃんはプレーンエーテル……この世界で言うところの精霊に、『雫となってこの両手に集まりなさい』という指示を出した。本来なら、今頃お姉ちゃんの両手には小さな水溜りができていたはず。それが、制御を離れて弾け飛んでしまった。
「み、水の魔法だけ、こんな風に……上手く使えないの。たくさん本も読んだけど、難しくて分からなくて……私がおかしいのかもって思ったら、怖くてお母さん達にも聞けなくて……」
「ふーん……」
本来、魔法というのは才能が九割を占めるようなものである。才能がなければ魔法を使うことすらできずに終わる。この世界に来てから読んだ魔法の教本によれば、昔は『属性ごとに得手不得手がある』と考えられていたものの、今ではその説も一部否定されているらしい。
つまり、風の魔法を正しく使えていたことを考えると、お姉ちゃんには私と同じく魔法の才能がある。それなのに、簡単な水の魔法すら制御できずに暴走させてしまっている。そよ風を生み出す魔法と水を生み出す魔法は、難易度で言えばそれほど変わらない。
他に原因がある。そして恐らく、それはそう難しいものでもない。
「お姉ちゃん、火の魔法は使える?」
「え? う、うん……使えるけど……」
お姉ちゃんは困惑しながら、頷いた。
「火の魔法だけ、使い易かったりしない? こう、あまり力を込めなくても、楽に使える、みたいな」
「っ! どうして分かったの……?」
驚いたように口を開くお姉ちゃん。私の中での仮定が、確信に変わった。
「やっぱり……心配しないで、お姉ちゃん。お姉ちゃんのそれは、別におかしいことじゃないから」
「そ、そうなの?」
「うん。魔法っていうのにはいくつか『属性』って呼ばれるものがあってね。基本的には、魔法の才能があればどの属性の魔法も同じように使えるものなんだけど」
お姉ちゃんに手のひらを向け、指を五本立て、その指の先にそれぞれ、小さな火、水、風、氷、土の魔法を展開した。
そして、そのうちの火の魔法だけを大きくして、代わりに水と氷の魔法を霧散させる。
「たまにね、一部の属性に適性がありすぎて、その反対に位置する属性の魔法が上手く使えない人がいるの」
前世、オルタスフィアでは『特化型』と呼ばれていた魔法使いがそれだ。そしてこれは、この世界でかつて、属性ごとに得手不得手があると考えられていた原因でもある。属性によって得手不得手があるわけではなく、特別な才能を持って生まれ、ある属性に特化しすぎた者は、その代償としてその対となる属性の魔法の才能を失ってしまうだけだ。
「お姉ちゃんは、火の属性への適性が強すぎて、水とか氷とか、そういう属性の魔法が上手く使えないんだよ」
「そ、それって、おかしいことじゃないの……?」
「ううん。むしろ、凄いことだよ。だって、お姉ちゃんは火の魔法に関しては他の人よりも凄い、ってことなんだから」
特化型の魔法使いは、『同レベルの魔法使い』と比べると歴史に名を残しやすい傾向にある。正しく力を付ければ、その特別な才能で凄まじい戦果を残すことができるからだ。
「す、凄いことなの……?」
「うん。お姉ちゃんは特別ってこと。だから、そんなに心配しなくてもいいんだよ、お姉ちゃん。もしかすると、将来は有名な火の魔法使いになるかも」
私がそう言うと、お姉ちゃんは照れたように頬を赤くして、笑う。
「あはは、そんな……それはないよ」
謙遜をするお姉ちゃん。けれど、私はそうは思わない。
特化型の魔法使いにも『格』というものは存在する。どれくらいその属性に特化しているのか。特化していればしているほど、魔法使いとしての汎用性が失われる危険はあるものの、強大な力を身につけることができるから。
そして、どれくらい特化しているのか……それは、特化している属性の対の属性の魔法を、どれくらい扱えるかで判断することができる。
お姉ちゃんは難易度が低いはずの水を生み出す魔法でさえ、上手く扱うことができなかった。つまり、火の魔法に関しては、それを帳消しにするほど高い才能があるということ。
因みに今の私の魔法の才能は、どの属性にも特化することのない、完璧なまでに平均的なもの。その代わり、魔法そのものの才能には恵まれている。
「でも……うん。ありがとう、アニュエ。アニュエのおかげで、心のもやもやがなくなった」
「ふふん、どういたしまして」
不安がなくなったからか、お姉ちゃんの表情は晴れやかだった。気持ちは分かる。誰にも……一番身近な存在である家族にも相談しづらいほどの不安を抱えるのは、きっと、相当に負担のかかるものだから。
「アニュエは凄いね。魔法の本、あんなに難しかったのに、どんなことが書いてあるか分かるんでしょ?」
「ま、まあ……ほら、私、勉強熱心だから」
実は前世の記憶があるなんて、口が裂けても言えない。
「も、もう寝よっか、お姉ちゃん」
「うん、そうだね」
上手いこと話を逸らし、無理やり布団に入る。お姉ちゃんは頷いて、さっきよりも私との距離を詰めて寝転がった。
そして、私の顔を見ると、にこりと微笑んだ。
「ありがとね、アニュエ。おやすみ」
「……おやすみ、お姉ちゃん」
——翌朝、目が覚めると、いつの間にか手を繋いで眠っていた。安心し切った表情ですやすやと眠るお姉ちゃんを見て、家族っていいもんだな、なんてことを考えた。前世では最期まで手に入らなかったものだ。
「……うん。そのためにも、強くならないといけないかもしれないなぁ」




