剣聖ちゃんの転生
新たな生を受けてから早三日。これは実は夢で、目覚めたら元の私に戻っているのではないか、という淡い期待を抱きながら眠り、赤ん坊のまま目覚めて落胆する毎日だ。
やはりというか何というか、私——つまり、アニュエ・ストランダーが死んで、別人として生まれ変わったことは間違いないらしい。ここが元の世界、私が剣聖ちゃんとして生きてきた『オルタスフィア』と同じ世界かどうかは、今のところまだ分からないけど、世界の法則が何もかも違う滅茶苦茶な世界でないことは確かだ。
そして、どうやら私は今世でも『アニュエ』という名を授かったらしい。流石に姓は異なるものの、同じ名前を与えられたことに運命の悪戯というやつを感じてならない。
「アニュエ、ご飯を食べましょうねぇ」
あの日、私を抱き上げた栗色の髪の女の人。この人がどうやら、この世界での私のお母さんらしい。名前はラタニア・バース。とんでもない美人ではあるけれど、どこにでもいそうな平凡な女の人。少なくとも、前世の私のように、戦いに塗れた生活に身を置いているようには見えない。
「あうぁぁ」
お母さんのおっぱいに吸い付き、母乳を飲む。まさかこの歳になって、母乳を飲むことになろうとは。捨て子だった前世では経験しなかったことだから、嬉しいような、悲しいような、複雑な感情になる。
母乳を飲むと、すぐに強烈な眠気に苛まれる。赤ん坊が何故、突然起きたり眠ったりするのかが分かった。抗えないんだ、眠気に。記憶と自我を保ったまま生まれ変わらなければ分からない新事実だ。
そうして寝て、また起きる。目を覚ますと辺りは暗かった。どうやら、日が落ちたらしい。また中途半端な時間に目が覚めてしまったものだ。
お腹は空いたものの、我慢ができないほどでもない。そのうち、お母さんが来るだろう。私もいい歳をしたレディーだ。お腹が空いた程度で、わざわざ泣き喚くような真似はしない。
「……あぅ?」
不意に、下半身に強烈な不快感を覚えた。それと同時に、辺りに立ち込める強烈な刺激臭。まさかとは思うが、そういうことだろうか?
「……おぎゃぁ!!」
仕方なく、泣き喚く。赤ん坊が何故、泣き喚くのか分かった。それ以外に助けを呼ぶ方法がないからだ。いい歳をしたレディーはお腹が空いた程度では泣き喚かないが、他の緊急事態では泣き喚くのだ。
やがてやってきたお母さんに下半身の清掃をされ、ご飯を貰っている最中、部屋の中にまだ見ぬ第三者がやってきた。背は低く、お母さんに似た明るい栗色の髪をした、幼い女の子だ。
「……まま……」
「あらあら。どうしたの、オリビア」
「わたしも、いもうと見たい……」
会話から察するに、私のお姉ちゃんなのだろう。私よりも三つか四つ歳上に見える。
お姉ちゃんはとことこと小さな歩幅でそばに歩いてくると、お母さんの母乳を飲んでいる私を、興味深そうに見つめた。
「あかちゃん、ちいさい……」
「そうねぇ。オリビアもこのくらい小さかったのよ」
「そうなの?」
「そうよ。お父さんもお母さんも皆、赤ちゃんの頃はこんなに小さかったの」
目をキラキラと輝かせ、私を見つめ続けるお姉ちゃん。そんなお姉ちゃんに少しサービスをしようと、おっぱいから口を離して、手を伸ばす。
「あうぁ」
「わっ」
お姉ちゃんは驚きながらお母さんの顔色を窺った。お母さんが微笑むと、お姉ちゃんは私の手を優しく握り込んだ。
「だぁう」
「ちいさい……やわらかい……」
にぎにぎ、もぎもぎ、と。マッサージを受けているようで、少し気持ちが良い。
「おかあさん、あにゅえ、かわいいね!」
「そうね。でも、オリビアも同じくらい可愛いわよ」
「だぁ」
お母さんがお姉ちゃんの頭を撫でる。やがて満足したのか、お姉ちゃんはホクホクとした表情で部屋から走り去っていった。きっと、お父さんに感想でも報告しにいくんだろう。
私も私で、満腹になるとまた眠気がやってきた。下半身もすっきりして、快適な眠りにつけそうだった。
——アニュエ・バースとして転生してから二年。記憶と自我が残ったままだったこともあり、普通よりも早く歩けるようになった私は、今日も今日とて家の中を散策していた。もちろん、お母さんやお父さんに見つかれば安全な場所に連行されてしまうけれど。
今日、用があったのは、家の中にある書庫だ。お父さんのものなのかお母さんのものなのかは分からないけど、それなりに沢山の本がある。オルタスフィアでは本はそれなりに高価なものだったけど、この世界では違うのだろうか。実はこの家がお金持ちだという可能性もある。
精一杯背伸びをして書庫の扉を開き、中に入る。少し埃っぽい部屋の中には、乱雑にものが置かれた机と、所々隙間のある大きな本棚が三つ置かれていた。
ひとまず、この世界の文字や言語が、元の世界と同じものかどうかを確かめる必要がある。棚の一番低いところにあった小さな本を手に取り、地面に座り込んで開いた。都合の良いことに、どうやら子供向けの絵本のようだった。恐らく、お姉ちゃんが手に取れるよう、低い場所に置いてあったのだろう。
内容は至ってシンプルで、魔王に拐われた王国の姫を、聖剣に選ばれた騎士が助け出すというもの。オルタスフィアでも同じような絵本はあった。ありふれた内容だ。
「……うぅん、違うな……」
問題は本の内容……ではない。実のところ、私はこの絵本を読めてはいないのだ。あくまで、絵の具合からして内容を推測しただけに過ぎない。そこに書かれていた文字は、私の知るそれとは大きく異なっていた。
「こんな言語見たことない……けど、まだオルタスフィアの僻地だって可能性も……」
不思議なのは、家族全員と話が通じていることか。用いている言語は違うのに、会話はできるというのもおかしな話ではあるけれど。
絵本をそのままに、別の本を取る。どうやら、地理関係の本らしい。一ページ目をめくった時点で、既に、ここは私の知る世界ではないのだと悟った。
「た、大陸の形が全然違う……ってことはつまり、ここはオルタスフィアじゃ、ない……?」
大きく分けて三つの大陸が描かれた世界地図——だと思う。これが物語か何かの本でない限りは。そこに描かれている大陸には、どれも見覚えがない。
となると、ここは私の元いた世界、オルタスフィアではない可能性の方が高まってきた。別に今さらあの世界に未練なんてものはないけれど、新しい世界で生まれ変わったとなると、覚えることも増えて厄介だ。
(……まあ、こればっかりは仕方ないか……そもそも、なんで私が生まれ変わったのかも分からないし……)
読めない本をぱたりと閉じ、本を枕にして寝転がる。生まれ変わってから二年——正確には、二度の誕生日を経てここまできたけれど、何故私が転生したのか、何故『アニュエ』という名前まで引き継いでいるのか、その理由の一切が分かっていない。
多分、考えても仕方のないことなんだろう。生まれ変わったものは仕方ないし、自我を持ったままならば前世の経験を活かして上手く生きるしかない。ただ、何となく……そう、何となくだ。何かの、いや、誰かの思惑を感じるような気がしてならない。
「……ま、いっか。深く考えなくて」
今はただ、この世界で生きていくことだけを考えよう。適度に力をつけて、一人になっても生きていけるように。




