幕間:一
——それは、とてつもなく奇妙な現象だった。
ヴェガ村近郊で瘴気が確認された。前例のないその事態に、村の防衛を担う防衛組は瘴気の中心地へ向かい、そこで魔獣の群れを目撃した。正確な規模は不明だが……およそ、村の人間だけでは対処しきれないほどの数だと報告を受けた。
村を捨て、近隣の街まで皆を避難させる。調査のための先遣隊が瀕死の傷を負って帰ってきた時、俺はそう判断した。老人と女子供を優先して避難させ、防衛組は魔獣たちを食い止める。先遣隊が動けなくなったことは致命的だが、皆を逃すくらいの時間は稼げるだろうと思っていた。
——そんな時だ。一人の少女が、特に深い傷を負っていたダルケンを治療した。それも、魔法でだ。
俺は目を疑った。この村に魔法使いはいない。先代からもそう聞いてきた。だからこそ、俺は先遣隊の命を諦めていた。なのに、その少女は、負傷していた六人全員を癒してしまったのだ。
驚いた。この村に、こんな逸材がいたとは。惜しむらくは、その少女がまだ、五歳の子供だということだろう。彼女がもう少し成長していれば、あるいは、この危機を脱するための鍵になっていたかもしれない。
いや……五歳の子供だったことで、余計に、決意が固まったのかもしれない。治療を終えた少女は、こう言っていた。
『諦めちゃダメだよ。人の命を』
……まさか、と思った。こんな幼い子供に、諭されるとは思わなかった。
その日、少女が帰宅してから、先遣隊と防衛組の人間を全て集めた。何があったとしても、この村の人間が避難するまでの時間を稼ぐ。何があったとしても、村の人間の命を諦めてはならない、と。
そうして夜を迎え、魔獣の襲撃を警戒していた時、偵察をしていた人間から奇妙な報告を受けた。
曰く——瘴気の中心地で、戦闘音のようなものを耳にしたと。
俺は耳を疑った。誰にも、魔獣と戦闘をする指示など出していなかったからだ。即ち、戦闘をしていたのは、防衛組ではない第三者であることは明白だった。
すぐにその第三者を確認するよう、指示を出そうとはしたものの、魔獣の索敵範囲は高く、不用意に近づけばその人間の命が危ない。ひとまず周辺に待機し、戦闘が終わるまで様子を見るように指示を出した。
それから数時間後。さらに驚くべき報告が飛び込んできた。
——魔獣が、殲滅されていたのだ。
視界を奪っていたはずの濃い瘴気の霧が晴れ、戦闘音が止み、しばらくしてから現場に突入した人間が、周囲一面に転がる魔獣の死体を目撃した。その中には、到底彼らでは討伐できないような、ウルフ種の群れや、ベア種の魔獣の死体まで含まれていた。
あり得ない。そんなことがあるはずがない。これは本当に現実かと、一瞬、逃避しそうになった。
そしてすぐに、一つの結論に至った。もしかすると、この地に何か、恐ろしい化け物が現れたのではないかと。魔獣と戦闘をしていたのはその化け物で、まだこの地のどこかに隠れ潜んでいるのではないか、と。
すぐに指示を出し、周囲の偵察を開始させ、俺自身も動いた。もしもそんな化け物が本当にいたとするなら、躊躇している時間などない。今すぐに、叩き起こしてでも、村の人間を避難させなくてはならないからだ。
そして、その道すがら……あるものを目撃した。いや、ある者というべきか。
「……あれは……」
それは、バース家の敷地だった。何やら周辺で怪しい動きをしている人影を目撃したのだ。
すぐさま声をかけようとして、足を止める。その者は物陰で突然魔法を使ったかと思うと、大きな水の球を作り出して水浴びをし、服についた汚れを落としているようだった。次の瞬間には、俺のところまで届く暖かい風が吹き、服や髪まで乾かし始めた。
俺は……全てを悟って、乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。その人影に、見覚えがあったからだ。
彼女は何食わぬ顔で家の中へ入っていくと、それから姿を現すことはなかった。その翌日。村の者を集めて、魔獣が殲滅されたこと、周辺に危険な何かが潜んでいるかもしれないこと、しばらくは監視体制を続けることを告知したが、彼女は特に名乗り出ることもなく、いつも通り平和に過ごしていた。
俺は、察した。人を助けるために魔法を使った彼女は……けれども、最大限、その力を隠しておきたいのだと。でなければ、隠れて魔獣を討伐することもないだろう。
防衛組の人間には、村の皆と同じように、他の化け物が潜んでいる可能性を伝えた。このまま、『架空の化け物』にその功績をなすりつけてしまおうと考えたからだ。
この時、俺は誓ったのだ。もし彼女が、力を隠そうとしているなら……俺は、その手助けをしようと。この村を救ってくれた、彼女の恩義に報いるために。




