奥義
「アイスランス!」
生成された氷の槍が、高速で射出される。比較的硬い毛皮を持つウルフ種や、他の魔獣であれば、いとも容易く貫いてしまうほどの威力の氷の槍。しかしそれは、ベア種の魔獣の頑強な毛皮の前には、酷く無力だった。
——ガキィン
「嘘ぉっ!?」
まるで鉄に鉄を打ち付けたような甲高い音がして、氷の槍は弾かれ、砕け散る。思いもよらない事態に、空いた口が塞がらない。
「これで倒せるとは思ってなかったけど、無傷って……! ちょっと田舎の村に出るにしては凶悪な魔獣すぎないっ……!?」
振り下ろされた腕を避け、続け様に薙ぎ払おうとするそれを、直前に風の足場を蹴って後方に飛ぶことで回避する。魔獣はそれでも止まることはなく、大人何人分もあろうかというその巨体からは想像もできないスピードで、雄叫びをあげながら突進してきた。
「はやっ……!」
咄嗟に魔獣の進路上の地面を少しだけ陥没させ、私は横方向へと全力で跳ぶ。陥没に足を取られ失速した魔獣は私を捉えることができず、そのまま前方へと転がった。
反撃のチャンス……ではあるものの、反撃している余裕はない。想像していたよりも遥かに機敏で、なおかつ、一撃貰えば問答無用で死んでしまうような巨躯。五歳児の肉体で戦う私にとっては、明らかな不利な相手。
正直、ほんの少し、なめていたところはあっただろう。前世で最強だったが故に生まれる慢心。『私なら勝てるだろう』という油断。それを全力でへし折ってくる相手。言い方を変えれば、まだ五歳児であるこのタイミングで遭遇できて良かった相手でもある。
肩で息をしながら呼吸を整える。マナの残量にも限りはある。攻撃魔法が使えなくなることはいいとしても、回避のために多用する風の足場や、そもそもの身体強化の魔法に回す分のマナが枯渇すると……最悪の場合、逃げることすらままならなくなる。それだけは避けなくてはならない。
「外殻が硬い相手には……やっぱ、これっきゃないよね」
アニュエ流剣術、砕破刃。イマジナリーファイトでベア種の獣と戦った時の決定打もこれだった。外殻が硬く、剣が通りづらい相手には最も有効的な技。相手の内臓に直接届くこの技なら……恐らく、魔獣のベア種相手にも通じるはずだ。
魔獣が体勢を整えるよりも先に、息を整える。剣を下段に、地面と水平に構え、姿勢は低く、足を大きく開いた。魔獣が振り返り、再び、大口を開けて突進してきた——その瞬間を狙って、私は一気に駆け抜けた。
「う……ぉぉおお!!」
魔獣の腕を避け、その土手っ腹に剣を打ち付ける。斬るのではなく叩く。衝撃を内部に伝えるイメージで……攻撃が当たるその瞬間に、全ての力を乗せる。
『グォ——ォォオ——』
魔獣が反応を見せる。攻撃が効いている。だが……奴の動きは、止まらなかった。
「っ!?」
気付けば、奴の腕が目前まで迫っていた。普通の回避では避けるのが間に合わない。
咄嗟に選んだのは、自分を吹き飛ばす選択だった。最も単純で、書き換えに時間のかからない魔法。風の魔法で小さな爆発を起こし、私自身の腹に衝撃を与え、後方に吹き飛ばすのだ。
吹き飛んだ私は、そのまま木の幹にぶつかって止まる。背中に、強い衝撃を感じた。当然だ。敵の攻撃を避けるために、手加減無しで自分を吹き飛ばしたのだから。死ぬか、痛い思いをしてでも生き残るか。そんなもの、後者を選ぶに決まっている。
ただ、吹き飛ぶ直前に、鼻の頭を魔獣の硬い毛皮が擦っていたようだ。それだけで皮膚が裂け、血が止まらなくなっていた。治癒魔法で治癒能力を高め傷を癒すと、木を支えにして立ち上がる。
「はっ……はぁっ……」
今の一瞬のやり取りだけで、かなり体力を持っていかれた。体の節々も痛い。クリーンヒットは貰ってないとはいえ、木の幹に叩き付けられるというだけでも、五歳児のこの体には中々大きなダメージだ。
(効いてないっ……いや、効いてたけど、押し切れない……!)
砕破刃は確かに効いていた。けれど、ダメージが足りなかった。この攻撃で奴を倒すなら、一撃でもっと大きなダメージを与えるか……同じ箇所に、連続で攻撃を与え続けなくちゃならない。
……不可能だ。身体強化の魔法で運動能力を強化しても限界はあるし、連続で同じ箇所に攻撃を当てようにも、奴がそんな隙を見せてくれるとも思えない。かと言って、残りのマナ量から考えても、奴を倒せるほどの威力の魔法は使えない。
考え得る手は全て打っている。手持ちの技で有効打になるものは、砕破刃くらいなものだった。それが通用しないとなると……もう、打つ手はない。
(村まで撤退して皆で……いや、それでも勝てる見込みは……)
防衛組の面々は、お父さんを含め、確かに戦士としては優秀な人たちばかりだ。野生の獣相手ならば、よほど不利な状況でない限り負けることはないだろう。
しかし、この相手は魔獣だ。野生の獣のそれよりも遥かに頑強な毛皮を持ち、無尽蔵とも思えるほどの体力を有している化け物だ。村の人たちと協力したとして、彼らが有効打を与えられるとは思えない。
かと言って、村の人たちを囮にして私が有効打を与えようにも……そんなことをすれば、きっと、何人かは犠牲になる。やはり、ここで仕留める他、私には選択肢がないのだ。
(……考えろ。どうすれば勝てるか……)
奴を拘束して砕破刃を連続で叩き込む……これが一番確実だろうが、問題は、奴をそれだけの時間拘束する必要があるということと、仮に失敗した時、マナの残量的に撤退すら厳しくなるであろうということ。
別の技を使う……確かに、奴を倒せる威力を誇る技が一つ、あるにはある。ただ、マナを多く消費するため、一つ目の案と同じ懸念があることと、剣の耐久性に懸念がある。そんじょそこいらの剣では、恐らく、剣そのものがこの技に耐えることができない。
魔法で奴を倒す……これも現実的ではない。ウルフ種やバード種の魔獣を一撃で貫き絶命させたアイスランスでさえ、いとも容易く弾かれてしまった。今の残存マナ量で、これを超える威力の魔法を作り出せるかという疑問と、目の前の暴獣から、それほどの魔法を作り出す時間を捻出できるかという疑問。やはり、現実的ではない。
「これは……詰んでる……?」
魔獣と距離を保ちながら、そうぼやいた。砕破刃が明確なダメージらしいダメージを叩き出したせいで、奴もこちらの出方を警戒しているのか、先ほどのように考えなしに突っ込んでくることはなくなった。だがしかし、それは、確実にこちらを仕留める方法を、今、奴が考えているということを意味する。
恐らく、次で決めなければ……その次は、もうないだろう。私が死ぬか、奴を殺すか、そのどちらかしかない。
(せめて……せめて、瞬連斬が通用するなら……)
一撃で仕留め切れないなら、連続で叩き込めばいい。一度の斬撃で複数回斬り裂く瞬連斬ならば、その要項を満たしている。この技が通用するなら、迷わず、使っていた。
だが、現実は無情。アイスランスでさえ弾くあの毛皮は、ただの斬撃など簡単に弾き返してしまうだろう。砕破刃のように内部に浸透する攻撃ならともかく、ただの斬撃である瞬連斬では——、
「——そうか……!」
何故、これまで思いつかなかったのだろう。前世の私はあまりにも強すぎて、鍛える必要がなかったから? それとも、単に今回のような危機に瀕することがなかったから?
簡単なことだ。簡単なことを忘れていた。目の前の敵に通用する技がないなら——編み出してしまえばいいんだ。瞬連斬も、砕破刃も、落鷹刃も……アニュエ流剣術の技は、そうやって編み出してきたのではないか。
瞬連斬のように同時に攻撃する必要がある。砕破刃のように内側に浸透する攻撃でなくてはならない。その要項を満たす攻撃がないならば、今ここで、編み出してしまえばいい。なんでそんな簡単なことに、今まで気がつかなかったのか。
私ならできる。私にならできる。以前と比べて、この肉体はあまりにも貧弱なものだけれど……技術は肉体に宿るものではない。知識と精神に宿るものだ。
私はすぐさま、これまでとは違う構えをする。剣を頭の高さで構え、首の後ろに剣身を持ってくる。体は大きく捻って、今までよりも姿勢を低く、前足に重心を置いて。
瞬連斬のように素早い斬撃を。砕破刃のように重い一撃を。その二つの条件を満たすならば、この構えで良いはずだ。私の経験が、そう言っている。
初めて使う技だ。でも、失敗する気はしない。私ならできる。私ならやれると、そう信じなければならない。
魔獣は、先ほどまでとは雰囲気の違う私を見て、何かを察したのだろう。猛々しい鼻息を鳴らすと、私と同じように、姿勢を低くした。
……突進の前兆だ。奴も、今までとは違う。この一撃で、ケリをつけようとしている。相手は言葉も通じぬ獣ではあるものの……その心意気には応えてやるのが、命を奪う者としての責務だろう。
時が止まったように感じる、お互いの呼吸の音さえ聴こえない。どこからか風が吹くような音が聞こえて、しんと静まり返った世界は……やがて、動き出した。
『ゴァァアアアアッ!!』
地響きを起こしながら向かってくる魔獣。最早どんな手段を用いても防ぐことができないだろうと、そう悟らせるような気迫を感じる。その気迫に、真正面から向かい合った。
「アニュエ流剣術——奥義」
そうして、捻った体を解放させ、地面を砕く勢いで踏み出し、音をも超える速さで、剣を振り抜いた。
「……砕連撃」
——直後、何かが爆発したような音が三度、聞こえた。その音の発生源は、間違いなく、剣を打ちつけた魔獣の胸部からであった。
瞬連斬と砕破刃を合体させた技。砕破刃の衝撃を、数瞬ほどの時間差もなく、同じ場所へと叩き込む。一度目の衝撃は二度目の衝撃に、二度目の衝撃は三度目の衝撃に、それぞれ後押しされるように、回数が増せば増すほど、その威力が増していく。
皮一枚分ほどの誤差で、私は魔獣の攻撃を避けていた。私の剣は狂うこともなく魔獣の胸へと叩きつけられていて、奴の心臓に、的確に、衝撃を与えていた。
——次の瞬間、魔獣が小さな呻き声をあげたかと思うと……ゆっくりと、前方に崩れ落ちていった。崩れ落ちた瞬間、まるで地震のように大地が揺れたが……それ以降、魔獣が起き上がることはなかった。
「か……勝った、かぁっ……!」
凄まじい疲労感に襲われ、私はその場に倒れ込んだ。大の字になって空を仰ぎ、全身を酷い痛みに襲われながら、妙な達成感を覚えていた。
「これで……もう、大丈夫か……」
なんだか、猛烈な眠気に襲われている。周囲に漂う瘴気のせいだろうか。私は剣を手放し、魔獣の群れの中心地であるにも関わらず……ゆっくりと、目を閉じてしまった。




