癒しの手
——外出禁止令が出されて、二日が経った。魔獣の群れによる攻撃はまだ始まっておらず、村の中はまだ厳戒態勢を敷かれたまま、ある意味では平和だった。
私は剣術が、お姉ちゃんは火の魔法の訓練が。室内では危険でとてもできたものではないと、この二日間は本を読むか、比較的安全な他の属性の魔法の訓練をして過ごしていた。
そして三日目……事件が起きた。
「……外、騒がしいね」
隣で本を読んでいたお姉ちゃんが、そう口にする。耳を傾ければ、窓の外から、わぁわぁと騒ぐ男たちの声が聞こえた。
戦闘音は聞こえない。村の中まで魔獣が攻め込んできたというわけではないだろう。少しだけ窓を押し開け、その隙間から覗くと、大人たちが忙しそうに走り回っているのが見えた。
その中心に、人だかりができている。よく見えないが……彼らの足元に、何やら赤い溜まりができているように見える。
(……血溜まり?)
見間違いでなければ、それは血溜まりのようだった。恐らく、誰かが魔獣に襲われ、大怪我をしたのだろう。
ふと、嫌な考えが脳裏をよぎる。そこに倒れている人が、もし、お父さんなら——。
「あっ、アニュエ!?」
気づいた時には、体が動いていた。お姉ちゃんの静止を振り切って家を飛び出し、人だかりの中へと突撃する。人混みを掻き分け、その中心にいた人物の顔を見て……私は、その場に崩れ落ちた。
「……お父さんじゃ、ない……」
それは、父ではなかった。三軒隣の家に夫婦で暮らすダルケンさんだった。
血溜まりの正体は、一目見て分かった。彼の左腕には、肘から先がなかったからだ。腕の断面はズタボロで、刃物で斬られたというよりかは、何か、大型の獣に噛みちぎられたような跡に見えた。
他にも、腹部には爪で引き裂かれたような傷と、右足も折れた骨が肉を突き破って凄惨な状態になっている。辛うじて意識を保ってはいるものの……正直、生きているのが不思議なくらいだった。
「よ、よう……アニュエちゃん、か……」
掠れた声で私の名前を呼ぶダルケンさん。今にも消えかかりそうな命の炎が、ゆらゆらと揺らいでいた。
「だ、ダルケンさん……この傷は……」
「参ったよ……こうも、上手くいかないとは……」
彼の視界はぼやけているようだった。あまり焦点があっていないように思える。私ではなく、もう少し遠くの何かを見つめたようなダルケンさんは、息も絶え絶えに、深い呼吸を繰り返していた。
周囲の大人たちは、そんな状況に慌てふためいている。普段、ただの獣しか出ないような田舎村のせいか、これほどの重傷を負った人間をどう処置すればいいのか、分からないのだろう。
「こんなもん、ロープと包帯でどうにかなるのか……!?」
「そんなこと言ったって、回復魔法を使える奴なんてこの村には……」
水桶やタオル、ロープに包帯。中には、薬草を持った大人もいる。しかし、どれもダルケンさんの命を繋ぎ止めるものには見えなかった。
回復魔法。魔法の中でも、少しだけ、原理が違うもの。マナを使って世界中に存在するプレーンエーテルに干渉し、事象を書き換えるのが魔法なら、回復魔法や治癒魔法、解毒魔法といった類の魔法は、マナを使って体内のマナに干渉する技術だ。身体強化魔法も、これと同じ原理を用いている。
その中でも、自然治癒能力を高めるだけの治癒魔法とは違って、傷そのものを塞いで癒す……それも、これほどまでの傷を癒すほどの回復魔法は、特別難易度が高い。自然治癒能力を高めるとは言っても、限度がある。体内にある傷口を魔法で塞ぎ、処置をした上で、自然治癒能力を高めてやる必要がある。
私は、あまり、得意ではない。前世の私は恵まれた肉体強度を有していて、そもそもそこまで大きな怪我を負うことがなかった。だから、治癒魔法や回復魔法といった魔法を練習する必要がなかった。生まれ変わってから多少練習したとはいっても、重傷患者を治療するのはこれが初めて。上手くいくとは限らない。
だけど……どれだけ優れた回復魔法でも、失われた血は戻らない。足元にある血溜まりからして、躊躇っている時間は、そう残されてはいなかった。
「……私がやる」
私がそう告げると、周囲の大人たちがざわつき始めた。まだ五歳の子供が、一体何を言っているのか。そんなところだろう。
「お、おい、アニュエちゃん……?」
私を止めようとした人もいた。だけど、その制止の声も聞かず、私はダルケンさんの体に触れた。どのみち、私がやらなければ彼は助からないんだ……なら、私がやるしかないだろう。
「癒しの精霊よ——彼の者の傷を癒したまえ」
詠唱をするフリをして、左手で事象を書き換えていく。まずは、ダルケンさんの体の内側からマナを書き換えていく。マナを使って傷口を結合し、結合したところからマナで保護して、それを体表まで繰り返していく。
マナとエーテルは万能のエネルギーだ。今までやってこなかっただけで……私なら、きっとできるはずだ。
そうして、全身の傷を並行して治療していく。やがて、折れた骨は元通りになり、引き裂かれた腹の傷は塞がり、失われた左腕は……元通りになることはなく、ただ、傷だけが塞がった。
「こ、これは……」
「傷が……塞がっていく……?」
ある程度大きな傷が塞がれば、あとはもう、大仰な処置は必要ない。自然治癒能力を高めてやれば、あとは勝手に、彼の体の中で治療が進んでいくはずだ。極論を言えば、血を止め、内部の処置さえ完了させれば、そこから先は薬を塗って包帯を巻いておくだけでもいい。
そうして……ダルケンさんの治療が完了した。失った血が戻るわけではなく、ダルケンさんの顔はまだ青白いままではあるものの、死の淵からは舞い戻っただろう。一命を取り留めた、というやつだ。
「……これは……俺は、助かったのか……?」
出血が止まったことで意識がようやく覚醒してきたのか、ダルケンさんは自分の体をぺたぺたと触り、そして、私の顔をじっと見つめた。
「……ごめんなさい、ダルケンさん。無くなった腕を元に戻すことまでは……できない」
罪悪感と悔しさ。私がそう告げると、直後、血を流しすぎて動くのも大変であろうダルケンさんが、私を抱き寄せた。私の首元に、ぽたぽたと冷たい何かがこぼれ落ちる。
「……謝るな、アニュエちゃん。あんな傷、いつ死んでもおかしくなかった。誰がなんと言おうと、アニュエちゃんは間違いなく——俺の命の恩人だ」
残った右腕で私の背中を何度も叩き、そうして私を引き剥がすと、じっと私の目を見つめたダルケンさん。
「ありがとう、アニュエちゃん。君のおかげで、俺は助かった」
まだ顔色は悪い。血を流しすぎたのだから当然だ。私が少しでも躊躇っていたら、彼は死んでいたかもしれない。
そうだ。躊躇っていたら……きっと、危なかった。
ダルケンさんの感謝の言葉と同時に、周囲から歓声があがる。私を褒め称える声ばかりだった。妙な居心地の悪さを感じて、私はその場をすぐに離れようとした。
——その時。
「……バースんとこの」
私の前に、巨大な何かが立ちはだかった。見上げると、そこには強面の……つい最近代替わりしたばかりの村長が立っていた。
「そ、村長……」
声が震えているのが、自分でも分かる。この人は……ただ単純に、顔が怖すぎるのだ。ただでさえ強面なのに、左目を巻き込むように、額から頬にかけて、大きな引っ掻き傷のようなものがあるから、さらに怖い。
普段あまり喋ることもない村長。村長は私を見下ろし、こう言った。
「今の魔法……まだ、使えるか?」
今の魔法、というのが回復魔法を指しているのは明白だった。その言葉で、私は村長が言いたいことを、なんとなく、察してしまった。
「……うん。無尽蔵にってわけじゃないけど」
私が答えると、村長は小さく頭を下げた。村長からすれば普通に頭を下げているだけなのだろうが、いかんせん大きすぎて、誤差のようにしか見えない。
「頼む。他にも何人か、重傷者がいる。そいつらを治してやってくれないか」
「……もちろん。私にできることなら」
大方、予想はしていた。普段はあまり関わりのない村長が話しかけてきた時点で、外を彷徨いている私を叱るか、回復魔法を使ってほしい相手がいるか。そのどちらかだろうと。
二つ返事で答えると、村長は怪我人が集められているところへ案内してくれるようだった。まだ感謝の言葉を言い続けているダルケンさんを他の人に任せ、私は村長の後をついていった。




