魔獣の群れ
——その日は、なんだか朝から騒がしかった。村中の大人が緊迫した空気感を纏っていて、いつもは温厚なお母さんでさえ、険しい表情をしている。
「……アニュエ」
ちょんと、背後から背中をつつかれる。振り返ると、そこには不安げな表情をしたお姉ちゃんがいた。
「皆……どうしたのかな?」
「さあ……お父さんもお母さんも、何も教えてくれないんだよね……」
何か、よからぬことが起きたに違いない。それも、家の中だけの問題ではなく、村全体を巻き込むようなことが。
ふと、開けた窓から外を見ると、ざわつく大人たちに紛れて、木箱のようなものを運ぶザックの姿が見えた。
「おーい、ザックー!」
名前を呼ぶと、ザックはこちらに気が付いて、木箱を抱えたまま小走りでやってきた。窓の外に木箱を置いて、その上に立つザック。
「どうしたんだ、アニュエ」
「ちょっと聞きたいことがあってさ。村が妙にざわついてる理由、何か知ってる?」
「ああ……」
その理由に心当たりがあるのか、ザックは窓の縁に手をかけ、村の外の方へと視線を向ける。
「なんでも、防衛組が村の外れで、魔獣の群れを見かけたらしい。その迎撃の準備で、皆忙しくしてるんだとよ」
「魔獣の群れ?」
「ああ。放っておくと、この村が襲われるかもしれない」
隣に立つお姉ちゃんの口元から、ヒュッと、空気を切るような音が聞こえた。息を呑むとは、まさにこのことだろう。
魔獣……瘴気と呼ばれる、生命に有害な影響を及ぼす『何か』に侵された獣。本来の獣とはかけ離れた肉体的特徴を持ち、ただの子ウサギが、大人一人を簡単に蹴り殺してしまうほどの強さを誇る。
まだ、この世界における実物を見たことはない。あくまで本で得た知識と前世の知識を掛け合わせて、そういった存在がこの世界にもいるのだと知っているだけだ。
ただ……五年間生きてきて一度も見たことがない、この辺りで現れたという話を聞いたこともないということは、本来、この辺りには瘴気が存在せず、魔獣や魔物といった存在とは無縁の場所だったということだ。それが何故、今、群れを成して現れるのか。
どうにも……引っかかるな。
「で、子供たちは屋内待機。防衛組と戦える大人は、魔獣の迎撃のためにせっせか動いてるってわけだ」
「なるほどね……」
この村——ヴェガ村の大人たちは、ほぼ全員が農作業で肉体が鍛えられており、お父さん含めその一部は『防衛組』と呼ばれ、野生の獣を相手に戦うこともある。時たま、巨大なベア種を抱えて帰ってくる防衛組もいるほどだ。
だから、相手が単独の魔獣であれば、複数人で取り囲んで勝利を収めることも可能だろう。問題は、相手が群れているということだ。
ヴェガ村は、ネヴァルカナン最小の大陸、リットモールの端にある田舎村というだけあって、そもそも人口が少ない。相手が群れているのであれば、恐らく、数で押し切られる可能性が高いだろう。
……こうなれば、腕試しも兼ねて、私が前線に出るしかないか。この世界の魔獣がどれほどの強さかは分からないけれど、勝てないということはないだろう。ある程度数を減らしたあとは、その死体をどこかで処理し、何食わぬ顔で村に戻ればいい。
そんなことを考えていると、ちょいちょいと、ザックが私に、窓の外に身を乗り出すよう催促する仕草をとった。窓の縁に手をかけて身を乗り出すと、ザックは私の耳元に顔を近づけて、耳打ちした。
「……お前、今、『腕試しの機会だ』とか思ったろ」
「エッ!? いや、そんな……」
「バレバレだよ。弟子なんだから」
ザックはそう言って、一度、辺りをきょろきょろと見渡した。
「……お前が下手に動くと現場が混乱するだろうし、しばらくは大人しくしとけよ。広場での訓練も無しだ。あの辺一体、防衛組が監視してるらしいからな」
「まじかぁ……」
きちんとした防衛線が敷かれている。決して悲観することではなく、褒められた防衛体制ではあるものの、私が動きづらくなるとそれはそれで困る。複雑な心境だ。
とはいえ……ザックの話には一理ある。私がいなくなったことに気づかれれば、家にいるお母さんやお姉ちゃんは大騒ぎだろうし、そこから発展して騒ぎが村全体に波及しかねない。戦線が崩壊するまでは、大人しくしているべきだろう。
まだ仕事が残っているから、と、ザックはそれだけ言って木箱を抱え、大人たちの中に戻っていった。まだ五歳だけど、多分、男だから駆り出されているんだろうと思う。バッツさんのことだ。ザック本人から希望が出れば、その希望を呑むだろう。
さてどうしたもんかと、窓を背に、壁にもたれかかる。可能であるなら、村の被害を抑えるためにも私が動きたいところだけど、ザックの言う通り、それで余計な混乱をもたらすのも好ましくない。この状況……どう動くべきか。
「ザックくんと仲良いんだ、アニュエ」
突然、お姉ちゃんがそんなことを言って、私は思わず噴き出した。
「エッ……あ、まあ、幼馴染だし……? そんな、仲良いとかそういうわけじゃないけど……」
「そ、そんな否定してあげなくても……」
一瞬、私たちが秘密の訓練をしているのがバレたのかと思ったが、そうではないらしい。そういえば、村の中ではあまりザックと話すこともないから、こうして普通に親しくする関係であることは誰も知らないのかもしれない。
そんなやり取りをしていると、勢いよく部屋の扉が開かれた。扉の向こうから現れたのは、汗だくになったお父さんだった。
「アニュエ、オリビア、ここにいたか」
「あ、お父さん。さっき、ザックから聞いたんだけど……」
「ああ……既に聞いていたなら話は早い。二人も当分、家から出るのは禁止だ。二人とも、戦う力はあるだろうが……くれぐれも、腕試しを目的に外出しないように」
「うん……分かった」
お母さんが持ってきたタオルで汗を拭うお父さん。その腰には、バッツさんが打ったのであろう直剣が装備されていた。いつもは農具を背負っているお父さん。今日は農業をする人間ではなく、防衛組の人間として働いていることが、一目で分かった。
「お父さんも、外に……?」
お姉ちゃんが恐る恐る、そう口にした。怯えた様子のお姉ちゃんに、お父さんは一瞬たじろいだようだったが……やがて、力強く頷いた。
「ああ。少しの間会えなくなると思うが……二人とも、母さんの言うことをよく聞くんだぞ」
「……分かった、お父さん」
そうしてお父さんは私たちの傍までやってくると、両腕で私たち二人を抱き締めた。
……汗臭い。でも、嫌な感じはしない。きっと、私たちを守るために、朝から辺りを走り回っていたんだろう。
「じゃあ、行ってくるな」
お父さんは私たちを解放し、お母さんとも一度抱き合って、家を出ていった。いつになく真剣な様子のお父さんに、私はどこか、心がざわついた。
「お父さんたち……大丈夫かな……」
「うーん……」
大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば……大丈夫じゃない可能性の方が、高い気がする。全ては魔獣の強さと群れの規模次第。それでも、多少なりとも被害が出ることは避けられないはずだ。
……一体全体、私はどうしたらいいって言うんだ。いっそ、私が家族の誰からも嫌われていて、存在感の薄い人間だったなら、自由に動けたものを。
そう嘆いても仕方がない。お父さんの言い付け通り、私たちは家の中で皆の帰りを待つことにした。




