プロローグ 剣聖ちゃんの死
——それは、とても禍々しい姿をしていた。規則性のない歪な形をした角と、ヘビのように長く伸びた舌。目は潰れ、皮膚は爛れ、そんな人の頭部のようなものが、まるで巨大なイモムシのような胴体に繋がっている。
悍ましく、吐き気がするような異物。邪神イヴリースと呼ばれる、この世を呑み込まんとする悪の化身だ。そんな異物と対峙していたのは、まだ幼い顔立ちの少女だった。
「ふぅん……これが邪神……」
光をそのまま刃に変えたような片手剣を携え、邪神へと近づく少女。邪神はそんな彼女を脅威とみなしたのか、長い舌を伸ばして絡め取ろうとした。
——次の瞬間、少女の右腕がブレて、消える。気がついた時には、邪神の舌は六つに斬り分けられていた。
「……瞬連斬、五連」
『——————ッッ!!』
声にもならない絶叫が、ただ空間を震わすだけの叫びが、洞穴の壁を破壊した。少女は涼しげな表情で歩みを進めると、今度は剣を大きく振り上げた。
「落鷹刃」
そう言って彼女が剣を振り下ろすと、邪神目掛けて巨大な斬撃が飛来する。邪神の胴体から生える無数の足を、いくつも斬り落として、斬撃は壁へと吸い込まれていった。
——邪神は困惑した。否、邪神には今現在個別の意思などなく、ただ本能だけが暴走しているのだが、その本能が告げているのだ。目の前にいる幼子は、ただの剣士ではないと。このまま対峙しては、神たるその肉体が滅ぼされてしまうと。
少女は変わらず、邪神へと歩みを進めている。これ以上近寄らせてはいけない。邪神は宙空に無数の魔法の槍を形成した。その一つ一つが、都市一つを破壊し尽くすほどの威力を持つ。音もなく、むしろ、音を置き去りにして放たれた槍は、全方向から少女へと襲いかかった。
「残影陣」
少女は剣を正面に構え、目を瞑る。そして、一度、二度、三度——飛来する槍の数だけ、剣を振るった。音を置き去りにする槍を、剣一本で叩き落とす。一見すれば、その場から一歩たりとて動いていないようにも見える。
邪神は恐怖を覚えていた。何故、神たる存在の攻撃を、いとも容易く蹴散らすことができるのか。神に対抗できるのは、神の力のみではなかったか。既に失われた意思が再び芽生えそうになるほど、邪神は目の前で繰り広げられる光景を信じることができなかった。
しばらく攻防が続いた頃、不意に少女は呟いた。
「……キリないかぁ」
そうしてため息をこぼすと、槍の雨の隙を縫って邪神に急接近した。
「平和のために、死んでね」
それが、邪神の記憶に残る、最後の言葉だった。
——三年後、辺境の森
アニュエ・ストランダー。皆からは、救世の英雄だとか、剣神様だとか色々な名前で呼ばれてる。あまり可愛くないから、自分では自分のことを『剣聖ちゃん』と呼んでいる。周りは『剣聖様』って呼んで聞かないけれど。
三年前、邪神イヴリースを倒したことで、正真正銘救世主となってしまった私は、その後のあらゆる権力争いから逃れるために、一人気ままに、旅をしている。相変わらず、時たま所在地がバレて、やれ王国だの、やれ帝国だののお偉いさんに追いかけられることも少なくはないけど、まあ、比較的自由気ままに過ごすことができている。
ただ、そういう類の邪魔者はすぐに排除できるんだけど、最近は何故か、そういう類じゃない視線を感じて気が気でない。どれだけ遠くまで移動しても、どれだけ深い洞窟に潜ろうとも、ずっと同じ視線がへばりついて離れないような感覚があるんだ。
「まさか、邪神の呪い……?」
そんな、少しあり得てしまいそうな可能性に寒気を感じながら、私はキノコを集めていた。神キノコと呼ばれている、というより、私が勝手に呼んでいる、キノコ史上一番美味しいキノコだ。正式名称は確か、真白タケ。私が今いる辺境の森周辺にしか生えていないために、私はここ一年間、この辺境の森から抜け出せないでいる。それくらい、美味しいキノコだ。
「まあ、邪神……神っていうくらいだし、そのくらいできても不思議ではないけど……っと」
背負っていたカゴを下ろし、そばにあった平らな石に腰掛ける。神キノコの他にも、山菜や川魚など、今日一日分の食料が詰め込まれている。
昼食の分だけを取り分け、小型のナイフで切り、鉄鍋に放り込む。一部はスープにして、一部は炒め、一部はサラダに。
「しっかし、邪神、邪神ねぇ……結局、これだけ旅をしてても、邪神が何なのかはよく分からなかったなぁ」
調理をしながら、一人、呟いた。
名のある神や強大な魔物などは、大抵、この世に名を残している。しかしながら、三年前私が討伐した『邪神イヴリース』は、言わば『無名の神』。邪神といえど神ならば、どこかしらの地域には逸話なり何なり残っていそうなものだけど、それらが一切なかった。
その割には、強大な力を宿していた。既にいくつもの国を滅ぼしていて、私が倒していなければ、今頃この世界は滅んでいただろう。そんな力を持つ神が、突然ぽっと現れることなんてあるだろうか。
「……まあ、いっか。倒したし」
過ぎたことを考えても仕方ない。既に邪神は討たれ、復活する気配もない。世界は平和になったのだ。悪が一つ滅びた分、少しだけ。
そうして出来上がった焼き神キノコを頬張り、そのあまりの美味しさに頬が落ちそうになる。キノコ特有の風味もありながら、肉のような豪快さもある。まさしく神キノコ。
スープも飲み、山菜のサラダも平らげ、最後の焼きキノコを口に放り込む。そこで、何か、違和感を覚えた。
「……ん? 苦い?」
焼き神キノコに苦味などはないはず。少なくとも、今まで食べてきたものにはなかった。
疑問に思いながらも咀嚼し、飲み込む。そして、飲み込んだ直後に、記憶の奥底から、数ヶ月前に読んだ植物図鑑の内容が浮上してきた。
「……真白タケ……苦味……あっ」
神キノコ。正式名称は真白タケ。赤い傘の上部には白い筋が十三本入っていて、生で食べることは難しいが、火を通せば風味豊かで美味しいキノコになる。
一方、この真白タケに似たキノコがある。真白タケモドキと呼ばれるキノコだ。見た目は真白タケと瓜二つなのだが、傘上部に入っている白い筋が十二本しかない。そしてこちらは、火を通しても何をしても無毒化することのできない強力な毒を宿している……言わば、毒キノコだ。
真白タケと似たような風味を醸し出しているが、真白タケとは違って苦味と若干の臭みがある。まさしく、今私が食べている、このキノコのように。
「いやいや、そんなバカな……私、ちゃんと確認したし……」
カゴの中に入っている他のキノコを漁る。と、ものの見事に、白い筋が十二本しか入っていない神キノコモドキが三本ほど紛れ込んでいた。
……あ、終わった。
そう予感した直後、体に電流が流れ、痺れて動けなくなる。真白タケモドキの毒は非常に強力で、一切れでも食べれば成人男性が命を落とすとされている。解毒薬は存在しているものの、そんなものを今持っているはずもなく。
「げ、解毒魔法……」
何とか魔法で解毒を試みようとするものの、そもそも私は治癒魔法の類が得意ではない。何故なら今まで大怪我をしたことがないから。覚える必要がなかった。
毒が着々と体を蝕み、遂には指の一本も動かせなくなる。徐々に意識は薄れ、口からはヨダレがドバドバと流れ出ている。
(……えっ、私の死因、毒キノコ……?)
思考もままならなくなり、やがて、私は気を失った。剣聖ちゃんことアニュエ・ストランダーは、人知れず、森の中で息を引き取った。間違って毒キノコを食べたことによって。
——次に目が覚めた時、何だか妙な違和感があった。意識にも、視界にも、体にも。どうにも、こう、自由に動かせないような。妙な束縛感を覚えたのだ。
「……あぅぅ?」
……ん?
今聞こえたのは赤ん坊の声。今喋ったのは私。つまり、今の声は私の口から出た声のはず。どうして、私の口から赤ん坊のような声が?
「だ、あ、あぁう」
人を呼ぼうと声を発するが、やはり、赤ん坊のような言葉しか出せない。何事か。
(……んぁ?)
じたばたともがき、視界に自身の腕が映る。まんまると膨らんだ小さな手。赤ん坊のような、ではなく、まさしく、赤ん坊の手だ。しかも、間違いない。これは私自身のの手だ。
(……え? 何事?)
夢でも見ているのだろうか? 私が覚えている最後の記憶は、間違って毒キノコを食べて、地面に伏しているところだ。そのあと、奇跡的に誰かに助けられ、目覚めていないとか、そんなところだろうか。
いや、夢にしては、視界に映る景色が鮮明だ。木造の天井の節の汚れまではっきりと見える。
そうこう考えているうちに、がちゃりと扉の開く音がして、誰かが部屋に入ってくる。それは巨人族にも似た巨大な体躯の若い男女だった。
女の人は明るい栗色の髪で、柔らかな笑みを浮かべている。男の人の方は、黒髪で筋肉多めの、体格の良い青年といった感じだ。
「お目覚めみたいだね、アニュエ」
「あうあ?」
男が私に話しかけてくる。どうして名前を? とも思ったけど、邪神討伐以降私の顔は知られているし、不思議でもない。
女の方は前屈みになると、私の脇の下に両手を突っ込み、持ち上げた。強烈な浮遊感。それから、違和感の正体。
視界の端に映る、小さな手足。短い胴体。遠すぎる地面。それは紛れもなく、一つの事実を指し示していた。
「よしよし……じゃあ、ご飯にしましょうね」
この二人が巨大なのではない。正確には、私が縮んだんだ。それこそ、赤ん坊になってしまったことで。
つまるところ——生まれ変わり、というやつだろう。
(……え、まじ?)
剣聖ちゃんことアニュエ・ストランダー。享年十五歳。その後、生まれ変わりを果たす。




