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Lilac's Recollection.

「初めまして、ライラック。エリザベス・シュミットよ」

 そう言って握手を求めてきた若い女は、真っ赤に充血した両目を細めた。彼女が動く度に、硝煙(しょうえん)と消毒液、濃厚な血の臭いが振り()かれる。


 ――あぁ、彼女も『そう』なのね。


 浮かんだ言葉を喉奥で押し留めたライラックは、自分にできる最大の笑顔を向けた。小さな手を重ねると、綿で包むようなか弱い力で握り返される。

 温かい(てのひら)だ。忌々(いまいま)しい、不快な温度。

「初めまして、新しい犠牲者パートナーさん」

 精々(せいぜい)死なないようにね――意地の悪い言葉を胸の内にしまった、ライラックの笑みは人形のように可憐(かれん)だった。


  ◆◇◆


 地表(ちひょう)()き出した猛毒の瘴気(しょうき)により、文明が崩壊して千年以上の時が過ぎた。生き残ったわずかな人類は『移動植物園ユグドラシル』という箱庭に住み、瘴気と異常な進化を遂げた(むし)から逃れて生きている。

 人肉を()う蟲に対抗するために中枢機関の『温室』で生まれたのが、植物の生命体である植物人プランツだ。見目麗(みめうるわ)しい子供の姿だが、体内で瘴気を相殺(そうさい)する成分『ミアズマシッド』を作り出すことから、世界に対しての唯一の切り札とされている。

 彼らが十分に力を発揮(はっき)するため、人間は彼らと契約して『ソイル』となり、外界調査員となって世界に緑を取り戻す活動をしているのだ。


  ◆◇◆


「うぅ……」

 温室の研究階層『アルフヘイム』の一室で、エリザベスがベッドの上をのたうち回っていた。

 パートナー契約のための事前適性検査だ。彼女がライラックのソイルになれるか、相性を確認するために葉の切片(せっぺん)経口(けいこう)摂取(せっしゅ)する。

 エリザベスは青白い額に玉の汗をいくつも浮かべ、(うめ)きながら腹の辺りを()きむしっている。摂取したのは小指の先ほどの欠片(かけら)だが、植物人(プランツ)の細胞は人間にとっても猛毒だ。彼女は今、腹の中が溶け落ちるような苦しみを味わっているのだろう。狭い室内には数人の医務官がいるが、みな不安気な顔をしても何らかの処置はしない。すべがないからだ。

 生き残り適性を示すか、死んで不適合の判を押されるか――それは彼女の細胞と運次第なのだ。

 しばらくその様子を黙って見ていたライラックは、椅子(いす)からピョンと降りた。

 ドアへ向かうその腕を、植物人のポピーが掴む。

「ライラック、どこ行くの?」

「庭に帰るわ。わたしがいても、できることは何もないし」

「貴女のソイルになる人でしょ。(そば)にいてあげなきゃ」

「無理でしょう。髪の先だけでこんなに苦しんでるんだもの、きっと適合しないわ」

 尚も追いかけてくるポピーの声を(さえぎ)るように、ライラックは医務室を出た。

 白いリノリウムを歩きながら、ライラックは小さく溜息を吐く。シャツの胸元から、銀のペンダントを引っ張り出し、丸いロケットを開く。

 そこには笑顔のライラックと頬を寄せ合う若い男の写真があった。彼の名はマーヴィン・シュミット――十日前まで、ライラックのソイルだった男で、エリザベスの兄だ。

 マーヴィンとのパートナー関係は五年続いた。ふたりで何度も瘴気(しょうき)に満ちた外界(がいかい)に出て、(みにく)(むし)を何匹も殺してきた。外界調査で命を落とす確率は七十パーセントだというのに、五年も生き残った彼は幸運だったといえよう。だが、それも十日前には枯れていたようだ。マーヴィンは旧文明の遺構(いこう)の調査中に蜂型ホーネットの蟲に頭を砕かれ、肉の一片(いっぺん)も残すことなく蟲の腹に収められた。

 外界調査員にとって、ありきたりな最期(さいご)だ。誰が死のうと悲しむ必要はない――どこか皮肉屋シニカル厭世的(えんせいてき)だった彼の言葉が自然とライラックの脳裏に浮かんで、思わず笑みが(こぼ)れる。最初は彼の冷淡(れいたん)ともいえる思考を嫌っていたのに、今は怖いほどにライラックに馴染んでいた。

 パートナー契約は互いの情緒面にも影響を及ぼす。互いの根を通じて、意思や嗜好(しこう)が共有されて変化していくのだ。それは特に植物人(プランツ)の方に顕著(けんちょ)だった。

 穏やかで純粋だったライラックは、いつしか皮肉めいた言葉を投げるようになった。それを『悪影響だ』と言う兄弟たちも多いが、ライラックは『成長』だと思っている。土壌(どじょう)が変わって花の色が変化することと、何が違うのだろう。

 外用のシャツとズボンから(あさ)の服に着替え、世界樹(せかいじゅ)そびえる『常磐(ときわ)の庭』へと戻ったライラックの頭上から、よく通る声が降ってきた。

「あら? お帰りなさい、ライラック」

「ただいま、アイビー」

 木の枝に腰掛けていたのはアイビーだ。ライラックと同時期に世界樹から生まれ、姉妹のように育ってきた少女型の植物人プランツだ。

 アイビーは(こけ)むした地面へ身軽に降り立ち、顔の横に垂れた(つた)の髪を耳に掛けた。

「随分と早かったのね。新しいソイル候補、適性なかったの?」

「まだ分からないけど、待ってるだけも退屈だから帰ってきちゃった。……でも、きっと無理ね。わたしの髪をちょっと食べただけで、三十分も苦しんでるんだし」

「そう……こればかりはどうしようもないものね。エリザベスは五日前まではジニアのパートナーだったけど、だからといって別の植物人プランツでも適合するわけじゃないわ。彼女と合わなくても、また別の人間を紹介されるだろうし、気落ちしないでね」

「やめてアイビー。……悪いけど、わたしはもうソイルなんていらないわ」

 ライラックの言葉に、アイビーは「えぇっ」と口元を押さえた。丸い(みどり)の目を見開いた反応に、ライラックは腕を組んで眉をひそめる。

「……そんなに驚くこと?」

「ごめん……でも、何で? ライラック、あんなにパートナーを望んでいたじゃない」

「時間が経てば、気も変わって当然でしょ。後でローリエ兄さんにも言うつもり。……ところで、あなたのその髪は例のソイルに編んでもらったの?」

 ライラックはアイビーの髪に触れる。うなじで丸くまとめられた(つた)は、所々(ところどころ)から葉が飛び出していて少々不格好(ぶかっこう)だった。それでも彼女は嬉しそうな表情を滲ませて頷く。

「そう。エレナってば、意外と不器用なのよね」

世界総督マダムの娘さんだったかしら。頭は良くても、指先まで回路はつながってないのね。後で編み直してあげましょうか?」

「ううん、いいの。これが、いいのよ。……なんだか、ライラック、変わったね」

「……あなたもいずれは変わるわ。人間と契約したのならね」

 また後で、とライラックはアイビーに手を振り歩き出した。

 何となく誰かと会うのも億劫(おっくう)で、足は自然と兄弟たちの寄り付かない湿地(しっち)エリアへと向いていた。移動植物園ユグドラシルの天井から降り注ぐ強い太陽光があまり届かない、(こけ)と静寂に満ちたエリアだ。ライラックは水気が多い場所を好まないが、今はそれよりもひとりの時間がほしい。

 大振りなモンステラの葉陰はかげに、ライラックは体を横たえる。泉に浮かぶ小さなロータスの(つぼみ)をつついていると、水面(すいめん)に自分の顔が映った。

 髪を形成(けいせい)する四枚の花弁(かべん)の濃い紫色が、どことなくくすんで見えた。(くき)にも張りがなく、葉も()せてきている。

「――そろそろ、かな」

 目を閉じたライラックは、意識を揺さぶる睡魔(すいま)の波に揺蕩(たゆた)う。夢の水底(みなそこ)から名前を呼ぶ声が聞こえる。低く、抑揚(よくよう)の分かりづらい、柔らかな声――夢の中で、ライラックはいつでもマーヴィンに抱きしめてもらえた。

 ライラックにとって、マーヴィンは全てであった。死と隣り合わせの日々にありながら、彼とのパートナー関係は幸福で充実していた。物言いが厳しく誤解されやすいマーヴィンを、ライラックが柔らかくフォローして周囲との関係を円滑にする。逆にライラックの至らない部分はマーヴィンが補ってくれたから、理想的なパートナー関係だと周囲からも思われていた。

 マーヴィンはちょっとだけ感情の起伏(きふく)(とぼ)しくて、口下手(くちべた)なだけで、本当は周りを常に心配していて、誰も死なせたくない責任感の強い男だっただけだ。ライラックが上手に(むし)を殺せたら褒めてくれたし、笑顔で頭を撫でてくれた。植物人(プランツ)にとって、褒められることは栄養に等しい。それがパートナーから与えられたものであれば、寿命すら()びるくらいだ。

 ――マーヴィンを(うしな)って十日が()った。

 互いをつなぐ根は()たれても、ライラックはまだマーヴィンの声も、笑顔も、手の温度も覚えている。頭の中で(えが)ける。何度も会える。

 己の中に残っている彼の欠片(かけら)(こぼ)さないように、ライラックは体を丸めて眠りに沈んでいった。


  ◆◇◆


「これからパートナーとして、よろしくね、ライラック!」

「……嘘でしょ」

 あれだけ悶絶(もんぜつ)していた適性検査から一ヶ月。周囲の予想とは裏腹に、エリザベスはライラックのパートナーに任命された。

 それに一番驚き、落胆したのはライラックだ。ミーティングルームの壁際(かべぎわ)で拍手をする少年型植物人(プランツ)――ローリエに非難(ひなん)の目を向けても、彼は美しく微笑むだけだった。ライラックはもう人間とのパートナー契約は結ばず、幼い弟妹達の育成をすると言っていたはずだ。そして、植物人プランツたちのリーダーで長兄である彼も、それを了承していた。

 ローリエは形のいい眉尻(まゆじり)を下げて、胸の前で手を合わせた。

「ごめんねライラック。君の希望を聞き入れたいのも山々なんだけど、人手不足でさ。もう少しだけ頑張ってくれないかな? エリザベスもこうして適性検査を合格したことだし、ね?」

「でも兄さん、わたしはもうすぐ……」

「分かってる。お兄様は何でも分かっているよ、ライラック。だからこそ君に頼みたいんだ」

 誰よりも深いローリエの緑の瞳が柔らかく細められ、まっすぐにライラックを見つめてきた。宝石のように無機質な彼の目は、文字通りライラックの考えていることなど全てお見通しなのだ。

 そもそも『温室』の命令に対して、ライラックに拒否権はない。大きく溜息を吐いて、(おもむろ)に手を差し伸べた。

「……仕方ないわね。よろしく、エリザベス」

「えぇ、貴女のソイルになれて嬉しいわ」

 満面の笑みを浮かべるエリザベスと握手を交わす。初対面の時よりは強く握り返された掌の変わらない温度に、嫌悪で背中が粟立った。

 契約は簡単だ。人間が植物人プランツの根を、植物人プランツが人間の血を摂取すれば終わる。

 植物人の根はくるぶしから生えて足首に巻きついている。ライラックはそれを千切り、エリザベスへと差し出した。

 ライラックの根を飲んだエリザベスは、一瞬だけ眉根(まゆね)を寄せて苦し気な表情を浮かべたが倒れることはなかった。人間によっては適性検査をクリアしても、いざ契約を結ぶ時に植物人の根に負けることもある。それにライラックは密かな期待を寄せていたが、それすら砕かれたことに落胆する。諦めて小さなコップに注がれたエリザベスの血を(あお)った。

 心身が繋がる瞬間は、水底(みなそこ)から浮揚ふようする感覚に似ている。自分の根がエリザベスの体の隅々(すみずみ)まで伸びていくのが分かり、一体化する錯覚(さっかく)すら覚えた。

 それが落ち着くと、不安やわずかな恐怖、それから安堵感(あんどかん)がライラックへと流れ込んできた――エリザベスが今抱いている感情だ。それらはほんのわずかに輪郭(りんかく)を見せた後、(あわ)のように弾けて消えた。

 パチパチと(かわ)いた拍手の音が響いた。

「よかった、契約は成功したみたいだね。じゃあ、僕は結果をアナに知らせてくるから、君たちは話でもしてるといいよ。仲を深めるのは大事だからね」

 ローリエは彫像(ちょうぞう)のような美しい微笑みと共に、部屋を出て行った。

 無責任ね、とライラックは胸中で(つぶや)く。いきなり彼女とふたりきりにするなんて、勘弁してほしいわ――失礼な物言いを意識に浮かべ、溜息を吐いた。

 契約を結んだ植物人プランツソイルは思考を共有するが、それは数ヶ月ほど経って互いの細胞が馴染(なじ)んだ頃にできることだ。実際、ライラックの失礼な言葉たちはエリザベスに届いていないようで、彼女は沈黙を破る言葉を探して目を泳がせていた。その思考もライラックには分からない。

「あ、あの……ねぇライラック」

 意を決したようにエリザベスが口を開いた。ライラックの億劫(おっくう)そうな視線にも負けず、彼女は笑顔を作った。

折角(せっかく)だから、カフェテリアに行かない? パートナーになった記念に、お茶でも一緒に……」

植物人わたしたちは人間の食事は食べないわ。『本物』じゃないから、体に悪いもの」

 植物人は見た目こそ人間に近いが、その性質は植物だ。必要な栄養は不純物の混ざっていない真水(まみず)と天窓からの太陽光、温室が製造している専用の固形肥料だけで(おぎな)える。就職したての子供ですら分かる基礎中の基礎を、まさか三年間も働いているエリザベスが知らないはずがない。

 まさか、本当にそこまでお馬鹿さんなのかしら――そう口をいて出る前に、彼女自身で思い立ったらしい。ほんのりと頬を赤く染めて「そうよね」と(うつむ)いた。

「……あなたが何を考えているか、当ててあげましょうか? わたしのパートナーだったマーヴィン・シュミットのこと、聞きたいんでしょう」

 エリザベスがパッと顔を上げた。一秒にも満たない驚愕の後、図星を示す苦々しい感情がライラックへと流れ込む。思わずライラックの方が笑ってしまうほど、素直過ぎる感情だった。

「あなた、可哀想なほどに分かりやすくて、可愛い人ね」

「あ……ありがとう……?」

「褒めてないから。救いようがないほどのお馬鹿さんってことよ」

「……何だか、マーヴィン兄さんみたいなことを言うのね。言葉に針が生えているみたい」

「当たり前でしょう。マーヴィンとは五年もパートナーだったもの。植物人わたしたちに根付いてしまった思考や言動パターンは、死に別れたところでそう簡単に抜けたりしないわ」

 エリザベスは(うつむ)く。表情は長い睫毛(まつげ)の下に隠れたが、感情は(かす)かにライラックへ流れてきた。

 ――悲しみと、懐かしさ。エリザベスはライラックを通して、死んだ兄を見ているのだ。それに途方(とほう)もない腹立たしさを覚え、ライラックはミーティングルームを出た。エリザベスも慌てて出てくる音がする。ドアのわずかな段差に蹴躓けつまずく音もした。

 この鈍臭どんくさい娘をよく三年も生き残らせたものだと、ライラックは死んだジニアを(しの)ぶ。ジニアは注意深くて面倒見のいい植物人プランツだったが、残念ながらエリザベスにはあまり影響しなかったらしい。彼女はアルフヘイム内をたった十五分間歩いただけで、三回は人にぶつかり、五回は何もない所で(つまず)いていた。

 まっすぐ『常磐(ときわ)の庭』へ戻ろうと思っていたライラックだが、溜息を吐いて爪先(つまさき)をカフェテリアへ向けた。エリザベスから跳ねるような嬉しさが伝わってきた。本当に子供のような分かりやすさだ。

 アルフヘイムは無機質(むきしつ)な純白のパーテーションとリノリウムに囲われているが、カフェテリアだけは木目調の床材が敷かれ観葉植物が置かれている。無人販売機ベンダーによって様々な飲食物が提供されるここは、温室で働く研究員や調査員たちの憩いの場だった。

 ライラックは壁際(かべぎわ)の空いている椅子に腰掛(こしか)け、エリザベスはカフェオレを買ってきた。ご丁寧に植物人用の真水(まみず)が入った真空ボトルも買ったらしい。

 エリザベスはただでさえ甘いカフェオレに、追加でミルクとシュガーをどんどん入れていく。

「あなた、そんなに入れたら逆に美味しくないんじゃない?」

「食べ物は甘ければ甘いほどいいのよ」

「限度ってものがあるでしょう。……マーヴィンの言ってた通りね」

 溜息と共に(つぶや)いたのは、ほとんど無意識だった。

 しっかり聞こえたていたようで、エリザベスが顔を上げる。力なく、泣いているような表情だった。

「マーヴィン兄さん、私のことを貴女に話してたの? ねぇ、何て言ってた?」

 身を乗り出すエリザベスの勢いに押されるまま、ライラックは記憶を探った。

 エリザベスという年の離れた妹がいて、ドジで甘ったれのくせに外界調査員になってしまったと、マーヴィンは大きく膨れた不安を抱えて苦し気に吐露(とろ)したことがあった。きっと彼女はすぐに死んでしまうと思ったのだろう。まさか妹よりも先に()くことになるなど、彼自身思ってもいなかったはずだ。

 ライラックが包み隠さず伝えると、エリザベスの目から大粒の(しずく)がころりと転がり落ちた。

「あ、ご、ごめんなさい。マーヴィン兄さんらしいなって思って……。兄さん、口、悪かったでしょ。貴女も嫌な思いとかしなかった?」

「別に……パートナーになれば、本心なんて筒抜(つつぬ)けだから。どういう気持ちで言ったかなんて、すぐ分かるもの」

 そうだったわね、とエリザベスは笑いながら頬を(ぬぐ)った。

「マーヴィン兄さんは私達五人兄妹の長男だったし、両親も早くに亡くなってしまったから……人一倍用心深くて、厳しかったわ。私は末っ子だったから、甘やかされた方だったけど」

「……五人兄妹? 今時ふたり兄弟でも珍しいのに、五人もいたの?」

「そう。食べるのも大変だから、兄さんはハイスクールを出てすぐに温室に就職したわ。兄さん、言ってなかったの?」

「全然……」

 ライラックは首を横に振った。

 パートナーとなって疎通(そつう)ができるのは、意識の上に乗せられた感情や思考だ。だが、無意識の深層(しんそう)まで潜ってパーソナルな部分を暴くことはできない。

 何だか、ライラックは腹の奥がモヤモヤとした心地になった。まるで根が絡んでダマになったような感覚だ。とてつもなく不快で、面白くない。


 ――きっと、わたしがエリザベスを嫌いだからだわ。


 心底嬉しく、楽しく、そして一抹(いちまつ)の悲しみを抱きながらマーヴィンとの思い出話をするエリザベスを、ライラックは微笑みながら冷めた瞳で見つめていた。


  ◆◇◆


 どれだけ拒否しようとも時間は無情に流れ、関係は深化(しんか)する。

 エリザベスとパートナー契約を結んで、一年が経った。外界への出撃を重ねる内、ライラックはエリザベスの評価を多少変えた。

 曲がりなりにも外界調査員として生き残ってきただけはある。普段の鈍臭どんくさい娘とは別人のように機敏(きびん)に動き、(むし)への反応も鋭い。射撃の腕も申し分なく思えた。特に遠距離からの射撃は、兄のマーヴィンよりも優れているかもしれない。

 この日もエリザベスは蟻型アントを三体殺し、ふたりが所属する第五八一隊は全員が帰還できた。三ヶ月ぶりの死傷者ゼロの成果に、温室は欣々《きんきん》とした安堵(あんど)の空気に包まれた。

「お疲れ様、ライラック! 調査、怪我もなく終われて良かったわね!」

「浮かれないの、エリザベス。大型の(むし)もいなかったし、運が良かっただけよ。ほら、忘れない内に薬も飲んでおきなさい」

 ライラックが差し出した白い錠剤(じょうざい)に、エリザベスは子供のような()ねた表情を浮かべる。

「新しい調査員用の瘴気(しょうき)抗体薬(こうたいやく)よね。ちょっとコワいなぁ」

世界総督マダムも認可したんだから、問題ないに決まってるでしょう。肺を腐らせたいんだったら飲まなくていいけど」

「の、飲む! ちゃんと飲むから! 本当にマーヴィン兄さんみたいなこと言うのね、ライラックは……」

 エリザベスが飲んだ錠剤は『コラテラル』という新薬だ。これまでの瘴気抗体薬を改良し、より効果を強く、副作用を少なくしたものらしい。開発したのは二十六歳の若い研究者で、瘴気によって軽度の病葉わくらばとなった植物人プランツの治療薬も開発した男だと聞いている。

 いつかはその男も誰かのソイルとなるのだろうか――ライラックがぼんやりと考えていると、眼前(がんぜん)真水(まみず)のボトルを差し出された。

「貴女もたくさん戦って、疲れたでしょ? 庭に帰る前に、カフェテリアで休憩しよっか」

「仕方ないわね。でも、明日だって訓練があるんだから、長居(ながい)はしないわよ」

 受け取ろうと伸ばしたライラックの手が、ボトルを(かす)めて宙を()いた。

 ――視界が揺れる。体の右側面に衝撃を受け、見下ろすエリザベスの顔と照明が見えて倒れていることを理解した。

 焦りを浮かべた表情でエリザベスが何事かを言っているが、水底(みなそこ)で聞いているように不明瞭(ふめいりょう)だ。彼女の不安と焦燥(しょうそう)がライラックの中へと流れ込んでくるが、指先ひとつ動かせない。

 ライラックはそのまま彼女の腕に抱え上げられ、医務室へと運ばれた。ベッドに横たえられたところで一度意識が途切れ、次に目を覚ました時はすっかり夜になっていた。はだけられたシャツからは細い管が何本も伸び、手首には酸素濃度計が()められている。

 すぐ近くに気配を感じる――エリザベスが椅子に座り、壁にもたれて眠っていた。ふたりを繋ぐ根を通じて「ちょっと」と話しかけると、彼女は体を震わせて飛び起きた。

「あ――ラ、ライラック! 目が覚めたのね、よかった!」

 目に涙を溜めて、エリザベスはライラックが何か言う前に「植物医官を呼んでくるわ」と言って部屋を出て行った。五分ほどで白衣を着たふたりの医官とひとりの植物人プランツを連れて戻ってきた彼女は、診察の間もずっとソワソワとしていた。

「……寿命ですね」

「そう」

 医官の診断は予想通りだった。ライラックは平然と頷く。

 この世の全てがそうであるように、植物人プランツにも寿命はある。それが人間と違うのは、死んだ後に『種核たね』を残すことだ。種核はミアズマシッドの生成器官であり、遺伝子の保存媒体でもある。それを植えれば記憶や容姿(ようし)などを引き継いで、再度若い体で生まれることができる。

 淡々と話が進む間、エリザベスはまるで置物のように立ち尽くしていた。感情は何も流れ込んでこない。文字通り、彼女の頭の中は真っ白なのだろう。

「指示があるまで、しばらくは庭で安静にしててね、ライラック。内容はこっちでローリエ兄さんに共有しておくわ」

「えぇ、頼むわね、ゲンティアナ」

「あとは……あなたのソイルと、よく話し合うのよ。その様子じゃ、枯死(こし)が近づいてるのを伝えてなかったんでしょ。最近のあなた、ちょっと抜けてるんじゃない?」

 深い紫色の髪を高く結った少女型の植物人プランツは、パートナーである男の医官と共に部屋を出て行った。

 外されていたシャツのボタンを掛け直して、医務室を出ようとするライラックの後を、エリザベスが慌てて追いかけてきた。

「待って――ねぇ待ってライラック! 何だったの、さっきの……信じられないわ!」

「そうね、ゲンティアナに抜けてるって言われちゃった。ふふ、あなたのドジが移っちゃったかしら」

「違う! 診断結果のことよ!」

 悲鳴のようなエリザベスの叫びが、夜のアルフヘイムに響く。

 ライラックは足を止めて(にら)みながら振り向いた。鋭い視線にエリザベスは一瞬だけたじろいだが、すぐに睨み返してきた。

「エリザベス、あなた何年外界調査員をやってるの。寿命よ、寿命。人間でも植物人(プランツ)でも当たり前のことだわ」

「それは私も分かってる! どうして……貴女はそんなに冷静なの。寿命が近いってこと、前々から知っていたの?」

 ライラックは顔を()らす。

 彼女の言う通り、ライラックは自分の死期が近いことを直感で悟っていた。花弁(かべん)からは張りがなくなり、(くき)も細くなって体を重く感じるようになった。最初にそれを認知してから一年は経ったが、よくった方だと自分でも感心する。今日倒れたのも、摂取した栄養や水分を体へ充分(じゅうぶん)還元(かんげん)できなかったからだ。

 図星を突かれて一瞬だけ体を貫いた苛立(いらだ)ちは、エリザベスにも伝わってしまった。両肩を強く掴まれた。

「なんで言ってくれなかったの!?」

「どうしてあなたに言う必要があるの。わたしのソイルだから? 思い上がらないでちょうだい。わたしとあなたは、ただの仕事上のパートナーよ」

「貴女のソイルだからだけじゃない、貴女の『友達』だからよ!」

 エリザベスの言葉の意味を瞬時に理解できず、今度はライラックの思考が白く染まった。

 彼女の腕が呆けるライラックを抱きしめる。短い金髪が鼻をくすぐり、布越しの体温が表皮(ひょうひ)に伝わってきた。

 肩越しにはな(すす)る音がした。

「マーヴィン兄さんのパートナーだった貴女と組むって知らされた時、私、本当は嫌だったの。ジニアを(うしな)ってすぐのことだったから、あの子以外と組みたくない、兄さんを守れなかった植物人(プランツ)なんてもっと嫌だって思ってた。でも、あの日、貴女と出会った時……目を見てすぐに『同じ』なんだって思った。愛しい相手を(うしな)ったっていう、私と同じ傷をこの子も持ってるんだって分かって、絶対にパートナーになろうって思ったの」

 ライラックは刃物で胸を貫かれたような心地だった。

 まさか――まさかエリザベスも同じことを考えていたなんて。

「兄さんが死んだ日、何が起こったか聞いたわ。遺構調査中に大型の(むし)に襲われて、兄さんと貴女は他の隊員を逃がすために最後まで戦ったって……貴女を守って、死んだことも……」

 ライラックが息を()む。

 温度を覚えている――血の温度を。マーヴィンの砕けた頭から()き出した血を、ライラックは全身に浴びた。

 あの時、(むし)の狙いはライラックだった。戦いの最中(さなか)先刻(せんこく)のように視界が(かす)んで生まれた油断を突かれたのだ。針に串刺しにされたマーヴィンの体が浮き上がり、(むし)(あぎと)に噛み砕かれていく様をライラックは仲間の肩越しに見ていた。その温度を覚えている。

「――ごめんなさい……ごめんなさい、エリザベス‼︎ わたし、マーヴィンを助けられなかった……植物人(プランツ)のわたしが、守らなきゃいけなかったのに! 死ぬべきはわたしだったのに!」

 ライラックは顔を(おお)い、膝から崩れ落ちる。指の間を透明な(しずく)が伝って、床を濡らした。

 植物人(プランツ)は人間を助け、守護するようにできている。世界樹(せかいじゅ)の中で育つ過程で、そう遺伝子に組み込まれているからだ。

 だから、本当は枯死(こし)の近いライラックが(むし)に食われるべきだった。ライラックは種核(たね)(のこ)すことに、さして執着はしていない。ひとりで(おとり)となって戦い、マーヴィンや同行していた隊員と弟妹たちを逃がさなければならなかった。

 ――なのに、ライラックは生き残った。マーヴィンに(かば)われて。

 その事実は泥のように重い感情となって、ライラックを()し潰そうとする。丸まった小さな背中を、エリザベスは優しく擦ってくれた。その(てのひら)の温度が嫌いだった――(いや)(おう)でも『罪悪感』を呼び起こすから。

「わたしはあなたのパートナーにも、友達にもなる資格なんてないわ……。憎まれて当然なの……わたしはマーヴィンを殺した。あなたから家族を奪ったのよ」

「それを言うなら、私もジニアを……貴女の家族を殺してしまったわ。植物人プランツはみんな、世界樹から生まれた兄弟だもの。貴女が恨まないなら、私も恨めないわ。それにね、こう考えることにしたの。兄さんは貴女を遺してくれたんだって……」

「遺す……?」

 エリザベスの指が、目から溢れた真水(まみず)で濡れるライラックの頬を拭った。

「兄さんは、貴女を守りたかった。種核たねを遺して、次につながって欲しかったのよ。貴女は強くて優しいから、これからの世界には必要な存在だ。自分にはもったいないくらいの優秀なパートナーだって……。以前、兄さんがそう言っていたわ」

「マーヴィンが……? そんなこと、一度も……感じたことすらなかったわ」

「兄さん、隠し事が上手かったものね。貴女と一緒。優しい隠し事が、本当に得意だった。もちろん、悪い隠し事もね。子供の頃なんて何回も私のお菓子を盗み食いしたくせに、いっつも自分じゃないって言ってたのよ」

 当時を思い出したのか、エリザベスは子供のように頬を(ふく)らませる。ライラックの脳裏に泣き喚く子供の彼女と知らんぷりをするマーヴィンが描かれ、思わず小さく噴き出した。

「マーヴィン、あなたのお菓子を取ってたの?」

「えぇ! チョコもマフィンもビスケットも、たっくさん食べられたわ! 焦りもしないでフツーに言うものだから、パパもママもすっかり信じちゃうのよ」

「それ、どうやってバレたの?」

「口の端に食べカスがくっついてた」

 きっとマーヴィンは幼い頃からポーカーフェイスだったのだろう。平坦な声音で「知らない」と(つぶや)く唇に残された菓子の欠片(かけら)を見つけて、エリザベスが騒ぐのだ。そして隠し事がバレたマーヴィンは両親と妹にこってり怒られながら、頭の中で「次はもっと上手くやろう」と舌を出す――彼はそういう男だった。

 皮肉屋シニカル厭世的(えんせいてき)で、心の口も悪い男だった。しかしそれは責任感や心配の裏返しであって、ライラックに触れる指はいつも優しかった。――その温度を覚えている。

 パートナー契約は残酷だ。生きている間は一体化したと錯覚(さっかく)するほど強くつながるのに、死んだら呆気(あっけ)なく絶たれる。どれだけライラックが必死になって記憶につなぎ留めていても、いつかはマーヴィンの声も、輪郭(りんかく)も忘れてしまうのだ。

 ライラックはエリザベスの胸に頭を預けて寄りかかった。

「ねぇ、エリザベス。あなたはわたしのこと、全部忘れていいからね。(てのひら)から滑り落ちる枯れ葉を抱え続けるのは……すごく、疲れることだから。新しいパートナーと生きるの」

「絶対イヤ。私、ライラック以外と契約するつもりはないわ。貴女が種核たねから育つまで待ってる」

「あのねぇ……下手したら数年かかることもあるのよ? 植物人プランツなしの外界調査は認められないわ。すぐに新しいパートナーの斡旋(あっせん)があるはずよ」

「だったら部署を変えるだけよ。外界観測員になるわ。あそこは同じようにパートナーが育つのを待ってる調査員もいるし、戦闘訓練もできる。貴女が戻ってきたら、ブランク無しですぐ前線復帰するわ」

 すぐに異動(いどう)願いを出さなきゃ、とエリザベスが意気込(いきご)む。さっきまで泣いていたのに、今はもう次の目標をまっすぐに見据(みす)えていた。

 そんな彼女に、ライラックは首から外した銀のペンダントを差し出した。チェーンの先にぶら下がる丸いロケットを見た瞬間、エリザベスの両目が見開かれた。

「あげるわ。契約を結んですぐに、マーヴィンがくれたの」

「これ……ママの形見だわ……」

「あら、そうなの? わたしが『きれいね』って言ったら、『俺には重いからやる』って言ってたわ。全然重くなんてないのに変な人って思ってたけど……今なら理由が分かる。記憶って、重いのね」

 開かれたロケットの中身を見て、エリザベスの目に再び涙が溜まっていく。これがふたりの母親の形見であるのなら、正当(せいとう)な持ち主は彼女だ。ライラックが未練と共に持ち続けていいものではない。

 これがあれば、ライラックもマーヴィンとまだつながっていられる気がしていたのだ。枯れた後につながりを辿(たど)って、同じ場所に()けると思っていた。一度だけマーヴィンが口走った『天国』という場所へ。


 ――ごめんなさい、マーヴィン。わたし、あなたを手放すわ。


「いきましょう、エリザベス。わたしの友達パートナーさん」

 わたしが育つまで、精々(せいぜい)死なないようにね――意地の悪い言葉を胸の内にしまう、ライラックの笑みは花のように可憐(かれん)だった。


  ◆◇◆


 痛みの中で、ライラックは目覚めた。

 霞んだ視界に濃い緑色が揺れている。背中に感じるのは冷たい水――世界樹(せかいじゅ)の泉の感触だ。


 ――そうだ……わたし、負けたんだ……。


 体を瘴気(しょうき)が蝕み、腐り落ちていく感覚がする。母なる世界樹の治癒力でも侵食を抑えられないことが何を意味するか――植物人プランツの本能で分かっていた。

 何だか長い夢を見ていた気がする。とても美しい過去の夢を。

 どれだけ根を辿(たど)っても、行き止まってしまって彼女の存在が感じ取れない。その事実の方が瘴気(しょうき)よりも痛くて、辛くて、悲しい。

 最高危険度であるレベルファイブの瘴気嵐(しょうきあらし)が吹き荒れる中、エリザベスとライラックが所属する第五八一隊は出撃を命じられた。隊長のレナードは最後まで上官(じょうかん)抗議(こうぎ)したが命令は(くつがえ)らず、数歩先も視認できないほどの赤い嵐の中を行軍(こうぐん)した。

 その代償(だいしょう)は全員の命となった。大型の蟷螂マンティスに遭遇し、()(すべ)なく殺されていった。隊長のレナードと通信官のデニス、ふたりのパートナーだったルドベキアとヘリオトロープ。――そして、エリザベス。必死に逃げたけれど、みんな防衛ラインに届かずに殺された。

 重度の病葉わくらばになりながらもライラックだけが生き残ったのは、エリザベスが切り()かれる寸前(すんぜん)に背中を押して防衛ラインへと押しやったからだ。

 その感触も、温度も、ふたりの写真が()められた銀のロケットが砕けた音も覚えている――。

 ふと、水面(みなも)が揺れて視界が(かげ)った。薄く開いた(まぶた)の向こうには、ローリエが美しく微笑んでいた。

「――あぁ……ローリエ兄さん……」

 (かす)れて歪んだ声で兄を呼ぶと、彼は水面(みなも)に膝をついた。ライラックの顔にかかる枯れた髪を、白い指先が払いのける。

「やぁ、ライラック。たくさん頑張ったみたいだね……帰ってきてくれて嬉しいよ」

「兄さん……わたし、ダメだった……。エリザベスのこと……守れなかった……」

「うん」

「優しい……人だったの……。わたしが上手にできたら……いつも、褒めてくれて……撫でてくれて……」

「うん。君とエリザベスは、ずっとパートナーだったね」

「わたしが一度、種核たねになっても……エリザベスは……わたしが育つまで……待っててくれた……」

 ライラックは(かす)れた小さな声で、エリザベスとの思い出をひとつひとつ紡いでいく。

 再び生を受けた時、種核たねになってから半年が過ぎていた。再開花(さいかいか)の瞬間は意識もぼんやりとして前の記憶もないが、パーテーション越しに嬉し涙を流すエリザベスを見て、ライラックは悟った。何が何でも、わたしは彼女を守らねばならないと。

 エリザベスは他の植物人(プランツ)との契約をせず、外界観測員として働く(かたわ)らで、いつ調査員として復帰しても良いように訓練も欠かさなかった。彼女は約束を守った。一度ならず二度も守れなかったのはライラックの方だ。

 ――不甲斐(ふがい)ない。悔しい。憎い。心は燃え上がるほどの激情を(たた)えているのに、体は指先ひとつ動いてくれない。

 無情(むじょう)にも、瘴気(しょうき)は徐々にライラックの身体(からだ)枯死(こし)させていく。やがて、首や(ほほ)の感覚もなくなった。呼吸が浅く、(あら)くなる中、ライラックは(あえ)ぐように唇を震わせた。

「……ねぇ……ローリエ兄さん……」

「何だいライラック。兄さんはここだよ」

植物人わたしが死んでも……エリザベスと同じ場所に、()けるかしら……?」

 ローリエの声が、ずっと遠くに聞こえる。それでも肯定(こうてい)されたことは分かった。充分(じゅうぶん)だ、それで。

 か細い水音を残して、ライラックは水底(みなそこ)へと沈んでいく。もう何も感じない。ライラックを構成していた全てが、花弁(かべん)が散るようにひとつひとつ失われていく。

 最後の一片ひとひらが散った瞬間――優しい温度に包まれた気がした。ふたり分のこの温度を、覚えている。


 ――……あぁ、そこにいたのね。まっすぐ来なくて、ごめんなさい。ちょっと迷っていたの。あなたのドジが移っちゃったのね。

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