4. 就職活動
「貞子! ねぇ、貞子! 聞いてる?」
「あ、ごめん、ぼうっとしてた」
「もう酔ったの? そんな顔しないで、ね? アオは五月生まれだから『青葉』なんだって。名前なんてそんなもんだよ」
会計時には日付が変わりかけていた。終電は二十三時半なので高速バス乗り場へ向かう。バスに揺られること一時間半、先に降車して二人と別れた。家賃四万円弱の誰もいない七畳の部屋に「ただいま」と伝え、壁に右肩をずるずる擦りつけて室内へ進む。左方の流しに放された食器は見ないふり。スーツとストッキングを脱ぎ捨て、ワイシャツにパンツ姿でテレビの電源を入れた。握ったリモコンから赤外線をつたいテレビに乗り移ったのか、全身の力が抜け、膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
就活解禁により痛感したが、わたしは常に流れに身を任せて生きてきた。
中学時代、皆の中では風化した「貞子コール事件」の教訓を活かし、穏やかに波風立てず同調する術を身につけた。高校時代、卒業するために通学し、定期テストがあるから勉強し、皆が進学するから受験生になった。幼なじみの四つ上のお姉ちゃんが通う大学を受験した。全ては順調だった。このまま、それっぽい大学生としてキャンパスライフを謳歌し、それっぽい会社員として社会に揉まれ、結婚、出産、子育て、老後は地元にUターンし、夫とのんびり縁側でお茶でも嗜み、盆と正月は我が子と孫の帰省でせわしない、だなんて人生を描いていた。
十八才、大学に落ちた。
誇れる成功はないが、特に大きな失敗もしたことがなかったわたしは耐えられなかった。親は滑り止め受験した地元の大学に進むと思ったようだが、常に比べられた隣の家の美和ちゃんよりランク下の大学なんて行きたくなかった。大学受験失敗という大きなレッテルを貼られ、どの面下げて近所を出歩けるのか。そんな自分を受け入れられない。考え抜いた結果、編入学を目指した。たった一度の十九才を消費し、浪人というハイリスクに立ち向かう勇気はなかった。もはや、美和ちゃんと同じ大学に入ることができれば何でも良かった。見窄らしいくせに、やたらと大きな自尊心が、正当な理由だと言い聞かせた。
何をしたいかはわからないくせに、したくないことは明確だ。それが自分を苦しめてきた。原動力の正体はわからないまま、見栄と自己顕示欲を武器に取り繕う。長く耐え忍んだわたしの物語は、第二十一章、国立大学生というクライマックスを迎え、堂々完結したのだ。
完結間近になって人生百年時代に突入したとテレビは言う。こんな苦行があと五回は繰り返される。死なない限り、生きなければならない。
帰宅して安堵したのか、就活の疲れか、今になって酔いが回ってきた。募った不安を払拭するため、わずかな希望を胸に、ふと、自分の首を絞めてみた。しばらく経つと、霧に囲まれたように視界が霞み、暗闇に覆われた。ヒトは息の通り道が閉じて呼吸できずに死ぬと思っていたが、違った。失神して死ぬのか。恐怖心に負け、思わず腕の力を緩めた。
生きたくないわたしは死ぬこともできない。スーツを拾い、シワを伸ばし、ハンガーに吊るした。