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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界系短編集

悪女に憑依されて、悪巧みをそそのかされています。

作者: 槙村まき

※カトリーナの年齢は10~13歳、悪女の年齢は15~18歳を想定しています。


 いつものように悪いことをしたから、義理の姉に頬を叩かれた。その時、ふとどこからか聞きなれない少女の声が聞こえてきた。


【なんなのかしら、この女。いまよ、叩き返すのです! いますぐ!】


 出所不明の声はやけに近くから聞こえてくる気がする。

 カトリーナは首を巡らせて声の主を探す。でも首痛くなるほど捻っても、屋敷の庭にいるのはカトリーナと義姉だけだ。


「ちょっとガイコツ、何をキョロキョロしているの?」


 ガイコツはカトリーナのあだ名だ。親しみを込めて姉が名づけてくれた。

 義姉は不気味なものを見たというような顔をしている。


「今日はつまらないわ。ガイコツ、アンタの食事は抜きよ」

「……はい、ごめんなさい」


 カトリーナは地面に頭をすりつける。今日は義姉を楽しませてあげることができなかった。だからご飯を食べられないのは当たり前なのだ。


【はあ? この女なんなのかしら? 夕食抜き? 餓死しそうになるほど食べ物を与えられない人間は判断力が鈍るのよ。それがどれほどつらいかわからないから、そんなこと言えるのですわ】


 またどこからか聞きなれない少女の声が聞こえる。

 カトリーナを見下ろした義姉は、鼻を鳴らすと屋敷に入って行ってしまった。

 カトリーナは屋敷から離れた庭の隅にある馬小屋に向かう。そこがカトリーナの家だ。


 空腹に鳴くお腹を撫でながら藁に腰かけると、またもやどこからか声が聞こえてきた。


【あなたこんなところで寝ていますの? ……でも牢獄よりかはマシかしら。あそこは黴臭くて息をするのもつらいところでしたわ】

 

 さっきから聞こえるこの声は何なのだろうか。

 先ほどの様子からすると義姉には聞こえていないみたいだけれど。


 幻聴? それにしてはやけにはっきりと聞こえてくる。まるで直接頭の中に語り掛けてくるみたいに。


【ちょっとあなた聞いていますの? さきほどからわたくしのことを無視なさるなんて、ひどいじゃありませんの】


「あ、あの、誰ですか?」


【やっとわたくしに気づいてくださったのですね。わたくしはティタ……ティー、ただのティーでございますわ】


「カトリーナ、です」


【改めてよろしくお願いしますわ】


「はい! あの、ティー様は、幽霊ですか?」


 先ほどから声は聞こえるのに姿が見えない。そう思って問いかけたのだけれど、ティーと名乗った声の主は気分を害したのか声を荒げた。


【幽霊じゃありませんわ。わたくしは確かに処け――運悪く死ぬことになりましたけれど、こうしてあなたに憑依をして再びこの世に舞い降りることができたのですわ】


「つまり、幽霊?」


【違いますわ! 幽霊じゃありませんの。でも、そうですねわたくしのことを他の人々は、畏怖を込めてこう呼んでいましたわね。……悪女って】


「悪女とは、どういう意味ですか?」


【悪い女という意味ですわ】


「奇遇ですね! 実は私も悪い子なのです」


【え? そうなの?】


 立ち上がったカトリーナが自信満々に胸に手を置いてそういえば、ティーと名乗った悪女は戸惑ったような声を出す。


「はい。私は悪い子です。お義姉様がそう言ってました。私はお父様が一夜の過ちを犯してできた、しせいじ(・・・・)というものだからって」


 カトリーナの言葉に、ティーはさらに戸惑ったような声を出す。


【そ、そうなのかしら。わたくしの妹もお父様の不義によりできた子供でしたけれど、わたくしのお母様が亡くなった後、公爵邸――じゃなくて、家の中で継母と一緒に威張り散らしていましたわ。自分は愛されているのだと、わざわざわたくしの部屋に伝えに来るのが日課でしたの。それで気づいたら公爵邸の中にわたくしの味方はいなくなっていて、それで婚約者まで――】


 ティーの言葉は途中で止まった。


「ティー様?」


 呼びかけるが、「う、うう、ほんとうに、ううう」と唸り声のような泣き声の様な声が聞こえるだけで、反応はなかった。

 もう空も暗いし、もしかしたら眠いのかもしれない。

 カトリーナは藁に寝転がると瞼を閉じた。空腹は慣れているので、お腹が鳴っていても変わらずに朝までぐっすり眠ることができた。



    ◇◆◇



 カトリーナは、男爵とメイドの間にできた私生児だ。メイドだった実の母は、男爵夫人に鞭を打たれて追いだされてしまったので一度も会ったことがない。カトリーナはとある能力があることが分かった男爵により引き取られて、一緒に暮らしている。


 カトリーナが暮らしているのは屋敷から離れたところにある馬小屋。物心がつく前はメイドたちによって育てられていたけれど、立って喋ることができるようになってからはその馬小屋の隅がカトリーナの家だった。


 男爵はカトリーナが生きてさえいればよく、男爵夫人はカトリーナを視界に入れるのも悍ましいのか見ようともしない。まだ物がよくわかっていない頃は、自分の母だと思って近づいたことがあったけれど、鋭い瞳ともに日傘の先で腕や足を突かれてしまった。それから怖くて男爵夫人に近寄ることができないでいる。


 半分だけ血の繋がった義姉だけは別だった。義姉はカトリーナにいろいろな遊びを教えてくれた。言葉も、敬い方も、遊びながらいろいろ教えてくれたのだ。


 ある時は鬼ごっこをした。鬼役はカトリーナで、捕まえられないと食事が抜きになった。また別の日は大きな猟犬が鬼役で、逃げきれなかったカトリーナは犬に咬まれて大けがをしてしまい、笑顔の義姉からパンを貰うことができた。


 またある時は両手を広げてもあまりある長さの縄で飛ぶという遊びをした。カトリーナの縄が義姉にあたってしまい、怒った姉に縄で全身をぶたれてしまった。食事はもちろん抜きだったけれど、それよりも美しい義姉の顔に怪我をさせてしまったことをカトリーナは悔いた。


 またまたある時は、義姉の洋服で着せ替えをした。といっても着るのは義姉だけで、カトリーナが触れようとしたら、怒った姉に鞭で叩かれててしまい食事が抜きになった。義姉の好む洋服を選べなかったときも食事は抜きになった。カトリーナが屋敷に入ったことを知った男爵夫人の命令で、三日間なにも食べられなかったときは、藁を口に含むことでどうにか飢えに耐えた。もう屋敷には入らないと誓ったけれど、それを見た義姉がたいそう喜んで、パンを恵んでくれたこともある。


 義姉を喜ばせれば食事がもらえて、義姉を不愉快にさせると何も食べられない。

 それを学んでから、カトリーナは義姉の顔色を窺いながら、一緒に遊ぶようになった。自分と遊んでくれるのが義姉しかいなかったこともあるけれど。



 悪女と名乗るティーの幽霊がカトリーナに憑いた翌日、カトリーナは庭で四つん這いになっていた。

 これは義姉の一番お気に入りの遊びだ。

 不遇な人生を送ってきた少女が魔法使いに出会い、かぼちゃの馬車で王宮の舞踏会に参加して、王子と運命の恋に落ちる物語。

 かぼちゃを引く馬役が、カトリーナだった。もちろん馬車なんてないから、四つん這いになったカトリーナの背に、義姉が跨って鞭を振るう。


「早く動くのよ、ガイコツ。早く行かないと舞踏会に間に合わないじゃない」

「ご、ごめんなさい、お姉様」

「馬が人の言葉を喋るわけないでしょ」

「ひ、ヒヒーン」


 馬の嘶きのマネすると、義姉は満足したように鞭をカトリーナのお尻に叩きつける。


「さあ、はやくはやく」

「ヒヒーン」


 両手と両膝で前に前に進むと、転がっていた石が掌にくいこんだ。

 あ、と思ったときには痛みで体がぐらついて、背中に乗っていた義姉が地面に落ちる。カトリーナも体ごと地面に倒れ込んだ。


「――っっなっにしてくれているのよ、ガイコツ!」

「ご、ごめんなさ」


 立ち上がろうとする前に、義姉が鞭を振り上げた。

 カトリーナの腕を足を手を背中に容赦なく鞭が振るわれる。当たったところが切れて血が地面に滴り落ちても、関係なく鞭は猛威を振るった。


【なっ、ななななななにをしているんですの!? えええ、鞭で人を殴るなんて、そんなの痛いに決まっているのですわ。あなた早く逃げなさい! ああ、腕が切れて、血が、ああ足からも、服にも滲んでいますわ! これじゃあ、もう、助からない……】


 頭を抱えながら、カトリーナは焦るティーの声を聞いていた。


「問題ないです。ティー様」

【問題大ありですわ!】


 囁くような声は義姉には聞こえなかったようだ。

 鞭を振るうのを止めた義姉は、肩で息をすると、カトリーナの姿に眉を顰めて「気持ち悪いわ」と吐き捨てて、汚れた鞭を捨てると屋敷に戻って行った。この調子だと今日も食事は貰えないだろう。黴の生えたパンでもないよりましなのに。


 傷口から流れる血はすぐに止まったけれど、痛みで動くことができなかった。


【あ、あなた。生きていますの?】

「大丈夫です」


 ティーの狼狽える声に弱々しく答えると、傷口の痛みが和らいだころに馬小屋に戻った。その間、ティーは無言だった。


 そして布団代わりの藁に倒れ込んだ。背中の傷が痛むので仰向けで。

 自分の体のことなので、こんなことでは死なないとわかっていた。



    ◆◆◆



 カトリーナが生まれる百年も昔。

 この王国では国を揺るがす信じられない事件が起こった。


 当時の王太子と婚約者である公爵令嬢が、一人の少女の毒殺未遂で捕まったのだ。

 その少女は侯爵令嬢の腹違いの妹で、半分は平民の血が混じっていた。そのことを引き合いに公爵令嬢は幼い頃から妹を酷く虐げていたのだと、社交界ではもっぱらの噂。

 その少女を憐れに思った王太子は、婚約者そっちのけで少女とばかり関わっていた。次第にその関係は仲睦まじいものとなり、それに嫉妬した公爵令嬢が腹違いの妹を毒殺しようとした――という事件。


 その毒殺事件をきっかけに、公爵令嬢の醜悪な本性が明るみに出ることになった。王太子は自分の婚約者はもう更生の余地がないとして、一年牢獄で放置されたのち公爵令嬢は首を切り落とされて処刑された。

 ――後世の歴史が語るに、彼女は醜悪な悪女だと云われていた。


(でも、そんなのはすべて嘘なのですわ。わたくしは、何もしておりませんもの)


 処刑の寸前まで、公爵令嬢が自分の身の潔白を訴えていたのを知っている人はどれだけいるのだろうか? 

 誰も耳を傾けようとしなかったその言葉に、常に彼女の傍にいた妖精があまりにも残酷な主人の最期に涙を溢した。その雫が地面に滴り落ちて、妖精と公爵令嬢の想いが神に届いたのか、悪女と呼ばれた公爵令嬢は百年の時を超えて再び現世に降り立った。


 カトリーナの体に憑依するという形で。

 本来ならカトリーナの意識の代わりに公爵令嬢の魂がその身体の主導権を握るはずだったらしいとは、ティーとともに現世に降り立った妖精の言葉だ。妖精の力は神に訴えた時にほとんど失ってしまっていて役に立たないのだけれど、それでもいいからティーの傍に居たいと言ってくっついてきたのだ。


 カトリーナに憑依した日、ティーは信じられない光景を目にしていた。

 いくら私生児だからと言って、同じ血が半分流れている妹に対して、容赦なく鞭を振るう義姉。鞭で打たれても逃げることなく当たり前のように受け入れるカトリーナ。

 その醜悪な光景に吐きそうになりながらも、ティーはカトリーナを救う方法を考えた。

 鞭で打たれた傷をそのまま放置してしまえば、そこから細菌が入り込んで死んでしまう。だからせめて薬だけでも塗ったほうがいいのに、カトリーナは「大丈夫」の一点張りだった。


(でもまさか、こんなことになるなんて)


 意識だけのティーはカトリーナの痛みを感じることができない。

 だから励ましの言葉を掛けたり、カトリーナの代わりに義姉に怒ったりすることしかできなかった。

 それでも、この光景は予想外だ。


 鞭で打たれた傷から流れ出た血が止まったかと思うと、その傷口がゆっくりとまるで何事もなかったかのように塞がっていく。

 眠っているカトリーナは痛みに呻いたりしていたのが嘘かのように、すぅすぅと心地いい寝息をたてていた。本来なら鞭で打たれた傷が膿んでぐっすり眠ることなんてできないはずなのに。


(どういうことなのかしら)


 翌日には着ている服に血が染みついているだけで、傷はすっかり治っている。痕すら残っていない。

 起きたカトリーナが、姿の見えないティーの名前を呼ぶ。


「おはよう、ティー様」

【……おはようございます。わたくしに様はいりませんわ】

「ティーって呼んでいいのですか?」

【もちろんですわ】


 昨日鞭で打たれたことなんて忘れたかのような笑顔だった。

 ティーはカトリーナの笑顔に面食らいながらも、彼女に問いかけた。

 彼女の体の変化のこと。それから、義姉のこと。

 それらを聞きだしたティーの心に宿ったのは、カトリーナにの境遇に対する憐みやカトリーナの理解できない悲しみ、それから義姉や男爵夫妻に対する怒りだった。


 彼女はおそらく自分の境遇を理解していない。虐げられているのは自分が悪い子だからなのだと。それから義姉が善意で遊んでくれていると、心の底から信じているのだ。

 自分の置かれた境遇がおかしなものだと認識できないのはとても悲しいことだ。これならいっそ、妹のように我が物顔で貴族の幸せを享受していたほうがマシだと思える。


 カトリーナの考えを変えるのは難しそうだ。

 実際にカトリーナを説得しようと試みたけれど、それは実ることなく終わってしまった。


 だからティーは、カトリーナを唆すことにしたのだ。



    ◇◆◇



 義姉が置いて行った鞭を水で洗っていると、姿の見えないティーの声が聞こえてきた。


【そうですわ。その鞭で遊べばいいのですわ!】


 なんて妙案――と、喜ぶティーの声に、カトリーナは驚いて危うく鞭を落としてしまうところだった。


「ティー?」

【……す、少し取り乱してしまいましたわ。カトリーナ、わたくしいいことを思いつきましたの】

「いいこと、ですか?」

【ええ。これから楽しい遊びをしましょう。あなたの義姉と一緒に】

「……でも、あれからお姉様は私と一緒に遊んでくれないのです。私が悪い子だから」


 背中に乗っていた義姉を地面に落としてからもう丸一日は経っていた。その間カトリーナは食事をとることなく過ごしていた。何も食べないことをティーには心配されたけれど、慣れているので問題はない。


【……あなたは悪い子なんかじゃありません。どうしてただ母親が違うだけで、悪い子になるのかしら】

「私が、お姉様を怒らせてしまったから」

【……そうですね。あなたに伝える方法を間違えてしまったみたいですわ】


 ティーの呆れ声に、カトリーナは不安になった。


「ティーも、怒りましたか?」

【そんなことありませんわ】

「よかった」

【そ、そんなことよりも遊びですわ。あなたはいつも義姉とあのような遊びをされているのでしょう?】

「はい」

【それが、楽しいのでしょう?】

「はい、もちろんです!」


 カトリーナの返答に、ティーの言葉が詰まる。

 長い溜息の後、彼女は言葉を続けた。


【それなら、きっと同じことをしたら、あなたの義姉も楽しんでくれるはずですわ】


 継母やメイドたちの向ける冷たい表情と違って、義姉だけはいつもカトリーナと一緒に遊んでくれて、笑ってくれた。


「ほんとうに、お義姉様も楽しんでくれるでしょうか?」

【あなたが楽しいと思うことを、義姉と共有しなくてどうするのですか?】

「……そう、ですね。少し痛いけど、傷は治せますし」

【他の方の傷も治せるのですか?】

「たぶん。あまり試したことはないですけど」

【それならなおのこと、あなたの義姉と一緒に遊ぶべきですわ。やり方は私が教えて差し上げます。……さあ、その鞭をお持ちになって】


 縄のない馬用の鞭。それで打たれるのは痛いけれど、義姉と遊ぶのは楽しいことだった。



    ◇



 二日ぶりに義姉が庭に姿を現した。

 いつも義姉と遊ぶ場所は、庭の隅の方だ。屋敷からは花壇が邪魔をしてよく見えないけれど、義姉は使用人を連れてくることなくいつも一人で遊びに訪れた。


「ガイコツ、遊びに来てあげたわよ。ふふふ、今日はなにをして遊んであげようかしら」


 自慢のドレスで身を飾り立てているのは、カトリーナに自慢するのが目的なのだけれど、それはカトリーナに通じていない。綺麗なドレスに身を包む姉は美しいけれどどこか遠くの出来事のようで、カトリーナ自身はそういう服を着るのは畏れ多い。そう考えているから。


 カトリーナは背中に鞭を隠して義姉と向き合う。


「あ、あの、お姉様」

「は? なんであんたごときがあたしに話しかけるの?」

「ご、ごめんなさい」

【カトリーナ、しっかりしなさい。怖れないで】 


 ティーの声で勇気を振り絞る。今日は義姉と楽しい遊びをするのだ。そのために、ちゃんと用意もしてきた。


「今日は、サーカスごっこをしませんか?」

「あなたに遊びの指図はされたくないんだけど、でも、いい案ね」

「でしたらっ」

「もちろんあんたが猛獣で、あたしが猛獣使いかしら。あ、でも鞭がないわ。今日は持ってきていないのよねぇ」


 どうしようかなーと悩んでいる姉に見えるように、カトリーナは背中に隠していた鞭を見せる。


「鞭ならあります」

「あら用意がいいじゃない。やっぱりそれがないとね、遊びもつまらないわ」


 カトリーナは鞭をギュッと握りしめた。


「なにをしているの? 早くよこしなさい」

「わ、私が、猛獣使いです」

「は?」

「私が猛獣使いで、お姉様が猛獣です」

「は??」


 理解ができないというように目をぱちくりさせた義姉が、さっと顔から笑顔を消す。


「あんた、あたしを見下しているの?」

「違います。今日はいつもと違って、私が鞭を振りたいんです」


 義姉の顔が怒りに真っ赤に染まった。ズカズカとカトリーナに向かってくると、その手から鞭を奪おうとする。


(ティーの言った通りです。今日の私は猛獣使いです。だから主人に手を出そうとする猛獣は、躾けなければいけません)


 鞭を振り上げる。鞭の使い方は昨夜、寝る間も惜しんでティーから教わっていた。

 パチンと、気の抜けるような力のない音が響いた。

 何が起きたのかわからずに目を見開いた義姉は、自分の腕を叩いた鞭をにらみつける。


「あんた、気でも触れたんじゃないの?」

「しゅ、主人に歯向かう猛獣には、こうです」


 パチンと、また気の抜けた音がして、義姉の腕が少し赤くなる。


(お義姉様の時はもっと音が響いていました。どうしたらいいのでしょう。いまの私は猛獣使いです。躾けのためにはもっと強い力が必要です)


 腕を振り上げて、降ろす。パチン、パチンという気の抜けた音は、どんどん大きくなるが、それでも姉の力には及ばない。


 自分の体にあたる鞭に呆然としていた義姉の目が、ギロリと光る。


「あんた、あたしにこんなことして、ただじゃすまないわよ!」

【躾けがいのある猛獣ですわね。カトリーナ、もっと強く叩きなさい。そんな優しい鞭じゃ、反抗した猛獣に食べられてしまいますわよ】

「は、はい!」


 ティーに言われてさっきよりも大きく腕を振り上げる。義姉がその手から鞭を奪おうと迫ってきた。

 その腕に鞭を振り下ろす。赤い線が出てきて、血が流れ落ちた。

 ハッとした顔をした義姉が自分の傷を見て、怒りでさらに顔を赤くする。


「ちょっと、痛いじゃない!」

「でも、楽しいですよね?」

「は?」


 意味がわからないという顔をする義姉に気づかずに、カトリーナは鞭を振り下ろし続ける。次第にその鞭は強さを増していき、義姉の体に傷が増えていく。


「お義姉様、楽しいですか?」

「っっっんた、ばっかじゃないの!?」

「でも、私は楽しかったです。お姉様と遊ぶの」


 鞭や縄で打たれるのは痛いし、傘で突っつかれるのも痛い。カトリーナの能力はどんな痛みを受けても、翌日には消してくれる。だからどんな仕打ちを受けても、義姉が笑顔になってくれるのならそれは楽しいことなんだと思っていた。


「いたいいたいいたい、やめておねがい」


 いつの間にか義姉は泣きじゃくっていた。いつもの笑顔はとっくになくなっていて、顔を腕で覆いながらこちらを窺う義姉の瞳に映っているのは、どこかで見たような怯えた表情だった。


 そんな義姉に鞭を振るい続ける。義姉の腕はもうすっかり切れて、血だらけで、腕じゃなくって足や背中を狙った方がいいだろうかと思い鞭の軌道を変えた時、どこからか声が聞こえてきた。


【カトリーナ、もう充分ですわ! そろそろやめなさい!】


 その声に我に返り腕を止めると、「ティー」と声の主を呼ぶ。

 目の前には血だらけの義姉。義姉の怯えた瞳に自分が映っているのに気づいたとき、カトリーナの手から鞭が地面に落ちていく。


「どうして……」

【カトリーナ、もう充分ですわ。あなたはよく頑張りました】

「どうして……どうして、楽しくないんですか?」


 カトリーナと遊ぶ時、義姉はいつも楽しそうに鞭を振るっていた。

 今回はただ立場が変わっただけで、義姉も楽しんでくれると思っていたのに。

 義姉は怯えて泣いている。鞭を振るっている自分も、まったく楽しくなかった。


【当たり前ですわ。まともな人間は暴力を振るうことを好みませんもの】

「暴力、ですか? でも、お義姉様はいつも私と遊んでくれました」

【それは遊びではないのです。あなたの義姉がやっていたのはただの暴力。自分より弱い立場の人間をいたぶることにより、自分の自尊心を満たしていただけ】

「でも、私は悪い子だから」

【それも大きな間違いですわ。あなたは悪い子ではありません。たとえどんな理由があろうと、子供を馬小屋に閉じ込めて食事を与えない家族なんてありえないのです】


 カトリーナはいままで自分の生活をおかしいものだと認識したことはなかった。

 でも、この時、初めて疑念が湧いてきた。

 どうして、義姉はいつも自分と遊んでくれていたのだろうか? 少なくともカトリーナは、鞭を振るうことを楽しいとは思えなかった。それなのにどうして義姉は――。


「お義姉様、楽しかったですか? 私と遊ぶの」

「……あんたと、遊ぶ……? 笑わせないで。あんたみたいな私生児と、まともに遊ぶわけがないじゃない」

「っ!?」

「それにしても、痛い。いたいいたい。傷が痛いのよ」


 いたいいたいと泣きじゃくる義姉に、カトリーナは近づいていく。その手に鞭はないのに、義姉はひっと喉をひくつかせる悲鳴を上げた。


「こないで」

「じっとしてください」


 暴れる義姉の腕を掴む。義姉はまたひっと悲鳴を上げた。

 血だらけだった義姉の手の傷が、カトリーナの触れたところからみるみる治っていく。それは奇跡のようだけれど、義姉には違う恐怖に映ったのかもしれない。

 傷が全部治りきる前にカトリーナの手が振り払われる。

 震える足で立ち上がった義姉は、怯えた瞳でカトリーナをいま出せる気力の限りににらみつける。


「このバケモノ。気持ち悪いのよ。もうアタシの前に現れないで。お父様に言って、殺してもらうんだから」

「っ!?」


 吐き捨てると、義姉は屋敷の方にフラフラとした足取りで向かって行く。


「私は、お義姉様と遊ぶの、本当に楽しかったんですよ」


 この屋敷で頼れるのは一緒に遊んでくれる義姉だけだったのに、こんな酷いことをしてしまったら、もう遊ぶことなんてできない。

 それにこのまま屋敷に居たら、いくら優れた能力を持っているからと言っても、殺されてしまうかもしれない。


「ティー。私は、死んだ方がいいのですか?」

【あなたは、死にたいですの?】

「……わからないです」

【それなら自分の気持ちがわかるまで生きましょう】

「でも、私はお義姉様に酷いことをしてしまいました。お父様に殺されてしまうかもしれません」

【それなら家から出ましょう】

「家から?」


 家から出る。そんなこと産まれてから一度も考えたことはなかった。


【ええ。神殿に向かいましょう。あなたには聖属性の力があるみたいです。聖属性はとても珍しいのですわ。おそらく男爵もそれをわかっていたからこそ、あなたを生かしていたのでしょう。そして年頃になったらどこかに売っていたかもしれません】


 その売られた先が神殿ならまだ楽に暮らしていけるだろう。でも、聖属性の力を求めているのは神殿だけではない。その力を悪用する者もこの世には存在しているのだと、ティーは教えてくれた。


【いますぐ向かった方がいいかもしれませんね。身支度をしている時間はなさそうですわ】


 ティーの言葉に顔を上げると、屋敷かにわかに騒がしくなった。怒声のような声も聞こえてくる。


【カトリーナ! 走りなさい!】


 ティーの叫び後で、カトリーナは走り出す。

 庭を抜けた先には門があった。その門の横には人ひとり通れる大きさの扉がある。その扉を押してみると、運のいいことに鍵がかかっていなかったのか、外に出ることができた。


「どこに行った! あのクソガキめ!」


 庭の方から男の声が聞こえてくる。

 恐怖に突き動かされるように、カトリーナはまた走りだした。

 

【まずは人通りの多いところに行きましょう。右の通りを抜けた辺りがいいですわね】


 ティーの声に誘われるように、カトリーナはただ走る。

 走って、走って、たどり着いたのは、露店の並ぶ人通りの多いところだった。

 ここにはなにがあるのだろう。足を止めて首を巡らせるが、見えるものすべてが新鮮だ。見たことない人もいる。思えばいままでカトリーナの世界にいたのは、冷たい男爵夫婦や使用人、それから義姉だけだった。


 外にはこんなにも人がいたんだ。

 心配そうに見てくる人、気持ち悪いものを見たという顔をする人、無関心に通り過ぎていく人。


【追っ手はまだ来ていないようですわ。いまのうちに神殿までの道を聞きましょう】


 カトリーナはたまたま横を通り過ぎようとしていた女性の腕を引くと、神殿の道を聞いた。女性は眉を顰めながらも、カトリーナに道を教えてくれた。


【道は覚えましたわ。わたくしが案内します】

「ありがとう、ティー」


 見えない人物にお礼を言うカトリーナを見た女性が「変な子ね」と呟きながら去って行く。


「神殿は、私を受け入れてくれるでしょうか?」

【それは問題ありませんわ。あなたには聖属性の力があるのですから。神殿は聖属性持ちを保護する義務がありますもの、喜んで受け入れてくれると思いますわ】

「聖属性?」

【ええ。そういえばわたくしの妹も聖属性の力を持っていて、聖女だと称えられていましたわね】

「ティーの妹は聖女、なのですか?」

【あ、えっとそうなんですけれど、でも……ああっ、もう話したほうが早いですわね。わたくしの身の上話なんてつまらないものですが、それでもよろしいかしら?】

「ティーの話、聞きたいです!」

【それでしたらお話ししますわ。わたくし実は……】



 神殿の道すがら、カトリーナはティーの話を聞いた。

 悪女と名乗ったティーこと、ティターニアの生涯を。



 その後、神殿でお世話になることになったカトリーナは、聖属性の力を開花するにつれて「聖女」と呼ばれることになるのだが、それはまた別の話。

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― 新着の感想 ―
[良い点] カトリーナとティーのやりとりが良かったです。 カトリーナが無自覚に姉に仕返しをできた事や、虐待家族から逃げられたのも安心しました。 [一言] カトリーナはティーに救われて、今後はマシな生活…
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