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「あの糞兄貴が!」
エリザベスの甲高い声とドンという何か物を投げる音が廊下に響いた。
お茶のセットとお菓子が乗ったワゴンを押していたライザは部屋の前で足を止める。
ちょうど通りがかった同僚のフィフィーが眉を寄せながら信じられないと言う顔でエリザベスの部屋のドアを見つめていた。
「いつも思うんだけれど、エリザベス姫様はどこであんな汚い言葉を覚えてくるのかしらね」
囁くような声で言うフィフィーにライザも頷く。
「私も不思議だったけれど、お兄様のヴィンセント様ではないかしら?」
「あぁ……。ありえるわ。あの方も言葉遣いが悪いものね。まぁ、騎士達と混じって剣の稽古をされているからかしらねぇ」
「だからって姫様があんな口の利き方をするなんて驚きよね」
呟いたライザに、フィフィーはまだ眉をひそめている。
「聞いたわよ。ルディ王子との顔合わせは最悪だったらしいわね。お互い相性が悪いらしいという噂じゃない」
「まぁ、そうね」
良かったとは言えない顔合わせにライザが頷くとフィフィーは同情の目でライザを見つめた。
「貴女も大変ね。今の姫様機嫌最悪よ」
「でしょうね。部屋に入りたくないけれど、勇気を振り絞ってお茶をお出ししてくるわ」
「がんばって」
フィフィーに励ますように背中を叩かれてライザは意を決してエリザベスの部屋のドアをノックした。
返事が無いのは分かっているので、大きく深呼吸して部屋へと入る。
「遅い!」
大きな声でエリザベスに怒鳴られてライザは頭を下げた。
「申し訳ございません」
「あのヒョロ男を医務室へ連れて行ったらさっさと戻ってきなさいよ。主人の気分が最悪なのよ」
まだ怒りが収まらないエリザベスは興奮気味に言うとソファーにふんぞり返った。
ライザが不在の間も、他の侍女が様子をうかがいに来ているはずだがエリザベスが不機嫌なために近づくことができなかったようだ。
クッションや本が床に散らばっており、エリザベスがどれだけ物を投げつけたのかが伺える。
流石に、ルディを傷つけたティーカップは片付けられて綺麗になっていたためライザは落ちていた本とクッションを片付けた。
「ルディ王子の傷は深くはなさそうでしたよ」
ライザが言うとエリザベスは顔をしかめた。
「あいつの話はしないでくれる?あんなヒョロっとした男に嫁ぐかと思うと死にたくなるわ」
「綺麗な方だと思いましたけれど、それにお優しいですよ」
ライザが言うと、エリザベスは良い事を思いついたと言うようにニヤリと笑った。
「じゃぁ、アンタが嫁に行けばいいじゃない。すべて丸く収まるわよ」
「無理ですよ。私は姫様じゃないですから」
国同士の結婚だというのに、何の価値もないライザが行ったところでルディの国からバカにしているのかと逆に怒られそうだとライザは苦笑する。
「私はブルーノ以外とは結婚する気が無いのよ。あんな奴と結婚するぐらいだったら死んだほうがましね」
死んだほうがましと言いつつも、エリザベスは自ら死を選ぶタイプではない。
(きっと、ルディ様を殺してしまうタイプよね)
ライザは部屋を片付け終わると、お茶の用意を始める。
ライザと話して落ち着いたのかエリザベスも普段の調子を取り戻しつつあるようだ。
それでも一応はエリザベスの周りに投げられそうなものを遠ざけておく。
懐中時計を取り出して紅茶の蒸らし時間の確認をするとピッタリ三分が経過していた。
ポットからカップへとお茶を注ぎ、エリザベスの前に置いた。
紅茶のいい香りが漂い、エリザベスは上品に匂いを嗅いでホッと息を吐いた。
「どうぞ」
「ありがとう。アンタの淹れたお茶が一番だわ」
あのエリザベスから自分の淹れたお茶が一番と言われて侍女明利に尽きると言うものだ。
「ありがとうございます。姫様のお言葉とても嬉しいです」
他人には懐かない動物が自分にだけ懐いたような妙な感動を覚えてライザが頭を下げるとエリザベスは鼻をツンと上を向けた。
「褒めてないわよ。それより、アンタのポケットからいい匂いがするわ」
形のいい高い鼻をヒクヒクさせてライザのポケットを見つめられる。
やらなければならない仕事を思い出した。
「そうでした。とある人からお香をいただきました。心を落ち着ける効果があるということでしたのでよろしかったら焚きますか?」
ポケットから青い紙に包まれたお香を取り出してエリザベスに見せた。
「とある人って言うのが引っ掛かるわね。どうせ今来ている王子のどちらかでしょう?」
胡散臭い顔をしてお香を見つめるエリザベスにライザは曖昧に笑った。
「そうですね」
「フン。私の噂を聞いて用意してきたってことね。まぁいいわ、今かなりイライラしているからそのお香の匂いとやらを嗅いでやろうじゃない」
挑戦的にエリザベスは言うとライザに顎で火を付けろと指示を出してくる。
ライザは丁寧に青い包み紙を開くと、中から親指ぐらいの大きさの円錐の形をした茶色いお香が一つ入っていた。
包み紙を取るとグッとエキゾチックな匂いが鼻を突いた。
強い匂いではないが、まだ火をつけていない状態なのに心が落ち着くような不思議な気分になる。
「本当に火をつけていいのですか?怪しくありません?」
ロバート王子の怪しいものを扱う天才という言葉を思い出して少し怖くなったライザがビクビクしながら言うと、エリザベスは鼻で笑う。
「ビビってんじゃないわよ。あのヒョロ男兄弟が持ってきたお香にそんな大層な効果はないわよ。お香ってちょっと珍しいじゃない。漂う煙を見ながら匂いを嗅いで心を落ち着けるのも悪くないわ」
まさか、エリザベスから心を落ち着けたいと言う希望があることに驚きつつライザは小さな金属のお皿にお香を乗せた。
「わかりました。火を受けますね」
「ただ、アンタも一緒に居なさいよ。もし何かあったらあんたのせいだからね」
きっぱりと言われてライザは情けなく眉を下げた。
「そんなぁ。だったら止めましょう」
「いいから付けなさい!命令よ」
世界一美しい美女が顎をクイッとして火をつけろと命令をしてくる。
ライザに拒否権は無く仕方なくマッチに火をつけて恐る恐るお香の先端にマッチの火を近づけた。
直ぐに火はついて、白い煙が立ち上がるとエキゾチックな匂いと花の様ないい香りが部屋に漂い始めた。
「いい匂いね」
お香の匂いを嗅いだエリザベスは微かに微笑んで匂いを楽しんでいる。
ライザも匂いのおかげか不安が無くなり、ほっと息を吐いた。
「そうですね」
エリザベスの機嫌も良くなったような雰囲気に、本当に心を落ち着かせるだけのお香だったのだとライザは安心をする。
しばらく匂いを嗅いでいた二人だったが、エリザベスが大きなあくびをした。
「いい匂いのおかげか、眠くなってしまったわ」
瞼が重いのかすでに目を瞑っているエリザベスに、ライザもつられて欠伸をする。
「そうですね。私もなんだか眠くなってきました」
お香にリラックスの効果があるのかすでにソファーに横になって目を瞑っているエリザベスを眺めてライザの瞼も重くなる。
(もう、眠い、無理……)
足に力が入らなくなり、眠さの限界を感じてゆっくりと床の上に横になった。
(少しだけ、少しだけ眠ろう)
エリザベスより早く起きれば大丈夫だと自分に言い聞かせてライザは床の上で目を瞑った。