26
ギィンという剣の弾く音が聞こえてライザは薄っすらと目を開ける。
エリザベスを斬ろうと振り下ろされたアレクサンドル王の剣はブルーノの大きな剣に弾かれていた。
弾かれた勢いで落馬しそうになったアレクサンドルはそのまま地面へと飛び降りる。
飛び降りたと同時にブルーノに勢いよく剣を突き刺した。
「おっと」
ニヤリと笑いながら瞬時にアレクサンドルの剣を避けるとブルーノはあっという間に懐に入り顔を勢いよく殴りつける。
「グッ」
低いうめき声を上げながら巨体に殴りつけられたアレクサンドルは地面へと倒れた。
すぐさまエリザベスがアレクサンドルの剣を弾いて遠くへ飛ばすとそのまま勢いよくお腹を蹴りつける。
地面に転がったままのアレクサンドルの怪我をしている脇腹を必要に足で踏みつけて、エリザベスは偉そうに見下ろした。
「良くも私を殴ったわね。これはお返しよ」
すでに怪我をしている脇腹をグリグリと足で押さえつけられてアレクサンドルは痛みで歯を食いしばった。
「ひぃぃ、なんて残酷な……」
見守っていたライザは恍惚とした表情を浮かべてアレクサンドルの上に乗っているエリザベスを見て小さく呟く。
もう十分お返しは済んだのではないかと思うが、エリザベスとブルーノは足りないらしい。
ブルーノは何度もアレクサンドルの顔を殴ると右手を足で踏みつぶした。
「グワァァ」
流石のアレクサンドルも痛みで悲鳴を上げる。
ライザの耳が確かなら、骨が折れている音が聞こえて身をすくめた。
拷問の現場を見させられている最悪の気分になってきたときに、館に続く一本道から馬の足音が聞こえた。
仲間が来たのかと不安に思って目を凝らしていると、先頭を走っているのはライザが一番会いたいと思っているルディだ。
無事だったのかとほっとしているライザにチラリと視線を向けてルディはヴィンセントの前で馬を飛び降りた。
「ルディ殿。捕まえておいたぞ。それとも殺した方がいいか?」
ヴィンセントの言葉にルディは頭を下げた。
「申し訳ございません。アレクサンドルを逃がしてしまいました。殺すのはちょっと待っていただきたいです」
「まぁ、気にするな。おかげでエリザベスが仕返しできたと喜んでいる」
「はぁ……」
未だグリグリと足で脇腹の傷口を踏みつけているエリザベスを見てルディは眉をひそめた。
アレクサンドルの顔はブルーノが何度も殴ったせいで目をまともに開けていられないほど腫れあがり口と鼻から血を流している。
後ろから追いかけてきたロバートも馬から降りると倒れているアレクサンドルを見て大げさに驚いていた。
「うわぁ。顔をボコボコに殴られている。原型をとどめていないじゃない」
「血塗れ王っていわれるわりには、強く無かったわね。むしろ今は自分が血塗れで笑っちゃうわね」
フンと鼻を鳴らして言うエリザベスはまだアレクサンドルの腹の上に乗ったままだ。
あまりの横暴な振る舞いにあっけに取られているルディにエリザベスは冷たい視線を向ける。
「ヒョロ男が中途半端に逃がすからよ。気を付けて頂戴ね。アンタの腕じゃ、たかが知れているけれどね」
ルディの腰についている剣をバカにするように見つめる。
「申し訳ありません」
馬鹿にされても決して顔に出さずルディはもう一度頭を下げた。
それを見てエリザベスも満足したのかニッコリと笑ってやっとアレクサンドルの上から降りる。
「剣で戦うまでも無かったわ。どれだけ強いか手合わせをしたかったけれど残念ね」
「アレク兄上が弱っていたからだよ。弱らせたのはルディ兄さまなのにね」
ルディにだけ聞こえるように囁いて言うロバートを視線で黙らせてルディはもう一度頭を下げた。
「お世話をおかけしました。アレクサンドルはこちらで引き取ります」
ルディはそう言うと視線を背後に向けた。
サルセ国の騎士服を着た男達が頷いて倒れていたアレクサンドルを縛り上げる。
傷口を足で踏みつけられたからか抵抗する気力もなくなったアレクサンドルはされるがままだ。
足と手を縛り荷物を持つように担いで歩き出すと、ガラガラと音を立てて黒塗りの馬車が停まった。
窓も無い真っ黒な馬車の中にアレクサンドルを詰め込んでいる。
その様子を見ながらヴィンセントがルディに問いかけた。
「それで、これからどうなる?ルディ殿が次の王になるのか?」
次の王という言葉に、ライザははっとした。
(ルディ様が順番的には次の王になるのか。そうなれば私なんてますます、彼に合わないわ)
王の妃になりたいと思わないし、なれるとも思わない。
ルディと一緒に穏やかに暮らしていければそれで幸せだったのだ。
そんなささやかな願いも叶わないのかとライザは胸が痛んだ。
今朝、彼から言われた言葉は一生忘れないし大切な思い出として胸に刻んでおこう。
エリザベスと体が入れ替わったように、彼が自分を気にしているのは一瞬のまやかしのようなものだったのだ。
(きっとルディ様も、本当の私を見てがっかりしたわよ)
ライザの事を一瞬だけ見たルディを思い出す。
エリザベスと比べてしまう自分が悲しくなるが、仕方がない事だ。
悲しくなるのでルディの事を見ないように下を向いて地面をじっと見つめてルディ達が居なくなるのを待つ。
きっと、このまま彼は去って行ってこれで終わりだ。
涙を堪えて唇を噛んでいると、周りが騒がしいことに気づいた。
誰かが自分の名前を呼んでいると気付き視線を上げると、目の前に半狂乱のアレクサンドルが剣を振り上げて立っていた。
悲鳴を上げる余裕もなく、身動き一つ取れずライザは目を見開いて剣を振り上げているアレクサンドルを見上げた。
時が止まったようにゆっくりとアレクサンドルが剣を振り下ろす。
ライザは動かない体でなぜか頭はハッキリとしていてアレクサンドルの鬼のような形相や目が血走っているのもよく見える、ルディに輪郭と鼻が似ているのも観察できた。
不思議なぐらいライザの気持ちが落ち着ついている。
剣がライザの左肩から袈裟懸けに斬りつけようとしているのも見えたが体が動かない。
(これで死ぬのか……)
そう思った時に目の前にルディの綺麗な横顔が見えたと同時にそのまま後ろに突き飛ばされ、ライザは尻餅をついた。
ギィンと剣がぶつかり合う音が聞こえる。
尻餅をつきながらライザが見上げると、ルディの剣がアレクサンドルの剣を弾き飛ばしていた。
弾き飛ばされた剣は弧を描き森の奥へと飛ばされていく。
ルディの剣はそのままアレクサンドルの肩を斬りつけ両足を斬りつけた。
「グアァァッ」
獣の様な叫び声を上げながらのたうち回っているアレクサンドルの両腕をルディは素早く斬りつける。
また大きな声を上げて苦しむアレクサンドルを踏みつけながらルディはライザを振り返った。
「怪我はない?」
「大丈夫です」
恐怖が襲ってきて全身が震えながらライザは答えた。
「ルディ様!」
騎士達が血相を変えて走ってくると痛みでのたうち回っているアレクサンドルを押さえつけた。
「ちゃんと押さえておいて。危うくライザが死ぬところだった」
口調は柔らかいが怒りを含んで言うルディに騎士達は頭を下げる。
「申し訳ございません。凄い力で振り切られました。剣もあっという間に奪われまして……」
「足と手の健を切ったからもう走れないし剣も持てないと思うけれど、気を付けて護送してくれ。化け物じみた体力と気力だから何をするか分からない」
ルディはそう言うと尻餅をついたまま立ち上がれないライザの前にしゃがみこんだ。
震えているライザの背中を優しくルディの手が撫でる。
「本当に大丈夫?」
心配そうに青い瞳に覗き込まれてライザは何度も頷く。
「大丈夫です。どうぞ、私なんぞに構わずお戻りください」
彼の手を煩わせるのも悪いとライザが言うもルディは眉をひそめた。
「ライザの事が一番心配だよ」
「えっ?」
驚いているライザにルディも首を傾げた。
「何を驚いているの?」
「……その、私が一番心配だって……言いました?」
空耳か、それとも自分に都合のいいように聞こえたかとライザが確認をするとルディは心外だというように大きく頷く。
「もちろん。なによりもライザが一番心配で大切だよ。怪我無くてよかったし、体が元に戻って良かった」
微笑んだルディに顔を覗き込まれてライザは不安で胸が痛んだ。
「私、変じゃないですか?」
「何が?」
意味が分からないと異様に首を傾げるルディにライザは口ごもる。
「その、私の顔とかいろいろです」
自信なさげに小さく言うライザにルディは納得したように頷いた。
「あぁ、なるほど。何度も言うけれど、ライザは可愛らしいよ。僕はその大人しい性格も大好きだよ」
「だ、大好きって……」
顔を真っ赤にするライザを見てルディは満足して頷いた。
二人の背後からエリザベスが呆れたように冷たく声を掛ける。
「ねぇ、いい加減にしてくださらないかしら。二人の世界を作るのは後にしてとっととあの糞野郎をお宅の国に連れ帰ってちょうだい!ブルーノと私が殺してしまうかもしれないわよ」
「すいません」
ライザを立ち上がらせながらルディは謝った。
エリザベスの後ろでは、ブルーノとヴィンセントも呆れたように立っているのが見えてライザは恥ずかしさのあまり顔を伏せる。
「とりあえず、アレクサンドルは我が国で処理しますので」
ルディが言うとヴィンセントは頷いた。
「それで、王は誰がなる予定だ?」
「そうですねぇ。まだ決まりではありませんがロバートが王位を継ぐ予定です」
不服そうなロバートがヴィセントの横で頭を下げた。
「僕は全く王になどなりたくありませんが、その予定です」
「なるほど。平穏な国になると願っているがロバート殿ならば問題なさそうだな」
「そうありたいと思っております」
不服そうであるが、しっかりと答えたロバートにヴィンセントは頷いている。
「と、いうことで僕はしばらく忙しくなる」
ルディはライザの手を握って顔を覗き込んできた。
青く綺麗な瞳に見つめられて顔を赤くしたままライザは頷いた。
「僕は王にならないから安心して。田舎に引っ込んでいる方が性に合うからね。準備が整ったら迎えに来るから。待っていてくれる?」
こんな自分でいいのだろうかと少しだけ不安になるが、ルディはライザがいいと言ってくれているのだ。
ライザは大きく頷いた。
「はい。待っています」
「ありがとう」
晴れやかに笑うルディが美しくてボーっと眺めているライザにエリザベスが鼻で笑った。
「そんな男のどこがいいんだか。まぁ、剣の腕は少しあるようね」
「足と手の健を切るのはエリザベスでもできないからな」
エリザベスの後ろでブルーノがにやりと笑っている。
「えっ」
見た目の優しさと違いルディが剣の使い手だという事を知ったライザが驚いて声を上げた。
ルディはニコニコと笑ったまま優しい瞳でライザを見つめていた。