23
「馬車が着いたよ。準備はできている?」
階段を駆け上がって来たミーガンが開いたままのライザの部屋のドアから顔を出して大きな声で言った。
「ありがとうございます」
夜明けとともにルディから衝撃的なことと嬉しい事を聞かされて心が落ち着かないままライザは簡単に荷物をまとめていた。
次にこの部屋に戻ることができるのか、戻る人物は誰になるのかは分からないが荷物は最低限でいいと言われたのでトランク一つにまとめている。
もちろん、ロバートが持ってきた例のお香も大切に入れている。
(次に戻ってくるときは私だといいな……)
少し寂しい気持ちで部屋をゆっくりと見回す。
長く滞在していたわけではないが、思い入れのある部屋だ。
「元の体に戻りに行くんでしょう?もどれるといいねぇ」
ミーガンに明るく言われてライザは頷く。
「はい。エリザベス姫様の体はもうこりごりです」
「怪我は大丈夫かい?」
ミーガンはライザのお腹の当たりを心配そうに見つめた。
「昨日よりは良くなりました。新しく湿布薬を貼り換えました」
「綺麗な肌に戻るのは時間がかかりそうだけれど、元に戻った姫様が怒らないと良いねぇ」
「確かにそうですね」
青くなっているお腹を見たらエリザベス姫は激怒するだろう。
げんなりした気分になりながらもライザは立ち上がってミーガンに頭を下げた。
「お世話になりました」
「こっちこそいろいろ手伝ってもらって助かったよ。今度は本当の体でこの館においでよ」
「はい。ありがとうございます」
ニッカリと笑って言うミーガンにライザはもう一度頭を下げた。
トランクを持って階段をゆっくりと降りるライザをルディが見上げて待っていた。
朝の事を思い出してどういう顔をして会えばいいか気恥ずかしくなる。
ルディはいつもと変わりなく微笑んでライザの手に持っていたトランクを素早く奪い取った。
「馬車の用意ができた。僕は一緒に行かれないけれど、確かな人に任せてあるから心配しないで。向かうのは君の母国の領土だけれど、場所は城ではない」
「どこへ行くのですか?」
てっきり城に帰るのだと思っていたが違うらしい。
歩くルディの後に続いてライザは尋ねた。
「城から離れた別荘だよ。この館からも大して遠くはない。そこで姫と待ち合わせ予定だ。ヴィンセント王とは話をつけてあるけれど、エリザベス姫が素直に来るかは分からないがきっと来ると思うよ」
「そうだったのですね」
ルディはいつからこの計画をしていたのだろう。
あまりの手際の良さに驚いているとあっという間に玄関へとたどり着いてしまった。
ルディは玄関のドアを開け、外に待機していた馬車に荷物を積み込んだ。
「お香はちゃんと持ってる?忘れていない?」
振り返って聞いてくるルディにライザは頷いた。
「持ちました」
ルディは早く馬車に乗るように馬車のドアを押さえているのでライザは慌てて馬車に乗り込んだ。
この館に来た時よりも、小さな馬車だったが内装は豪華だ。
フカフカの椅子に括り付けのテーブルもある。
「休憩なしで一気に待ち合わせ場所まで行くからすぐ着くよ。……必ず迎えに行くから」
「はい。待っています」
ライザがしっかりと頷くのを見てルディも頷く。
お互いしばらく見つめ合っていたが、ルディは名残惜しそうに馬車のドアを閉めた。
直ぐに馬車はゆっくりと動き出し、別れを惜しむ間もなくスピードを上げいく。
あっという間に屋敷が遠くなり見送っていたルディの姿も見えなくなった。
(次に会うときは、自分の本当の体で……)
エリザベス姫と比べて美しくない自分の顔が好きになれなかったが、早く自分の体に戻りたい。
ライザは馬車から流れる景色を眺めた。
「エリザベス姫様も、戻りたいと思ってくれればいいけれど……」
ブルーノ伯と上手くやっている状態では戻りたいなどと思っていないかもしれない。
不安を抱えながらライザを乗せた馬車は森を走り続けた。
空が茜色に染まる頃、馬車はやっと目的地に着いた。
うっそうとした森の中にひっそりと建っている屋敷の前に馬車は静かに止まった。
恐る恐る馬車のドアを開けて、ライザが降りると屋敷のドアが開いた。
辺は薄暗くなっているため目を凝らして出てきた人物を注意深く見る。
大きな体に剣を差しているシルエットは間違いなくヴィンセントだ。
エリザベスの姿をしたライザを太い腕を広げて駆け寄ってくる。
「良く戻った!元気だったか!」
ギュッと抱き着かれてライザは悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃ。なんですか、急に!」
嫌そうにしているライザに、ヴィンセントは両手を離して目をぱちくりさせている。
「あぁ、そうかお前はまだライザだったな!外見がエリザベスだから勘違いしとったぞい!」
そう言ってガハハッと大きな声で笑った。
相変わらずだなと思いつつ、ライザは頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
「うむ。とりあえず屋敷に入れ。ここでは話しにくいからな」
「はい」
ヴィセントに促されてライザは屋敷の中へと入った。
屋敷の中にはヴィンセントの護衛騎士がずらりと並んでいてライザの姿を興味深そうに見ている。
「ここに居るものは口が堅いし、お前がライザだということは前も言った通り知っているから安心してくれ」
「わかりました」
エリザベスのフリをしなくていいというだけでかなりストレスから解放される。
ライザは馬車から持ってきたトランクを通されたリビングに置いて、ヴィンセントに促されるままソファーに腰かけた。
机を挟んでヴィンセントもドスンと大きな音を立てて乱暴に座った。
「しかし、しおらしい妹は大変可愛いな!いつもは口を開けば聞くに堪えない言葉ばかりで嫌になるというものよ。それで、あちらでは正体はバレたようだがルディ殿によくしていただいたようだな」
そう口では言いつつ、出会い頭に抱きしめるほどエリザベスの事は心配しているらしいことがわかりライザは頬を緩ませた。
ルディのように兄と戦わないといけない状態になるよりはよっぽどましだ。
「はい。ルディ様はずっと私を疑っているようでした。私がうまく演技ができず申し訳ございません」
ライザが頭を下げると、ヴィンセントは大きな声で笑った。
「気にするな!あんな乱暴な女を演じるのは大変だっただろう。ルディ殿も気にしていないと手紙で書いてあったから良かった。そのまま結婚してもらってよかったのだがなぁ」
「と、とんでもないです。エリザベス様の体のまま結婚などできません……」
顔は笑っているが目が笑っていないヴィンセントにライザは首を振った。
ヴィンセントの護衛騎士達は部屋の外で警護をしており、部屋の中は二人だけだ。
ヴィンセントは笑みを引っ込めて背もたれに体重を預けた。
ギシリと椅子が大きな音立てて壊れてしまうのはないかとライザが心配していると、ヴィンセントが口を開いた。
「ルディ殿と、ロバード殿がアレクサンドル王に反旗を翻すようだな。我々は関与しないが、成功することを祈るのみだな。あの王に政治はできまい。部下や民衆を軽んじている。気に入らなければ殺す、痛めつける。そんなことをしていて長く続くはずがない」
ヴィンセントの言葉は重い。
狂暴なアレクサンドル王を思い出すと身震いと共に蹴られたお腹が痛みだした。
そっと手で押さえていると、ドアが乱暴に開かれた。
「お兄様!ごきげんよう!」
大きな声で部屋に入ってきたのはライザの姿をしたエリザベスだった。
自分の体が勝手に動いているのを見ると不思議な気持ちになりまじまじと見ていると、エリザベスはライザに気づいて指をさした。
「あっ、アンタも来ていたのね!」
「お久しぶりです」
立ち上がって頭を下げるライザにエリザベスは偉そうに頷いた。
エリザベスが中に入っていても、ライザの体は何も変わっていない。
美しくなったわけでも、髪の毛がツヤツヤしているわけでもない。
いつも地味な服を選んできていたライザだったが、ライザの姿をしたエリザベスは空のように青いワンピースを着ている。
自分には派手な色は似合わないと思っていたが客観的に見るとよく似合っている。
自信の塊のようなエリザベスが入っているからだろうか。
中身が自分になったらたちまち派手な色の服は似合わなくなるのだろうか。
少し残念な気持ちになっているライザを指さしてエリザベスは近づいてくる。
「私の体で変なことしていないでしょうね!」
自分の体が偉そうに話しているのを嫌な気持ちで見ながらライザは首を振った。
「していません。むしろ、体系や肌質を維持するのに全力を注いでいました」
毎日、ブラッシングと油を全身に塗って美味しいミーガンのお菓子も食べ過ぎない様にしていた。ライザの回答にエリザベスは満足そうだ。
「よろしい」
「エリザベスが敬語を話しているのは新鮮な気分だが彼女らしくないな」
熊のように大きな男が穏やかに笑いながら部屋に入って来た。
初めて見る男性だが、肩につくぐらいの金色の髪を一つにまとめて片目は熊に引っかかれたように傷がついており閉じたままだ。
よく見ると無精ひげが生えている。
間違いなくブルーノ伯だと思いライザはまた頭を下げる。
「エリザベスの姿でまともな対応をされると世界が滅亡するかと思うから止めてくれ」
男はそう言うと、ライザに軽く手を振った。
「俺はブルーノだ。姫様の護衛で来ただけだから気にしないでくれ」
「よく言うよ。どうせ俺に結婚の了承を取りに来たんだろう。父上は半分諦めているから俺が頷けば結婚できると思っているんだろう?」
ヴィンセントが言うとブルーノとエリザベスはお互い顔を見合わせて頷いた。
「そうよ。糞みたいなお兄様でも、私の兄だし。許可が無いと結婚できないから仕方なく来てやったのよ」
「来てやったとは何だ。俺はお前だけを呼んだのだが……」
ヴィンセントに鋭い目で見られてもエリザベスは気にせず偉そうに顎を上へ向けている。
「呼ばれてちゃんと来てやったと言っているのよ。それに、アンタだってヒョロ男といい感じらしいじゃない!」
エリザベスにギロリと睨まれてライザは自分の体なのにあまりの迫力に体が硬直する。
「いや、そんなことは……」
今朝の事を思い出して顔を赤くして言うライザにエリザベスは鼻で笑った。
「お兄様から手紙で知ったわよ!ヒョロ男は本物のアンタと結婚したいって言ってきたらしいじゃない!」
「えぇぇぇぇぇ?」
そんなことをルディは考えていたのかという驚きと、それをヴィンセントに伝えているという驚きに体を大きくのけぞってしまう。
大きな声を出して驚いているライザをエリザベスは横目で睨みつける。
「今更何驚いているのよ、みっともないわね。で、あんた達私の体で変なことしていないでしょうね!さっきからお腹押さえているけれど、まさか赤ん坊なんていやしないわよね」
姫様らしくない言動に、ライザは首を左右に振った。
「ありません!何もしていないです!それこそ、私の体こそ大丈夫ですか?」
怒られるかもしれないと思ったが、恐る恐るライザが言うとエリザベスは眉を吊り上げて声を荒げた。
「するわけないでしょ!……私は別に良かったのよ!でも、ブルーノがこの体では本当の私じゃないって言うから!で、私たちは元に戻れるのかしら?そのために今日御呼ばれしたのだと思っているのだけれど?」
怒りながら部屋を見回すエリザベス。
ヴィンセントはライザを見つめた。
「ロバート殿があのお香を手に入れてライザに持たせると手紙に書いてあったが……」
「は、はい。ちゃんと持ってきました」
トランクの中から紙に包まれたお香をライザは取り出した。
包まれていた紙を丁寧に解いていくと円錐の形をした茶色いお香が出てくる。
「確かにあの日のお香と同じ匂いと形だわ」
エリザベスはライザの手の上のお香を見て鼻を鳴らした。
「ではそれを嗅げば元に戻るかもしれないな」
黙って見ていたブルーノが静かに言うと、ヴィンセントも頷いた。
「大人しいエリザベスが嫁に行けばと思っていたが、ライザ本人でもいいという事だから早く体を元に戻してこい」
面倒臭そうに顎で部屋へ行けと命令してくる。
「は、はい」
エリザベスが元に戻りたくないとごねるのではないかと心配していたが、取り越し苦労だったようだ。
元に戻ることをあっさりと了承したことに拍子抜けしつつ、ライザはお香を持ったまま立ち上がった。