19
ライザが館に来てから2か月が経過していた。
エリザベスの姿をしたまま、館の仕事をすることもだいぶ慣れてきた。
ルディのお茶出しと、ハーブ畑の水やりと手入れ。
館の掃除を主にしていただけだが本当に人手が足りていなかったようでミーガンとルディにかなり感謝されている。
侍女として働いていた頃と比べると、大した仕事をしていないのにありがたいと言われるのが申し訳なくなってくる。
ふとした時に鏡に映る美しいエリザベスの顔を見るたびに戻りたいと思う気持ちは全く変わらなかった。
むしろ早く戻りたいという気持ちが大きくなって、元に戻る夢を見て起きて落胆をするという日々を過ごしている。
ロバートはしばらく館に滞在していたが、ルディの要望でライザたちが早く元に戻れるようにお香を探しに行ってくれている。
同じお香が手に入っても、元に戻れるかどうかは不明だが試してみる価値はあるだろうとルディが言っていた。
何の手掛かりも無いので今はそれに期待するしかない。
水の入ったジョウロを持ちながらハーブ畑へと向かう。
山に囲まれているためか風が吹いていて心地よい。
サワサワと音を立てて葉が揺れる音を聞きながらゆっくりと館から畑へと続く道を歩く。
エリザベス姫はどんな時でもドレス姿だったというルディの調査報告を聞いて、それからずっとドレスを着ているが動きにくいので困ってしまう。
ドレスを着たまま戦うことができるらしいと聞いて、一年ほど侍女をしていても知らないことがあったのだ。
一年も姫様付の侍女をしているのだから、姫様の事はだいたいわかっていると思っていたが思い違いだったようだ。
畑に着くとジョウロで水を撒いていく。
泥が服にはねないように気を付けながらゆっくりと畑を歩いていく。
水を撒き終えるとライザはじっとハーブを見つめた。
軽く葉を触ると、ハーブ独特の匂いが漂ってくる。
深く深呼吸をして大好きな匂いを吸い込んだ。
葉が風に揺れるのを眺めているだけで心が落ち着いてくる。
ホッと息を吐くと、人の気配を背後で感じ振り返った。
いつの間にかルディがすぐ後ろに立っていてライザは驚いて声を上げた。
「わっ、いるなら居ると言ってください」
「驚きすぎじゃない?」
笑みを称えながらルディは言うと、畑を眺めた。
「他の仕事が忙しくて、畑仕事が出来ずにいたけれど大丈夫そうだね。ライザのおかげかな」
「まさか。私は水と肥料を上げているだけですよ。それも教わりながらですけれど」
「それが助かっているんだよ。どうしても畑に手が回らない時があるからね、枯らさないことが第一だよ。それに、雑草も抜いてくれているし。助かるなぁ。本当なら麦わら帽子でもプレセントしたいけれど今の君には似合わなそうだ」
いたずらっ子のように言われて、ライザは憮然とする。
そんなライザの顔を見てルディは首を傾げた。
「何か気に障った?」
「え?どうしてですか?」
「気づいていないかもしれないけれど、意外と表情に出ているよ。麦わら帽子が似合わないっていうのが気に食わないのかな?」
優しく言われて、ライザは仕方なく口を開いた。
「そういう訳ではないのですが……。ただ、本当の私の姿なら麦わら帽子が似合うってことかなと……」
「似合うと思うけれど、それがどうして気に障ったのかが僕にはわからないんだけれど?」
「……麦わら帽子が似合うような女性は美しい女性とは言えないかなと思って……」
小さい声で言うライザにルディは大きく頷いた。
「あぁ、そういうことか。誤解だよ。どうも君と僕の“美しい女性像”っていうのが違うような気がするなぁ。僕は、畑仕事を進んでする麦わら帽子が似合う女性が美しいと思うし可愛いと思うんだ。と、いうことは麦わら帽子が似合う女性というのは最高級の誉め言葉だよ」
最高の誉め言葉と聞いてライザの顔が赤くなる。
気になっている男性に褒められるのは嬉しい。
それも、本当の姿を褒めてくれた。
「あ、ありがとうございます」
上ずった声で言うライザにルディは声を上げて笑い出した。
毎回何がそんなに面白いのだろうか。
不思議そうに見ているライザにルディは笑いを収めながら軽く手を振った。
「ごめん。あまりにもライザが可愛らしいからさ」
「まぁ、この姿ですしね……」
美しいエリザベスの姿であればどんな事をしても可愛らしく見えるだろう。
落ち込みながら言うライザにルディは首を振った。
「僕はその姿は嫌悪感しかないけれど、ライザの本当の姿を想像したら可愛らしいなぁと思って」
ひたすら笑った後ルディは思い出したと手を叩く。
「ロバートからいい知らせがあったんだ」
微笑みながらルディは一枚の手紙を懐から取り出した。
「元に戻る方法が見付かったのですか?」
「見つかったというか、同じお香を手に入れることができたらしいよ」
「ほ、本当ですか!もしかしたら、それで元に戻れるかもしれませんね!」
喜ぶライザに、ルディは肩をすくめる。
「本物のエリザベス姫が戻りたいと思っていればね。手に入れた後はどうする?どうやって彼女に会う?」
ルディの言葉にライザはハッとする。
たしかに、今のエリザベスは姫様職から解放されて自由になっているのだ。
ライザの体も悪くないと言っていたことを思い出した。
「姫様の権限で無理やりこの地に呼び寄せます。きっとヴィンセント様も協力してくれると思います」
「本当にそう思うか?ヴィンセント王は、僕とエリザベスの姿をした君が大人しく生活をしてくれればそれでいいんだよ。体が元に戻ったら間違いなく、エリザベス姫は僕を殺すかもしれないね」
「まさか……」
まさかと言いつつ、そうとも言い切れない。
物を投げる程度で済めばいいが、姫様は剣の使い手でもあるらしい。
愛するブルーノとの生活を引き裂かれたら、ルディを殺してもおかしくない。
「ヴィンセント王の協力は無いと思った方がいいと思うよ。ま、とりあえずロバートが怪しいお香を持って帰ってくるのを待とう」
落ち込んでしまったライザを励ますよう肩を叩いてルディは微笑んだ。
「そう……ですね」
「ライザは畑仕事なんてしたことないだろう?それなのによくしてくれるね」
ライザの事も事前に調べているのだろう。
何もかもお見通しのルディにライザは頷いた。
「やったことは無いですけれど、こういう生活に憧れていました。草木に囲まれてハーブや野菜を育てる生活なんて素敵じゃないですか」
「そうかな?王都に住んでいた方が便利でいいと思うけれどね。この村は田舎で何もないよ。おしゃれな店も無いし……」
「たしかにそうですけれど、城で働いていた時も外にはあまり行きませんでした。だから全く気になりません」
ルディはほっとしたように息を吐いた。
「ちょっと心配していたんだ。こんな辺鄙な所に連れてこられて普通の女性なら嫌だろうって思っていたから」
「そうですか?」
「うん。本当に良かった」
エリザベスの姿をしていても中身はライザだ。
たかが侍女の心配をしてくれるなどなんていい人なのだろう。
感激しているライザにルディは微笑んだ。
「とにかく、ロバートが戻ってくるのを待とう。それからどうするか考えよう」
「わかりました。いつ頃戻るのですか?」
頷くライザの手を何気なく繋いで、ルディは館へと続く道を歩き出した。
「すぐ戻るよ」
穏やかな雰囲気に不安だった心が落ち着いてくる。
ルディに任せておけばきっと大丈夫。
繋いだ手を意識しながらずっとこの時間が続けばいのにとライザは願った。