12
「暇だわ……」
自室に戻りバルコニーに置かれている椅子に座って遠くに連なる山を眺めながら呟いた。
毎日侍女として姫様のご機嫌を伺いながら忙しく働いていたが、今は何をすればいいか分からない。
部屋の簡単な掃除も終わってしまい、できれば屋敷じゅうを掃除したいがエリザベスの姿をしていたら変に思われるだろう。
掃除をしたい欲求を押さえて部屋の中を眺める。
唯一の世話をしてくれそうなミーガンも家事作業に忙しく動いていて、声を掛けるのも申し訳ない。
お茶は自由に飲んでくれと茶器を置いて行ったために、ライザは立ち上がった。
「お茶でも飲もうかしら」
用意してくれている茶葉はどれもエリザベス姫が好んで飲んでいる高級のお茶が用意されていた。慣れた手つきでポットからお湯を注いで姫様が好んでいた紅茶を淹れた。
ポケットからいつも持ち歩いている懐中時計を取り出すと時間を測る。
この時計だけはライザの体から返してもらったものだ。
「こうして毎日姫様にお茶を淹れたり、怒鳴る美しい姫様を眺めて働いているのが幸せだったのね……」
まさか自分がエリザベス姫様と体が入れ替わるとは夢にも思わず、何気ない日常が懐かしくなってライザは呟いた。
仕事はそこまで好きではなかったが、仕事から外れるとまた姫様の世話をしたいと思いはじめてくる。
「私って仕事が以外と好きだったのね……」
早く元に戻りたいと思いつつ、懐中時計の時間を確認してポケットにしまった。
ポットからカップにお茶を淹れる。
漂ってくるフレーバーティの匂いを嗅ぎながらソファーに座る。
「高くて買えなかった茶葉をこうして飲むことになるとは思わなかったわ……」
いつかお金持ちになったら買おうと思っていたエリザベス姫様用の高級のお茶は、選び抜かれた紅茶の茶葉とバラの花がブレンドされている。
淹れるたびにいい匂いがしていたが、今ライザが嗅いでいる匂いはそれ以上だ。
きっと、エリザベスが飲んでいたお茶よりもさらに上級のものなのだろう。
もしかしたら仕入先は怪しいものを手に入れるのが得意なロバートなのかもしれない。
彼から早く、あのお香を手に入れて体を元に戻したいが全く上手くいかない。
ため息をついてライザは紅茶を一口飲んだ。
「おいしぃー!!」
今まで飲んでいた紅茶はなんだったのだろうかと思うぐらい口当たりがよく、後味も良い。
目を見開いて紅茶をまじまじと見ながらライザは感動をしながら紅茶を飲み干した。
景色を見ながら紅茶を飲んでいるとやっとお昼の時間になった。
働いていれば昼などあっというまに訪れるのに、何もしないと長く感じるとライザは紅茶を淹れていたカップをお盆に乗せて食堂へと向かった。
「時間通り来ていただきありがとうございます、ちょうど用意が出来ましたよ」
テーブルの上にお皿を置いていたミーガンが、部屋に入って来たライザを見て微笑んだ。
“お疲れ様です”と言いそうになって慌てて嫌そうな顔を作る。
「誰も呼びに来ないから仕方ないわ」
「人が居なくて申し訳ございません。あら、カップまで持ってきていただいてありがとう」
ライザの態度を気にする様子もなく、ミーガンは空のカップを手に持って行った。
一人分の食事しか用意されていないことに気づいて、ライザは忙しく動いているミーガンを振り返った。
「ルディ様は?」
「昼は一緒できないそうです。なんでも仕事が立て込んでいるとか……」
「そう、ですか」
自分がエリザベスとして振舞わないといけないストレスから多少は解放されるためルディと共に過ごさなくて少しだけホッとする。
ただ、美しい顔のルディはライザの好みなために癒しとして見ていたい気持ちもあり半分は残念な気持ちにもなる。
複雑な心境のまま、ライザはミーガンが用意してくれた食事をとった。
食事が終わるとミーガンが食器を下げにやってきた。
忙しそうに働いているミーガンの手伝いをしたい気持ちを抑えて、ライザは偉そうに口を開いた。
「暇で死にそうなのだけれど、何かすることはないかしら?」
「えっ、姫様にやってもらうことなど何もありませんよ……」
ミーガンは困ったように言ってしばらく考えると頷いた。
「そうだ、庭を散歩されてはいかがですか?私の育てているハーブもありますし、良かったら摘んでもらっていいですよ」
「そうね。確かに庭はまだ見ていなかったわ」
ミーガンの提案にライザはエリザベス姫様っぽく頷いた。
ミーガンとその夫ショーンが台所で片づけをしているのを遠くから見て、ライザはため息をついた。
(片付けを手伝いたいわ。明らかにこの屋敷は人が足りていないもの……)
そう思いつつも今自分はエリザベス姫なのだ。
掃除をするわけにもいかないとウズウズしながら庭へと出る。
春というには暖かい日差しを浴びてライザは大きく伸びをした。
久々に人目を気にせず外で過ごすことができる。
屋敷の裏には畑が広がっておりその一部にハーブが植わっているのが見えた。
足元が汚れてしまうかもと畑に入るのを躊躇したが、洗えばいいかと思いなおし、そっとハーブ園へと入る。
様々な種類のハーブが植わっているのが見えてライザは畑の中でしゃがみこんだ。
「いいなぁー。私もこういう庭でハーブを育ててお菓子を作ったり、石鹸作ったりしたいわ……」
小さく呟いてハーブをとってもいいと言われたことを思い出して、葉っぱにしか見えないハーブを持ってきたハサミでゆっくりと切っていく。
切った傍からミントのいい匂いがしてライザは大きく息を吸い込んだ。
(落ち着くわ……。そういえば最近はゆっくり過ごすことも無かったからこうして過ごすのもいいかもしれないわね)
スカートの上に切った葉を乗せていると目の前に籠が差し出された。
「よかったら、使ってください」
見上げると、含み笑いをしながら籠を差し出しているルディの姿。
「あ、ありがとうございます」
気配もなく現れたルディに驚きながら籠を受け取る。
切ったハーブの葉を籠に入れているとルディが口を開いた。
「僕の書斎からこの庭が良く見えるんですよ」
「え?」
ルディが指をさした方を見ると確かに書斎の窓から丸見えだ。
エリザベスっぽくない仕草はしていないだろうかと思い返しているとルディがニコニコと微笑んでいる。
「城で顔合わせをしたときはどうなる事かと思ったけれど、貴女となら上手くやっていけそうな気がします」
「え?」
(それは困るわよ!中身が違うのだから城で会った人とは別人なのよ!)
心の中で否定をするライザにルディは微笑んだままエリザベスの手を取った。
「綺麗な指をしているから、田舎暮らしなど嫌がると思っていたのですが。この生活も悪くないでしょう?」
ルディに手を取られながらじっと目を見られて言われると心が揺らいでしまう。
好みの男性がそれも優しく自分を見つめている状況に思わず頷きそうになり慌てて首を振った。
「こんな田舎、暇すぎて死んでしまうわ。それにあなたみたいな、ひ、ヒョロ男と上手くいくはずが無いでしょう」
心が痛んだが精いっぱいエリザベス姫のように振舞いながら言うと、ルディはますます微笑んだ。
「でも、ハーブを摘んでいるということは草花は嫌いではないでしょう?」
「暇だからよ」
「そう言う事にしておきましょう。そうだ、僕達がどうして結婚をすることになったかはご存じですよね」
当たり前のように言われてライザは今までの事を考える。
(エリザベス様は結婚を知らない様子だったわよね。ということは、知らないって答えても大丈夫よね)
四六時中エリザベスについて世話をしていたのだ、彼女がルディの事など知るはずもないとライザはよく考えてから首を振った。
「し、知らないわ」
「そうですか」
ルディは気にした様子もなく、頷いた。
「お互いの国を良くしようとしてかしら……ね」
友好関係を結んでおけば、ルディの兄の血塗れ王に責められることが無い。
王族とはそういうものだとエリザベスも言っていた。
ライザが言うと、ルディは頷く。
「確かに、それが第一だけれど、実際は兄上の僕に対する嫌がらせだよ」
「嫌がらせ?」
首を傾げるライザにルディは頷いた。
「アレクサンドル王は僕を嫌っている。嫌いだから、悪評の我儘姫と結婚させて田舎に住まわせようとしているんだ」
「悪評……」
エリザベス姫が我儘で暴力的だという噂は他国まで伝わっているという噂は聞いたことがある。
その噂のせいで結婚ができないのだとヴィンセントが嘆いているという噂も聞いたことがある。
噂ではなく事実なのだが。
そんな悪評のあるエリザベスと結婚させようとして喜ぶ兄などどういう人なのか。
思わず眉をひそめているライザにルディは軽く眉を上げた。
「アレクサンドル王は冷酷で、気に入らない人間はすぐに首をはねるという噂があるが、それも真実だ。腹違いの僕の事を生まれた時から気に食わない兄上は、田舎に住まわせることを思いついた。それも暴力的なエリザベス姫と…。でも、噂は違ったね」
じっと目を見られたまま言われて、ライザは逃げ出したくなってくる。
(噂は真実で、本物のエリザベス様は暴言も凄いし物も年中投げるわ!)
心の中で叫んだ声はルディに聞こえるわけもなく、彼は微笑んだままだ。
「ちなみに兄上には、エリザベスが暴れて仕方ないという風に報告しているからそこらへんはよろしく」
「えっ」
ルディから聞かせられる話は全て驚くことばかりだ。
実際この館に来て暴れてはいないが、ルディはそれだと都合が悪いらしい。
「まぁ、兄上は僕が苦労してここで暮らしているというように思ってもらえればそれで気が済むみたいだから」
「そう……ですか」
王族とは大変なのだなと思いながらライザは頷いた。
(早く元の体に戻りたい……)