10
ライザがこれからルディと共に暮らす館は2階建てで程よい大きさだ。
エリザベス姫であれば“小さすぎる!この愚図が”と激怒しそうだが、ライザからしたら立派なお屋敷だ。
豪華ではないが、清潔感がある屋敷の中は驚くほど人の気配がしない。
城の中は騎士や侍女や役人が右往左往していたが、帰宅したルディを出迎えたのは初老の黒い服を着た男性と50代ぐらいのふくよかな女性だった。
「執事のデニスだ。なにかあれば彼に聞いてくれ」
ルディに紹介され初老の男性が頭をさげた。
「デニスと申します。どうぞよろしくお願いします」
「隣に居るのが、家政婦のミーガン」
ふくよかな女性は笑みを浮かべて頭を下げた。
「ミーガンです。私の旦那が料理を作りますので何か食べたいものや嫌いなものは言ってくださいね」
どちらも人のよさそうな人で、ライザはホッとしながら軽く頷いた。
「僕は他人を家に入れるのは好きではないから最小限の人間に家の事はお願いしているんだ。家の事は執事のデニスとミーガンは主に掃除や洗濯をお願いしている。あとは料理人のショーンがいるぐらいかな」
「ずいぶん少ないのですね」
ライザが家族で住んでいた頃は伯爵という地位であったが、もう少し多くの使用人が居た。
王子という立場でこの人数しか居ないのは不便ではないのだろうか。
「まぁ特にやることは無いし。書類の整理と農作業ぐらいだから十分だね」
ルディはそう言いながら、屋敷の中を案内してくれる。
広いリビングに、書斎など案内してくれる。
後ろからロバートが付いてくる。
「僕の書斎だけは勝手に入らなければあとは自由にしてくれて構わないよ」
「わかりました」
一通り案内されて、ライザが頷くとロバートが肩をすくめた。
「ずいぶんおとなしいですね。噂に聞いているエリザベス姫様と随分違っているな」
怪しいという風に見られてライザは不安で胸がドキドキしてきたが、なんとか鼻を天井に向けてロバートを睨みつけた。
「失礼ですわよ」
「すいません。ただ、僕のお香の効果が凄すぎて逆に恐ろしくなってしまいましたよ」
そう言って頭を下げた。
(確かにあのお香は効果が凄すぎたわよ!)
ライザは頷いて、ロバートを睨みつけたまま口を開いた。
「あのお香はどこで手に入れたのかしら?とても良かったからもう一つ欲しいのだけれど」
「すいません。出所は人には言えないんですよ。もう一個というのは難しいですねぇ」
「そんな……」
もう一回匂いを嗅げば体が元に戻るのではないかと期待をしていたのに、出所も分からないのではお先が真っ暗だ。
明らかにがっかりしているライザを見てロバートは肩をすくめた。
「どうしても言うなら考えますけれど。姫様次第ですね。問題を起さないでここでゆっくり静養していてくれれば、どこで買ったかぐらいは言えますが」
「本当ですか?」
明るく言うライザにロバートは頷いた。
「もちろんですよ。大人しくしていて下さればですが」
「もちろんです。私はここで静かに暮らします!」
両手を胸の前で組んで頷くライザにロバートは頷いた。
その後ろで不信な目をしているルディにライザは気付くことは無かった。
「ここがエリザベス姫の部屋になります。生憎日当たりのいい広い部屋はここしかないのですが……」
申し訳なさそうにルディが案内した部屋は二階の一番端の部屋だった。
大きな天蓋付のベッドに、ソファーセットと机、バスルームもついている。
一人で暮らすには十分な部屋にライザは頷いた。
「素敵な部屋です。ありがとうございます」
窓からは遠くの山が見えて遠くに湖が見える。
素晴らしい景色にライザは浮かれっぱなしだ。
(まるで姫様の様な部屋だわ。あ、そうか自分は姫様だったわ……)
侍女として住み込みで働いているため寮暮らしだ。
寮から見える景色はうっそうと茂る城の裏の山だけで日当たりもいいとは言えず、日当たりのいい角の部屋がとてもうれしい。
テラスに続く窓を開けて外に出ると、テーブルセットが置かれていてライザは飛び上がって喜んだ。
「遠くに見える湖を見ながらお茶ができるわ!ハーブティーなんて淹れたら素敵ね」
思わずつぶやいた言葉にルディとロバートが怪しい目を向けて見つめている。
「ハーブティーがお好きなのですか?」
不信な目をしつつ笑みを浮かべて聞いてくるルディにライザは頷いていいものか首を傾げた。
エリザベス姫はハーブティーなんて飲んでいただろうか。
ライザが姫様付の侍女になってからは一回も飲みたいと言ったことは無い。
でもきっとハーブティーを嫌いな女性などいないはずとライザは悩んでゆっくりと頷いた。
「さ、最近、気になるのよ。侍女が良く話していたから!」
ルディは笑みを浮かべたまま頷いた。
「そうですか。ハーブティーやクッキーなど女性は好きですよね。ミーガンがハーブ系を畑で育てているから良かったら色々聞くといい。石鹸づくりなどもしていたかな……」
「素敵!石鹸は一度作ってみたかったの!」
ハーブ入りの石鹸づくりなど夢を見ていたライザが喜ぶとルディは微笑んだ。
「それはよかった。しばらくはゆっくり過ごしてください。またお食事の時にお呼びしますね」
「ありがとうございます」
すっかり素に戻ってお礼を言ってしまったライザだったが、ルディ達は気にした様子もなく頷いて去って行った。
部屋に一人残されたライザは疲労を感じてソファーに座る。
「つ、疲れたわ。全くエリザベス姫様っぽくできないわ……」
ふとしたことでどうしてもライザとして返事をしてしまう。
エリザベスのように人を罵ったり、物を投げたりすることがどうしてもできないしどこでそれをすればいいのかもわからない。
「本当ならば“こんな部屋住めるはずが無いでしょう”ってエリザベス姫様ならば怒るわよね。でも無理よぉ。できないわ」
人に対して怒鳴ることなどしたことが無いライザは、エリザベスのように振舞うことができない。
「でも大丈夫よ。ルディ様達だってエリザベス様をよく知らないのだから。私はこういう人だと思ってもらえればいいわ」
泣き出したい気持ちになったが、よく考えればルディとエリザベスが会ったのは昨日だ。
昨日の一瞬だけ、怒っているエリザベスを目撃しただけだ。
城の人以外はエリザベス姫が年中怒っている人だとは知らないはずだ。
たとえ噂になっていたとしても、ただの噂だったのだなと思ってもらえればいい。
今のエリザベスがおかしいと感じるのは城の侍女と傍にいる騎士達だけだろう。
流石にあんなに言葉遣いが悪い姫様が居るわけがない。
「絶対に大丈夫!体だって正真正銘のエリザベス様の物なんだから、中身が違うなんてそんな可笑しなことが起こる訳ないじゃない」
ライザは呟いて頷いた。
広い部屋を与えられて、ハーブを愛でる生活をしばらくはしていればいいとルディは言ってくれた。
しばらくというのはどれぐらいなのかは不明だが、このままルディと結婚することにはならないはずだ。
先の事を考えるのはよそうとライザは決意しているとドアがノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは先ほどあったミーガンだ。
ニコニコとお盆にお茶とお菓子を乗せてテーブルの上に置いた。
「長旅お疲れさまでした。疲れが取れるようにハーブティーを淹れましたのでよろしかったらどうぞ。レモン系にしましたが匂いは苦手ではないかしら?」
「大丈夫よ」
精いっぱいエリザベス姫のように答えてライザはハーブティーを手に取った。
スパイスの様な匂いを嗅いでライザは一口お茶を飲む。
摘み立てのフレッシュな匂いとさっぱりとした味わいに不安感が薄れてくるような気がしてくる。
「美味しいわ」
笑みを浮かべるエルザベスを見てミーガンは微笑んだ。
「あらぁ、嬉しいわ。しかし、エリザベス様は本当にお美いわねぇ」
顔を見られてしみじみ言われ、自分は今エリザベス姫様だったのだと気付いて慌てて背を正した。
姫様はいつ見ても凛としていたのを思い出す。
美しいと言われ慣れてしまい、本物のエリザベスは褒められると機嫌が悪くなる。
それを知っている侍女達は決してエリザベスを褒めたりはしない。
ライザも自分が褒められたわけではないので複雑な気持ちになり、顔がこわばってしまっているとミーガンが謝って来た。
「失礼しました。気さくに話しかけてしまったわね」
「いや、いいんです・・・いいわ。気にしていないから!それより、あなたハーブを育てているのですって?」
精いっぱいエリザベスように勝気な感じで言うと、ミーガンは頷いた。
「はい。そのお茶も摘みたてですよ」
「そうなのね。石鹸なども作っているとか?」
「えぇ、作っておりますが……」
何か姫様の気に障ったのだろうかとビクビクしているミーガンにライザは精一杯偉そうに言った。
「私も作ってみたいのだけれどいかがかしら?」
何を言われるかと思っていたミーガンはホッとして頷く。
「今度作る予定ですのでお声掛けしますわね」
「ありがとう」
ニッコリと答えてしまい、ライザは慌ててツンと鼻を天井に向け偉そうに見えるようにする。
精いっぱい嫌な感じを作るがエリザベスになりきれていないのか、ミーガンは頷いて頭を下げて部屋から出て行った。
本物のエリザベスであればもっと嫌な感じを出せただろう。
(やっぱり、中身が私だとあの迫力は出せないわ)
初めてエリザベスを目撃した時も、美しすぎる姫様は怒鳴っていた。
侍女達の身がすくむほどに怒鳴り散らし、物を投げることはライザにはできない。
ミーガンはエリザベス姫の事は知らないので今のやり取りを不振には思わないだろうが、城の侍女達であればおとなしすぎる姫様を異様な目で見るだろう。
「良かったわ……。誰もエリザベス姫様の事を知らないから何とかこの性格でやって行けるような気がしてきたわ……」
エリザベスのように振舞わないといけないと思っていること自体がかなりのストレスだ。
またドッと疲れてライザはソファーに背を預けた。