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花々が咲き誇り、甘い匂いが風に乗って運ばれてくる。
春の訪れを感じながらライザは大きく深呼吸をした。
城の庭に咲き誇る春を知らせる色とりどりの花を見ているだけで心が落ち着いてくる。
穏やかな風が吹きライザの赤茶色の髪の毛を揺らした。
城の侍女として働き始めて早5年。
13歳から侍女として働き始めて、今や世界一美しいと言われているエリザベス姫の侍女として働いている。
エリザベス姫に朝の挨拶とお世話の為に茶器が乗ったワゴンを押して廊下を歩くライザに後ろから同僚が声を掛けてきた。
「おはよう、ライザ」
「おはよう、フィフィー」
ライザと同じ紺色の侍女服を着ている同僚に挨拶をすると、フィフィーは憐れんだ目でライザを見つめた。
「ライザも頑張るわねぇ。エリザベス姫様の侍女をよくやっているわ」
「仕事だし。それに言われているほど酷い扱いは受けていないわよ」
明るく言うライザにフィフィーは首を振っている。
「無理。あのヒステリーのような声でしょ。そして、すぐに怒るじゃない。一番長く続いていたお付きの侍女の方が産休に入ってしまってからはライザが一番長く続いているわよね。凄いわ」
「長くって言ってもまだエリザベス様付きになって一年経っていないわよ」
我儘で有名なエリザベス姫の侍女は長続きした者は居ない。
唯一残っていたお付きの侍女が産休に入ってからは長く続いたもので一週間、早くて半日で辞めてしまうほどエリザベス姫の我儘が噂になり侍女の打診があると断るものが増えてしまっていた。
エリザベス姫の侍女が居なくなり困り果てた結果、最終的にライザの元に姫様付の侍女の話が回ってきたのだ。
エリザベス姫は現王の第二子、上にはヴィンセント王太子がおり兄と妹の仲は悪くはない。
ヴィンセント王太子と比べて妹のエリザベス姫は世界一美しい容姿を持った悪魔だと言われるほどの我儘だ。
ライザは家の事情で実家に帰ることができないため住み込みで侍女をしている。
そんな身としては給料が上がり、力仕事がほとんどなくなったエリザベス姫の侍女の仕事は辛くはなかった。
侍女になりたての頃は城の庭の掃き掃除から始まり、水仕事も多く雪が降るような寒い日でも水の入ったバケツを持って階段を上がることあった。
エリザベス姫の侍女になった年の冬は、手が荒れることもなく過ごすことができている。
ライザにとっては侍女達に言われるほど、エリザベス姫の侍女としての仕事は辛いものではなくむしろ以前より仕事内容は良くなったと思っている。
「私には無理だわ」
そう言う同僚のフィフィーはまだ顔をしかめている。
「我儘と言っても慣れればたいしたことないわよ」
ワゴンを押して歩くライザを尊敬の眼差しで見つめてフィフィーは手を振った。
「じゃ、お互い仕事頑張りましょう。辛いことがあったら直ぐに言ってね、話だけは聞くことができるから」
「ありがとう」
フィフィーと別れ長い廊下を歩く。
エリザベス姫の部屋に近づくと、甲高い大きな声が廊下に響いた。
「ちょっと!いい加減にしなさいよ!そのドレスじゃないの!私が欲しいのはそっちの赤い方だって言っているでしょう!この愚図が!」
聞きなれたエリザベス姫の怒鳴り声と何かを投げる音が響きライザは思わず微笑んでしまう。
(今日もエリザベス姫様はお元気そうね。愚図なんて言葉はどこで覚えたのかしら)
エリザベス姫専属の侍女はライザのみだが日替わりで派遣された侍女達が日々朝や夜のお世話をしていた。
大体の女性は怒鳴られるとすぐに泣いてしまい仕事にならない者も多かった。
ほぼ一人で仕事をこなしているライザにとって、姫様の怒鳴り声は慣れてしまい最近では可愛らしいとさえ思えてしまう。
感情が高ぶると物を投げる癖があるエリザベス姫だが人に当てることは決してない。
物を人に当てないところはしっかり考えて投げているのだとライザは姫様が可愛らしいと思ってしまう。
「も、申し訳ございません。こちらのドレスでございますか?」
「違うって言っているでしょ!貴女、ドレスの違いも分からないの?赤って言ったらもっと色が赤いドレスでしょう!いい加減朝から私を怒らせないで!」
エリザベス姫の怒鳴り声を聞きながらライザはドアを軽くノックした。
どうせ、怒っている姫様の声にかき消されて誰もノック音など聞いていないだろうと思い、返事も聞かずにドアを開けた。
ワゴンを押しながら部屋に入室すると、寝間着姿のエリザベスが青い瞳を釣り上げて今にも泣きだしそうな侍女を睨みつけている。
胸まである金色の髪の毛は寝ぐせの為に所々乱れており、寝間着姿であってもエリザベス姫は輝くように美しい。
眩しいほどのオーラと美しさに目を細めながらライザは頭を下げた。
「おはようございます。エリザベス姫」
「遅いわよ!一体何をグズグズしていたの!」
「申し訳ございません。朝のミーティングが長引きました」
ギロリと睨まれてライザは軽く頭を下げながらワゴンに乗っていたポットから茶葉を入れて紅茶を淹れる。
慣れた手つきでカップにお茶を注いでテーブルに乗せると、エリザベスは不機嫌ながらも椅子に座った。
紅茶を一口飲むとエリザベスは一つ息を吐く。
「もういいわ、あとはライザに頼むからあなた達下がりなさい」
呆れながらエリザベスが言うとホッとした様子の侍女が頭を下げて退出していった。
部屋を出て行く侍女を冷めた目で見つめていたエリザベスはゆっくりと紅茶を飲む。
「今日もお元気ですね」
出されたままのドレスを何枚か片付けながらライザが言うと、エリザベスはギロリと睨みつけた。
「何それ、嫌味?私が怒鳴る声を聞いて“元気”って言うのはアンタだけよ」
褒められているのだろうかと思いながらライザは衣裳が置かれている部屋へと向かった。
数枚の赤いドレスがクローゼットから出されているが、どれもエリザベスが本日着たいドレスではなかったようだ。
先日新しく仕立てた赤いドレスをクローゼットから取り出してエリザベスの元へと戻った。
「エリザベス姫様がおっしゃっていたドレスはこちらですか?」
クローゼットから真っ赤なドレスを取り出してきたライザにエリザベスは目を見開いた。
「そう、それよ!私が着たかったドレス。よくわかったわね」
「先日出来上がったばかりのドレスでございますからね。赤いドレスと言ったらこちらでしょう」
「そうよ!そのドレスが着たいだけなのに、あの子達ったらグズグズしている上に違うドレスを持ってきて!しまいには泣き出すとか、いい加減にしてほしいわ」
怒りが蘇ってきたのかイライラしているエリザベスにライザは軽く頷いた。
「エリザベス姫様のお世話をするほどの侍女は家柄もよろしいお嬢様達ですから、お元気な姫様に驚いてしまいますよ」
「家柄のいい子たちは自分を着飾るか、いい男をひっかける事ばかりで、私の世話なんてしやしないんだから。そんな子たちは要らないわ」
エリザベス付を嫌がる侍女たちも多いいが、エリザベスも気に入った侍女しか傍に置かない。
自分が選ばれた気になって悪い気がしないライザはいそいそとエリザベスの身支度に取り掛かった。
エリザベスの身支度を終えて、ライザは部屋を見回す。
本日担当の日替わりで来る侍女達は、部屋の準備はほとんど終えてくれておりライザがやることはほぼ無い。
「今日は、お兄様がいらっしゃるそうよ」
鏡の前で身支度の出来をチェックしていたエリザベスと目が合った。
ライザは驚いてポケットからメモ帳を取り出した。
朝のミーティングでは王太子でエリザベス姫の兄であるヴィンセントの面会の予定はなかったはずだ。
忙しい王太子との面会など突然決まるものでもない。
「何時頃どちらでお会いになるのですか?」
エリザベスの予定を本人に聞くなど侍女として失格だ。
以前に聞いて忘れているだけだろうかとメモ帳を捲るがヴィンセント王太子との面会の予定はどこにも書いていなかった。
焦っているライザをエリザベスは面白そうに見つめている。
「突然言われたのよ。午後に来るそうよ。私の部屋にお兄様が来るなんて珍しいわよね」
「ひぇ、こちらにお越しになるのですか?掃除しないと」
慌てて動き出したライザにエリザベスは鼻で笑った。
「お兄様ごときが来るのなら、適当でいいわよ。それに毎日ライザが馬鹿みたいに掃除しているから綺麗じゃない」
適当でいいというエリザベスの言葉にライザの心は温かくなる。
世間で言われているほど酷い姫様ではないのだ。
ライザ一人だけでは負担だろうと気を使ってくれているのか、いちいち掃除をするまでもないと言っているのかは分からないが、掃除を命令しないだけでもありがたい。
ライザが密かに感動しているのを横目で見てエリザベスは櫛で髪の毛を梳かし始めた。
美意識の高いエリザベスは髪の毛は結わせても、手入れは自ら行う。
化粧も、他人が施したのは気に食わないと言う理由で自らするためライザが朝の身支度を行うのは着替えの手伝いぐらいだ。
エリザベスをボーッと鏡越しに眺めているとギロリと睨まれた。
青い瞳に睨まれても恐ろしさはなく、綺麗だなと眺めていたライザは怒鳴りつけられる。
「ボーっとしてんじゃないわよ!あんた一人しかいないんだからもう一杯お茶を淹れなさいよ」
「はい。申し訳ございません」
美しいエリザベスに言われると酷い言葉でも従ってしまう。
従順なライザの態度に、エリザベスは拍子抜けをする。
「あんた、本当に変わっているわね」
エリザベスに怒鳴られても居続けているのは産休をしている侍女かライザ以外は居ない。
(姫様らしくない言葉で怒鳴られても、ただ可愛いとしか思えないのよね)
ライザは新しいお茶を淹れるためワゴンを押して部屋を出た。