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ある思い人の回顧録  作者: 猪俣かいり
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6話-①

 ―――自分を価値のある人間だと思ったことがない。生まれたことが罪、存在自体が罪、それでいて死にたくないと思っていることが罪。そんな、大罪を犯してばかりの人間だ。

 だから、価値のある人間であろうと思った。勉強ができて、運動ができて、人に優しくして、正義感を持つ……そんな「良い人」であろうと思った。

 その努力もあって、私を邪険に扱う人はいなかった。「八方美人」と言われることもあるが、むしろそれで良かった。自分を曝け出さず、全員から「良い」と思われる存在で良かった。「親友」も「恋人」も必要ない。深く知られれば私の価値は嘘だとバレてしまうから。

 周囲から嫌われず歓迎される―――それでも、罪悪感が消えるわけではなかった。


「…………マノセ君」


 稀歩が呼びかけるが、真信乃は眠ったままだった。病室に再び静寂が訪れる。真信乃以外の患者はおらず、それ故、稀歩は彼の手を握りしめた。


「ごめんなさい……」


 あれから三日、返事はない。傷は癒えたが、魔力の使いすぎだろうと医者は説明した。これ以上使っていれば、命を落としていたかもしれない―――そう付け足され、稀歩の罪悪感はいっそう強まった。

 ―――私のせいで。私が生きているせいで。私がマノセ君と出会ったせいで。


「ごめんなさい……」


 稀歩は病室に泊まり、謝り続けていた。本来宿泊は許可されていないが、「団員故に命を狙われている」と言って承諾してもらった。そこまでする理由が彼女にはあった。

 訓練生が洗脳されていた―――その事実は、騎士団員全員を疑うには充分な証拠だった。見舞い、事情聴取だと言って真信乃に近付き、洗脳しようとする輩がいるかもしれない。今の真信乃は無防備だ。抵抗されずに魔法をかけるなら今がチャンスだと思っても不思議ではない。

 ―――これは、せめてもの罪滅ぼしだった。真信乃が回復するまで、彼を守り切る。これしかできないから、これを無理矢理罪滅ぼしにする。


「………ごめんなさい」

「どうして謝っているの?」


 稀歩は急いで振り向いた。真後ろに、見知らぬ金髪の女が立っていた。


「あっ……あなたは?」

「騎士団員の能条執月。真信乃の同僚」


 稀歩は慌てて立ち上がった。真信乃を庇うように、執月と向かい合う。


「な、何の用ですか?」

「同僚としてお見舞いに来たんだけど。ダメなの?」


 紫色の瞳に見下ろされ、稀歩は身震いした。童顔で可愛らしい造形なのに、威圧感は大人のそれだった。日頃から命を張っているとこのようになるのだろうかと、稀歩は騎士団に畏怖を覚えた。


「どいて」

「っ……そ、それはできません」

「は?」


 ぎろりと睨まれる。敵意を向けられていることは、素人の稀歩でも分かった。恐怖で足が震える。それでも逃げず、稀歩は留まった。


「ま………真信乃先輩が回復したら、また来てください」

「どうして?」

「っ………」


 団員のあなたが疑わしいから―――などとストレートには言えない。稀歩はあらかじめ考えておいた言い訳を嘘だと悟られぬよう、堂々と告げた。


「真信乃先輩にそう頼まれているからです」


 沈黙が流れる。執月は伸ばしかけていた腕を下ろした。

 これが一番最適だと稀歩は確信していた。団員でもない自分の考え・思いを言ったところで無視される。しかし同じ団員の真信乃の頼みだったら、何かしらの理由があると納得されるし、その理由を団員でない稀歩が知らされていなくても不自然ではない。勝手に真信乃のせいにするのは心が痛むが、話せば分かってくれるだろうと稀歩は期待していた。


「……真信乃が、どうして?」

「そ、それは私にも分かりません。とはいえ真信乃先輩のことですから、理由もなくそんなことを言うとも思えません」

「…………へえー」


 執月が不敵に笑う。不可解な行動に、稀歩は顔を青ざめた。


「な……なんですか……?」

「いつ、そんなこと言われたの?」

「へ……?」

「真信乃に、いつ、言われたの?」


 質問の意図が分からない。そんなことを聞いてどうするのか―――返答に迷ったが、はぐらかす言葉も見つからなかった。


「ま、真信乃先輩が気絶する直前……ですが……」

「へえー」


 突如、執月に腕を引かれて稀歩は床に投げ飛ばされた。起き上がろうとする彼女の腹を、執月は勢いよく踏みつける。


「ガッ……!」

「嘘吐かないでよ」


 紫色の瞳が見下す。冷たく、強烈な殺意のこもった視線だった。


「そんな素振り、なかったじゃない」

「…………え……?」


 腹を圧迫されるその一方で、稀歩は思いがけない言葉に動揺した。


「ど、どういうことですか……?」

「真信乃とあんたが話したのって、たしかに気絶する直前だったけど、そのときもう真信乃はフラフラだったじゃない。すぐに倒れちゃったし、尺が合わないと思うんだけど?」


 ―――何を言っているのだろうと、稀歩は理解に苦しんだ。たしかに真信乃はそんなことを言っていない。気絶する直前に彼が放った言葉は、使命を全うできた安堵だった。命懸けで守ったことへの、喜び。

故に、執月が言っていることは正しい―――しかし、だからこそ、稀歩の頭が混乱していた。


「どうして………そんなに詳しく知っているんですか……?」


 ――――――あの場には、私とマノセ君と転生士、洗脳された人々、そして仲斗しかいなかったのに。


「だってあたし、見てたもん」


 ―――どうして? そう問うと、女は足元の肉を思いっきり踏みつけた。


「あんたが死ぬのを見届けるためだよ」


 ――――――自分以外から殺意を向けられたのは、初めてだった。



「あ、起きた」


 まぶたを開いて一番に見えた顔を、真信乃はまじまじと見つめた。「それ」が「人」であると理解したが、そこで思考が止まってしまった。しばらくそのまま時が流れ、ようやくじわじわと「感情」が漏れ出す。


「…………なかと、か。いやだな」

「ん? なんだその低能な感想は?」

「…………ああ……違う」


 むくりと起き上がり、真信乃は頭を押さえる。仲斗を改めて見つめ、「感情」を探し当てた。


「………不愉快。そうだ。仲斗、不愉快だ」

「お前、大丈夫か? ただでさえ馬鹿なのに、さらに馬鹿になってないか?」


 答えることなく、真信乃は記憶をたどった。真っ先に思い出したのは、田口や二岡との戦闘―――そこからひと通りの顛末を思い出し、彼は辺りを見回した。


「今日何日だ? あれから何日経った?」

「三日だよ。真信乃、寝すぎ」

「三日……」


 真信乃は布団を剥ぎ、身体を伸ばした。眠り続けていた骨がボキボキと鳴り、全身が覚醒を始める。ベッドを降りて軽く体操するうちに、真信乃はようやく元の「感情」を取り戻した。


「よし………戻ってきたな。仲斗、相変わらず腹立つ顔してるな」

「なんだあ? 真信乃、さっきから言動が変だぞ?」

「どこがだ? 仲斗が腹立つのはいつものことだろ」

「んん? 今は普通だな? もしかして真信乃、さっきは寝ぼけてたのか?」

「まあ……そういうことでいい。ところで……」


 真信乃は棚を開け、自身の服を引っ張り出した。しかし、血で真っ赤に染まったそれを着ようとは思えず、困ったようにため息を吐く。


「稀歩が来なかったか?」

「あの女? いたよ、ずっと。泊まってやがったから近寄れなくてさあ」


 やっぱりと真信乃は呟く。眠っている最中、彼女の声が聞こえていたような気がしていたのだ。真信乃は棚の別段からインカムを取り出し、耳に装着する。


「今日は来てないのか?」

「僕が来たときにはいなかったな。ついさっきだけど」


 やっと見舞いに来れたと、仲斗は嬉しそうに真信乃の肩を抱いた。それを無視し、真信乃は通話を始める。少しして、相手が応答した。


「晋也? オレだ」

「あれ、真信乃?」


 相手は正団員同期の水上晋也。気が置けない間柄であることともう一つ、彼に連絡を取った理由が真信乃にはあった。


「大怪我して入院してるって聞いたけど?」

「さっき目が覚めた。それより確認したいことがあるんだけど」

「相変わらず仕事馬鹿だね。あと一ヶ月くらい休めばいいのに」

「そんなに休んでられるか」

「ま、どうせ休暇中でも真信乃はしゃしゃり出るもんな。で、なに?」


 くすくす笑う晋也の声に、真信乃も僅かに顔がほころぶ。しかしすぐ真剣な表情に変わった。


「一週間近く前、本部にうちの学校の訓練生が呼ばれたらしい。誰が呼んだか分かるか?」

「訓練生が本部に? そんなカリキュラムあったっけ?」

「オレの頃はなかったな」

「そうだよなあ……俺も覚えがない。ちょっと待ってろ。今確認してみるから」

「訓練生の一人は、田口行雄」

「オッケー」


 雑音が次々通り過ぎていく。晋也が移動しているのだと分かると、真信乃は隣の仲斗を睨み上げた。


「離れろ、仲斗」

「話し相手、誰?」

「同僚だ」

「へーえ、随分仲良さそうだなあ」

「当たり前だ。お前みたいに人をからかって遊ぶ人間じゃないからな」

「僕がいつ、誰をからかって遊んだ?」

「本気で言ってるのなら、ここで治してもらえ」

「真信乃。病院っていうのはな、病気を治すところだぞ?」

「だから勧めてるんだが?」

「仲良さげな会話が聞こえるなー」


 晋也の言葉に、思わず「仲良くないっ!」と真信乃は怒鳴ってしまった。


「ああっ……ごめん。ついカッとなって」

「いいよ。でも、端からはそう聞こえる」

「勘弁してくれ……」

「僕と真信乃は仲良いぞー。なんせ親友だもんなー」

「ふ、ざ、け、ん、な!」


 首を掴もうとした真信乃の手を、仲斗は華麗に避けて飛び退いた。どうにか捕まえて、にやにや笑うその顔を歪めてやりたい気分だったが、晋也に呼ばれてぐっと衝動を抑えた。


「どうだ? 分かったか?」

「うん。入場許可書を確認した。田口行雄と一緒に許可書を出してる人間が何人もいるな」

「それで、訪問先は?」


 正団員以外が本部に入場するには、入場許可書を提出しなければならない。そこには氏名、連絡先、訪問先、そして訪問理由を記入する必要がある。

 田口が訪ねた相手―――それはおそらく、洗脳者。それを確認するために、真信乃は晋也に連絡を取った。

 考えなしに彼を選んだわけではない。彼ならば、洗脳をかけられていても問題無い―――「魔法を無効化する」魔力の持ち主だったからだ。


「へー、珍しい。この人に用があるなんて」

「なに? 誰だったんだ?」


 真信乃が食い気味で尋ねる。仲斗も近付いて耳を澄ませた。晋也の声を聞き逃さぬよう、二人はスピーカーに集中する。


「あの人だよ。ほら、真信乃にいつもくっつこうとする……」



 ――――――能条執月。



「………………え……?」


 真信乃は耳を疑った。身近な同僚が、害の無さそうな女が突然浮上したことに、動揺しないはずがなかった。


「ほ、本当なのか?」

「本当だよ。他の連中も彼女を訪問先にしてる。何の役職も無いのに、変だなあ」


 晋也の言う通りだ。何かしらの役職持ちならまだしも、そうでない団員を訪ねることなどまずあり得ない。それも大勢でなど、あまりにも不自然―――だからといって、受付が許可を出さないわけではないが。


「………晋也、執月の現在地を調べてくれ」

「え? 急になんだ? そんなの許可が出ない」

「正当な理由ならある………いや、オレが交渉するから晋也は本部を見回ってくれ。被洗脳者が潜んでいる可能性がある」

「どういうことだよ?」

「詳しくは後で話すが―――執月が洗脳者かもしれない」


 返事を聞かずに通話を切り、真信乃は別の人間へ着信する。すぐに応答した相手は、真信乃のずっと上の先輩に当たる女だった。


「はいはーい、こちらシステム課の襟原でーす」

「神崎です。友梨さん、頼みたいことがあります」

「あらー真信乃くん! もう具合はいいの?」

「はい。すみません、急いでるんで」

「ああごめんね! それで、どうしたの?」

「能条執月の現在地を教えてくれませんか?」


 突然の無茶な要求に、友梨は困ったように唸った。


「ごめんねー。そういうのは、余程の事情が無いと……」

「あります。余程の事情」

「………そうなの?」

「はい。彼女には洗脳者の疑惑がかけられています。今は憶測ですが、疑うだけの理由があるんです。終わったら必ず提示します。友梨さんが責められることになってもオレの責任にしてください。だからお願いします」


 電波越しに、真信乃は頭を下げた。目に見せられない緊急性を何とか伝えようとした故の行為だった。これでダメなら団長に話して命令してもらうしかない。いつもチャラチャラしているが、「聞いてほしいこと」は必ず真剣に受け止めてくれる。きっと団長になら伝わるだろう。それでも伝わらなかったら―――しかし、真信乃の懸念はすぐに消え去った。


「分かったわ。すぐ調べる」

「ありがとうございます!」

「真信乃くんがここまで言うんだもの。最もな理由があるんだって誰だって思うわ」


 キーボードの鳴る音がしてすぐ、友梨の返答が聞こえた。


「出たわ。彼女は今、一般道で南へ向かってる。速度からして、車に乗ってるわね」

「分かりました。ナビゲーションしてもらえますか?」

「任せて」


 真信乃は血濡れた制服に着替え、仲斗の腕を掴んで引いた。病室を去る最中、隣で仲斗がにやにや笑う。


「なんだ? 珍しく僕に助けてほしいのか?」

「そんなわけあるか。仲斗、お前はオレのエネルギー源だ」

「そんなに僕のこと好いててくれたのか? 嬉しいなあ」

「………もう今はそれでいい」


 空返事をした真信乃は、真剣な表情で足を進める。緊張も含んだその顔を、仲斗は物珍しそうに眺めた。


「真信乃、緊張してるのか?」

「……当たり前だ。洗脳者ってだけで厄介なのに、よりにもよって執月だなんて……」

「でもまだ、そいつと決まったわけじゃないだろ?」

「……間違いだったら良いんだがな」


 病院を出ると、真信乃は全身を強化して仲斗を脇に抱えた。友梨のナビゲーションに従って、家々の屋根やマンションの屋上を跳び跳びに移動していく。


「おー! 気持ちー!」

「仲斗、お前重いな」

「真信乃と違って、僕はちゃんと身体を鍛えてるからな。何なら筋肉、見せてやろうか?」

「違う、そうじゃない」


 ビルの屋上に飛び乗ったその一瞬、真信乃は仲斗を見下ろす。


「お前の〝思い〟、いっつも重い」


 ―――まるで転生士のように。


 風を切って先へ進む真信乃。魔力の底が一切見えないことに、彼は改めて驚く。

 仲斗の〝思い〟が多いことは分かっていたが、こうしてちゃんと向き合うと、まるで底なし沼だ。転生士なら納得できるが、生人のままこの量なら、一体どんな人生を歩んできたのだろうか―――真信乃は僅かな興味と恐怖を抱く。


「そんなこと、どうだって良いだろ?」


 仲斗を一瞥すると、彼は他人事のように笑った。


「転生士か否かなんて関係無い。問題なのは、そいつが罪を犯した悪か否か……真信乃の正義はそこだろ?」

「………まあ、そうだな」

「だろ? その点、僕は何の罪も犯していない善良な一般市民だ。だったら、たとえ転生士でも問題無い。今まで通り、これからも、真信乃と一緒に転生士を処置するだけだ」


 色々と訂正したい箇所はあったが、真信乃は納得せざるを得なかった。仲斗は乱入してくるが、転生士を守っているわけではない。手段が違うだけで、目的は二人とも同じ。それを罪だと切り捨てることは、真信乃の行為そのものも否定するのと同義だった。


「でも……以前のオレだったら、殺そうとしてたかもな」


 真信乃ははるか先を見据える。


「転生士ってだけで危険人物だとみなしてただろうな」

「今は違うのか?」

「ああ」

「……それって、あの女のせいで?」

「せい、じゃない」


 屋根から道路に飛び降り、仲斗を降ろして小さく笑う。


「稀歩のおかげで、〝思い〟を思えるようになったんだ」


 真信乃は街を駆け抜けた。

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