4話-③
食事を終えた二人は、今夜泊まるホテルを探すために店を出た。
「マノセ君のおごりですし、ちょっと良いところにしません?」
「人の金だからこそ遠慮しろよ」
「そんなこと言って、結構稼いでるんでしょう?」
「そんなわけないだろ。裕福だったら寮なんてとっくに出てる」
二人は適当なビジネスホテルに入った。フロントで空き部屋を確認するが、そこで予想外の返答を告げられた。
「申し訳ありません。本日は満室です」
「―――え?」
なんてことない、ただの土曜日。老舗旅館や高級ホテルならまだしも、ただのビジネスホテルが満室だとは思っておらず、真信乃も稀歩も顔を見合わせた。
「満室……? マノセ君、何か心当たりありますか?」
「いや……騎士団関連のものは何もない」
「私も特に思い当たりませんね……」
「あの……」
ホテルマンがタブレット端末の画面を二人に見せた。そこに映っていたのは、超人気男性アイドルグループ・ハナビのネット記事だった。
「今日明日、ハナビのコンサートがあるんですよ。会場はこの近くで」
「花火……? そういえばそんな時期か」
「えっ!? あのハナビのですか!?」
首を傾げる真信乃とは対照的に、稀歩はタブレット画面に食いついた。
「本当だ……! 今日と明日! うわあ、すごいです!」
「何がすごいんだ? 花火なんて毎年どこでもやってるだろ」
「違います! そのハナビじゃないです! 国民なら誰もが知っているアイドルグループです! そのコンサートがやってるみたいなんですよ!」
「オレ、知らないけど」
「ええっ!? マノセ君、それはまずいですよ! テレビ観てないとかそういう次元じゃないです! 世間知らず!」
「ただのアイドルグループを知らないからって世間知らずなわけないだろ!」
「いいえ! そう言われてしまうほどハナビは超超超有名なんですよ! ねっ?」
稀歩に突然振られたが、ホテルマンは焦ることなく同意した。それどころか、ハナビについて稀歩と盛り上がり、フロントが賑やかになる。
「世阿瀬くんが出てる『恋ゲキ』、先週は遊園地デートの話だったじゃないですか。あれ、ほとんどアドリブらしいですよ!」
「そうなんですか! 台本無しであんな自然な演技ができるなんてすごいですね」
「ですよね! でも実は台本があったそうなんですけど、あまりに演技が下手で、監督から『好きにやってみろ』ってダメ元で言われたらしいんですよ!」
「アドリブに強い人なんですね。素晴らしい」
「ですよね〜!」
楽しそうに喋る稀歩を、真信乃はむっとして眺めていたが、唐突に踵を返して外へ出ていった。慌てて彼女は追いかける。
「マノセ君! どこ行くんですか?」
「ホテルを探すんだよ」
「たぶんどこも空いてないですよ。ハナビの人気は本当にすごいんですから」
「じゃあ野宿するつもりか?」
「最悪、それも考えないとですよね」
「……本気で言ってるのか?」
「都心ほどホテルの数も多くないですし、可能性はありますよ」
冗談でもなく真剣に言う稀歩に、真信乃はようやく危機感を抱き始めた。たかだかアイドルグループのコンサートでホテルが埋まるなど、想像できない。しかし、現にこのホテルは満室だった。
いや、そんなことはない。どこか一室くらい空いているはずだ。いくら有名だからって、客室数を埋め尽くすほどのファンが集まるわけがない―――そう信じたかった真信乃を、現実はあざ笑った。
「申し訳ありません。今夜は満室です」
これが最後の希望だった。他のホテルは全滅、それはただの偶然だと思い込ませ挑んだ最終試合……真信乃はその場に崩れ落ちた。
「まさか本当に………」
「だから言ったじゃないですか。ものを広く知っていたら、避けられたかもしれませんよ」
「うぐ……」
どストレートに、ど正論を叩きつけられた。業務以外のことなど必要無いと思い込んでいた真信乃だが、このときばかりはそんな過去の自分を恨んだ。癪だが、上司や団長の言うことを素直に聞いて世間に目を向けていれば……後悔に苛まれる真信乃の頭上で、フロントの電話が鳴った。ホテルウーマンが対応したが、その応答を聞いた稀歩が、目を輝かせて真信乃を見下ろした。
「マノセ君! 奇跡が起きたかもしれませんよ!」
「奇跡ならもう既に起こったろ。ここらのホテルが全て満室。こんなこと、滅多に起こらない」
「違いますよ! これは奇跡ではなく必然です! そうじゃなくて! ほら立ってください!」
稀歩に腕を掴まれそうになったのを避け、真信乃はしぶしぶ立ち上がった。ホテルウーマンは受話器を置くと、希望と絶望の瞳を向ける二人に拍手を送った。
「お客様、おめでとうございます。ただ今予約キャンセルの連絡があり、一室だけ空きとなりました」
「本当ですか!? やったー!」
諸手を挙げて喜ぶ稀歩の隣で、真信乃は訝しげにホテルウーマンを睨んだ。
「こんなタイミング良く? 本当は最初から一室空いていたんじゃないのか?」
「いいえ。これはお客様の運が大変良いために起きた奇跡でございます」
「本当に……?」
「はい」
笑顔で受け答えるホテルウーマンに、真信乃は仕方なしに信じるしかなかった。それに、ここを逃したら今晩は野宿が決定してしまう。拒否する選択肢はなかった。
「分かった。じゃあその部屋に一泊、二人で」
「はい。それでは、ダブルルームでお二人のご宿泊ですね」
「えっ!? ちょっ、ちょっと待ってください!」
やっと休めるのかと安堵していた矢先、今度は稀歩が慌てて待ったをかけた。
「ダブルなんですか!?」
「はい。左様でございます」
「えっ……あの、他に部屋は……」
「稀歩、お前アホなのか? たった今空いた末の宿泊だぞ。他に空き部屋があるわけないだろ」
「だっ、だって……ま、マノセ君はいいんですか?」
「何が? 泊まれるなら何でもいいだろ」
「ダブルルームってことは、ベッドが一つってことですよ!」
「は?」
真信乃がぎろりとホテルウーマンを睨む。
「なんでダブルルームなのにベッドが一つなんだ?」
「あ、マノセ君……やっぱり知らなかったんですね……」
「は?」
「ダブルルームはお二人で一つのベッドをご利用していただくため、ベッドはシングルよりも大きいものとなっております」
それを聞いて、真信乃は顎に手を当てた。
「二人で一つの……? それってかなり大きいってことだよな?」
「ダブルベッドはシングルベッドの幅約一.五倍となっております」
「二人で寝るのに? 二倍じゃないのか?」
「申し訳ありません」
「まあ仕方ないか……」
「えっ、マノセ君! まさか泊まる気ですか!?」
そうだけど、と真顔で答える真信乃に、稀歩はさらに慌て出した。
「正気ですか!? ダブルベッドですよ!」
「だから何」
「ダブルってことは…………わ、私と寝るってことですよ!?」
「寝相悪いのか?」
「そうじゃないです! 同じベッドにお、女の子と寝るって……ど、どういうことか分かってますか!?」
真信乃はため息を吐いた。十四歳とはいえ、そういった知識が無いわけではない。どうして彼女が焦っているのかも、想像はできる。
分かっているからこそ、何の問題もないと彼は思っていた。
「分かってるよ。オレが男だから、稀歩は不安なんだろ。襲われるかもって」
「そっ……………そうですよ。私だって、まがりなりにも、お、女ですから」
「でも安心しろ。オレはそんなことしないから」
「それは分かってますよ。マノセ君がそんな人ではないってこと…………分かってますけども」
「それじゃ何が不満なんだ?」
本気で首を傾げる真信乃を、稀歩は信じられないといった表情で見返す。
「マノセ君がそんなつもりはないと思っていても………き、緊張しますよ。ツインベッドならまだしも、お、同じベッドなんですから……」
「そんなに? シングルサイズで寝ろってわけじゃないんだから、ピッタリくっつくわけじゃないし。そんなに緊張することあるか?」
「そうじゃないですよ! どんなサイズでも、同じベッドの上っていうのが嫌なんです!」
「じゃあどうするんだよ。他に泊まるところは無いのに。野宿するつもりか?」
「分かってますよ! ここしかないから、嫌でも泊まるしかない。分かってますけど……!」
「っ………あーもう……いい加減にしろよ」
真信乃はうんざりして吐き捨てる。
「嫌なら稀歩だけ野宿すれば? オレはここに泊まるから」
冷たい少年の言葉は、静かなフロントに響いた。当の本人は、「準備お願いします」とホテルウーマンを促す。彼女は戸惑いながらも、宿泊の手続きを始めた。カタカタと、キーボードの叩く音だけが鳴る。
真信乃は稀歩を見なかった。子供のようにわがままを言う彼女にいらついていた。そんなに嫌なら出て行けばいい。オレは気にしないし、襲ったりなんかしない。それが信じられないなら、そっちがどこかへ行け―――心中で文句を吐き続ける真信乃。
それに意識を取られていたせいか。
―――肩を乱暴に押されたことに反応できなかった。
「っ―――!?」
次の瞬間、頬をひっぱたかれた。
「なっ……!?」
まさに、鳩が豆鉄砲を食ったように―――真信乃は稀歩を見上げた。自分を叩いたのは彼女だ。怒りで呼吸が荒くなり、緑色の瞳からは涙がじわじわと滲み出ていた。
「マノセ君の馬鹿ッ!」
稀歩はホテルを飛び出していった。突然の暴力と罵声に真信乃は呆気に取られていたが、すぐに状況を理解し、彼にも沸々と怒りが沸き上がった。
「なっ……オレが馬鹿!? ふざけんな!」
いや、そこに怒るのかよ―――ホテルウーマンは無言のツッコみを入れた。
「何なんだまったく! わがままばっかり! あいつ本当に年上か!?」
「……………」
「嫌なら勝手に出ていけ! 野宿でもしてろ! オレ一人で広々ベッドを使ってやるからな!」
「……………お客様」
「なんだ?」
「お客様方は、お付き合いをされていないのですか?」
「当たり前だ。最近知り合っただけだし」
「………そうでしたか。では、差し出がましいことを申し上げますが」
笑顔だったホテルウーマンが一変して、非常に冷酷な視線を真信乃に向けた。
「お客様は、お気持ちを察することができないのですか?」
―――〝思い〟に関する魔力を有する真信乃にとって、その評価はあまりにもショックで………腑に落ちないものだった。
「どういう意味だ?」
「お客様は、相手の気持ちを察することができないのですか?」
「だから、オレは襲ったりしないって言ってるだろ」
「そう言われたところで、お付き合いしていない……しかも、最近知り合った方を信用することなどできません。『俺は魔導士じゃない』と言われるくらい信用できません」
例えは明確で分かりやすかったが、それが今回のことに適用されるとは思えなかった。
「それって、オレがそういう人間に見えるってこと?」
「そうではありません。どんなに信頼している相手でも、同室を受け入れられない女性はいますし、同室なら気を遣うことがたくさんあります。そんな状況で休めると思いますか?」
「そんなに気を遣うことなんかあるか?」
「それを想像できないから、お客様はあの方を怒らせてしまったのですよ」
真信乃は言い返せなかった。言われたことに未だ納得できていなかったが、稀歩が怒ったのは事実だし、自分がそうさせたのは明らかだ。何故あそこまで怒ったのかは分からない。だからこそそれは、彼女の気持ちを想像できなかったために起きたことなんだろう。
そう思うと―――真信乃に嫌な感情が生まれた。
「……………オレが、悪いのか」
自分が最も忌み嫌う悪に成り下がったんだという事実。それに気が付くと、真信乃の気分は途端に沈んだ。
「オレが…………悪……」
「もう少し話し合い、彼女の〝思い〟を聞いてあげるべきだと思います」
「…………〝思い〟を聞く、か」
真信乃は〝思い〟を自発的に聞いたことがなかった。相手の転生士が勝手にべらべら喋って聞かされたことは何度もあったが、他者の〝思い〟に興味などなかった。それは一般人相手にも同じことで、「この〝思い〟の量になった所以」に多少の興味が湧くくらいだ。詮索もしないし、どんな〝思い〟でも知ったことではない。
しかし、今回ばかりは知るべきだと―――知らなければならないと真信乃は自身を一喝した。
「……………部屋、準備しておいてくれ。すぐ戻る」
「かしこまりました。お待ちしております」
真信乃は踵を返し、ホテルを後にする。街はとっくに夜闇に包まれ、人の気配もない。こんな中どこへ行ってしまったのか、真信乃には皆目検討もつかなかった。空いている店もほとんどない。コンビニや居酒屋などを回ってみるが、稀歩の姿も訪れた様子もなかった。
「ったく………どこ行ったんだ」
アテもなく探し回っては体力が無くなるだけだ。生身の身体で遠くへ行けるとは思えないが、それなのに見つからないということは―――真信乃は立ち止まり、思考をめぐらせる。
「………実は、魔導士だったのか?」
―――違う、と真信乃は否定する。稀歩を見つけられないのは、自分が彼女の気持ちを想像できないからだ。彼女のせいではなく、自分のせい。
「オレは、稀歩を怒らせた悪者だから……」
自ら唱え、再びショックで項垂れる。誰かを傷付けることは絶対にしてならないと心に決めていたし、それ故、彼に悪意を抱く者はいなかった。生意気だ、変なやつだと思う者はいるが、彼から傷付けられたり損害を与えられた者はいなかった。
「……いや、落ち込むのは後だ。早く見付けないと」
真信乃は再考する。
もし自分が魔導士ではなく、行くアテが無かったら? 一晩どこで過ごす? 真信乃は即答する―――「野宿する」と。よほど天気が悪くなければ、そこら辺の公園で寝て過ごすと。
しかし、稀歩はそうでないだろう。真信乃との同室を断ったのに、誰が来るかも分からない外で眠るわけがない。ならば、個室を取れるところに行くはずだ。一晩営業している、個室のある店―――そこまで考え、真信乃はふっと顔を上げた。
「ネットカフェ、カラオケボックス、スーパー銭湯……辺りか?」
彼が思い付くのはそれくらいだった。とにかくこれらを当たってみようと、真信乃は近くの交番で場所を訪ねた。ここから一番近いのはカラオケボックスだった。徒歩で約二十分。真信乃の魔力は枯渇しているが、走れば入店前に間に合うかもしれない。地図のコピーをもらい、真信乃は急いで目的地へ向かった。
「はっ……はっ……はっ……」
魔力無しで全力疾走するのは久しぶりだった。思うように動かない足にもどかしく、一日の疲労が一気にのしかかったように真信乃は感じた。五分ほど走っただけで彼は立ち止まってしまった。
「きっつ……」
汗を拭い、息を整える。徒歩で先に進むが、これでは入店前に間に合わない。そもそもそこへ行っていない可能性もあるし、そこからまた探すとなるとさらに時間がかかる。最悪、一晩中探すことになるかもしれない。
「っ………」
真信乃は再び走り始めた。まだ体力は限界ではない。かなりつらいが、まだ行ける―――自分を騙すように唱え、真信乃は夜道を駆ける。
彼が急ぐ理由は、稀歩に謝罪し迎えに行くためだけでない。そもそも夜に少女が一人で出歩くことも危険だが、それよりも不安な事案―――まだ、昼間の魔導士は捕まっていない。
「―――ッ―――!」
怒声が聞こえ、真信乃の心臓が跳ね上がった。方角は先の角を曲がったところ、声色は男だった。何を言っていたかは聞き取れなかったが、夜に叫ぶ者などろくな奴じゃない。真信乃は疲弊した身体を無理矢理奮い立たせ、戦闘態勢に入った。角を曲がり、状況を確認する。
「魔導士の世界を取り戻す!」
男はつばを飛ばして叫んだ。振り上げた手には包丁が握られており、もう片方の手は相手の首を掴んでいる。男に拘束されているのは、桃色の髪をした少女―――。
「稀歩ッ!」
真信乃は駆けた。男の振り下ろされた腕に飛びかかり、〝思い〟を吸い取ろうとする。しかしそれは叶わなかった。彼は瞬時に悟る―――こいつは、洗脳されている。
「まっ……マノセ君……!?」
驚く稀歩の前で、真信乃は暴れる男に何とかしがみつく。その片手を彼女へ伸ばした。
「稀歩! 〝思い〟を……!」
「え……?」
「―――〝思い〟を聞かせて!」
―――間違えた、と真信乃は少し恥ずかしくなった。気持ちが先走ってしまった。〝思い〟を聞く前にこの男を取り押さえないといけないのに。
「稀歩―――ッ」
言い直そうとした刹那、真信乃は振り払われた。その先にいたのは稀歩……彼女は真信乃と共に吹っ飛び、住宅の塀に背中を打ち付けた。
「いっ……!」
「稀歩、大丈夫か!?」
真信乃はほとんどダメージ無く起き上がる。それは、稀歩が衝撃を受けてくれたからだ。痛みで悶える彼女の姿を見て、真信乃は怒りに震える。
「―――これは、オレが悪い」
男が叫びながら駆けてくる。真信乃は稀歩の頭をひと撫でし、〝思い〟を吸い取った。その量は、以前のそれより多い。殺されそうになった恐怖と、傷付けられた悲しみが合わさった結果だろう―――オレのせいで。
「ごめん、稀歩」
「え……?」
稀歩が真信乃に視線を向ける。真信乃は全身を強化し、次の瞬間、迫りくる男の包丁を避けて思いきり蹴り飛ばした。男の身体は道路を跳ねながら吹っ飛ぶ。それを追いかけ、追撃を加えようと真信乃は拳を振るう。すんでで避けた男は、起き上がりざまに真信乃へ頭突きした。脳に走る衝撃に、一瞬ふらつく真信乃。
「魔導士の世界を取り戻す!」
男が駆け出す。その先は真信乃―――ではなく稀歩だ。再来する恐怖に稀歩は震え、逃げようと必死に身体を起こそうとする。しかし、当然間に合わないと分かりきっていた。起きる前に殺されると。
だからこそ―――男もここへは間に合わないと想像もしなかった。
「ガッ―――!」
男の背中に、真信乃が勢いよく飛びついた。首に腕が回り、呼吸を阻害される。もがく男にはっとし、力が強すぎたと真信乃は離れた。すぐさま腹を殴り、男は倒れる。息を確認し、気絶しているだけだと分かると、ほっと安堵した。
「ふう………殺さなくて良かった」
転生士ならともかく、被洗脳者を殺すことはなるべく避けていた。ただ操られているだけの人間を悪だと言い切ることはできない―――最も、被洗脳者でも構わず殺す団員はいるが。
「ごめん、稀歩」
真信乃は稀歩の元へ歩み寄った。跪き謝ると、彼女は目玉が飛び出そうなほど目を見開いた。
「マノセ君が……謝った……?」
「……なんだその反応は」
「だ、だって……マノセ君が謝るなんて……思ってなくて……」
そんな風に思われていたのかと、真信乃は少し悲しいような、悔しいような気がした。
「オレだって、悪いときはちゃんと謝るし」
「そう………ですか」
抱き起こされた稀歩は、塀にもたれた。騎士団に一報入れる真信乃を眺め、こてんと小首を傾げる。
「マノセ君、汗だらだらですね」
「え、ああ……そりゃ、全力疾走してきたから」
「まさか……ホテルから?」
「まあ……距離的にはそのくらいか?」
「そんな……魔法を使えば良かったのでは? 強化魔法……ですよね?」
「いや、違う。オレの魔力は、吸い取った〝思い〟をエネルギーに変換するんだ。強化魔法と同じ効果は出せるけど、誰かの〝思い〟を吸い取らないと発動できないんだ」
「……すごい魔力ですね」
そう呟く稀歩の瞳には活力が無かった。真信乃のように戦い慣れしていれば多少の痛みも我慢できるが、そうでない一般人には苦しいだろう。真信乃はさらに罪悪感に苛まれる。
「………オレが傷付けたせいで、稀歩に怪我をさせたな」
あまりにも自分を責める真信乃の言葉を、稀歩は慌てて否定する。
「そ、そんなことないですよ。魔導士が逃走中だって分かっていたのに、無防備に飛び出した私が悪いんです」
「違う。これは、オレが悪い」
真信乃の拳が震え、強く握られる。
「稀歩を怒らせるつもりはなかった。けど、言い合いになった時点でオレに非があることは明らかだった。ちょっとムキになって、冷静な判断もできてなかった」
「マノセ君……」
「……正直、稀歩が怒った理由は未だに分からない。オレのこと信用できないわけでもなさそうなのに、じゃあ何が不安なのか………想像できない」
でも―――真信乃は、黄色い瞳を光らせる。
「稀歩があんな風に怒ったってことは、オレが悪いってことだ。オレの態度が悪くて泣かせた。だから今回のことは、全てオレのせいだ。オレが稀歩を傷付けて怒らせて怪我させた」
―――ごめんなさい。
真信乃は頭を下げて謝罪した。本気で自分が悪いと思い、誠心誠意の謝罪だった。〝思い〟を感じ取れなくとも、稀歩には分かった。それ故、彼女は不思議に思った。
「……どうして私があんなに嫌がったのかは、分かってないんですか?」
「ああ」
「それなのに、自分が悪いと思ったんですか?」
「ああ」
「私が怒ったから?」
「ああ」
「………それって、本気で謝ってます?」
「当たり前だ」
真信乃は、そっと手を差し伸べた。
「〝思い〟を聞かせてほしい。稀歩がどうして傷付いたのか、怒ったのか……思ったことを教えてほしい。オレじゃ想像できない。オレは男だし、稀歩よりも年下だし、そういう経験も無いし……だから教えて。そうすれば次からは気を付けるから。もう絶対、稀歩を傷付けないから」
怒られたから自分が悪い、でも怒られた理由は分からない、だから教えてほしい―――正直な子だと、稀歩は改めて思った。自分の〝思い〟に正直で、そしてそれを正直に明かす。
そんな心からの〝思い〟を受けて、それを無下にするなんてことは―――私にはできない。
「………マノセ君を、卑劣な人間だとは思ってません。女性を傷付ける方だなんて、一ミリたりとも思ってません」
「うん」
「ですが………それでも、少し怖いんです。万が一のことを捨て切れないんです」
「うん」
「………ごめんなさい」
「うん?」
顔を隠すように、稀歩は俯いた。
「私が弱いからです。マノセ君を信じきれない私が意気地無しなだけです」
「……………ん?」
「私がもっと強い人間だったら、マノセ君を信じることができたのに……そもそも私なんてそんな価値も無いのに、襲われるかもなんて馬鹿みたいに思っちゃって……」
「……何言ってんだ?」
涙で滲む緑色の瞳が、真信乃を見上げる。
「今は、稀歩がどう思ったのか聞いてるんだ。強かったらとか、そんなのどうでもいい」
「どうでもいいって……でも、私が割り切れていれば」
「稀歩は、オレと同室で寝るのは怖いか?」
「…………怖いです」
「ならそれだけでいい。稀歩が謝る必要なんかどこにもない」
「でも、私が我慢できれば……」
「我慢できないから怒ったんだろ? それが稀歩の〝思い〟なんだから、もしもの話をしたってしょうがないし、最適解じゃないからって謝る必要はない。その理論でいくと、そもそもオレが女だったらって話になるし」
そう言われ、稀歩は納得するしかなかった。ちょうどそこで、騎士団や警察が続々到着し、気絶したままの男を取り押さえた。骨折はしていたが、命に別状はなかったようだった。騎士団員の一人が真信乃へ駆け寄る。
「君が彼を捕まえたんだね?」
「はい。本部所属の神崎真信乃です」
「本部? どうしてこんなところに? 非番だったの?」
「ええ、まあ」
彼女に事の顛末を説明すると、真信乃は稀歩を横抱きにした。
「えっ……!?」
女性団員も、稀歩自身も目を丸くして驚く。
「まっマノセ君!?」
「一般人が怪我したから、オレが送ってきます。申し訳ないが、後処理はお願いします」
「それなら救急搬送してもらえば……」
「いや、そこまでではないですから」
真信乃は現場を立ち去る。運ばれている稀歩は頬を赤らめ、残っている力でなんとか暴れた。
「マノセ君! 降ろしてください!」
「もう歩けないんだろ? 大丈夫。稀歩、無駄に〝思い〟が多いから、魔法使い放題」
「でもっ……!」
「なに?」
真信乃の視線は道の先に向かっている。その横顔は、幼さと頼もしさが両立していた。自分よりも小さな少年に抱えられていること、そして真信乃が男であること……それが、稀歩に羞恥を抱かせる原因だった。しかし歩けないのも事実。幸い他に人はいないし、稀歩はそわそわしつつも彼の親切を受け入れることにした。
「マノセ君って、女性に対してドキドキしたりしないんですか?」
「しないな。オレは絶対に団長みたいにならないからな」
「団長さんは極端ですが……そうですか。マノセ君、年頃の男の子なのに……」
「なんだその残念そうな感想は」
「いえ、人によりけりですから。恋に落ちる音がしたら教えてください。からかいに行きます」
「絶対稀歩には教えないと今、決心した」
「むー、つまんないです」
だんだんといつもの調子に戻っているようで、真信乃は少し安堵した。
「そういう稀歩は、男にドキドキしないの?」
「あの……マノセ君。ドキドキしなかったら私、とっくにマノセ君と寝てますけど」
「……それって、オレにドキドキしてるってこと?」
「勘違いしないでほしいんですが、マノセ君以外の男の人でもドキドキしてますからね。決して、マノセ君がかっこよくてドキドキするわけじゃないですからね?」
「な、なんでそんなに早口なんだよ」
「マノセ君に期待を持たせては可哀想だと思い、早急に誤解を解かせてもらいました」
「お、オレをかっこいいと思う人だっているだろうが!」
「マノセ君を? それはないですよ~。かわいいと思う方は大勢いると思いますが」
「オレはかわいくない!」
むきになって怒る真信乃に、「そういうところですよ」と稀歩は優しく告げた。どういうところか全く理解できない真信乃は、不貞腐れながら道を進む。
「全然分からん……怒っただけなのに」
「マノセ君、ずっとこのままでいてくださいね。決して団長さんのようにならないでくださいね」
「それだけはあり得ないから安心しろ」
「それは良かったです」
時刻はもうすぐ二十三時になる頃だった。街は完全に寝静まり、夜の世界に真信乃と稀歩、ただ二人だけだった。抱えられている彼女は、心地よい夜風と揺れで眠気に襲われる。
「うう………眠くなってきました」
「寝てもいいが、寝る前にシャワーくらい浴びたら?」
「そうですね……………あれ?」
眠たい頭を上げる稀歩。
「マノセ君はどこに泊まるんですか?」
「外」
「……え?」
「野宿。騎士団の支部に行くのも面倒だし」
稀歩の眠気が一瞬で吹き飛んだ。
「わ………私のせい………ですね」
「そんなんじゃないよ。野宿にも慣れてるし、一晩くらい平気」
「私のせいですよ! 私が、わがまま言ったから……」
「だから、それはわがままじゃない………って、オレが最初にそう言ったっけ………ごめん」
「いえ、マノセ君の言う通りです。私のわがままです」
「違うって。オレが分からなくて勝手に決めつけたことだ。稀歩の気持ちはわがままなんかじゃない」
「……だとしても、マノセ君に野宿させたくありません」
そうは言っても、他に空室はない。この時間にキャンセルが入ることもほぼあり得ないだろう。
「泊まる部屋が無いのに、どうやって野宿を回避するんだ?」
「えーっと……」
「稀歩が我慢してくれるのか?」
「それは……すみません」
「な? だったら野宿するしかない。いいよ別に。家出した日も野宿したし」
「良くないです。せめて室内で寝泊まりしてください。ネカフェとか、カラオケボックスとか」
「あー……はいはい。まあ、検討しとく」
検討だけはな、と真信乃は心の中で付け足した。稀歩をホテルに届けたら彼女の監視はない。故に、適当なところで野宿してやろうと真信乃は考えていた。宿泊は二人分にしておけばホテルの大浴場は貸してくれるだろうし、夕食もとっくに済ませている。布団があるわけでもないのに、わざわざ個室を取りに行くメリットが真信乃には思い浮かばなかった。
だが、そんな彼の心を見透かしたのか、稀歩は疑念の目をもって見上げる。
「………やっぱりダメです。私、我慢します」
「できるの?」
「が………頑張ります」
稀歩は笑顔を浮かべるが、ぎこちなかった。余計に無理をしていると分かってしまう。
「無理だろ?」
「い、いいえ! 大丈夫です! 朝飯前です!」
「あんなに怒ったくせに、今更何を言うか」
「そ、それはそうですが……でも、私のせいで野宿させるなんて……」
「野宿なんて慣れてるから大丈夫だって」
「ダメです! 嫌です!」
急に駄々をこねる稀歩に、真信乃は呆れかえる。罪悪感を抱きたくないということか、しかし他に良い案などないのに―――そう思っていたが、不意にきらりと閃いた。
「じゃあ、交代しよう」
「え?」
道の先に、ホテルの明かりが見えてきた。
「稀歩が五時まで部屋で寝る。五時からチェックアウトまではオレが部屋で寝る。これなら二人とも部屋で休めるし、文句無いだろ?」
稀歩はじっと真信乃を凝視する。嘘が隠れていないか、入念にチェックしていた。それでも真信乃は堂々とした表情のままだ。それ故、稀歩は彼の提案を受け入れた。
「分かりました。それでいきましょう。絶対、五時に交代ですよ」
「分かってるって。集合場所はロビーな」
「了解です」
ホテルに到着した頃には、稀歩の疲労は僅かに回復していた。真信乃に降ろされ、ホテルマンに連れられて部屋へ向かう。残った真信乃がロビーのソファーに腰掛けると、フロントのホテルウーマンにお茶を差し出された。
「ありがとう」
「良かったですね。仲直りできて」
「まあ………そうだな」
渇いた喉を通る冷茶。動き回ったせいで、真信乃はあっという間に飲み干してしまった。
「それで、ご宿泊はどうされますか?」
「五時に交代で寝ることになった。それまでどっかで時間を潰したいんだけど……」
「それなら、二階にあるリラクゼーションルームをご利用ください。リクライナーがございまして、仮眠することも可能ですよ。夜間は日帰りのお客様もいませんし、ごゆっくりできると思います」
「なんだ……それがあるなら初めから言ってほしかった」
「言う隙を与えてくださらなかったじゃないですか」
「………む」
それもそうかと、これ以上の文句はやめた。真信乃はフロントでタオルと寝間着を借り、大浴場に入った。のんびり湯につかり、温まった身体でリラクゼーションルームへ向かう。中には誰もおらず、多くのリクライナーが並んでいた。適当なそれに腰掛けると、ふかふかの椅子に身体が沈み、その気持ちよさに真信乃の顔がほころんだ。
「すご………こんな椅子、ほしいなあ」
ひとり呟き、背にもたれる。静寂に包まれる薄暗い室内は、真信乃の眠気を誘い出す。自宅以外で眠るときは警戒をもっていなければと意識しているが、今日は慣れないことばかりでどっと疲れていた。
少しだけ寝るか―――そう思ったが最後、真信乃は深い眠りについてしまった。
*
翌朝、約束の時刻。ロビーでしばらく待っていた稀歩だが、ホテルウーマンが教えてくれた場所へ向かっていた。まだ朝早く、リラクゼーションルームは静寂に包まれている。奥へ進むと僅かな寝息が聞こえてきた。なるべく物音を立てないよう近付き、リクライナーを覗き込む。
「………マノセ君?」
リクライナーで眠っている真信乃を、稀歩は小さく呼んだ。しかし起きる気配は全くない。無防備な寝間着の格好で、年相応のあどけない寝顔を見せながら寝息を立て続けている。稀歩は隣に座り、今まで見せられたことのない姿をまじまじと眺めた。
「こう見ると、普通の少年なんですねえ……」
不意に真信乃が小さく唸り、寝返りをうつ。真正面に顔を向けられ一瞬どきっとしたが、稀歩はくすりと笑った。
「よく寝てますねえ、マノセ君」
「………………うーん………」
「よっぽど疲れたんですね」
稀歩がゆっくり手を伸ばす。寸前で躊躇ったが、肌白い手のひらはそっと少年の頭を撫でた。
「――――――私のせいで、ごめんなさい」
少女の懺悔は、誰にも聞かれずに消えた。