4話-②
新幹線で約四時間、そこからバスで三十分かけてようやくたどり着いたのは、何の変哲もない住宅街だった。駅前はかなり栄えた地方都市、しかしオフィスビルなどはほとんどなく、車社会を後押しするように車道は広かった。その車線の多さに真信乃達は驚いていたが、ありがちな住宅街の風景に少し安堵した。
「この辺はどこも変わらないんだな。道路も広くないし」
「どこもかしこも広かったら不便でしょうがないですよ」
「でも、人口が少なかったらそうなるんじゃないのか? そんなに家も必要無いだろうし」
「どうですかねえ」
バス停から歩くことおよそ十分。健太に連れられてやって来たのは、瓦屋根の一軒家だった。二階のベランダには洗濯物が干してあり、脇の駐車場には車も停まっている、ごく普通の家だった。
「場所は合ってる……」
健太はまじまじとその家を眺め、手元のメモを読み返す。
「けど、俺の家じゃないです」
「百年近く経ってるなら取り壊されててもおかしくないし、現存しててもリフォームか何かされてるだろ。ど田舎ってわけでもないし、そっくりそのままなんて難しいよ」
「やっぱりそうですよね……」
がっくりと肩を落とす健太。その横を稀歩が通り過ぎ、二つ掛かった表札を確認した。
「佐々木と和田……どちらか、健太さんの名字ですか?」
「いえ、俺は日比野です。妻の旧姓も違いますし……」
「じゃあ他人が住んでるんだな」
どんまい、と真信乃が健太の背中を叩く。今にも泣き出しそうな健太だったが、稀歩は僅かな希望を見逃さなかった。
「まだ可能性はありますよ。健太さん、お子さんのお名前は?」
「え……? 日比野寛太……ですけど……」
「了解です」
稀歩は表札横のインターホンを押した。少しして現れたのは白髪の高齢女性だった。
「どちら様?」
「突然申し訳ありません。日比野寛太さんという方をご存知ですか?」
「はあ……知ってるけど」
「えっ!?」
まさかの返答に、健太は老婆に駆け寄った。
「知ってるんですか!?」
「だから何だっていうんだい?」
「どっ、どういう関係ですか!?」
「健太さん、落ち着いてください」
「ん……? あんた……」
老婆が健太の顔をじっと見つめる。稀歩が引き剥がすと、今度は全身を眺めた。
「どうしました?」
「いや………何となく見覚えがあるなと思ってね」
「見覚え?」
「それより! 寛太とどういう関係なんですか!?」
「健太さん! 少し落ち着いてください!」
「日比野寛太は、私の父だけど?」
その場に沈黙が流れた。健太の息子・寛太がこの老婆の父―――ということは、この老婆は健太にとって―――。
「…………俺の、孫?」
訝しげに来訪者を眺める老婆。そのうち一人、健太の眼から涙が溢れ、彼女はぎょっとした。
「な、なんだい。急に泣き出して」
「おっ……俺のっ………孫っ……! 寛太あ……ちゃんと結婚したんだな……!」
「おめでとうございます! 健太さん!」
「お前たち、何者なんだい! さっきからわけが分からないよ!」
「ああ……すみません。それはオレが」
号泣する健太を押しのけ、真信乃が団員カードを見せながら説明した。
「遺した家族が心配で彼は転生してしまいまして。その家族が住んでいた場所がここなんです」
「転生士………ほう、なるほどね」
真信乃の予想に反して、老婆の理解は早かった。顎に手を当て、健太を観察する。
「だからあんたに見覚えがあったんだ」
「彼のこと、写真か何かで見たことが?」
「ああ。祖母が昔、祖父の写真を見せてくれたことがあってね」
「なるほど。ほら、お孫さんが健太さんのこと見たことあるって!」
「私が孫か! 久しぶりに言われたよ」
ケラケラと笑った老婆は、真信乃達を家の中へ通した。廊下を抜けてリビングに通され、彼らはソファーに座る。それぞれにお茶を出し、老婆も一人用のソファーに腰掛けた。
「祖母はもちろん、両親も既に他界している。私の夫もね。今は娘家族と暮らしてるんだ」
「この家は建て替えなどを?」
「二十年ほど前にね。かなり大掛かりにやったから、前の家だと分からなくても無理ないよ」
そうだ、と老婆が立ち、棚の中から写真を持って戻った。
「これ、私の七五三の写真だよ。私と両親、それから父の母……あなたにとっては妻になる方が写ってる」
着物姿の若い男女の前で、可愛らしく着飾った少女と椅子に腰掛けて笑う高齢女性が写っている。老婆と男は、僅かに垂れ気味の目元が似ていた。健太は写真をじっと見つめ、次第に涙が溢れ出した。
「寛太………こんなに立派に育って……綺麗なお嫁さんまでもらって……」
ぽたぽたと、古びた写真に涙が落ちる。
「恵子も………幸せそうに笑ってるな……」
「ばあばの料理、美味しかったよ。母も、それから私も、ばあばから料理を習ったんだ」
「そっか………恵子、俺のために一生懸命料理の勉強してくれたもんなあ……」
人目もはばからず涙を流す姿に、稀歩も目が潤んでいた。真信乃は特に表情を変えたりしないが、ぼんやりと思っていた。
一体、彼は何を思っているだろう。この写真の中にいられなかった後悔か―――否、大好きな家族との日々で得た喜びだろう。記憶の中に必ず存在する思い、彼にとってそれは幸せでいっぱいなのだろう。
「ほらこれ。昔のアルバムだよ。ばあばは少ししか写ってないけど」
老婆が奥の部屋からアルバムを持ってきた。老婆の成長記録をメインに、何枚かの写真に恵子が写っている。どれも笑顔で、幸せそうに家族を見守っていた。それを眺める健太も、安心したように微笑を浮かべている。
「素敵なアルバムですね。皆さん笑顔で楽しそうです」
「いつもばあばが言ってたよ。家族がいてくれるから寂しくないけど、夫は一人で待ってるから早く迎えに行かないとって。その度に冗談言うなって父に怒られてたけどね」
「そっか……」
幸せな家庭だったのだろう。子供や孫に囲まれて、それでも先立った夫を想い続けていた。それを、生前の健太が知る由はなかった。こうして転生し、老婆の元へ送り届けたことで、初めて彼は妻の〝思い〟を知ることができたのだ。
転生士は迷惑な存在だけど、今回ばかりは、稀歩の言うことを聞いておいて良かったな。いつものように処置していたら、こんな〝思い〟だったと、知らずにいたままだっただろう―――真信乃の〝思い〟は、僅かに変化を始めていた。
そうだな。もし今後も、こういった転生士が現れたら―――。
「………ありがとう」
健太は写真を孫に返した。
「もう良いのかい?」
「ああ。恵子と寛太が幸せな人生を送れたって分かれば充分だ。それに………恵子を迎えに行かないとね」
その瞬間、全員の視線が健太に奪われた。彼の身体は僅かに光り始めている。それは、転生士が発生するときのものとは違い、淡く優しいものだった。
「俺の未練に付き合ってくれてありがとう。申し訳ないけど、卓の両親に謝っておいてほしい」
「ああ、分かった」
「ありがとう………本当に、ありがとう」
流れる涙は光に溶ける。健太は孫の手を取って優しく包んだ。
「最期に、君に会えて良かった」
「孫なのに、こんな老婆ですまないね」
「いいや―――やっぱり、孫は可愛いよ。どんな姿でもね」
「ふふっ……ありがとう、おじいちゃん」
健太は笑った。次の瞬間、まばゆい光に包まれ、健太は跡形もなく消え去った。成仏したのだろう―――真信乃は初めて目撃したが、あの満ち足りた表情を見て確信した。
「良かったです。未練が晴れて」
涙を拭い、稀歩は安堵する。真信乃もそれに同意すると、老婆に軽く頭を下げた。
「突然押しかけてすみませんでした。あなたのおかげで、彼は無事成仏することができました」
「いいんだよ。私も会えるはずのない祖父に会えて、なかなか良い冥土の土産話になりそうだ」
真信乃は、返答に困って苦笑しただけで終わった。目的を果たした真信乃と稀歩は、老婆の家を後にする。もうすぐ十五時半になる頃、バス停に向かいながら真信乃はぼそりと呟いた。
「思ったよりも早く終わったな。これなら今日中に帰れるか」
「……マノセ君」
隣を歩く稀歩が突然立ち止まり、真信乃も足を止めた。振り返ると、彼女の真っ直ぐな瞳と目が合った。
「ありがとうございます」
「何が?」
「マノセ君が協力してくれたおかげで、健太さんは成仏できました」
深々と下がる頭。その行動に、真信乃は首を傾げる。
「なんで稀歩がそこまで感謝する?」
「マノセ君は最初、健太さんを殺そうとしていました。ですが、騎士団でも何でもない私の提案で、手間のかかる成仏を選択してくれました。時間もお金もかかるのに協力してくれました。だから、私がここまで感謝するんです」
たしかに今回の行動起因は稀歩―――しかし真信乃は、感謝されるだけではないと思っていた。
「オレも、稀歩に感謝するよ」
「………え?」
顔を上げた稀歩の視界に真信乃の笑みが映った。
「少しだけ、転生士の見方が変わった。暴れるやつはもちろん許せないけど、ああいう綺麗な〝思い〟もあるんだって、そういう綺麗な転生士もいるんだって気付いた」
「マノセ君……!」
「真偽を確かめるのは大変だろうけど……でも」
とん、と胸を叩き、黄色い瞳は力強い光を放った。
「悪意のない転生士は、なるべく助けようと思う」
――――――それはまるで、本物の騎士のようで。小さな身体に、たくましさを感じて。
――――――――――――■■てほしいと、思った。
「っ!」
突如、真信乃がインカムに手を当てる。耳に鳴り響いたのは緊急警報だった。
「周囲の団員に告ぐ。凶暴性のある魔導士が逃亡中。特徴は、茶短髪に黒縁眼鏡、茶色いチェックのシャツに白インナー、紺のジーンズに白のシューズを履いている。なお、標的は洗脳されている模様。繰り返す……」
真信乃は即座にイメージをインプットし、周囲を見回した。のどかな住宅街、騒ぎが起きた様子はない。
騎士団の緊急警報は、半径三キロ以内の団員に応援要請をするものだ。標的がすぐ近くにはいなくとも、こちらへ逃げてくる可能性も十分ある。真信乃は最大の警戒を持って歩き始めた。
「マノセ君? どうしたんですか?」
「魔導士が逃亡中だ。しかも洗脳されてる。稀歩、気を付けろ。洗脳されてるってことは、ターゲットは『魔法の使えない一般人』だからな」
息を呑み、緊張した面持ちで稀歩は後をついていく。真信乃は頭の僅かな隙間で、ある疑問を考えていた。
―――本部のある街以外で被洗脳者が発見されたのは、これが初めてだ。幸か不幸か、自分がここにいるときに、偶然ここにも被洗脳者が現れた。
どうして突然? それとも、他の街にも出現していたけど、被洗脳者だと気付かなかっただけ?
―――それはありえない。被洗脳者は異常なまでに、「魔導士が支配する世界」を叫んでいる。それを聞いて正常だと思う者は、同じように洗脳された者だけだ。
何か理由があるはずだ。今日このとき、この街この場に現れた理由が。
「この辺りで逃げてるんですよね。警報は出されないんですか?」
「警報を出したところですぐ逃げられる。パニックになった住民に別の騒ぎを起こされても困る。以上の理由で、逃走中の事件については水面下で対処されるんだ」
「なるほど。一般人と違って、逃げ回れる範囲は広いですもんね」
「そういうこと」
しばらく街をパトロールしていたが、日の暮れた頃になっても逃走者と鉢合わせることはなかった。駅まで戻り、稀歩はベンチに座る。疲弊した足をさすりながら、険しい顔で人々を観察する真信乃に声をかけた。
「マノセ君、疲れてないんですか?」
「こんなんで疲れてたら、騎士団員は務まらないからな」
「すごいです〜……ああ、お腹空いたなあ……」
稀歩の呟きに、真信乃も空腹を感じ始めた。時刻はもうすぐ十九時になる。今日中に帰宅するのは不可能になったため、二人はホテルに泊まることにしていた。
「どこかで食べて、ホテルを探すか」
「はい。もうくたくたですし、今夜は早く眠れそうです」
「いつもは遅いのか?」
「え? あ……ええと、ま、まあ。ええ。つい携帯見ちゃって……」
ばつが悪そうに口ごもる稀歩。何となく気になったが、追及することはなかった。二人は適当な店に入り、雑談も交えて食事を楽しんだ。