2話-②
授業中、呑気に眠る真信乃に対しクラスメイトは若干の不満を抱いたが、田口とのやりとりを見て文句を言う者は誰もいなかった。年相応の可愛さもあるが、それ以上に、嫌われたら見捨てられる―――そのような評価に塗り替えられてしまっていた。休み時間に見物しに来た他クラスの生徒達も遠巻きに見るだけで、話しかける勇気はなかった。
「神崎君!」
そんな中、唯一真信乃の前に立ちはだかったのは、やはり田口だった。放課後になったので帰宅しようとした彼を、田口は複数の同級生を連れて引きとめた。
「なに? オレ忙しいんだけど」
「俺達を指導してください! こいつらも同じく訓練生なんです!」
「だから約束してないし。指導が欲しけりゃ教官に頼め」
「教官は個人指導をしてくれないんです!」
「じゃあお前たち同士でやればいいじゃん。訓練生でも客観的指摘はできるだろ」
「プロの意見が聞きたいんです!」
「だから教官に頼め! 図々しいんだよ!」
真信乃は踵を返して走り去った。田口達訓練生も彼を追いかける。階段は訓練生が先回りして塞いでいた。窓から飛び降りることも考えたが、変換できる〝思い〟がなく、ただの十四歳の身体が耐えられるとも思えなかった。
それならどこかに隠れよう―――角を曲がった真信乃は辺りを見回し、適当な教室に入った。そこは家庭科室だった。一人の女子生徒がいたが目もくれず、調理台下の棚を開けた。中にフライパンなどの調理器具が入っていたが、真信乃は無理矢理入り込んだ。いくら小柄でも、さすがに狭い―――何とか扉を閉めようとした瞬間、それを外から引き止められた。
「なっ……!」
犯人は女子生徒だった。彼女は扉をこじ開け、じっと真信乃を見つめる。
「何してるんですか?」
「今忙しいんだ! 後にしてくれ!」
「そこ、器具が入ってる棚ですが?」
「後で綺麗に洗うから! オレがいることは黙っててくれ!」
「…………ふーん」
力が緩み、真信乃は扉を閉じようとする。が、再度開かれ、女子生徒はフライパンやその他調理器具をいくつか取った。
「何してるんだ!」
「少しスペースが空いて楽になったでしょう?」
なんだそういうことか―――思わぬ気遣いに、真信乃は呆気に取られてしまった。田口のような迷惑極まりない生徒もいれば、こうして気が利く生徒もいる。今は後者に出会えてよかったと、真信乃は自身の運に感謝した。
「ありがとう―――」
ついでに女子生徒にも礼を言おうとした刹那、勢いよく棚の扉を閉められた。危うく挟みそうになった指を大事そうにさすり、真信乃は少し不満を抱く―――せっかく礼を言おうとしたのに。気は利くけど乱暴なやつだな。
やがてバタバタと足音が聞こえ、扉の開かれる音がした。
「ここに男子が来なかったか!? 小さいやつ!」
「あ、来ましたよ。でも私を見てあっちに行っちゃいました」
「まずい! あっちには外階段が……! ありがと!」
足音が遠のき、静寂に包まれた。女子生徒は教室から少し顔を出して辺りを見回し、静かに扉と鍵を閉める。後方の扉も同じようにすると、真信乃の入っている棚を開けた。
「もう大丈夫ですよ」
「ああ……ありがとう……いてっ」体を何度もぶつけながら外に出ると、真信乃は盛大なため息を吐いた。
「はあ……なんでこんなことに……」
「なんだか大変そうですね。どうして追いかけられてるんですか?」
「面倒事を押し付けるためだよ。全く、あいつらに必要なのは技術じゃなくて礼儀だ」
「よく分かりませんが、災難でしたねえ」
「ほんと、初日にとんだ災難だよ」
縮こまっていた全身を伸ばし、真信乃はぴょんと調理台に座る。改めて見ると、助けてくれた恩人は桃色の髪をひとつに結う女子だった。身長は真信乃より少し高く、緑色の瞳は不思議そうに彼を見ている。
「あの、あなた何年生ですか?」
「オレ? 二年生だけど」
「えっ……先輩なんですか?」
「つまりお前は一年生ってことか。こんなところで何してたんだ?」
「掃除ですよ。今月は一年二組が家庭科室担当ですから」
そう言われて、彼女の背後にほうきとちりとりが落ちていることに真信乃は気付いた。彼の前の学校……つまり中学校ではきちんと掃除の時間が設けられていたが、この高校は放課後の時間を潰されてしまうのか―――気の毒だな、と他人事のように思い、真信乃は窓の外を眺めた。
「あいつら、早く帰ってくれないかな……こんなところで時間を潰してる場合じゃないのに」
「それなら掃除、手伝ってくださいよ。助けたお礼に」
「断る」
「なんでですか! なんで即答! 一人でやるの大変なんですよ! ペアの子は急用だーって言って帰っちゃって、孤独で寂しいんです!」
「残念ながら、オレは一般生徒ではないから。かわいそうだけど、一人で頑張れ」
「一般生徒でない?」
女子生徒はじっと真信乃を見つめ、「ああ!」と目を見開いた。
「もしかして、今日編入したっていう騎士団の方ですか?」
「その通り。オレはこの学校を守るために派遣された、正団員の神崎真信乃だ!」
「へえー! あなたでしたか! 十四歳の小さな団員さんっていうのは!」
「小さいは余計だ!」
若干余計な言葉もあったが、きらきらと目を輝かせて自分を眺める女子生徒に悪い気はしなかった。
「すごいですねー! 十四歳なのに正団員だなんて!」
「ふふん! そうだろ! 遠慮なく神崎先輩って呼んでいいぞ!」
「えっ? それは遠慮します」
「なんでだよ!」
急に瞳から光が消え、女子生徒の顔には苦笑が浮かんだ。
「だって、人生の先輩ではないですし……」
「でもお前より学年が一つ上だろ!」
「特別に入れてもらっただけじゃないですか」
「特別でも何でも、この学校ではお前よりオレが先輩! だからほら! 神崎先輩!」
「ええー……」
真信乃は調理台から飛び降り、女子生徒に迫った。自分より身長も実年齢も低い少年にこうして迫られるなどという経験、彼女には初めてのことだった。だからなのか、彼女はなんだか可笑しくなって―――満面の笑みで答えた。
「それじゃ、『真信乃先輩君』で!」
「〝君〟はいらない!」
すかさず突っ込みが入ったが、女子生徒が撤回することはなかった。
「いいじゃないですか! 真信乃先輩君! これで決定です!」
「だめだ! 先輩で止めろ! 敬意がこもってない!」
「こめてないですからね」
「はあ!? オレ、先輩だって言ったよな!?」
「人生の先輩は私です!」
「この学校でそれは関係ない!」
「関係なくないですよ! 真信乃先輩君!」
「なんて非常識なやつだ!」
真信乃は拳を震わせていた。怒りからか、それとも思わず手を出したくなった衝動を何とか押さえつけているのか―――そんな彼とは対照的に、女子生徒は困ったように腕を組んだ。
「でも、さすがに呼び名としては長すぎますね」
「末尾語を外せばいいんじゃないか?」
「そこが一番大事な言葉なのに?」
「一番大事なのは〝先輩〟だろ!」
「そうですねえ……それじゃあ……」
女子生徒は少し考え込んだ。どうせまた馬鹿にしたような呼び名になるに決まってる。何にしても、もうこいつに構わなければいい話だ―――真信乃は固く決意した。
「『マノセ君』はどうですか?」
「…………マノセ君?」
あまりの予想外に、固かったはずの決意は呆気なく揺らいだ。真信乃はおもむろに首を傾げる。
「どこをどう取ったらそんなヘンテコな呼び名になる?」
「ヘンテコじゃありませんよ! 私の意見も、先輩の意見も取り入れた素晴らしい呼び名です!」
戸惑う少年に、年上の少女は得意気に答える。
「〝ま〟し〝の〟〝せ〟んぱい〝くん〟! はい、これで『マノセ君』です!」
沈黙―――いや、それはほんの一瞬だけだった。真信乃は真っ赤になるほど拳を握り締め、校内中に響き渡るかのような怒号を放った。
「一番大事な言葉を一番省略するなああああああ!」
女子生徒は耳を塞ぎ、「うるさいですよ!」と真信乃を睨んだ。しかし、彼が怒りを抑える気配は全くなかった。
「なんで〝先輩〟を一番省いた!?」
「だってそれが一番容量を食ってるじゃないですか! 四文字も! つまり九分の四ですよ! 約四十五パーセント!」
「だから! それが最重要視すべき敬称であって! 最も省いちゃいけないんだって! しかも一番いらない〝君〟は丸々残しやがって!」
「略しようがないじゃないですか! それとも『まのせん』でも良いってことですか!? 真信乃の〝ま〟と〝の〟、先輩の〝せ〟、そして君の〝ん〟! それで『まのせん』!」
「いいわけあるか!」
「ん……? 待ってください。『まのせん』なら、先輩の〝せん〟とも取れるじゃないですか! うわあすごい! これなら私と先輩の意見どちらも採用されてますよ! これにしましょうよ!」
「却下だ! それならまだ『マノセ君』の方がマシだ!」
「えーなんでですかあ! まのせん、かわいいじゃないですかあ!」
「馬鹿にされてる気分になる!」
「もお! わがままばっかり! じゃあマノセ君で決定ですね!」
「呼んでも返事しないからな!」
真信乃は再び調理台に座った。怒り疲れたのか、深いため息を吐いた。そんな彼の疲弊顔を覗き込み、女子生徒はにっこり笑う。
「マノセ君?」
「…………」
「ま、の、せ、くん?」
「………………」
「マノセ君マノセ君マノセ君!」
「……………………」
「もおー、返事してくださいよおー」
「…………………………」
「……分かりましたよ。ちゃんと呼びます」
「分かればいいんだ」
ふんっと勝ち誇った笑みを浮かべる真信乃に、女子生徒は悔しそうに唸る。
「年下のくせに……!」
「ここでは年上だ」
「はあ……まあいいです。それで、どうするんですか? 見る限り、校門で待ち構えているみたいですが」
家庭科室の窓からは、校庭の全体が良く見える。サッカー部が部活動をしている奥の正門では、数人の生徒が目を光らせて仁王立ちしていた。先ほど真信乃を追いかけた田口、そしてその他の訓練生だ。
「本当に迷惑な奴らだ」
うんざりそうに、真信乃は本日何度目かのため息を吐く。
「オレに何のメリットもないのに、図々しい」
「一体何を要求されてるんですか?」
「指導しろってさ。訓練生だから面倒見ろって……あーもう! 教官に報告して減点してもらおう! それでクビになればいいんだ! どうせ才能ない奴らなんだから!」
「マノセ君、訓練生に追いかけられてるんですか?」
「そうなんだよ! 田口ってやつが発端で―――」
そこまで言って、真信乃ははっと気が付いた。女子生徒の愉快そうな笑顔も見て、やってしまったと確信する。
「……なあんだ! やっぱりマノセ君で良いんですね!」
「ちっ違う! 今のは流れでつい……」
「つい返事しちゃうほど気に入ってくれたんですね! ありがとうございます! マノセ君!」
「だああああっ! やめろっ! もう二度と返事しないからなっ!」
「マノセくんにそんなことできますかね~?」
クスクス笑う女子生徒に、真信乃の心中は怒りと悔しさで支配された。こいつは仲斗と同じくらい……いや、奴よりもムカつくやつだ。これ以上ストレスの根源を増やしたくない―――真信乃はぴょんと飛び降り、扉の方へ向かう。
「どこ行くんですか?」
「帰るんだよ。お前といるとイライラする」
「えー? 帰れるんですか?」
「校門なんか通らなきゃいい。テキトーに塀をよじ登ればいい話だ。じゃ、もう二度と近寄るなよ」
「いえ、そういうことではないですよ?」
含みを持たせた言い方に、真信乃は足を止めざるを得なかった。振り向いたそこには夕日をバックに、女子生徒は緑色の瞳を光らせた。
「マノセ君が帰っちゃったら、転生士が現れるかもしれませんよ?」
それはあまりにも直接的な指摘であり、明白な疑念を抱くに十分すぎた。真信乃は警戒心を強めながら、女子生徒に注視する。
「なんでそう言える?」
「この学校で事件が多発しているから―――マノセ君だって、それがあるから派遣されたんですよね?」
転生士が宿主を支配して暴れ回る、という事件は日常的に起こる。殺人事件が毎日のようにどこかで起きるように、それも全国のどこかで毎日起こっている。
しかしここ最近―――具体的には今年度に入ってから、この高校では転生士絡みの事件が多発していた。それも、未練を晴らしたいがために宿主を支配する転生士ではない、特殊な転生士ばかりが現れるという、不可思議な事件だった。
「ここで顕在した転生士は皆、口を揃えてこう言います―――『誰かの魔法のせいで、気付いたら宿主を支配していた』と。つまり、マノセ君はその犯人を捕まえるためにここに派遣されたんですよね?」
彼女の推察は正しかった。そういった現状と、学校側が支払った莫大な契約料があったからこそ真信乃はここに常駐し、「転生士に宿主を支配させる魔導士」を捕まえようとしているのだ。
「合ってますか?」
「……ああ、そうだ」
「わあい。私、なかなか鋭いでしょう?」
「そうだな………騎士団員でもないのに」
真信乃は駆けた。魔法を使っていないにしても、突然の行動に女子生徒は対応に遅れ、両手首を掴まれた。驚く女子生徒と―――真信乃本人も。
「――――――ッ?」
女子生徒から〝思い〟を吸い取った。彼女を力で押さえつけるためで、彼がよくやる行動だ。しかし、吸い取った〝思い〟があまりにも多く、真信乃は僅かに動揺して女子生徒を見上げた。
「なっ……何するんですか?」
彼女は驚いている。困惑している。それだけでここまで多量の〝思い〟は生まれない。ならばきっと、別の〝何か〟を抱いているんだろう―――真信乃はさらに警戒を強めた。
「お前がその犯人なのか?」
「えっ? まさか! たしかに一年生全体が疑われていますが、私は無実です!」
女子生徒は必死に首を左右に振って訴えている。疑われて戸惑っているが、それ以外に陰が差していると真信乃は思えなかった。
人は誰しも不安や悩みを抱えている。四六時中そのことばかり考えて病む人間もいる。表には出さないが、きっとこいつもその類なんだろう―――真信乃がそっと腕を離すと、女子生徒は胸を撫で下ろした。
「信じてくれてありがとうございます」
「だからって、疑わないわけじゃないけどな」
「まあ、それはそうですよね。分かってます。思わせぶりなことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」
律儀に頭を下げる女子生徒に、真信乃は少しばかり罪悪感を抱いた。そこまでやってもらいたかったわけじゃないのに―――そう言ってやろうとした刹那、女子生徒は顔を上げてにんまりと笑った。
「でも、仕事は全うしましょうね? マノセ君?」
そこには子供に言い聞かせるような、馬鹿にするような思いが込められていて―――「返事をしない」という固い決意よりも怒りが勝り、真信乃は思わず反応してしまった。
「どういう意味だ?」
「事件の犯人を捕まえると同時に、私達全校生徒並びに教職員を守ることがマノセ君の仕事でしょう? なら、全員帰宅するまで残ってなきゃ!」
「ぐっ……」
たしかにそうだと、真信乃は不覚にも納得してしまった。常駐するからには被害者ゼロにしろ―――今回の業務を説明された際、団長にそう命令されていた。ついでに、特別に高校生にしてやるが恋愛にかまけて怠るなとも付け加えられた。
そんなことしたことないしするつもりもないと真信乃は即座に言い返したが、高校生活に期待していたことも事実だった。放課後に遊びに行ったり、部活動を楽しみにしているわけじゃない。仕事とはいえ、同い年よりも早く大人になったような気がする―――男子中学生の、そんな単純な理由だった。
「くそっ……仕方ないな」
「それじゃ、私と一緒に掃除しましょ?」
「お前、それが目的だろ!」
「そんなことないですよおー? で、も? 掃除が終わらないと私、帰れませんよおー?」
「うぐぐ……」
まさか騎士団であることを逆手に取ってくるとは思わず、真信乃は反論もできなかった。仕方なくほうきを受け取ると、非常に不満そうに床を掃き始める。
「なんでオレがこんなこと……」
「いいじゃないですか。中学校でも掃除、やっていたでしょ?」
「でもオレは、騎士団員としてここに来ただけで!」
「掃除まで手伝ってくれる優しい団員さんって、ホームページからメール送っておきますね!」
そんなことしてもらっても特に嬉しくないが、明らかに善意から向けられた笑みに、真信乃はこれ以上の文句を飲み込んだ。さして汚れてもいない家庭科室を掃いて回る。
「ところでマノセ君、どうして中学生なのにここに派遣されたんですか?」
「適任がオレだけだったから。学生で優秀な人材はほんのひと握りしかいないんだよ」
「へえー。マノセ君、優秀なんですねえ。とてもそうは見えませんが」
くすくす笑う女子生徒の横顔を、真信乃は物珍しそうに見返した。騎士団と認知されている自分をからかう人間なんて、今まで一人もいなかったからだ。
訓練生時代はまだしも、正団員になった今、たとえ十四歳でも実力があると認識され、世間は自分の機嫌を損なわないように愛想を振りまく。仕事に私情を挟んだことはないが、庇護される者は「もしも」のことを考えずにはいられない。
かつて、「ご機嫌とりなんかしなくていいですよ」と真信乃が言ったら、腫れ物に触るような態度になってしまったことがあった。親切から言ったのにさらにひどくなった状況に、彼はしばらく首を傾げていた。その裏で、「小さい少年騎士団員があまりにも怖い」と匿名で問い合わせがきていたことを、真信乃は一切知らないが。
そんな経緯もあり、面と向かって馬鹿にする女子生徒のことが、真信乃には新鮮に思えた。
「オレは最速最年少で正団員になった天才児だぞ?」
「えー? 本当ですかあー? 騎士団長の息子だから特例で正団員になった、とかじゃないんですかあー?」
「あんなチャラ男の息子なわけあるか!」
「チャラ男って! まあたしかに、あの人は女癖悪そうですよねえ。テレビで観るといっつも女性侍らせてますし………どなたかの隠し子では?」
「絶っっ対ありえない! オレは一般家庭出身だ! 両親とも正真正銘、血がつながってる!」
「そうですかあ、残念」
つまらなそうに女子生徒は床を掃き、少しのゴミを連れて真信乃の方へ戻った。それをちりとりで集める彼女を、真信乃は観察するように見下ろす。
「お前、怖くないの?」
「何がですか?」
「オレのこと、センスないあだ名で読んだり馬鹿にしたりこき使ったりしてるけど、見捨てられるとか思わないのか?」
「え? 『マノセ君』って、センス輝いてますよね? ネーミングセンスの塊じゃないですか。それに私、馬鹿になんかしていませんよ? こき使ったりもしていませんよね?」
「決して良い輝きではないがな。それに、馬鹿にしたように笑っただろ。こうして掃除も手伝わせてるし」
「えー! 最高に輝いてるじゃないですかー! これ以上先輩にピッタリな名前ないですよ!」
「絶対あるだろ! つか、そういうところが馬鹿にしてるって言ってるんだ!」
「そんなつもりないですよ! まあでも、不快でしたら謝ります。すみません」
やめないですけど、とにこりと笑う女子生徒にうんざりする真信乃だが、何となく悪い気はしなかった。
汚した調理器具を洗い終わっても、部活動中の生徒や田口達は一向に帰宅する気配がなかった。時刻は十七時、学生手帳を確認すると、完全下校時間は十八時半と記載されていた。
「あー、暇だ」
真信乃は嘆きながら調理台に寝そべった。
「マノセ君、調理台は調理する台って分かっていますか?」
「やる前に消毒すればいいだろ」
「そうですけど……」
「それより早く帰れ。お前まで残ってる必要ないだろ」
「いえいえ、付き合いますよ。帰ってもつまらないだけですし」
「友達と遊びに行けば?」
「今日はみんな彼氏とデートだって、楽しそうに帰ってしまったんです」
「へー、お前はいないんだ。ま、人のこと馬鹿にするようなやつだもんな」
起き上がりつつ仕返しにからかったつもりだったが、女子生徒は予想以上に暗い表情で俯いてしまった。
「そうですね……私なんかと付き合ってくれる人なんか……いませんよね」
「お、おい……冗談だって。そんなに落ち込むなよ」
「冗談? じゃあマノセ君は、私なんかと付き合ってもいいってことですか? こんな私なのに?」
「いやこんな私とか言われても、お前のことそんなに知らないし……」
「………そうですね。私のこと知ったら、きっとマノセ君も私なんか嫌いになると思います」
先ほど吸い取った〝思い〟の量―――その所以が何なのか、真信乃は少し分かった気がした。いつか彼女が亡くなるとき、未練としてその〝思い〟が残らなければいいと願いつつ、真信乃は腕を組んだ。
「お前のことを詳しく知るつもりはないけど、せめて名乗ってくれないか?」
「え? ああ……そういえば自己紹介がまだでしたね。マノセ君のキャラがあまりにも濃いので、一般人の私は完全にモブと化してしまいました」
「ま、たしかに天才児は人目を惹くよな」
「いえ、そこではないです。小さいし十四歳だし偉そうなのに高校二年生として在籍しているところです」
「小さくないし偉そうってなんだ! オレは普通に接してる!」
「これが普通だったらマノセ君、ちょっと教育が必要になりますねえ」
くすくす笑いつつ、女子生徒はスカートの裾を少しつまみ上げ、足を後ろでクロスさせた。
「羽石稀歩、十六歳の高校一年生です。遠慮なく『きーちゃん』って呼んでくださいね?」
「断る」
「むう……やはり同年代では誰も呼んでくれませんね。何故でしょうか……」
「子供っぽいからじゃないか?」
「お子様のマノセ君に言われたくありません!」
「誰がお子様だ!」
女子生徒―――稀歩に再びからかわれ、真信乃は反射的に噛み付いた。オレの実力を見れば子供扱いもなくなるだろう。基本的には嫌だが、こいつを黙らせるために都合よく転生士が現れれば良いのだが―――そんな邪な願望が頭をよぎりつつ、椅子に座り直す稀歩に尋ねた。
「ここで現れた転生士はみんな、誰かのせいで宿主を支配してしまったと言っていたが」
「はい、そうです。そんなことができる魔力があるなんて、びっくりですよね」
「洗脳はされていたか?」
「洗脳……ですか?」
首を傾げた稀歩に、真信乃は声を落とす。
「実は最近この街で、洗脳された転生士が急増してるんだ。公にはなってないが、『魔導士ではない一般人』を恨むような洗脳をされてるみたいなんだ」
「魔導士ではない人を? なんだか不思議な洗脳ですね」
稀歩の感想は最もだった。普通、力のある魔導士が恨みを買うことが多い。魔力を持たない人間にとっては、一方的に蹂躙されて殺されるからだ。実際、魔導士を恨んで転生士になった者は大勢おり、真信乃も度々遭遇してきた。
だが、洗脳された転生士もしくは魔導士は、「一般人を恨み、魔導士を崇拝する」ようなことを主張していた。真信乃が対峙した転生士はこう叫んでいた―――「魔導士の世界を取り戻す!」と。
「大昔は魔導士が社会の中心だった。おそらくその時代から転生した者が、現世で暗躍しているんだと思う」
洗脳された者達は一般人を選んで襲っているため、彼らは騎士団に粛清されてしまっている。襲われた人々を思えば当然の処置だが、洗脳された人々も決して本意ではない。そんな状況を、真信乃は早く何とかしたいと強く望んでいた。
「それって……五百年以上前の話ですよね? そんな過去の人間も転生するんですか?」
「転生士は際限ないからな。『記憶処置』をしない限り、永遠に転生し続けるし」
「記憶処置ですか……なかなか難しいですね。そもそも、『記憶』の魔力を持つ魔導士自体、希少ですもんね」
「……ああ、そうだったな」
真信乃の脳裏には、毎日毎日付き纏う青年が思い出されていた。団員は他にも大勢いるというのに、何故か自分にだけついてきて戦闘の邪魔をしてくる迷惑者。
しかし彼こそ、稀歩の言う希少な魔導士―――触れた者の記憶を消すことのできる「記憶」の魔力を持つ者だった。
転生士の未練は、ただ肉体を滅ぼしただけでは消えない。未練だけが再び来世に転生し、新たな肉体に宿って再来する。
では、転生士の未練はどうしたら消えるのか―――簡単な話だ。
未練を解消する、もしくは「記憶」の魔力で未練の記憶を消す―――そうすれば、未練を失った転生士は本当の意味で消え去るのだ。
「未来に転生士を増やさないためにも、記憶処置を施した方が良いのではないか?」
当然の疑問は、あっという間に論破される―――記憶処置が即座に完遂できるのなら、と。
記憶処置は、完全に記憶を消すまでにかなりの時間を要する。とどのつまり、現実的ではないので普通に殺してしまおうというのが、騎士団および世間の結論だった。たとえ未来を担う子供たちに苦労を強いても、その場の被害を最小限に留めることを第一に考える―――誰も責めることのできない選択だった。
「どうしたんですか? なんだか疲れきったような顔していますよ?」
「ストレスの根源を思い出してうんざりしてた」
「それは良くないですね。私に何かできることがあればしますよ?」
「稀歩は魔導士か?」
「いえ、残念ながら」
芽生えた希望は一瞬にして摘み取られた。魔導士でない人間があの迷惑者を排除できるわけがない。それじゃあいい、と真信乃が吐き捨てると、稀歩は彼に迫った。
「魔導士ではありませんが、できることはお手伝いしますよ!」
「だから無理だって」
「いいえ、無力でもできることはあります! 何より、ストレスを溜めるのは良くないことですよ!」
元気づけるように力強い眼差しを向けてくる稀歩に、真信乃は激しい違和感を覚えた。それは、〝思い〟の量を量れる彼だからこそ抱く―――乖離。
「人のことより、自分を助ける努力をしたら?」
刹那、稀歩は目を見開いて硬直した。図星なんだと確信し、真信乃は付け加える。
「ああ、勘違いしないでくれ。オレは人の〝思い〟の量が量れるだけで、その詳細は分からないから」
「思い……の量、ですか?」
「そ。お前から感じ取った〝思い〟が多量だったから、何かあるんだなと思っただけだ」
「そう……なんですか」
すごいですね、と稀歩は苦笑混じりに呟いた。核心を突かれたためか、彼女の表情は先刻までとは様変わりして暗い。少しの沈黙の後、稀歩はスクールバッグを持って席を立った。
「じゃあ私、帰りますね」
「ああ」
静かに立ち去る稀歩を、真信乃も静かに見送った。扉が閉まる寸前、見えた彼女の横顔はつらく苦しそうだった。一体何を抱えているのやらと、真信乃も人並みの興味を持ち合わせていたが、詮索しようとは思わなかった。
それよりも、彼の脳内は転生士のことでいっぱいだった。どうやって犯人を見つけ出そう、どうやって被害を最小限に抑えられるだろう―――そんなことを考えつつ、全職員生徒が帰宅した二十時半、ようやく真信乃も帰路につくことができたのだった。