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ある思い人の回顧録  作者: 猪俣かいり
11/13

7話-①

 稀歩の姿は見当たらなかった。あてもなく走り回ること十数分、真信乃は足を止めて息を整える。河原からはとっくに離れ、日が暮れようとしている住宅街に迷い込んでいた。


「一体どこに行ったんだ……」


 彼女を捜し回るのはこれで二回目だ。以前はある程度の目星がついたものの、今回ばかりはそうもいかない。彼女が今どんな状況で、何を思っているのかが分からない。


「………結局、何にも知らなかったんだな」


 仲斗に啖呵切ったくせに、急に自信がなくなってきた―――真信乃は拳を握りしめる。人を不幸にするような人間じゃないと信じたい、しかしあの巨大な〝思い〟の正体を一度も聞いたことがない。執月のように、何かを企んでいるのか? 平和を脅かす「悪」の心なのか?


「………違う。稀歩はそんな人間じゃない」


 そう信じたいだけだと、もう一人の自分が叱咤する。これまでの彼女を見れば分かる、そんなことはないと反論する。執月もそうだったのにと軽蔑される。何も言えず沈黙した。


「稀歩……聞きたい。お前の〝思い〟を聞きたいよ」


 脳裏によみがえる、河原での稀歩の表情。振り向くと、今にも泣き出しそうな彼女がいた。そうなったのも、抱えている〝思い〟のせいだろう。泣きたくなるような、巨大な〝思い〟。


「一体何を抱えているんだ。なんで泣きそうな顔をしていたんだ。教えてよ……稀歩」


 こんなに人の〝思い〟に興味を持ったのは初めてだった。ただの魔力源と認識していたはずなのに、どうして稀歩にだけ―――真信乃は夕空を見上げた。

 ―――初めてばかりだったからだ。変なあだ名で呼ばれたことも、庇護対象からご機嫌取りをされないことも、転生士を庇って対峙されたことも、本気で怒られたことも。初めてのことばかりで、だからこそ彼女に興味が湧いたんだ。


「知りたい。もっと稀歩のこと、聞きたい」


 知らないことばかり、知りたいことばかり。しかし今はたった一つだけ―――彼女の抱えている、巨大な〝思い〟だけ。


「どこだーッ! 稀歩ーッ!」


 真信乃は叫んだ。街中に響き渡る呼び声の返事を待ち望んだ。僅かでも手がかりが掴めれば道は開ける―――そう思っていたが、彼の期待していた声色は届いてこなかった。


「おにいちゃん、きーちゃんのことさがしてるの?」


 そう―――少女の声は、である。

 すぐ下から幼子の声がした。視線を落とすと、まだ十歳にも満たないような男児が真信乃を見上げていた。あまりに唐突な存在に、彼は思わず唖然としてしまう。


「な……え……き、きーちゃん?」

「きほおねえちゃんでしょ?」

「あ、ああ………そうだけど……稀歩のこと知ってるのか?」

「しってるよ。きーちゃんはいっぱいあそんでくれるもん」

「遊んでくれる?」

「おにいちゃんこそ、きーちゃんのことしってるの? きーちゃん、さっきおへやにかえったよ」


 男児が指差す先は自分……ではなくその背後だと察し、真信乃は振り向く。二十階は優に超えているであろうタワーマンションがそびえ立っていた。真信乃は目を瞬かせ、小首を傾げる。


「………帰った? ここに?」

「うん」

「稀歩………ここに住んでるのか?」

「うん。ぼくも」


 衝撃的な事実に、人違いじゃないかと男児に再確認するも、「『きほ』おねえちゃんでしょ!? ここにすんでるよ! ずっとずーっとたかいおへやに!」と猛反論された。


「おにいちゃん、きーちゃんとともだちなのにしらないの!?」

「知るか! こんなところに住んでるなんて想像できるか!」

「おにいちゃん、ほんとはきーちゃんとともだちじゃないんでしょ!」

「うっ……」


 あながち間違いじゃないと、真信乃は項垂れた。友達のような付き合いをした覚えはない。プライベートのことも、好きな食べ物すら語り合ったことなどない。そんな関係を友人と呼べるか―――ただの知人だと、百人中九十九人は答えるだろう。


「おにいちゃんがきーちゃんのことなかせたんでしょ!」

「……え? 稀歩、泣いてたのか?」

「そうだよ! きーちゃんのことなかせたわるもの! どっかいけ!」

「わるっ……」


 ぽかぽかと腹を連打される拳より、精神に食らった「わるもの」の強烈パンチにうろたえる真信乃。しかし以前とは違う、自分が彼女を傷付けたわけではない―――と願いながら、真信乃は男児の腕を掴んだ。


「稀歩の部屋まで案内してくれ」

「やだよ! わるものはどっかいけ!」

「オレは悪者じゃない。稀歩を救いに来た騎士だ」


 通りすがりの学生や主婦達が真信乃を凝視する。ふざけた様子もなく至って真面目に話す彼を、好奇の目で見ていた。


「稀歩を泣かせる『何か』を倒しに来た。だから案内してくれ」

「……ほんと? きーちゃんのこといじめるわるものじゃない?」

「当たり前だ。オレは最速最年少で訓練生を終えた騎士団員―――神崎真信乃」


 ―――人を不幸にする「悪」は絶対に見過ごさない、正義の味方だ。

 黄色い瞳は真っ直ぐ男児を見据えていた。淀みも迷い揺れ動く光も、そこには一切なかった。知識も経験も少ない男児でも、それを向けられて疑念を抱くことはなかった。


「わかった。ついてきて!」


 男児はマンションへ駆け出した。真信乃も追いかけ、エントランスに入る。エレベーターへ向かうものの、男児は首を傾げながら上ボタンを押した。


「あれ? いま、おくじょうあいてるのかな?」


 エレベーターは二つあり、片方は十階から下降を始めていた。もう一方は動くことなく、三十階に留まったままだった。


「三十階は屋上なのか?」

「うん。でも、おやすみのひにしかあいてないはずなのに……」


 真信乃は辺りを見回し、パネルに視線を戻した。エレベーターは八階で止まっている。


「まだかなあ。はやくこないかなあ」

「……お前はここで待ってろ」

「え?」


 男児が振り向いたときには既に、真信乃はいなかった。彼はエントランスから飛び出し、少し離れてマンションを見上げた。屋上は遥か上、しかし迷うことなく手足に強化魔法をかけ、真信乃は跳躍した。四階のベランダに飛び乗り、再び上階へ飛ぶ。

 開いてないはずの屋上と聞いて嫌な予感がした。きっと稀歩はそこにいる。何故か―――考えたくない予想が真信乃の頭から離れない。


「ッ!」


 はやる気持ちに足を滑らせ、咄嗟にベランダの柵を掴んだ。ぶら下がりながら、真信乃は深呼吸して気を落ち着かせる。いくら強化魔法といっても、この魔力量じゃ落ちたらタダでは済まない。稀歩の〝思い〟だったら、あるいは―――。


「……だからこそ、急がないと」


 ゴールを見上げ、真信乃は再び上を目指す。下から男児の叫び声が聞こえるが、答える余裕はなかった。ただ心中で、絶対に助けてやると―――自分に言い聞かせるように告げるのみで終わった。


「間に合え……間に合ってくれ……!」


 風景と共に通り過ぎるマンションの住人は目を丸くしていた。一瞬視界に映る地上では人がまばらに集まっていた。通報されたかもしれないが、今はそんな心配などどうでも良かった。


「何も言わずに死ぬなんて許さないぞ……!」


 身を投げるということは、少なからず罪悪感を抱いているということだ。だったら生きて罪を償ってほしい。被害者遺族は許さないかもしれないが、誠心誠意謝罪するのなら、お前の〝思い〟はきっと伝わる。

 それとも―――お前が誰かに苦しめられているのなら。


「オレが助けてやる……! 悪人からお前を救ってやる………だから!」


 柵を強く握りしめ、全体重を腕一本で持ち上げた。


「死ぬなッ! 稀歩ッ!」





【物心ついた頃から「彼」がいた。初めは良き話し相手で、遊び相手だった。親にも友達にも内緒だったから、一人遊びが好きな子供だと思われていた。本当は違うのにと、彼と一緒に笑っていた。】



 柵を飛び越え、真信乃の身体は勢いあまって転がった。それでもすぐ起き上がり、息も整わないまま辺りを見回す。眩しい夕日と小さな家々を背景に、屋上の柵に手をかけた少女が一人……驚愕の表情を真信乃に向けていた。


「なっ……なんで下から……」

「よかった……間に合った」


 桃色の髪と緑色の瞳、聞き慣れた声色―――彼女はたしかに羽石稀歩だと、真信乃は確信し安堵した。


「さすがに疲れたな……」

「あ……あの……どうして柵の外から……」

「え? そりゃ登ってきたから」

「登ってきたって……ここ、三十階ですよ? 一体どれだけの魔力を……」

「あいつの………仲斗の〝思い〟は無駄に多いんだよ」


 呼吸が落ち着いてきた頃、というか―――と真信乃は稀歩を凝視した。


「お前、こんなところに住んでたんだな」

「ええ……まあ。ひとりで暮らしてます」

「ひ、ひとり暮らしなのにこんなところに?」

「うちはそれなりに裕福なので。仕送りも相場以上をもらってますし」


 急に格差を感じショックを受けた真信乃。騎士団員として給料はもらっているが、こんなマンションに住めるほど余裕はない。恵まれてるって良いなと、真信乃は少し嫉妬した。


「仲斗の言ったように、進学のため?」

「……それだけだと思いますか?」


 稀歩は柵に肘を乗せた。緑色の瞳は、ぽつぽつと明かりが点き始める夕暮れの街を展望する。


「進学のためだけに、中学も高校も実家を離れたと思いますか?」

「……普通はそう思うものじゃないか?」

「そうですね。普通はそう思いますね」


 稀歩はくるりと振り向き、微笑を浮かべる。


「でも、今は『普通』じゃないですね」

「どうして?」

「だってマノセ君、聞いちゃったじゃないですか。聞いてない、忘れたなんて言わせませんよ」


 真信乃は歩み寄ろうとするが、稀歩が手を上げて拒んだ。


「………本当のことなのか?」


 声は震えていた。聞きたくないと耳を塞ぎたかった。でも、知らなければならない。彼女と向き合うには、彼女の真実を知らなければならない。たとえ彼女がどれだけ卑劣なことをしていたとしても、それが真実だと認めなければならない。

 稀歩の口元は笑っている。しかし儚げな瞳は揺れ動き、今にも光が消えてしまいそうだった。


「――――――ええ。本当です」


 ―――だから、住む場所を転々としたんです。



【違和感に気付いたのは、小学生の頃だった。私の目の前で、困惑する転生士が突然現れる。私は何もしていないのに、さっきまでそこに転生士はいなかったのに、彼らは戸惑いながらも怒鳴るのだ。

 ――――――何てことしてくれたんだ、と。】



「転生士に宿主を無理矢理支配させる―――そんな、何の役にも立たない魔力が、私に寄生しています」


 真信乃は絶句した。信じたくない事実を突きつけられたショックと、その主犯は彼女に巣食う転生士である僅かな喜びで、かける言葉が思い浮かばなかった。


「もちろん、この魔力を使いたくて使っているわけではありません。でも、私の意識をふっと奪って、この転生士は魔法を使うんです。そうしてすぐに意識を返す……性格の悪い転生士なんです」


 胸に手を当て、服を握りしめる稀歩。緑色の瞳には、既に光は差していなかった。


「だから、わざと実家から遠方の学校へ進学し住む場所を変えてきました。ずっと同じ土地にいると被害が増えて不審に思われますから。私が犯人だとバレてしまいますから」

「……それじゃあやっぱり、学校での事件は……」

「ええ、私のせいです」


 真信乃が口を挟む間もなく稀歩は続けた。


「分かってます。私が死ねば済む話です。さっさと死ねばよかったんです。こんな迷惑者、社会の悪ですから」


 ぽろぽろと流れ落ちる涙。稀歩はそれを止めるも拭うもせず、必死に言葉を絞り出した。


「ごめんなさい。私が迷惑ばかりかけて、多くの人を不幸にさせました。私がいたせいで、多くの人を傷付けました。何の価値もない人間なのに、私は……私は……」


 ――――――分不相応に、死にたくないと思ってしまいました。

 沈黙が流れる。まくし立てるように〝思い〟をぶちまけた稀歩を、真信乃は見据えた。未だ驚きも残ったままだが、彼は悩んでいた―――何と声をかけるのが正解なんだろう、と。


「マノセ君にも、たくさん迷惑をかけました。役に立てないどころか、足を引っ張ってしまいました」

「……………………何言ってるんだ」

「成仏させようと提案したのも、罪滅ぼしからです。私が楽になりたいから、転生士もマノセ君も利用しました。卑怯な人間でしょう?」

「……………違う」

「人を不幸にする人間なんて存在価値はない。分かっていながらこれまでのうのうと生きてきた卑劣な人間はこの私、羽石稀歩です」

「そんなこと―――」


 真信乃は驚いて一瞬身体が硬直した。稀歩は柵を飛び越え、真信乃と向き合ったのだ。

 ―――その背後に、床はない。



「生まれてきてごめんなさい」



 ――――――さようなら、マノセ君。



「稀歩ッ!」


 稀歩が背中から飛び降りたのと、真信乃が駆け出したのは同時だった。彼は柵を飛び越え、ありったけの強化魔法を全身にかける。そして躊躇うことなく、落下する稀歩目掛けて床を蹴って落ちた。


「まっマノセ君ッ!?」


 驚いている間に稀歩は真信乃に追いつかれ、強く抱きしめられた。


「何やってるんですかッ! このままじゃマノセ君もッ……」

「死ぬって?」

「そうですよ!」

「……いいや、大丈夫だ」

「そんなわけないでしょう!?」


 力を一切緩めない少年に、少女は困惑する。いくら魔法で強化しても、この高さから落ちればタダでは済まない。それは彼自身も分かっているはずだ。


「やめてくださいッ! 私なんかのためにどうしてッ……」


 涙が宙に浮く。結いがほどけ、桃色の髪が靡く。せっかく死のうと思ったのに、やっと償いができると思ったのに―――このままじゃ、私のせいで死んでしまう。


「やめて! どうしてマノセ君が命を懸けるんですか! 私なんかさっさと見殺しにすればいいんですよ!」

「…………本気で言ってるのか?」

「当たり前です! 早く! マノセ君だけでも……」

「―――なら、なおさら心配することない」


 何を言ってるのか―――刻一刻と、急速に近付く死に慌てふためく少女に対し、少年はあり得ないほど冷静だった。迫りくる地面を注視し、タイミングを見計らっていた。

 ―――死ぬつもりはない。オレも稀歩も。躊躇いなく飛び込んだのは、ほぼ「確信」していたからだ。

 彼女の〝思い〟は巨大だ。それは、彼女がずっとその〝思い〟に支配されていたからだ。迷惑な転生士の宿主であるせいで、多くの人間を傷付けた―――その罪悪感が、彼女が抱き続けた〝思い〟。

 それを今、勇気を出して告白してくれた。

 そして今、償うために身を投じた。



 ―――そこまでする〝思い〟を見せつけられて、「足りない」わけないと思わないか?



「マノッ―――」

「―――投げるぞッ!」


 真信乃が叫んだ直後、稀歩は投げ飛ばされた。何が起きたのか―――そう思った瞬間、彼女は冷たい土壌に落ちた。大した高さからではなく、打ち付けた程度で傷などほとんどなかった。

 その一方―――真信乃はコンクリートに勢いよく落下した。


「マノセ君ッ!」


 轟音が鳴り響く。砂煙に視界を奪われる。花壇から降りて駆け寄りたかったが、足が震えて立つことすらおぼつかなかった。


「嫌だ……嫌だ……! マノセ君! マノセ君ッ!」


 震える足で無理矢理立ち、転んでも起き上がる。そうして一歩一歩、彼女は進む。現実を見たいから、見なくてはいけないから―――たとえ、彼がどんな姿になっていても。


「マノセ君……! ごめんなさい……私のせいで……私のせいで……!」


 ―――どうして私なんかを。多くの人を不幸にした私なんかを。存在価値の無い私なんかを助けたのか。あのまま死ねば、これ以上被害者が増えることはなかったのに。あなたが犠牲になることはなかったのに。


「どうしてですかッ! どうしてあなたはッ……」


 ―――死なせてくれなかったのか。転生士もろとも死ねるチャンスだったのに。真の悪を殺すチャンスだったのに。

 ―――あなただってそれを望んでいたはずでしょ?

だってあなたは、真に悪い人間だけを憎む、優しい騎士様なんだから。


「それなのにどうして……!」

「――――――ッ……」


 砂煙が晴れていく中、動く影に稀歩は目を疑った。それは人のような形をしていて、小さい。次第に明瞭になっていく姿に釘付けになっていた。


「いってて……さすがに無傷は無理だったか」


 稀歩は口を押さえた。涙はずっと流れているが、さらに増して流れ落ちる。その嗚咽に、影は気付いて振り向いた。


「魔力も空っぽだ……いてて」


 砂煙が晴れていく。輪郭がはっきりしていく姿見。まだ出会って間もないけど、他の誰かと見間違うわけがなかった。

 ―――だってあなたは、『■■(助け)てほしい』と私が初めて願った人だから。


「稀歩、怪我はないか?」


 コンクリートに開いた大穴の中心にいた少年―――神崎真信乃は、微笑を浮かべて問いかけた。


「あッ………! まッ………マノセッ……くん……!」

「大丈夫そうだな。ったく……とんでもないことしてくれたな。一歩間違えれば死んでたんだぞ」


 立ち上がり、真信乃は全身の痛みに顔を歪めた。


「いてて……思ってたよりも痛むな。やっぱり体内への強化は難しいな」


 それでも真信乃は稀歩に歩み寄る。子供のように泣きじゃくる彼女の手を取った。


「泣きすぎ。オレが死ぬと思った?」

「あッ……当たり前じゃないですかッ……どうしてッ……!」

「そりゃあさ、稀歩が重いから」


 唖然とする稀歩の顔を、真信乃は面白がって覗いた。


「稀歩の〝思い〟、重すぎ。肉も骨も内臓も余すことなく全身を強化できたの、初めてだったよ」


 真信乃は手をぎゅっと握る。


「それだけずっと、苦しんでいたんだな」


 マンションの住民達が様子を見に来たり、ベランダから見下ろしている。空気を読んだのか、生還した二人が恐ろしいのか、近付こうとする者はいなかった―――たった一人を除いては。


「おにいちゃん! きーちゃん!」


 真信乃を導いた男児が二人に駆け寄った。怪我なく至って普通にしている様子に、彼は困惑して稀歩の身体をぺたぺたと触る。


「な、なんで? おくじょうからおちてきたのに……」

「稀歩のおかげで助かったんだよ」

「ちっ……違います。マノセ君のおかげです。私が死のうとしたんですから」


 言葉を失う男児の隣で、真信乃はさらに手を強く握った。


「稀歩が死ぬ必要は無いんだよ」

「でも……私のせいで……多くの人を……」

「どうしてオレが被洗脳者を殺さなかったのか、分かるだろ? 彼らが本当に悪いわけじゃない。真に悪いのは、洗脳していた執月だ」


 野次馬が少しずつ増えていく。多くの視線を浴びる中でも、真信乃は気にせず続けた。


「稀歩も言ったじゃないか。この転生士は本当に悪なのかって。悪じゃないと思ったから、オレは成仏の協力をしたんだ」

「ッ………」

「だから、それは稀歩にだって当てはまる」


 黄色い瞳は、泣き続ける緑色の瞳を見据えた。


「稀歩は悪くない。悪いのは、お前に巣食う転生士だ」



【自分は死ぬべきだと、ずっと思っていた。力の制御ができないのなら、社会悪でしかないのだから。平穏を脅かす存在なら、責められる前に退場するべきだから。

 分かっていた。分かっていたの。分かっていたけれど。

 ――――――生きていても良いんだと、私を理解してくれる人を期待していた。

 ――――――だって、私はただ、生まれてきただけなの】



「マノセ君ッ………」


 がくんと稀歩がよろめき、真信乃が抱きとめる。彼女は過呼吸になり、瞳が揺れていた。


「稀歩?」

「ッ………あッ………てッ………転生士がッ………!」


 真信乃に縋る稀歩。光を失いかけている瞳で彼を見上げた。


「助けてッ………!」


 転生士が稀歩を殺そうとしている―――すぐに理解できたが、真信乃は困惑した。赤の他人が、転生士の支配を止めることはできない。


「稀歩ッ! しっかりしろッ!」

「きーちゃん! どうしたの!?」

「あッ………ッ―――マ………ッ………!」

「どうしたら………一体どうすれば……!?」

「おにいちゃん! きーちゃんをたすけて!」


 もちろんそうしたい。しかし方法が思い付かなかった。意識を繋げようと呼び続けるが、彼女の応答も瞳も虚ろになっていく。目の前で殺されようとしているのに何もできない現実に、真信乃は怒りと悔恨で気が狂いそうだった。

 ―――このまま見ていることしかできないのか。支配し出てきた転生士を殺すことしかできないのか。二度と転生しないよう、記憶処置をすることが最善策だと言うのか。



 ――――――――――――記憶処置?



「そうだ………今なら………!」


 ―――宿主を差し置いて表に出かけているのなら、その対象にすることができるかもしれない。


「おにいちゃん?」

「お前は離れてろ!」


 男児を遠ざけ、真信乃は稀歩から〝思い〟を吸い取った。膨大なエネルギーを変換する、その変換先は、いつもの強化魔法ではない。



 ――――――人の記憶を消すっていうのは、人の〝思い〟に立ち向かうってことだ。真信乃も一回やってみ? コツは、ひたすら手を伸ばして心を鷲掴む感じだ。



 聞いてもいないことをペラペラと喋る男の言葉がよみがえる。あの時は、オレが知ったってしょうがないなんて思っていたが、まさかこんなところで役に立つなんて想像もしなかった。これだけでいきなりできるとは言い切れない。しかし、知らないよりマシだ。

 それに―――真信乃は意識を集中させる。

 ――――――あいつの魔法を使う姿は、散々近くで見てきた。


「―――初めてお前がいて良かったと思えたよ、仲斗」


 ―――真信乃は、〝思い〟に手を伸ばした。

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