閑話 奉公
よろしくお願いします。
小ヒューゴがまだ昔の名前だった頃の話。
奉公先で彼は真面目によく働き、評判が良かった。
預け先の大店だけでなく、近くの職人連中の手伝いにもよく駆り出された。お師匠様と言う呼び方もここで覚えた。
十日に一度自分の村へ帰るとき、道中は危ないので護衛を雇った商人の隊列に便乗させてもらって帰ることとなっていた。
知り合いの商人の場合、お手伝いと引き換えにただで乗せてもらえることもあったが、多くの場合、乗車賃と護衛料を払わなければならず、これは彼が奉公でもらう分とは別枠で支給されていたが、奉公での礼金よりも高額であった。
次第に彼は、商人に頼らず自力で帰省することを覚え始めた。
それは危険な行為ではあったが、高い乗車賃を払えない者も村には多かったので、道中ところどころ野宿用のテントが張られていた。
それでもやはり齢六歳になったばかりの子供が、馬車で来た道を徒歩で帰るのは並大抵のことではなかった。野党を警戒し、野良犬その他野生動物を警戒し、他の徒歩移動の人たちからつかず離れずの距離を保ちながら、村へと帰っていった。
奉公先からもらう礼金は両親に直接支払われる。それとは別にもらえるお小遣いは家族へのお土産に使った。隣村のお菓子や玩具は特に兄弟に喜ばれた。
危ない思いをしながら貯めた、帰省用に支給される費用は、隠しておいた。自分の為に隠したわけではない。今両親に渡すと、きっと生活の為にすぐ使われてしまう。両親が贅沢しているのではなく、常に足りないのだ。
しかし、将来兄弟が学校へ行きたくなった時。両親が病気になった時。大きなお金が必要になるはずだと考えた。その時のために大切にとっておいた。
村のそばを通る街道の近く。木の根本に隠した。大人が興味を引かないよう、そして子どもも興味を引かないように隠し方を考えた。この地域では蔦で即席ボールをよく作る。そして、すぐに壊れて駄目になる。駄目になったボールは誰も気にしない。
そのボールの中にお金をためて、飛ばされないよう露出した木の根本に挟み込んだ。命がけで貯めたお金はそれなりの額になった。
運命が変わったあの日。遠くから村を眺めて、変わり者の二人についていくと決めたあの日。
貯めたお金はどうしようかと迷った。しかし、使うべき相手はもう居ない。
彼が村を振り返ることはもうなかった。
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