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最終話

 目を覚ました鉄男の視界にぼんやりと映り込んでいたのは、どこかでよく見かける白い天井と壁、そしてカーテン。


「気が付きましたか?」


 白衣を着た男性の声が頭上からかかる。


「……ここは?」

「病院ですよ」

「え、俺……どうして……?」

「記憶にありませんか? あなた、ボートで海へ釣りに行ったったまま、遭難していたところを救助されたんですよ」

「遭難?」


 よく覚えていない。うまく思い出せない。だが、はっきりとしない記憶を徐々に取り戻していく。


「あのっ、(まもる)とめぐみは? 無事ですかっ?」

「守とめぐみ?」

「一緒にいた、連れですっ」

「お連れさん……ですか。ボートにはあなた一人だけだったと聞きましたよ? あなた以外に遭難された方もいませんでしたし。まだ、記憶が曖昧で十分に戻ってきていないようですね」

「そんなはずはないですっ。じゃあ、守とめぐみは今どこに?」


「んー……」と困った風に首を傾げた医師は、「一応、そのお連れだった方に確認の連絡を取っておきますね」と言って、病室を出て行った。

 しかし、その後の調べでは、守とめぐみの情報は何も得られなかった。まるで、二人の存在自体がこの世界から消えたかのように。

 あの島についても鉄男は話してみたが、誰も何も信じてもらえない。「怖い夢でも見ていたのか」と親になだめられる始末だった。

 鉄男は医師の制止を振り切って、病院から抜け出した。

 あの島へ行けば全ての真相が明らかになる。

 だが、地図には一切載っておらず、どこにあるのかさえ分からない島。

 とにかく、あの日遭難した地点へとボートを向かわせた。すると、快晴だった空は突然に曇り始め、海が荒れ狂い出した。そこで、鉄男の記憶がプツンと途切れる。


 ──ザザァン


 波の音がかすかに聞こえてきた。


「んん……」


 気が付けば、砂浜に身を打ち上げられていた鉄男。

 服は海水でずぶ濡れだ。けれど、真冬だというのに何故か冷たさや寒さは感じられない。

 辺りを見渡せば、濃い霧がかかっていた──あの時と全く同じだ。

 鉄男は白い霧の中に見えるはずの一筋の細道を探して目を凝らす。そして、見つける。


「あった!」


 数十メートル程、歩くと細道はなくなっていて、そこからは石段が続いているはずだ。そして、その地点へと辿り着く。


「やっぱり間違いない。ここは、あの島だ!」


 確信を持つと、さらに進んで行く。すると、小屋があった。そこには、吉田という男が住んでいたはずだった。ドアが何かでぶち壊され、開いていた。

 そっと中の様子を窺う。が、誰もいない。それどころか、誰かが住んでいる気配が感じられない。先程から感じていたが、この小屋だけでなく、島全体が時を止めて眠っているかのように静寂していた。

 鉄男の頭と体もふわふわとした不思議な感覚に包まれていた。現実味がなく、夢の中でも渡り歩いているかのような、そんな錯覚がする。


「これは、な……んだ?」


 ぼんやりとする頭を抱えながら、更に上へと目指して登って行くと、大きな洋館が現れた──この家だ。

 白い扉のドアノブに手を掛けると、開いた。今日は鍵が掛かっていなかった。


 ──ギギィ


 重厚な音と共に扉を押し開くと、一面にフロアが広がる。


「すみませーん」


 大きく声を出して呼んでみるが、返事はない。誰もいない。

 鉄男は誘われるがままに、ふらふらとした足取りで地下室へと続く螺旋階段に向かう。

 コツン、コツンと音を響かせながら、ゆっくりと一歩ずつ階段を下りていく。すると、


「ここは、確か……」


 二つに並ぶ扉。左側は研究室だ。もう片側は、洞窟への入り口のはずだった。

 鉄男は左側のドアを開いた。

 中央に置かれたステンレスの台を横切り、更に奥の部屋へと足を踏み入れる。そこで目に飛び込んできたのは──ホルマリン漬けにされた〝脳〟だった。


 一つ、二つ、


 と、台の上に置かれたそれを数えながら、瓶のラベルに記された文字を震える唇で読み上げていく。


「……守……めぐみ……」


 そして、


洋子(ようこ)……?」


 鉄男はハッとして、その正面に顔を上げる。

 そこには、カプセルに入った〝脳〟が一つ。電気コードを吸盤で貼り付けられ、酸素の入った空気が下から上へとプクプクと泡になって立ち上っている。


「そんな……馬鹿な」


 テンプレートに刻印されたネームは、



 ──『TETSUO』



 そう、記されていた。


 ガクリと鉄男は膝を落としてしまう。

 そこには、洋子の〝脳〟が置かれているはずだった。ハッと再び顔を上げて、横に置かれたパソコンにしがみつく。切られていた電源を入れて起動させると、パスワードを要求する画面が表示された。


「確か……」


 洋子の名前をアルファベッドで打ち込む。すると、『洋子』と書かれたフォルダが出てきた。それをクリックすると、中に『鉄男さんへ』というファイルがあった。


「な……んだ?」


 分からないまま、クリックすると、


 ──コッチヘ キテ


 洋子からのメッセージだ。


「こっち?」


 鉄男は少し頭を巡らせて、すぐに「二階だ」と、急いで部屋と向かう。

 二階へと上って左側にある部屋のドアを開けると、そこには──あの時と変わらないまま美しく微笑む洋子の姿──人形があった。


「洋子……さん?」

「鉄男さん、気がついたのね」

「これは、どうゆうことだ?」

「ごめんなさい。これは録音された音声なの。これを聞いてるってことは、そうゆうことよ。私は、もういないわ」


 洋子の〝脳〟はカプセルにではなく、ホルマリン漬けにされていた。つまり、もう〝生きて〟いない。何故、そうなったのか。その経緯が知りたくて、鉄男は録音されたメッセージにじっと耳を傾ける。


「何から話しましょうか。そうね、まず一番は守さんとめぐみさんのことよね。……とても残念だったわ。悲しいわ。父が成功させられたのは、あなたで〝二人目〟なの。……どうか父を許してあげてほしいの。どのみち、守さんとめぐみさんの〝身体〟は持たなかったの。そしてあなたの〝身体〟も」


 それは、助けるためだったのだと知らされた鉄男は、野崎へ対する気持ちを複雑にさせる。


「それから父は……少し狂ってしまったの。そして、私がこうなってるってことは、もういないはずよ。……伝えていたの、吉田に。父が亡くなったときには、私の生命維持装置を切ってほしいって。……その願いは叶えられたのね」


 洋子は海の遠くを見つめている。果たして、野崎は洋子の気持ちをどこまで知っていたのだろうか。鉄男は洋子のその想いに、悲痛に胸を押さえる。


「……吉田のことは、そっとしておいてあげて。あの人には、できることなら、幸せでいてほしいの。どこかで、きっと……」


 吉田について、洋子は詳しくは話さなかった。鉄男も、どこかで元気でいて欲しいと願う。洋子の言うように、探すつもりなどはなかった。でももし会えたならば、たくさんある感謝の気持ちを伝えたい。


「私、今から眠るの」

「うん」

「夢の中へ……そう、これは、夢。私たちは、みんな夢を見ているの」

「夢?」

「はじめから、私たちに身体はないの。その実体は、なにもないの。みんな、夢の中で生きているだけなの。それは、誰かが見ている夢の中よ。そして、誰かがその夢を覚ましたとき、みんな消えていなくなるの」


 洋子はゆっくりと椅子を回転させて、鉄男の方を向く。


「おやすみなさい、鉄男さん」


 天使のような優しい笑顔をたずさえて、スゥと椅子から立ち上ったかと思えば幻のように消えていった。椅子には動かなくなった、ただの人形だけが座っている。


 しばらくの間、立ち尽くしていた鉄男は、家の外へと出た。あの日、三人で歩いた家の裏にある下り坂を一人歩く。

 崖まで来ると、そこに革靴が一足。まるで墓石のように置かれてあった。その周りには野花が咲いて、穏やかな風に吹かれ揺れている。


 鉄男はどこまでも広がる青い海の水平線の向こうを眺める。


「おやすみなさい」


 そっと、ささやいた。


 それはどこにあるのか誰も知らない。夢に隠された、どこかにある島。

 もしも、いつか誰かが訪れたならば、何から語ろうか。その日まで鉄男は一人、この島で眠り待ち続ける──。


〈完〉



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