第五話「家の主と使用人」
三人は急ぎ足で階段を下りる。
ホールへと降り立ったところで、
「お急ぎのところ、すみません」
玄関前に立つ誰かに呼び止められる。
蝶ネクタイこそしていなかったが、フォーマルなスーツに身を包んで、髪を後ろへと流して整えている。その中高年くらいの男性は、一目見て使用人の吉田だと分かった。
鉄男は距離を保ったまま、
「あ……僕たちボートで遭難してしまって……勝手に家の中に入ってしまい、すみませんっ」
「ごめんなさいっ」と、守とめぐみも謝る。
「すぐに出て行きますからっ」
と、そのまま玄関へと立ち去ろうとしてみせた鉄男を、
「少し、お待ち下さい」
吉田がスッと通路を塞ぐように立つ。やはりと、鉄男は警戒を強める。しかし、吉田はフッと目尻にシワを作って柔らかな笑みで、
「遭難されて、この島へ流れ着いたのですね。それは大変でしたでしょう。ご無事で何よりです。本当に良かったです」
「まぁ……はい」と、鉄男はポリッと頭を掻く。
「お困りのところ、すぐに助けに来れず、すみませんでした。島を巡回していて故障したボートを発見しましたので、あなたたちの存在は知っていたのですが……少し私の方も警戒をしてしまって様子を窺っていました」
それは、そうかもしれないと鉄男は納得した。見知らぬ島に鉄男たちが恐れていたのと同様に、この小さな島に若い男女三人の不審人物が突然現れたとしたら、吉田にしてみても同じ気持ちだろう。
「ここを出ても何もありませんし、ボートも故障したままです。この家の持ち主である方が、今こちらに向かって来ています。もう少しで着くでしょう。ぜひ、お会いになられて下さい。きっと、助けていただけます」
吉田の言うことは何も一切間違っていなかったし、きちんと家の主にお詫びをするのが筋だろう。だが、鉄男は後ろにいる守とめぐみを振り返り、
「それでいいか?」
「う、うん」と、ぎこちなく二人は頷く。
その時、船着場の方から船の汽笛音がした。
「先生が到着されたようです。ちょっと失礼します」
そう言い残し、吉田は玄関を出て、船着場の方へと向かって行った。
残った三人は、
「てっちゃん、何かややこしい事になっちゃったじゃん」
「んー……」
「これって、最悪じゃないの?」
逃げるに逃げられない状態になってしまった。だが、ボートが故障している以上、他に手立てはない。やはり、助けを請うしかなかった。
「何かさ、さっき〝先生〟って言ってなかった?」
「やっぱり、お医者さんなのね」
「だとしたら、地下室を覗いたこと、ヤバくね? あの脳みそと、パソコン操作して洋子さんの存在知ったこととかも……」
考え出すと、キリが無かった。
「そうだな。向こうが何か言い出してくるまで、こっちは黙っていた方が賢明だな」
「でも、吉田さんに監視カメラで全て見られてるワケよね?」
「あーっ、絶対絶命だ!」
守が頭を抱えて叫ぶ。
「落ち着け、守」
「そうよ、うるさいわ、静かにしてっ」
めぐみにキッと冷たく睨まれ、守はシュンと大人しくなる。
数分後──
玄関から一人の男性が入って来た。
吉田より少し老けていて、決して若いとは言えない。ズドンとした胴体に顔には口髭が生えている。頭は白髪交じりの髪がパーマでくるんと巻かれていた。これで白衣を着れば、立派な医者もしくは博士に見えると三人は心の中で同じことを思った。
「どうも、初めまして。私は野崎と言います」
鉄男は思わず、ピシッと背筋を伸ばしてしまう。そして、こちらも自己紹介をすべきかと視線を迷わせてチラリと二人を見る。しかし野崎はそんな事はどうでもいいようで、
「いやーそれにしても、今日は気持ちの良い天気ですねぇ」
「はぁ……」
朗らかな笑顔で世間話をし始めた野崎に、鉄男は拍子抜けて間抜けにポカンと口を開いてしまう。鉄男と守の後ろに隠れていためぐみも、ヒョイッと頭を覗かせ、「何、この人」と小さくつぶやく。
「まぁ、立ち話もなんですから、こちらへ」
野崎は玄関から右へと応接間に向かって、手を後ろに組んで、ゆっくりと歩き出した。
応接間へ入ると、野崎は一人掛けのソファに深くもたれて座り、
「どうぞ、お好きな所に」
と手のひらをソファに差し向けた。
三人は恐縮気味に横一列になり、少々窮屈にソファへと座った。
「何も遠慮はしなくていいんですよ、ハハハッ」
鉄男が横目に二人を見ると、「任せた」と言わんばかりの視線を送ってきた。仕方なく、鉄男が話を切り出す。
「あの、僕たち……最初に謝っておかなければいけないんです。この家に勝手に入ってしまって……」
「あぁ、裏口のガラスを割って入っちゃった事だね?」
「何で……」
知っているのかと聞こうとして、監視カメラに映った情報を全て吉田から報告を受けているのだろうと、こちらから下手に喋るのを止めた。
「あとは、家の中を全部うろついちゃって、地下室の鍵を見つけて入っちゃった事かな? それと、一番は洋子と会話しちゃった事……かな?」
全て、言い当てられる。だが、野崎の顔は一切、怒った様子はなく、始終、ニコニコとしていた。その余裕っぷりが、逆に怖くもある。
「すみません……何と言ったらいいか……本当に申し訳ありません。ごめんなさい。あの、窓ガラスの修理代は後でちゃんとお支払しますので」
守とめぐみも頭を下げて、そのまま叱られた子供のようにうつ向く。
「ハハハッ、最近の若い子は生真面目だねぇ。そんな事はちっとも問題じゃないんだよ。それより、君達は遭難して、この島に?」
「はい、そうです。吉田さんからお聞きかもしれませんが、海釣りをしていたらボートの故障で遭難してしまって……助けを求めようにも、携帯を落としたり、電池を切らしてしまったり……僕も、ボートに修理道具一つも装備していなかったのがいけなかったんですけど……それで、一晩流されて、ここに漂流した訳です」
「ほぅ。いやぁーそれはそれは、災難でしたね。でも不幸中の幸いにも、漂流して辿り着いたのが、私の島で良かったですね。いや、本当に無事で良かったですね」
野崎は優しく何度も「良かった」と、頷きを繰り返して、鉄男たちを安心させた。
「あの、この島って……どこなんですか?」
鉄男がずっと気になっていた事。その質問を野崎はかわすように、「あぁ、そうだ」と大きく声を上げ、
「君達、何も口にしていなくてお腹空いてるでしょう? 吉田がキッチンの戸棚に食パンがあると言ってたので、とりあえずそれを食べていなさい」
「……吉田さんはどこに?」
いくらか警戒心が解けた守が喋る。めぐみも強張らせていた顔がすっかり解けていた。鉄男は依然として固い表情のまま。
「えぇ、吉田は食料の買い出しに出かけましてね。それで今夜はですね、ご一緒に夕飯でもどうでしょう? その後、一晩ゆっくりとお体を休めていただき、明日、私の船で内地までお送りしようかと思っているのですが、それでよろしいですかな?」
鉄男達は顔を見合わせる。
「それでいいんじゃない?」
めぐみが賛成し、
「うん、オレもそれでいいと思うよ」
二人とも同じ意見だった。鉄男は少し考えてから野崎の方へ向き直り、
「じゃあ、お言葉に甘えて……色々とご迷惑をおかけしてばかりで、本当にすみません」
三人は再度、頭を下げた。
「なぁに、気にすることはないんだよ。君達はまだまだ若いんだからね。気を使うのは、もっと年を取ってからでいいんだよ、ハハハ。それに、君達は私の大事なお客さんだからね」
そう言って、野崎はソファから立ち上がると、ドアの方へと向かいながら、
「じゃあ、夕飯まで時間があるから、自由にしていなさい」
と、部屋を後にした。
◇
三人は家の外へと出て、坂道を歩いた。
「何なんだ、あの先生とやらは」
「何が何なのよ」
「普通、家の扉のガラス割られて勝手に侵入された挙句、家中をうろつかれたりなんかしたら、怒らなくても嫌な顔一つはするもんだろ? 監視カメラがあるって事は、そうゆう危険に備えてんじゃないのか?」
「あれは、おそらく地下室を守るためだろうな」
「そうだよ、オレら地下室の〝脳〟を発見しちゃって、しかもその脳の洋子さんと話までしてんのに、何も焦っていないし慌ててもいない、あの先生っ」
「別に知られてもいいってことなのかな?」
「まさか、あの研究……洋子さんの存在は少なくとも公にはされていないはずだ。でもさっき、先生はフツーに明日、内地へ送るって言ってたし……いいのかよってツッコミ入れたくなるよな」
「あたしたちは喋らないって、信用してくれたのかな?」
「いつだよ? 初対面で見抜けるものか? そりゃ人を見る目は年を重ねている分、あるとは思うけどさ」
守とめぐみの口論が続くのを難しい顔つきで聞いていた鉄男は、
「俺達が外部に話さないという確証がある──つまりは、口封じをしてくるかもしれないな」
「ひぇーマジかよ、勘弁!」
「ちょっと待ってよ、口封じって何か盾に取るものが必要なんじゃないの?」
「めぐみちゃん、鋭いね」
「違う、ただのミステリ好きだから。って、オレらには知られて困る秘密もなければ、奪われる大切な物も何も持ってないんだけど?」
「いや、あるだろ、誰にだって唯一無二のものが」
「──命」
めぐみが声を低くして言った。
「ウソだろっ? そんなの、フツーじゃないぞ?」
「あぁ、俺たち、普通じゃない島へ流されて来てしまったんだ」
鉄男の真剣な眼差しに、守もめぐみも口を閉ざしてしまう。岬の先端まで来ると、鉄男は崖の下を見下ろした。
「俺のボートさえ直せれば、脱出できるかもしれない……ん? ボートは?」
「あれ? 鉄男さんのボートが見えない?」
「え? 何で? オレ、しっかり繋いでおいたのに?」
三人は崖の下をよく目を凝らして探してみたが、やはりボートの姿は見当たらない。
「どこかに隠されたか」
「どこかって、どこだよ? 誰がそんなことすんだ?」
「吉田さんか、あの先生しかいないじゃないの、バカ」
「おまえなぁ、バカって言うな」
鉄男はすっかり慣れてしまった二人の口喧嘩を無視して、
「これで、黒だ。いよいよ本気で危なくなってきたな」
と、踵を返す。
「あ、てっちゃん、どこ行く気?」
「小屋だ」
◇
洋館から石段を下って、三人は小屋の前まで来た。
「ここって、もしかして吉田さんが寝泊まりしてたりする?」
「その可能性は高いな。あの家の中に吉田さんの部屋らしき場所はなかったから、ここくらいしかない」
今度はうかつにドアノブを回さなかった守は、中を何とか覗こうと窓におでこをくっつける。
「中、入っちゃダメかな? 留守の今がチャンスじゃない?」
「どうやってよ? またガラス割るの?」
「おい、こっちの窓、カーテンに隙間がある」
小屋の裏へと回り込んだ鉄男が見つける。最初に通り過ぎた時は、ひたすら上へと目指すのに頭がいっぱいだったため気づけなかった。三人は串団子になって隙間から中を覗き込む。
小屋の広さは十二畳程だ。そのスペースにバスとトイレ、小さな流し台が備えられているようだった。
「モニターが少なくとも六台は見えるよ、スゲー」
「あれで、この小屋から監視カメラで見張っているワケか」
「卑怯ね」とめぐみがつぶやく。
「てっちゃん、アレ、階段があるよ」
下へと続いているであろう螺旋階段があった。
「ここにも地下室があるのか?」
「えー、第二の研究室なの? まだ〝脳〟があったりするの?」
「いや、まさか……」
研究室と聞いて、鉄男は間取りを思い出す。地下へと下りた時、室内へ入る時に扉が二つあったが、開けたのは左側だけだ。
「っ、しまった」
「どしたの? てっちゃん?」
「俺たち、あの家で一カ所だけ見ていない所がある。地下室にあった二つの扉の、もう片方だ」
「あっ」と、守とめぐみも気付く。
「何の部屋だったんだろ?」
「部屋……間取り的にそんな空間があったとは思えない。最初に鍵がなくて開かなかった地下室への螺旋階段だって、そうだった」
「じゃあ何、あの地下室、さらに地下へと続く階段があるってワケか?」
「もしかして……」
めぐみの妙に鋭い勘が働く。
「あの地下室の下と、この階段の下は、繋がってるのよ!」
「ホント、ミステリ好きだよな」
守は肩をすくめ、
「だとしたら、この地下にトンネルでもあるのか? 何のために?」
「足腰悪くてショートカットするためじゃない?」
「おまえ、そこはちゃんと最後まで推理しろよ」
「いや、めぐみちゃんの言うように、単純にその可能性はある。いや、足腰悪いんじゃなくて、洋子さんの生命維持装置を管理しているのは、吉田さんだし、何かあったらすぐに駆け付けられるように整備したのかもしれない」
「待てよ、これって……」
と、珍しく守も知恵を絞り出す。
「いざとなったら、あの家の地下室から、ここへと逃げ込める!」
「あぁ、この逃げ道のルートは覚えておこう」
三人は頷いて了解した。
「でも、吉田さんは悪い人なの? ここで待ち伏せされたら終わりじゃない?」
「もし本当に足腰弱かったら、めぐみのお尻で押し倒せるよ」
「もうっ、守くん!」
フッと、鉄男の顔に束の間の笑みがこぼれる。もうずっと、島に漂流してから、眉間にシワを寄せっぱなしだった。少々、頭が重い。
「吉田さんは、何となく大丈夫な気がする」
何の根拠はなかったが、この小屋のカーテンも吉田がわざと隙間を作って中を見せたのではないかという気が鉄男はしていた。
「うん、オレも何となく」
「あたしも」
できれば、誰も何も疑う事なく、この島と別れたい。
そこまで思って、洋子はどうなるのだろうと、鉄男は心配した。少なくとも、自分は何も喋るつもりは一切ない。また会えるならば、会いに来るかもしれない。あの、寂しそうな瞳をした少女に──。
「ねぇ、船着場行ってみない? 先生の船、見てこよ」
めぐみに言われなくても、そのつもりだった。
石段を下りると、船着場には一艘の大きなクルーザーが穏やかな波にゆったりと揺らされていた。
「わぁ、大きい船」
「これ、維持費どんだけ掛かんの? 一般庶民には無理だよなー」
「だろうな」
それでも、小さなボートの鉄男にとっては憧れであり、羨望の眼差しで見つめる。
「あのさ、さっきの話の続きだけど、もし本当に追われてヤバくなったら、この船、てっちゃん操縦できる?」
「無理」
と、即答。
「あぁーっ」と、守はまたもや頭を抱えて悶えてしまう。鉄男も、我ながら情けないと恥じる。
「俺のボートを物置小屋の道具で直せないかと考えてたんだけどな、肝心のボートが行方不明だ」
鉄男はボートを繋いであった所まで行こうとしたが、
「……お腹空いちゃったな」
めぐみがちっちゃな音を立てたお腹を隠すよう両手で抱える。「オレも」と、途端に守もお腹をグゥと鳴らす。
「そうだな、何か腹に入れないとな。キッチンに食パンがあるって言ってたよな。家まで戻るか」
三人は、あまり戻りたくはなかったが、仕方なく洋館までの道を引き返そうとして、鉄男が、「ん?」と後ろを振り向く。
「なに? てっちゃん」
「いや、何かクルーザーの中に人影が見えた気がしたけど……光の加減のせいだろう、気のせいだ」
「あんま、これ以上驚かさないでよ、てっちゃん」
注意力の低下は、やはり何も食べていなくて疲労のせいだと鉄男は思い込み、上を向いて再び石段を登って行った。
◇
窓から鉄男達の動向を眺めていた野崎は、フッと薄ら笑いの笑みを浮かべた、──洋子に気付かれぬように。
窓辺に立つ野崎の隣で、ロッキングチェアに洋子は静かに座っていた。
「すまない、洋子。いつも寂しい思いをさせてしまって。今日も本当は来られなかったんだが、急用ができてしまってね」
洋子は何も答えないまま、人形そのものの無機質な目で、真っ直ぐ前を見ていた。
「洋子、どうした? 都合の良い時だけ戻って来ると、怒っているのかい?」
野崎は洋子に話掛ける。
「でも洋子、今日は嬉しいニュースがあるよ。おまえに〝お友達〟が作れるかもしれないんだ。ずっと、欲しがっていただろう? ようやく見つけ出すことができたんだ。まだ、今すぐには会わせられないが……楽しみに待ってなさい」
だが、何の反応も示さない洋子に、野崎は怪訝に眉をひそめる。
「どうした、洋子? 嬉しくないのかい? いや、眠っているのか?」
洋子の体に取り付けられた電気コードを確認するも異常はない。野崎は不可解に、さらに眉根を寄せる。
「後で、食事を済ませたら、地下室まで行くよ」
念のため、脳波を測定する事にした。吉田は計器の管理には詳しかったが、医学的な事となると任せるのには難しかった。
「それまで、ゆっくりと眠っていなさい」
野崎は洋子の艶やかな黒髪を優しく撫でた。