第四話「人形の少女」
人形があった二階の部屋まで戻って来ると、めぐみはくるりと後方を向き、
「守くん」
名を呼ばれ、
「てっちゃん」
伝言ゲームのように、今度は守が後方を向いて鉄男を呼ぶ。
「え? 俺?」
「がんばれ、オレらのリーダー!」
「もぅ、守くん」と、逃げて鉄男に役目を押し付けた守を、めぐみは呆れる。鉄男は鉄男で、皆に頼られてしまっては断れない性分だ。一呼吸してから、ドアノブを回し、やけに重たく感じる扉を開いた。
その先には──先程と同じく、ロッキングチェアに座った人形があるだけだった。
「誰もいないぞ」
「だよね」
「でも、この部屋っ言ってたわよ」
すると突然、人形がウィーンと機械音を立てながら、鉄男達の方へ首を回した。
「きゃっ」
「ぎゃっ」
「うわぁ──っ」
と、三人はそれぞれ驚いて悲鳴を上げる。鉄男が一番大きな声を上げた。
「いらっしゃい」
こちらを振り向いた人形は、端正に整った美しい顔に微笑みを浮かべる。
「このほうが直接お話しできるでしょ?」
三人は唖然として言葉を失い立ち尽くす。
「あ、あなたが……?」
つい今しがた、パソコンを通じて会話をしていた相手へと、めぐみが話し掛ける。
「そう、私が洋子よ。あなたはめぐみさんね。奥のお二方が鉄男さんと守さんね。あなたたちは、どうしてここにいるの?」
めぐみと守が困惑した顔で鉄男を見る。鉄男は、
「……俺たちは、海釣りしてたんだけど、ボートのエンジンが故障してしまって……遭難して、この島へと流されてしまったんだ。それでこの家を見つけて助けを求めようとしたけど、誰もいなくて……勝手に窓を割って入ってしまったんだけど、ごめん、謝るよ」
守とめぐみも両手を合わせて謝る。
「事情はよく分かったわ。そんなに謝らなくても大丈夫よ。だって、それは仕方のないことだから」
そう言って、長いまつ毛をした瞳を細めて優しく微笑んだ。
「あ、あの、洋子さんは、この家の洋子さん? でも人形……ロボットっていうのかな? 何で、そんな姿を?」
守がおずおずと尋ねる。鉄男とめぐみにも写真に写っていた〝洋子〟との結び付きが分からないでいる。だが、鉄男にはぼんやりと予想はできた。しかし、それはあり得ない事だった。
「そうよ、この家の娘、洋子よ。どうして、こんな身体か……そうね、不思議よね。私は、あなたたちとは少し違うの。心と身体が別々になっているの」
「それって、どうゆう事なの?」
「身体はここにあって、心は、あなたたちがさっきいた、あの地下室にあるの」
「──脳」
鉄男の頭には地下室に置かれてあった脳が浮かぶ。
「そうとも言えるわね、鉄男さん」
洋子は否定をしなかった。
「えっと、洋子さんの脳は地下室にあって、身体は……人形なワケ?」
脳で生きていて、身体は人形──機械だという事に、守はにわかに理解できずにいる。
「そんなこと、可能なの?」
めぐみも信じられるずにいるが、そのような実験と研究がどこかで行われていても、おかしくはなかったし、すでに想像以上に科学は進歩しているに違いない。
「私には、そういった技術的な事についてはよく分からないけれど、今こうしてみなさんとお話しているってことは事実よ」
「でも、どうしてそんな風になってしまったの?」
「それは……私はね、十四歳の時に交通事故に遭ったの。昏睡状態がずっと続いて……そんな私を救うため、父が手術をしてくれたのよ。それで今のこの姿になったの。そうしなければ、命は助からず死んでいたかもしれないって、父が」
しばし、部屋の中に沈黙が流れる。
「でも、その……君はそれで良かったの? 今、幸せなの?」
「そんなこと、聞いてどうする」
鉄男が守を止める。
自分の身体を失い、機械となってしまうのを、そう簡単に受け入れられるだろうか。そこには大きな葛藤があったはずだ。しかも、成功するかどうかなど分からない手術だっただろう。そして、そこに何か闇が潜んでいるのを感じた鉄男だ。
「いいのよ、鉄男さん。お答えするわ。……幸せ……幸せって何だろう。何だったのかしら……。今の私は〝現実〟の世界では生きていないの。〝夢〟の中……バーチャルって言うのかしら。その世界で十四歳の私のまま、七年も過ごしてきたの。そこは、不幸はない世界よ。でも、幸せとは少し違う……。幸せって、現実の中にあるもので、夢の中にはないわ。それに、幸せって悲しみや苦しみがあってこそ生まれるものでしょ? 今の私にはそれがないの」
洋子の話に鉄男は真剣に耳を傾ける。バーチャルの世界に〝生きる〟という事には想像がつかないが、洋子の言う幸せについては共感ができた。
「なんかオレ、変なこと聞いちゃったね、ごめん」
「いいの、気にしないで」
洋子は重くなってしまった空気を軽くさせるように、明るい声で何ともないように振る舞った。だが、どこか淋しそうな瞳だった。
「いや、話してくれてありがとう」と鉄男は返し、
「それで、話を変えてしまうけど、この島には今、君しかいないのか? その、お父さんはどこに?」
先程の会話からして、父親はいると分かった。洋子の話に感傷に浸っていた守とめぐみもハッと我に返る。
「父は、週末に来るだけなの」
「えっ、じゃあ、今日は月曜だから、昨日帰っちゃったの?」
「そうよ」
「おいおい、じゃあ次の週末まで、この島には誰も来ないって事か?」
「いいえ、一人いるわ」
「「えっ」」
と、守とめぐみは軽く驚いたが、鉄男は冷静に「それは、誰?」
「吉田っていう使用人で、私の生命維持装置の管理をしている人なの」
誰かが管理しなくては、洋子の〝脳〟は〝死〟んでしまう。
「その、吉田って人は今はどこに?」
鉄男が聞くと洋子は少し考え、
「私には、詳しい事は何も知らされていないの」
そう言って、海の方を向く。
「そうか……」
溜息交じりに鉄男はつぶやき、守とめぐみも肩を落としてうな垂れる。
「てっちゃん、どうする?」
「……」
「その吉田って人、探すしかないんじゃないの?」
「でも、どこにもいなかったじゃないか。それに……てっちゃん?」
考え込んで黙っている鉄男を守が呼び掛ける。そこへ、
「父の船だわ」
洋子の一声に三人は一斉に海を振り向き、守とめぐみは窓に両手で貼り付く。
島へと向かって来るクルーザーが見える。
「今日、確かに月曜だよな?」
「あぁ」
鉄男は腕時計で日付表示を確認すると、守とめぐみにドアの方へ行けとクイッと首を振って合図した。
「洋子さん、ちょっと待ってて、すぐ戻るよ」
聞こえたのか聞こえていないのか、洋子はジッと海を見つめたままだった。
「何か、おかしい……そう思わないか?」
「うん、オレもそう思う。これだけ、人んちの家の中をうろついてるのに、吉田って人は出て来ないし、それにあの船、お父さんも週末じゃないのに、やって来るってなぁ」
「あぁ、そこなんだ」
「有給なんじゃないの?」
「それならそれで、タイミング良いけどさ。じゃあ、吉田が出て来ない理由は何だよ?」
「んー、草刈りでもしてるとか?」
「おまえ、平和ボケした発想だな。あの監視カメラ、忘れたのか? 監視してる意味ないだろ」
「じゃあ、誰が草刈りするのよっ」
「……監視カメラは録画もできるけどな。それよりも洋子さんの生命維持のために、どれだけ地下室を離れててもいいのかってのはあるな。あと、もう俺たちのボートが流れ着いてるのに気がついていてもおかしくないはずだ」
その鉄男の一言に、守とめぐみ、言った本人である鉄男も、いよいよ危機感を抱いてくる。
「ヤダ、やっぱ変だわ。早いとこ、この家出なきゃ」
「うん、そうしよう」
「でも、吉田って人が、どんな人かがまだ分かった訳じゃない」
鉄男は慎重に行動を決める。
「それに、家を出たところでボートが壊れたままでは、この島からの脱出は困難だ」
「え、じゃあ、どうなるの? あたしたち!」
先が見えず、めぐみは不安に苛立つ。
守も必死に打開策を考えるも、何も良い案は出て来ない。
考えた挙句、
「とりあえずは、一旦、外へ出るか」
それしかなかった。「うん、じゃあ早く行こう」と、階段へと向かう守に、
「ねぇ、洋子さんに挨拶しておかなくていいの?」
めぐみの一言に立ち止った守は、鉄男の方を見る。
「そうだな。守、ちょっと待て」
ドアをノックして再び部屋へと入ると、洋子は相変わらず海の方を向いたまま。父親の乗ったクルーザーをジッと見つめ続けている。
「洋子さん、俺たち……」
「えぇ、分かっているわ」
こちらを向かないまま、
「私、今から眠るの。何だかとっても疲れちゃったから、眠るの。みなさん、どうぞお気をつけて。おやすみなさい」
どこか胸を締め付けられた。もしかしたら、洋子は何もかも知っているのではないかと鉄男は思った。そのまま動かなくなった洋子に、「おやすなさい」と挨拶をして、静かにそっとドアを閉めた。