親友グルヴィアの妖艶
翌々日、ポンポを膝にのせ、駱竜でグルヴィアの屋敷へ向かった。屋敷はリーラ城から十五ブロックほど先の瀟洒な建物だった。
グルヴィアの母は幻影的絵画の第一人者。進歩的特権階級として自由な子育てを標榜していたから、娘の自立は大賛成だったし、一人暮らしに異論はない。グルヴィアはその境遇を余すところなく享受し、奔放な生活をしていた。
彼女の屋敷には昼過ぎに到着した。
グルヴィアの屋敷は大きくないが、貴族の館としての体裁はあり、館全体を柵が囲い正門には門番がいる。
わたしが到着したとき、公道に面した二階の窓が開いており、グルヴィアが窓枠に腰をかけて外を眺めていた。彼女らしい奔放さで、あんなふうに自由な態度ができることが羨ましい。
正門に到着すると、わたしに気づいたグルヴィアが手を振って叫んだ。
「おはよう、マリーナ。ポンポもね」
もう、昼すぎと思ったが、言葉にはしなかった。
それに大声をあげるのは品がないと教育を受けてきたわたしは、ほほ笑むことしかできない。
ポンポは半分眠そうに目を開け、それから、膝の上で「クゥ〜ン」と寝言のような鳴き声をあげた。太陽のきらめきのなかで、ポンポの毛並みが水に濡れたように輝いている。
門番が頭を下げて、門を開けてくれた。
「ちょっと待っていてね」
彼女が叫ぶと同時に使用人頭が館のドアを開けた。従者のひとりが走りでて、駱竜の手綱を受け取ってくれる。
二階の寝室から、かすかに男の声が聞こえていた。
「しばらく、お待ちくださいませ。グルヴィアさまが……」
言葉が終わらないうちに、服を半分着た男が階段をかけ降りてきた。
「おや、これは、社交界に現れた幻の姫君。わたしはトールセンと申します。覚えてらっしゃらないでしょうが」
「ごきげんよう」
「わたしの花束は届きましたか」
その剽軽な声に笑いだしたくなった。
「求婚者のお一人?」
「舞踏会で踊ったことをお忘れなんですか。おお、これは悲劇だ」
「トールセン、わたしの親友を口説かないでよ」と、背後からグルヴィアが怒鳴った。「マリーナが踊った相手をすべて覚えてないからって、適当なことを言っているわね」
「麗しのグルヴィア。なぜ、そこで真実を」
「真実こその嘘。嘘こその真実。さあ、帰って」
「冷たい。そんな、あなたを愛している」
「トールセン。その言葉で王女へのプロポーズは消えたわ」
「いやいや、僕は諦めませんよ」
そう言うと、トールセンは上着を肩にかけ、深く丁寧に一礼した。この状況を、どう扱っていいのか戸惑う。
都会というのは、確かにグルヴィアの言うとおり狼ばかりかもしれない。
「さあ、マリーナ、上がって。そして、わたしを楽しませて。社交界にあらわれたスターを一人占めできるなんて、楽しいことよ」
「グルヴィア」
「はいはい、わたしはグルヴィアよ。他の名前はいらないわ」
「グルヴィア」
ふいに涙が溢れ、ポンポが目をさましてわたしの頬を舐めた。わたしは泣きながら階段をあがって部屋に入った。
「どうしたの、マリーナ」
「わたし、たぶん、変になったの」
「あら、いつも変じゃない」
「そうじゃなくて。ある人のことを考えると、感情が高ぶって自分でも持て余して。涙もろくないのに。すぐ涙があふれて。グルヴィア、グルヴィア」
「その、相手って、女、エルフ? 魔族、それとも、まさか獣人じゃないわよね」
「男よ」
「あら、安心したわ」
「グルヴィア」
「マリーナ」
「お相手は誰?」
名前を口にできない。
「相手を言えないの? 当ててあげる。ヴィトセルク殿下」
首をふった。
「もったいない。じゃあ、どの貴公子」
「あの、あの、歌っていた……」
グルヴィアはわざとらしく驚き、ベッドにすわるわたしの隣にきて肩を抱いた。
「夜は長かったし、歌っていた人は多いわ。男も、女も、悪魔も、酔っ払いも」
「グルヴィア」
「でも、たぶん、あの男ね」
「わかるの?」
「あなたが階段を降りて来て、最初に歌った吟遊詩人。みなあの声に酔いしれたわ。魔法のような声だったけど、まさか」
口もとを手で覆ってうなずいた。
「おお、マリーナ、なんという悲劇。世間知らずの処女が遊び慣れた吟遊詩人に恋なんて。正気じゃないとは思うけど」
「そうよね。わかっているわ。でも自分でもどうしようもない」
また、涙があふれてくる。
「どうしたいの、マリーナ」
「わからないの、どうしていいか、わからない。ただ、彼に……」
「彼に?」
涙が雨のように流れて止められない。グルヴィアがハンカチでわたしの顔を拭いた。
「さあ、鼻をかみなさい」
「会いたくてしかたない。彼のことが頭のなかを離れないの」
「まったく、困ったものね。これだからウブな娘は」
「ごめんなさい、でも、でも」
「いいわ。わたしが助けてあげる」
「グルヴィア。どうやって」
「あなたはね。幻影を見ているのよ。その美しい幻影も、相手は普通の男に過ぎないってわかれば冷めるわ。だから教えてあげる。バカなことをしないうちにね。待ってらっしゃい」
彼女は使用人頭の男を呼んで耳打ちしてから、金貨袋三個を手渡した。
「なにをしたの」
「お金で彼を呼んだのよ。あの歌っていた男よね。人気がありそうだから、倍の値段を払っても、首に縄をつけて呼んでらっしゃいと伝えたから。大丈夫よ、我が家の使用人は有能なの。その代わり、わたしも使わせてもらうわね」と、彼女は言った。
「お金を?」
「まあ、マリーナ。あの奴隷は音楽職人ギルドが所有していて、たぶん、最高級。だから一回の貸し出しに数時間で五百ダラールは必要よ。一日ともなれば、それは一千ダラール以上。高級奴隷なのよ」
「五百ダラールって、どれくらいの価値あるの」
グルヴィアは声をだして笑った。
「まあ、ポンポ。あなたのご主人は思っている以上に、世間知らずね」と、ポンポの黄金の毛をくしゃくしゃにした。
ポンポはブルッと身体を震わして、居心地のよいベッドから逃げだした。
「マリーナ。例えばね、五百ダラールは庶民レベルの七日分の生活費ってところ」
「わからないわ」
「いいのよ、わからなくて。あなたは自分で、お金を使う生活を今もこれからもしないでしょうから」
「彼を呼ぶの」
「そうよ」
これから、ここに? 彼が来る。この乱れたベッドのグルヴィアの部屋に。
「いえ、ダメよ、グルヴィア。そんな」
「マリーナ、本当にかわいいわ。さあ、そういう事は早めにケリをつけて、ふさわしい人と結婚しなさい。でも、結婚前のお遊びは大事よ。あなたの立場ではなかなか難しいことですもの」
グルヴィアの声が聞こえなくなった。彼が来るという。それも、ここに。あの、赤髪の美しい声の、精悍でいて繊細な男が。
では、この場にいることなどできない。でも、逃げることも無理。
使う?
彼を使うって、どういう意味。ああ、文字通りの意味だろう。
「確かに、彼ってイケてるわ。だから独り占めはだめよ」
「グルヴィア。使うって、彼はお金で、あなたと、その、あの、身体を使って過ごすってこと」
「そうよ。ああいう男はそのためにいるの」
言葉の途中で部屋を飛び出した。
(つづく)