表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/46

親友グルヴィアの妖艶

 翌々日、ポンポを膝にのせ、駱竜でグルヴィアの屋敷へ向かった。屋敷はリーラ城から十五ブロックほど先の瀟洒な建物だった。


 グルヴィアの母は幻影的絵画の第一人者。進歩的特権階級として自由な子育てを標榜していたから、娘の自立は大賛成だったし、一人暮らしに異論はない。グルヴィアはその境遇を余すところなく享受し、奔放な生活をしていた。

 彼女の屋敷には昼過ぎに到着した。


 グルヴィアの屋敷は大きくないが、貴族の館としての体裁はあり、館全体を柵が囲い正門には門番がいる。

 わたしが到着したとき、公道に面した二階の窓が開いており、グルヴィアが窓枠に腰をかけて外を眺めていた。彼女らしい奔放さで、あんなふうに自由な態度ができることが羨ましい。

 正門に到着すると、わたしに気づいたグルヴィアが手を振って叫んだ。


「おはよう、マリーナ。ポンポもね」


 もう、昼すぎと思ったが、言葉にはしなかった。

 それに大声をあげるのは品がないと教育を受けてきたわたしは、ほほ笑むことしかできない。

 ポンポは半分眠そうに目を開け、それから、膝の上で「クゥ〜ン」と寝言のような鳴き声をあげた。太陽のきらめきのなかで、ポンポの毛並みが水に濡れたように輝いている。

 門番が頭を下げて、門を開けてくれた。


「ちょっと待っていてね」


 彼女が叫ぶと同時に使用人頭が館のドアを開けた。従者のひとりが走りでて、駱竜の手綱を受け取ってくれる。

 二階の寝室から、かすかに男の声が聞こえていた。


「しばらく、お待ちくださいませ。グルヴィアさまが……」


 言葉が終わらないうちに、服を半分着た男が階段をかけ降りてきた。


「おや、これは、社交界に現れた幻の姫君。わたしはトールセンと申します。覚えてらっしゃらないでしょうが」

「ごきげんよう」

「わたしの花束は届きましたか」


 その剽軽な声に笑いだしたくなった。


「求婚者のお一人?」

「舞踏会で踊ったことをお忘れなんですか。おお、これは悲劇だ」

「トールセン、わたしの親友を口説かないでよ」と、背後からグルヴィアが怒鳴った。「マリーナが踊った相手をすべて覚えてないからって、適当なことを言っているわね」

「麗しのグルヴィア。なぜ、そこで真実を」

「真実こその嘘。嘘こその真実。さあ、帰って」

「冷たい。そんな、あなたを愛している」

「トールセン。その言葉で王女へのプロポーズは消えたわ」

「いやいや、僕は諦めませんよ」


 そう言うと、トールセンは上着を肩にかけ、深く丁寧に一礼した。この状況を、どう扱っていいのか戸惑う。

 都会というのは、確かにグルヴィアの言うとおり狼ばかりかもしれない。


「さあ、マリーナ、上がって。そして、わたしを楽しませて。社交界にあらわれたスターを一人占めできるなんて、楽しいことよ」

「グルヴィア」

「はいはい、わたしはグルヴィアよ。他の名前はいらないわ」

「グルヴィア」


 ふいに涙が溢れ、ポンポが目をさましてわたしの頬を舐めた。わたしは泣きながら階段をあがって部屋に入った。


「どうしたの、マリーナ」

「わたし、たぶん、変になったの」

「あら、いつも変じゃない」

「そうじゃなくて。ある人のことを考えると、感情が高ぶって自分でも持て余して。涙もろくないのに。すぐ涙があふれて。グルヴィア、グルヴィア」

「その、相手って、女、エルフ? 魔族、それとも、まさか獣人じゃないわよね」

「男よ」

「あら、安心したわ」

「グルヴィア」

「マリーナ」

「お相手は誰?」


 名前を口にできない。


「相手を言えないの? 当ててあげる。ヴィトセルク殿下」


 首をふった。


「もったいない。じゃあ、どの貴公子」

「あの、あの、歌っていた……」


 グルヴィアはわざとらしく驚き、ベッドにすわるわたしの隣にきて肩を抱いた。


「夜は長かったし、歌っていた人は多いわ。男も、女も、悪魔も、酔っ払いも」

「グルヴィア」

「でも、たぶん、あの男ね」

「わかるの?」

「あなたが階段を降りて来て、最初に歌った吟遊詩人。みなあの声に酔いしれたわ。魔法のような声だったけど、まさか」


 口もとを手で覆ってうなずいた。


「おお、マリーナ、なんという悲劇。世間知らずの処女が遊び慣れた吟遊詩人に恋なんて。正気じゃないとは思うけど」

「そうよね。わかっているわ。でも自分でもどうしようもない」


 また、涙があふれてくる。


「どうしたいの、マリーナ」

「わからないの、どうしていいか、わからない。ただ、彼に……」

「彼に?」


 涙が雨のように流れて止められない。グルヴィアがハンカチでわたしの顔を拭いた。


「さあ、鼻をかみなさい」

「会いたくてしかたない。彼のことが頭のなかを離れないの」

「まったく、困ったものね。これだからウブな娘は」

「ごめんなさい、でも、でも」

「いいわ。わたしが助けてあげる」

「グルヴィア。どうやって」

「あなたはね。幻影を見ているのよ。その美しい幻影も、相手は普通の男に過ぎないってわかれば冷めるわ。だから教えてあげる。バカなことをしないうちにね。待ってらっしゃい」

 彼女は使用人頭の男を呼んで耳打ちしてから、金貨袋三個を手渡した。

「なにをしたの」

「お金で彼を呼んだのよ。あの歌っていた男よね。人気がありそうだから、倍の値段を払っても、首に縄をつけて呼んでらっしゃいと伝えたから。大丈夫よ、我が家の使用人は有能なの。その代わり、わたしも使わせてもらうわね」と、彼女は言った。


「お金を?」

「まあ、マリーナ。あの奴隷は音楽職人ギルドが所有していて、たぶん、最高級。だから一回の貸し出しに数時間で五百ダラールは必要よ。一日ともなれば、それは一千ダラール以上。高級奴隷なのよ」

「五百ダラールって、どれくらいの価値あるの」


 グルヴィアは声をだして笑った。


「まあ、ポンポ。あなたのご主人は思っている以上に、世間知らずね」と、ポンポの黄金の毛をくしゃくしゃにした。


 ポンポはブルッと身体を震わして、居心地のよいベッドから逃げだした。


「マリーナ。例えばね、五百ダラールは庶民レベルの七日分の生活費ってところ」

「わからないわ」

「いいのよ、わからなくて。あなたは自分で、お金を使う生活を今もこれからもしないでしょうから」

「彼を呼ぶの」

「そうよ」


 これから、ここに? 彼が来る。この乱れたベッドのグルヴィアの部屋に。


「いえ、ダメよ、グルヴィア。そんな」

「マリーナ、本当にかわいいわ。さあ、そういう事は早めにケリをつけて、ふさわしい人と結婚しなさい。でも、結婚前のお遊びは大事よ。あなたの立場ではなかなか難しいことですもの」


 グルヴィアの声が聞こえなくなった。彼が来るという。それも、ここに。あの、赤髪の美しい声の、精悍でいて繊細な男が。

 では、この場にいることなどできない。でも、逃げることも無理。

 使う?

 彼を使うって、どういう意味。ああ、文字通りの意味だろう。


「確かに、彼ってイケてるわ。だから独り占めはだめよ」

「グルヴィア。使うって、彼はお金で、あなたと、その、あの、身体を使って過ごすってこと」

「そうよ。ああいう男はそのためにいるの」


 言葉の途中で部屋を飛び出した。



(つづく)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ