王子との出会い
お読みくださって、本当にありがとうございます。
この作品は、しばらく、午前11時と午後8時に2話づつ公開していく予定です。
リーラ城に到着して数日、多くの青年貴族たちの訪問を受けた。
アニータが用意したドレスで着飾り、男たちに愛想笑いをするのが日課の、退屈な日常が過ぎていく。
淑やかな令嬢を演じながら、あの吟遊詩人のことを心から追い出せなかった。
舞踏会前日、昼間の時間帯にめずらしく執務室に呼ばれた。
「朝食は済ませたかね」と、父が顔をほころばせた。「明日のこともあろうから、今日の訪問は全て断ってある。これまで会った子息たちをどう思う。お気に入りはいたかな」
「皆さま、どの方も素敵な方々ばかりでした」
「それは、無難な答え方だな」
父は自国の元老院の息子達や他国の王侯貴族の名を数名あげて、感想を聞いた。
「ところで、ぜひお前に紹介した人物がいるのだがね。今日、我が国に到着する予定で、お前とは舞踏会で初対面となるだろう」と、父の声が低まった。
だから、次にくる相手が、わたしの本命なのだと気付いた。
「年齢的には一回りほど年上だ。フレーヴァング王国のヴィトセルク・リング・フレーヴァング殿下だ。彼の肖像画をみるかね?」
父は鷹揚に名を告げて、手のひらサイズの肖像画を見せた。そこには穏やかな表情を浮かべる気品ある男の姿が描かれていた。
「ヴィトセルク殿下」
「そうだ。いい男であろう。次期国王だよ。もっとも有望視できる相手だと思うがね。二千年も続く王家の由緒正しい末裔なのだよ」
ラドガ辺境国の人々は伝統や歴史に弱い。
建国して、まだ三百年と歴史が浅いためだろう。国際的な立場としては、北の二大国に匹敵する強国ではあるが。
わが国は共和制を敷いており、五つの州から選ばれた元老院議員により政治が行われている。わたしの父はその中でもっとも権力を持つ執政官であり、永年執政官となる野心を隠しもしない。
一方のフレーヴァング王国は小国にすぎないが、歴史と伝統があった。
「明日は、お前のお披露目だ。今日は、ゆっくり休んでおきなさい」
「はい、お父さま」
「いい子だ。さあ、まだ少し時間があるから、出会った男たちの感想を聞かせておくれ。わたしも意見を言おう」
小一時間ほど父と訪れた紳士達について語りあった。それは、まるで市場で肉の品定めをするかのようだった。この肉は、どこ原産で甘みに欠けるが栄養素が多いとか、歯ごたえがあってジューシーだが好みではないとか。
ヴィトセルク王子は肉に例えるなら極上肉だ。父の声は彼を紹介するとき、テンションが上がる。
そして、父より更にテンションが高いのがアニータだった。
日々、彼女は新しいことを探しだしては、わたしを驚かせている。
「まあまあまあ、お姫さま。しばらく、田舎にこもっている間に、世間の流行が変わっておりました。至急、最先端のドレスを注文いたしましたから」
「わたしはなんの心配もしていないわ。アニータ」
皆は大忙しだった。使用人のほとんどが舞踏会の準備に余念がなく、おそらく、一番ヒマなのは主役であるわたしだろう。
舞踏会前日、中庭に行き、ひとり空を眺めた。
噴水わきのベンチは樹木に隠れ、軽く身を隠すにはいい場所で。ここから正面にある大広間がよく見えた。
舞踏会会場になる大広間は豪奢な飾り付けになっており、明日の夜には着飾った紳士淑女たちで華やぐだろう。
奥にある大広間から貴婦人が舞い降りるのを想像した。彼女は誰かとこのベンチで愛を語るかもしれない。それは夢のように美しい光景にちがいない。本で読んだ悲恋物語のように。
そんな恋を、わたしはできないだろう。
結婚相手は決まっている。自由に恋愛するなど許されない。でも、物語の主人公のような恋をしたいと心の底で思っていた。強い愛で結ばれる二人なんて、なんてロマンティックで素敵なのだろう。
中庭でぼんやりしていると、いつの間にか陽が高くなり、葉の隙間からキラキラと光がこぼれてくる。
城の左棟、使用人が使う二階の部屋に向かう階段がある。その中庭に面した螺旋階段から、背の高い男が降りてきた。
この地で流行している細身の軍人的な服装ではなく、華美な貴族的な服装でもない。いたって平凡な姿だった。
長めの上着を翻して、かろやかに階段を降りてくる男。目立つ赤色の髪が、太陽のもとでは黄金色に変化した。
息が止まった。
ユーセイ。
わたしは、その瞬間、自分がとても不器用になるのを感じた。そう感じさせる彼に怒りさえ覚えた。彼は木陰に座っているわたしに気づいていない。
おそらく、明日の舞踏会での打ち合わせに訪れたのだろう。
階段の途中で立ち止まり、髪をかきあげると、空を眺めた。それから、少しぼんやりとしていた。その横顔は無防備で、息が止まるほど魅力的で。
目を閉じて、ふうっと息を吐いたとき骨ばった頬が軽く痙攣した。そして、そのままゲートに向かうと、門番と会話して通用門から出ていった。
この数日、多くの男たちと会話した。彼らはわたしに興味があるかのように、上っ面の言葉を口にする。
「この世界でもっとも美しい姫君。どうかわたしの愛を受け取っていただきたい」と、歯の浮くようなセリフを告げる。
そのどの言葉も心を動かさない。興味ある素振りをするだけの常識は持ち合わせていたが、ただただ、つまらなかった。
マリーナ・ド・ヘルモーズ王女との結婚は、政略的に多くのものを彼らにもたらす。父がわたしを溺愛しているのは、誰もが知るところだから。
でも、わたしといえば、ただ門番の男に嫉妬した。あの人と、ごく自然に話すことができるなら、立場を入れ替わりたいとさえ切望した。
階段を降りて、風のように去った彼。名前はユーセイ。その名を唇にのせるだけで、心臓が破裂しそうになって驚く。
彼は吟遊詩人で、言うなれば金で買われる奴隷の立場だ。
だけど、わたしは彼を忘れられない。
彼は誰とでも金のために寝るのだろう、そういう男だとアニータが教えてくれた。
だけど、わたしは彼が気になってしかたなかった。
(つづく)