表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/46

王子を誘惑


「お人払いをしてください」


 真剣に訴えた。

 彼が手を振ると、執事や従者が部屋を出ていった。


「呼ぶまで戻らなくてよい。そして、誰も入れるな」

「かしこまりました」


 彼らが部屋から下がり、両開きの扉が大きな音を立てて閉じた。その瞬間、なぜか罠にはまったように気分になった。

 いや、これは自分から望んだのだ。

 どう、説得する。彼をどう誘惑できる。


「さて、聞きましょうか」

「殿下。わたくしは……。ある人を異世界に戻したい、それだけです」

「そうして、あなたはわたしと結婚なさる」

「はい」

「正直に言いなさい。わたしとだろうが、誰だろうが、ともかく、その男を異世界に返せば、あなたは誰とでも結婚する。そういう意味ですね」

「殿下、わたくしはこの国の貧しさを見ました。わたくしが王妃になることで、この国が潤う。その代償として、ただ、ひとりの人間を異世界に返して欲しい。それだけが望みなのです」

「ふむ」


 彼はソファから立ち上がると、デスクに向かった。


「レヴァル・ド・フロジ侯爵という男がいます。彼はエルフとのハーフであり、魔術士でもある。彼なら、その男を異世界に返すことができるだろう。『炎の巫女』の件もあるしな」


 わたしは立ち上がった。そして、その場に深く拝礼した。


「ヴィトセルク殿下。心からのお礼を申し上げます。そして、お願いです。その方をご紹介くださいませ」

「あなたは、それでどうなさる。一緒に異世界に行かれるつもりか」


 ああ、この人は知っている。間違いない。


「いいえ。参りません」

「そうですか」


 彼はまるで興味のないような声で言いながら羽ペンを走らせると、呼び鈴を鳴らした。


「殿下」


 従者が一人、入ってきた。


「この手紙を至急、送ってくれ」

「他には」

「ない」

「では、まだ」

「そうだ。呼ぶまで誰も入れるな」


 従者が部屋から出ると、彼はデスクの上に手を組み、その上に顎を置いた。

 ヴィトセルクの執務室は冷えていた。

 暖炉の薪が燃えパチパチと音がはぜているが、今日は日差しが弱く、床石から冷気を感じる。わたしは顔をあげ、彼を見た。


「マリーナ王女」

「はい」

「わたしは口約束など信じない男だ」

「どうすれば、信じていただけますか」

「それは、あなたが考えることであろう」


 ユーセイ。あなたを裏切ることなどできないけど。

 でも、あなたのためなら何でもする。何でもできる。たとえ、それが恥ずべきことだろうと。だから、懇願するためにヴィトセルクのデスクまで歩いた。すぐ隣に近づいても、彼は椅子にすわったまま動こうとしない。

 わたしは王女だ。


 誇り高くあれと教えられ、これまでわたしに向かって、ひざまずく者はいても、ひざまずいたことはなかった。そんな態度を決して見せてはいけないと教育されてきた。


 この姿を父が見たら、ムチで叩かれるかもしれない。

 わたしは、わたしは……、ヴィトセルクの前に奴隷のようにひざまずいて顔を仰ぎ見た。彼の表情に変化はない。


「ヴィトセルク殿下。わたくしは、あなたの妻になります」

「そのようだな」


 彼の声が頭上から落ちた。


「伏してお願いします。あなたの願いなら、どんなことでもいたします」

「では、ここでドレスを脱ぎ、わたしのものになるかと聞いたら、どうされる」


 わたしは膝においた荒れた手を見つめた。彼の妻になるという意味を、この時までよくわかっていなかった。

 ユーセイ。


 あなた以外の男に抱かれるのだろうか。目を閉じて、その意味を考えた。

 わたしの全身が拒否している。でも、震える手でドレスのボタンをはずしはじめた。

 ヴィトセルクの表情は変わらない。慈悲を乞うてはならない。


 ボタンが外れ、胸があらわになったとき、「やめなさい」と、彼が止めた。その声は軽蔑に満ちている。


「わたしに、そういう趣味はない、王女。あなたをまだ王女と呼ぶ意味がわからないが」


 彼の言葉は心を砕いた。彼の顔、その侮蔑に満ちた表情。あわてて服のボタンをしめて、露わになった胸を隠した。


「殿下」

「帰りなさい。あなたの男のもとに、先ほどの手紙でレヴァルを呼び寄せた。彼は、今、シオノン山にいる。戻ってくるに一日はかかるだろうが、火急の要件だと伝えてある」

「あ、ありがとうございます」

「あなたはわたしの妻になるのだな」


 わたしは立ち上がり、その場で深く拝礼した。


「必ずや」

「心配しなくても良い。わたしは女に不自由しない。しかし、あなたをいつか抱く。愛情など期待しないことだ。わたしの子を産め」


 彼の顔を見た。そうなのだ。彼と結婚するということは、そういう意味だ。ヴィトセルクは冷たい目でわたしを見ている。


「殿下」

「明日、レヴァルが戻ったら、その男を異世界に返す。いずれにしろ、この世界にいてもらっては困る」


 屈辱感に心が痛んだが、なんとか耐えた。

 彼に見透かされている。わたしが恥ずべき女であることを、これまでに知った悦楽を、それに溺れていることを。


「では、出ていってもらえるか」


 ヴィトセルクがベルを鳴らした。

 すぐに、従者が扉を開いた。


「お帰りだ。馬車を手配して送らせよ」


 彼を振り返った。しかし、書類仕事を片付けているのだろうか。全く、こちらを振り返る気配がない。

 腰を下ろして会釈したが、ヴィトセルクは一瞥もしなかった。礼儀として視線を上げさえもしなかった。

 執務室を出た瞬間、気を失いそうになった。昨日から、ほとんど寝ていない上に、緊張の連続だ。しかし、ここで倒れてはいけない。


 唇を噛んで意識を保った。血の味がする。それは、これから過ごす将来の味のように思えた。

 ヴィトセルクに傷つけられたが、本当に傷を負わせたのはわたしかもしれない。愛もない女との政略結婚。彼は自分の立場を知っている。知らないのはわたしの方だった。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ