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華やかな都市で聞こえる歌

 ……人、人、人。


 着飾った人々が行き交う首都ニーズヘッドの中心部。人であふれた都会は喧騒に満ち、信じられないほど生気にあふれている。


 生まれてからずっと、人より自然が多い空間で生活してきた。休日には誰とも話さない日もあったほどだ。

 だから、人に酔って、その賑わいに押し潰されそうで、感情のスイッチを閉じた。

 馬車は石畳のうえを、ガタガタと車輪音を響かせ走っていく。人や獣人やエルフ、都会は何もかも過剰だ。


 その時だ。


 いきなり、「マリーナ」と名前を呼ばれた。いえ、呼ばれたと勘違いした。低音が響く男性の声が、リュートの音色に重なってわたしを呼んでいた。


「止めて」と、わたしは叫んだ。

「お姫さま」

「馬車を止めて」


 アニータが天井を杖で叩くと馬車が止まった。

 窓を開けて顔を出すと、一陣の風がわき起こり、顔を隠していたベール付きの帽子が跳ね飛んだ。

 従者が馬車の後部席から飛び降りて、わたしの帽子を追う。その先に人溜まりがあり、声はそこから聞こえてくる。とても不思議な声だった。声量ゆたかで、あらゆる音域に達するような声にも関わらず、悲しみに満ちている。


 メロディーは聞いたことのないエキゾチックなものだ。ゆったりしたリズムにのる穏やかな旋律。わたしを誘うように、その天上の声が胸に迫って響いてくる。

 腕には鳥肌が立ち、身体の芯が熱く燃えた。それは生まれてはじめて味わった感覚だった。


『アヴェ・マリーア

 ああ わが君

 野の果てで嘆こう

 乙女の祈りを

 あわれな者にも あなたは耳を傾け

 絶望の底からわたしを救ってくれる


  マリーア、あなたはわたしの喜び

  マリーア、あなたはわたしの慈しみ


 アヴェ・マリーア……』


「お姫さま、どうなされたのですか」

「あれは? あの声は」

「おおかた、物乞いの吟遊詩人が歌っているのでございましょう」

「はじめて聞く曲だわ」

「確かに不思議な曲ですね。珍しい旋律でございますが」

「アニータも聞いたことがないの?」

「はい、はじめてですけれど。でも、お姫さま。楽曲というものは、あのように悲しげに歌ってはなりません」

「まあ、どうして?」

「音楽は陽気なものでございましょう」


 膝でくつろいでいたポンポが、腕に鼻をこすりつけて、クゥ〜ンと鳴いた。父が贈ってくれたポンポは老齢になり、以前のように動き回らなくなった。


「そうかしら、わたしは好きだわ。ほら、ポンポも好きって言ってるもの」


 馬車のドアが叩かれ、従者がドアを開いた。


「帽子でございます」と、彼は目を伏せた。

「ありがとう。ところで、あそこで誰が歌っているか見ましたか?」

「あの人だかりでございますか?」

「そう」

「赤い髪しか見えませんでした」

「そう……」

「お時間に遅れますよ。大公さまがお待ちでございますから。もうこのくらいで」と、アニータが心配顔で急かしている。


 従者がドアを閉めた。


「いいわ、行って」


 アニータが天井を杖で叩くと、御者が馬車を引く駝竜にムチを入れた。


「待って、アニータ、止めて」

「どうなさったのです」


 わたしにもわからなかった。このまま去ってはいけない気がしたのだ。馬車を止め、帽子をかぶり直してベールをしっかりと顔に巻きつけた。

 歌声はわたしを誘うようにまだ続いている。


『アヴェ・マリーア』

 なぜ、そんな切ない声で呼ぶのだろうか。馬車を降り、往来の人々を避けながら、石畳を歩いていく。背後からアニータが追ってきた。

 向かう途中で歌が終わった。


 大きな拍手がわき起こり、人々が賞賛の声をあげる。コインが投げられるチャリンチャリンという音が響いて、しばらくすると見物人は去り、人の輪が崩れた。

 歌い手は……、男性で、うつむき加減に優美な動作で楽器を片付けていた。乱れた赤髪が顔を隠している。

 醜い獣人か、あるいは老人であって欲しいと、なぜかわたしは望んでいた。そうすれば、この場から軽く立ち去れるだろう。


 わたしの視線に気づいたのか、男が顔を上げた。

 肌は日に焼けた黄金色で、瞳は茶系だけど見たこともない不思議な色だ。美しいというより精悍な面立ちだった。切れ長の目に長いまつげが影を落とし、なにより赤く輝く髪に惹きつけられる。

 もしかして、謎の竜一族の生き残りなのだろうか。竜一族は『嘆きの森の厄災』で滅びてしまったと聞いている。かの一族と同じ赤色の髪が、砂漠から吹いてきた風にゆれている。


「あなたは竜の一族なの?」


 考えるより先に声をかけていた。

 彼は振り返り、ゆっくりと首をふる。それは、とても静かな仕草で見ているだけで心臓が高鳴る。

 アニータが、「お姫さま、そろそろ戻りませんと」と、耳元で囁く。


「そうね」


 わたしは帰ろうとする男に声をかけた。


「あなたのお名前は?」

「ユーセイです」

「ユーセイ何ですか」

「単にユーセイと呼ばれています」


 彼は落ち着き払っており、いっそ無関心で、わたしはいたたまれなかった。わたしといえば嫌になるほど動揺していた。

 これまで田舎の城から出ることがなく、へりくだる人しか知らなかったから。


「わたしはマリーナと言います。あなたの歌で自分が呼ばれているように思えたの」

「マリーナ。美しいお名前ですね。しかし、僕の歌は聖母マリアへの慈しみの歌で、あなたの名前ではありません」

「聖母マリア? どなたなの、その方は」

「遠い……、この世界にはいない。神の母親だった女性です」


 そう伝えた彼の表情に影がさし、なぜだかひどく胸が騒いだ。好きな女性なのだろうか? 彼にとっての愛する誰かを詩に込めているのだろうか。


「またお会いできるでしょうか?」

「僕に、ですか?」


 驚いたような、めんどくさそうな声が針となって刺さる。


「ええ、あなたに。というより、あなたの歌に」


 声が細くなっていく。


「いつもここで歌っているわけではありません」

「では、どこで歌うの?」

「呼ばれた場所で」

「お姫さま」と、アニータが強い声を出した。

「大公がお待ちですから」


 ユーセイに近づいた。彼は背が高く、近くだと見上げることに気づいた。


「一週間後の二十三日にヘルモーズ大公の城で舞踏会が開かれます。そちらで余興として歌ってください」

「お、お姫さま」と、アニータがあわてた。


 天上の声を持つ男は、均整のとれた体格を優雅に動かすと、頭を軽く下げてお辞儀をした。それはどこの国でも見たことのない奇妙な礼の仕方だった。


「アニータ、彼に前金として金子を渡して」


 それは侮辱的だとは思った。言ってから後悔した。雇い人としての力を誇示したい子どもじみた動機だったから。

 ユーセイはとまどったような視線で首を傾け、無表情になると声が冷たく沈んだ。


「先払いしていただく必要はありません。大公殿下が宮殿で開かれる舞踏会は噂になっております、お美しい方。わたしを呼ばれるなら、音楽職人ギルドを通してください」

「三日後の二十三日の夜よ」

「存じております」


 アニータに言われるまでもなく、自分が何をしているのかわからなかった。教養マナー担当の教師なら言うだろう。


『常に自制心を大切に。口もとに微笑みを絶やさず、品の良い所作で、嗜みを念頭において会話なさってくださいませ』と。


 そんなわたしの心を置き去りにして、ユーセイは去った。

 アニータに急かされて馬車に戻ると、すぐに御者が駝竜にムチを入れた。動揺してわたしはユーセイという男に品良く対応できなかった。ぶっきらぼうになり、必要以上に踏み込んだり、あげくの果てに金の話をした。


 無作法きわまりない。

 あらためて思うと顔がほてってしまう。なぜ、そんな態度を。馬車のなかで自分の愚かさを呪った。

 予定より遅れて城に到着しても、それが消えることはなかった。


(つづく)

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