親友の屋敷に来た彼と
『明日、また、いらっしゃい。今度こそ、砂嵐もそれからなにもかも邪魔されずに彼を呼んであげるから』
帰り際、グルヴィアが言った。
彼女は魔女だと思う。ユーセイを呼ぶというのは魔法の言葉だ。そうでなければ、これほど焦がれる理由がわからない。
彼に会いたくてたまらない。
だから翌日、父にはフレーヴァング王国のヴィトセルク王子に会うと嘘をついて城を出た。わたしはどんどん悪くなっていく。
そう、悪くなる。なんて魅惑的な言葉だろう。悪くなることに、ちょっと快感を覚えてしまう。誰もが考える優等生の王女が、こっそりと嘘をつく。そう思うだけで、ぞくぞくしてくる。
その午後、グルヴィアが言った時間きっかりにユーセイが現れた。
最初、客室に案内するつもりだった彼女は、気まぐれで控え室に案内した。彼女らしく、コロコロと気分が変わるのだ。
すぐに興奮したグルヴィアが戻ってきた。
「ねぇ、あの赤髪。あの一族なの? あの謎の竜一族とかの?」
「ヴィトセルク王子が言ってらした。彼は違うらしいわ」
「この前は舞踏会で遠くから歌を聞いただけだったから。でも、じかに接すると迫力ね。ものすごく、なんていうか、マリーナ。すっごく魅力的な男ね」と、彼女は興奮していた。
声が本人に聞こえるかもしれないのに、まるで気にしない。
魔女で女王のようなグルヴィア。彼女は、「いいわ。今日は譲るわ」と、えん然とほほ笑んだ。
「さあ、今から、この部屋に呼ぶから。覚悟なさい」
「あ、あの、ちょっとだけ待って」
彼女は鈴を鳴らすと、「エマミ」と侍女を呼んだ。
「はい、お嬢さま」
「彼をここに」
「連れて参ります」
「じゃあ、マリーナ。うまくやりなさい」
「ま、待って、グルヴィア。だめよ、ふたりっきりなんて」
「マリーナ、もう一度、昨日の続きをする? あなたは魅力的よ。清純な処女がドレスの下に隠しているものに自信を持ちなさい。それに相手は奴隷。気にすることもない。彼はあなたの全ての希望にそうわよ。エマミ、いいから、呼んできて」
「はい、お嬢さま、仰せのままに」
それが嫌なのよ、グルヴィア。
奴隷としてわたしの希望にそうなんて、父の権力でわたしに寄ってくる男たちより酷い。あのユーセイがどんな思いでいるかと思うと、胸がはりさけそうだ。
「あら、怖がっているの?」
「グルヴィア」
廊下から足音が聞こえる。彼が近づいている。
「わたしはね、マリーナ。遠慮はしない。彼、気にいったわ、とっても気に入ったの。だから、あなたが嫌なら、わたしが」
「だめ!」
そう言った瞬間、ドアがノックされた。
「入ってもよろしいでしょうか?」と、侍女の声がする。
グルヴィアがこちらを見た。
わたしがうなずくと、彼女がドアを開けて彼を招き入れた。
ユーセイは……、黒に近い濃いグレイの服を着ていた。
腰を紐でむすんだチュニックの下は、やはり黒系のズボンで。足は素足にサンダルだった。彼はリュートを片手に抱えていた。わたしはユーセイを見て、それからグルヴィアを見た。
グルヴィアは、ただぽか〜んとした表情を浮かべている。
魅入られたように視線が釘付けになっている。ねえ、グルヴィア。彼から視線を外すことなんてできないでしょ?
ユーセイと言えば、彼女の視線を気にも止めない。グルヴィアのような官能的な美女を前にして超然としている。
彼は室内に足を踏み入れ、わたしを認めると、にっこりとほほ笑んだ。
身体中の血液が逆走して手まで熱くなる。まるで、酔っ払いのように身体が火照った。
「マリーナ」と、グルヴィアが戻ってきて掠れた声でささやいた。
それは、彼女が官能的だと思う得意の声音であり、男を落とすときに必ず使う話し方だ。
「ふたりにしてあげるわ」
「ええ」
「後で、わたしも」
「ええ」
「ねえ、わたしの言っていること聞いてる?」
「ええ」
「マルバツ、テスト」
「ええ」
「やっぱり、まったく聞こえてないわね」
グルヴィアは肩をすくめて、ドアから出ていった。
(つづく)