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かこわれたままの美しい姫君

 わたしは十八歳になるまで、ラドガ辺境国の森に囲まれた美しい湖畔の家で育った。

 この家を普通に家と呼ぶ人は少ないけれど。


 実際は、『ミルズガルズの邸宅』とか『あのヘルモーズ卿の湖の城』とか呼ばれる。その名に、少しだけ恥ずかしさを覚えてしまう。

 だって、この城は私のためだけに、莫大な浪費をしているのだから。


 この地には二つの大陸があるが、南の大陸で大国と呼ばれるのはラドガ辺境国ひとつだ。そして、国で最も権力を持つ男が、わたしの父ヘルモーズ卿。

 父はラドガ辺境国の首都で執政官をしており、わたしをここに閉じ込めることで、大切に養っていると思いこんでいた。


 十年前に北の大陸にあるフレーヴァング王国という小国で厄災が起きた。

 多くの人はそれを『嘆きの森の厄災』と呼んでいる。

 わたしの母カーラ・ド・ヘルモーズは、ラドガ辺境国の特使として祭典に出席した。出立する前、母はミルズガルズのわたしのもとに訪れた。


「マリーナ、彼の国で行われる聖なるドラゴンの祭典を視察してくるわ」

「お母さま、わたしも行ける?」

「これはお仕事ですから。それに、いいこと、マリーナ。そのように人におねだりするのは、卑しい者のすることですよ」


 そう言って出かけた母は、ドラゴンの氷の息で殺された。いまも、竜の呪いで氷づけになって、その惨めな姿を地上に晒しているらしい。

 父は母を深く愛しており、大いに嘆き悲しんだ。


 数日、部屋に閉じこもった後、「マリーナはどこにいる」と、幼いわたしを呼んだ。

 八歳だったわたしは、母がいないことに慣れており、その死を深く理解していなかったと思う。

 父はわたしを抱きしめると、ペットとしてポンポをくれた。細く長いモフモフの尻尾と長い耳を持つポンポは希少な獣だ。特に黄金色に輝く体毛が、暗がりでうっすらと周囲を照らす珍しい種だった。


 わたしは一瞬で虜となり母を忘れた。


「少しでも慰めになろう」と、父は悲痛な声でわたしを抱きしめた。


 父を慰めるべきかどうか当惑した。八歳のわたしには父が何を望むかわからなかった。今もわからないかもしれないけど。


「マリーナ、おまえは辛くないかい?」

「お父さま、わたし、そういう気持ちを持てないの」

「それは、残念なことだよ。お前の母ほど美しく賢く、そして、素晴らしい女性はいなかったのだから。お母さまを、これからもずっと誇りに思いなさい」

「はい」


 母は偉大な人であった。欠点など全くない。賢く多くの人々に尊敬され、美しく。そして、残酷だった。

 わたしは覚えている。


 母の目は、いつもこう語っていた。

『わたしの娘なのに、なんてお前は平凡でバカなの』と。

 母亡きあと一ヶ月もすると、父は執政官としての役目を思い出した。あるいは、田舎の刺激のない日々に退屈したのかもしれない。


 そして、首都に戻った父は、ミルズガルズに帰って来なくなった。

 わたしはひとり堅牢な城という家で、贅沢な生活を与えられた。それは家庭教師の厳格な時間管理のもと、ほぼ全ての日を算術や国語、芸術からマナーまでを学ぶ息苦しい生活でもある。


 友人といえば、同じ階級の子どもしか知らない。

 その一人、グルヴィアは貴族の家に生まれた肉感的な美人で、十五歳で首都に住む両親の家に戻った。そして、たまにミルズガルズに来ては、首都で自分がいかに花形であるか語り、大げさに嘆いてわたしを笑わせた。


「ああ、哀れなマリーナ」と、彼女は劇的な口調で会うたびに言うのだ。

「こんな堅苦しい場所に、ずっと囚われた美しい姫君。なんて謎めいた存在なの。でもね、あなたは、きっと幸せな恋をするにちがいないわ」

「まあ、なぜ?」

「おお、マリーナ。都会には狼がいっぱいなの。わたしは哀れにも、奴らにも食い殺されるにちがいないのよ。だから、城でポンポと過ごすあなたが羨ましい。あなたは、いい恋しかしない運命よ」と、信じてもいない言葉を口にする。


 それはまるで砂糖菓子のように、口の中で溶けてしまう空虚な言葉だ。

 そうして城に閉じこもったまま、十八歳を迎えた。


 この一年ほど前、忽然と『炎の巫女』が現れ、ドラゴンとともにシオノン山の噴火を鎮めた。そのニュースがラドガ辺境国まで届いたのは、実際には半年後だったけど。


 サラレーンという名の『炎の巫女』は伝説となった。

 彼女がわたしと同世代だったことに驚くし、憧れもするし、畏れも感じる。だって圧倒的にかなわないもの。

 日々は昨日も今日も、そして、明日も同じように繰り返す。厳格だけど生ぬるく過ぎていく。でも、もうすぐ一八歳の誕生日を迎えるわたしは、運命の時が音を立てて近づいていたのを気づかなかった。


 初夏のけだるい午後、ベランダで本を読むわたしのもとに、専属侍女のアニータが走って来るまで、もう数秒しか残っていなかった。


(つづく)

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