第3話 ジョアンナ
昇降機の部屋を抜けると細い通路があった。何やらうまそうな匂いが通路の奧から漂ってくる。厨房は通路の奧の角を曲がったところと確信した。
たぶん、昇降庫から直接抜けさせるのは荷物のみで、人は通路を通らせる構造だ。保安用かな。
ボク(仮)は、足早に通路を抜ける。でも、ちょっと腑に落ちないこともあった。
ジョアンナの名前を出したときの皆の反応だった。あの強引なショタネゴ(ショタ好きのアネゴ)が、年相応の女のようにしおらしくなり、ペイントもスカーも目つきが優しくなったのだ。
まあ、あの主夫婦の娘なら、クルーより身分は上だからなんだろうし、ここの連中の飯を一手に作っているのなら、一番文句の言えないヒトだろう。
しかし、なんで、ボク(仮)は、そんな人がヒロイン的な美少女だと勝手に決めつけているのだろうか。聞いたのは名前だけだ。そもそも、あの夫婦の娘と誰が言った。ボク(仮)が勝手に思い込んでいるだけじゃないか。
いやいや、ちょっと待て待て、あの二人って夫婦だったのかな。仕事仲間って感じもあったけど。その割には、キスも結構ぶちゅぶちゅやってたし、職場恋愛でああはしないだろう。
そうだ、長期荒野労働は、管理者の家族を核に組まれていると聞いたことがある。だから、やっぱり夫婦なんだ。
しかし、もしもその二人に娘がいるとするなら遺伝子的にショタネゴみたいな娘になりそうな雰囲気だ。ショタネゴは初対面時こそ、大人っぽく見えたが、ショタネゴ化した後は、20歳は越えていない感じがした。
そうなると、ショタネゴはやっぱ、あの夫婦の娘なのかな。ペイントとスカーに敬われていたような雰囲気だった。
それに、どことなく、あの女主に似てたような気もする。
いや、いや、料理をやるような子なら、肉体労働系ではあっても、ムキムキマッチョ系にはならないだろう。うん、そうに違いない。なんせ、唯一、名前で呼ばれたコだ!
きっと、特別なコなんだ。
・・・・などと、ボク(仮)は、勝手に妄想を膨らませ、浮かれ始めている。
認証ドアの前に着いた。ジョアンナちゃんとの初対面だ。2、3回深呼吸して、首飾りをスキャニング口にかざした。
「あああ、来たんだ。親父から聞いてた新入りだね。忙しくなりそうだから早く来てよ!」
スピーカーから聞こえた御声は、なんか、可愛いっぽい声だった。若いコに間違いなかった。そして、親父から聞いたと言っていた。間違いなく、あの男主の娘さんなのだ。
まもなく、ドアが内側に引っ込み、左にスライドした。即、厨房かと思ったら5メートルほど右にずれた場所に入り口らしきものがあった。ドアの前まで行くと、プレートにキッチンと書いてある。ここだ。
ボク(仮)は、首飾りを認証窓にかざした。ドアが開き、ボク(仮)は、いざ厨房へと足を踏み入れ、「新入りのトロイです。ボスに言われてジョアンナさんの手伝いに参りました!」
腹から声がでたかのような大きな声をボク(仮)は発していた。
「おお、あの地獄の労働から、こんなに元気に来たのアンタが初めてだよ」
その声の主は、ストーブの前にいたが、立ち込める蒸気ではっきり顔が見えない。いや、ここはバシーっと見えて、ひとめぼれするシチュエーションではないのか!
「換気扇の調子が悪いんだ。こっちまで来てくれ、顔が見たい!」
ええ、いきなりお呼びですよ。しかも、結構、というか半分はそうじゃないかとは思っていたけど、かなり、さっぱりしたもの言いだ。ショタネゴ前のアネゴの喋りのような威圧感は全くない。とても、親密さのある話し方だ。
きゃぴきやぴ声も期待はしたんだけどなあ。
「早く来やがれ!こっちは忙しいんだ!」
妄想にふけっていたボク(仮)のデコめがけて、蒸気の中からジャガイモが飛んできた。
「イタ!」
時速100キロ越えでもしてるかのような直撃だった。もちろんそこまでは出ていない。ジャガイモは割れてはいない。
デコに当たってはじかれたジャガイモが床に落下しているのが見えた。だが、ボク(仮)は、それを素早く手で掴んだ。なんだ、この芸当、咄嗟に、よくこんなことできるな。
ボク(仮)は、ジャガイモを掴んだまま。ストーブの方へ向かった。一旦、蒸気に視界を遮られたが、すぐに蒸気が晴れた。どうやら、換気扇の調子が良くなったようだ。
「おお、やっと直ったか。爺ちゃん、あありがとう」
『いいって、お嬢の頼みじゃ、断れんさ!』
別の場所に作業者がいたようだ。爺ちゃんという人の声はスピーカー越しに聞こえた。さて、何が起きたかと言えば、換気扇が直ったのだ。爺ちゃんという方は、配管工か、機械工といったひとなのだろうか。蒸気は天井付近からみるみる換気され、徐々に晴れていった。
そして、ボク(仮)の目の前に、ジョアンナの姿が露になって来る。現れたのは、白衣の天使・・・・、
ではなく、白衣のショタネゴだった?
いや、いや、ショタネゴじゃないだろ。そもそも体型見ればわかる。マッチョじゃないし、少し、ぽっちゃりしていて、肌も焼けていない。
あの夫婦の娘なら、女主に似ているのはごく自然なこと。つまりは、ショタネゴとジョアンナは姉妹ってことだ。さしずめ、こちらがお姉さん、いや、妹だろうか。
ボク(仮)は、掴んでいたジャガイモを白ネゴに渡した。
「落ちる前に掴みましたよ」
「おあ、ありがとう。器用だね」
「ええ」
ボク(仮)的には、やや格好つけてさりげなに話したつもりだが、さらっと無視されたのは悲しかった。
「じゃあ手始めに、ここにあるジャガイモの皮を剥いてくれ」と、個数がいくつとか数えられない山程のジャガイモがあった。20人所帯の飯なら当然か。
「今日は金曜日だからカレー作るんだよ。なんで、金曜日がカレーかだって?
聞いて、聞いて。昔さ、ここの料理長がね。あたしの前の人なんだけど、軍隊時代は海軍だったらしくてね。そこでの習わしで、曜日を忘れないように、週の区切りにカレーを作ってたんだってさ。そのカレーがすごくおいしくてね。それをずーっと受け継いでるんだ。
荒野開発の作業って、何か月も荒地を移動するから、季節は感じても時間を感じにくいからね」
う、ショタネゴと同じ遺伝子で構成されているとはいえ、色白で、ぽっちゃりしてるから、ショタネゴとは別人に見えてくる。実際、別人だが。
声もしぐさも可愛く見える。ボク(仮)の物語のヒロインは君だ!
「ね、聞いてるキミ!
さっさと始めてくれない。剥けるよね、無理かな。あたしがやるから見てて」
ジョアンナはジャガイモを一個取り出すと小さなナイフで、ジャガイモの芽をほじり、皮をささっと剥いた。
「はい、こんな感じよ」と見せてくれたジャガイモは、薄皮剥きできれいに剥けていた。流石はプロの料理人仕込みの腕前。お嬢様の手習いレベルじゃない。
「ジャガイモの芽には毒があるから、きれいに取ってね。皮は多少残っても問題ないから。あと、緑色になってる部分があったら、そこは大きく削って、ジャガイモの芽と一緒にこっちの廃棄用バケツに入れてね。
皮を剥いたジャガイモは、こっちの寸胴に入れて、皮は後で乾燥させて別の食材に使うから、こっちのバケツに入れてね。
剥き終わったジャガイモはこっちの機械で、圧力蒸しするから。終わったら呼んで、30分でしてくれると助かるわ」
そう言って、彼女は、肉の下ごしらえやら、揚げ物やら、野菜のカットなどをはじめた。早い。これは、ボク(仮)に果たしてできるのかな。30分って、この量を!
ジョアンナのスピードなら確かに30分あれば余裕でできそうだが、ボク(仮)にその技量はあるのだろうか?
半信半疑のまま、ボク(仮)は、ジャガイモを手に取り、小型ナイフをつかんで剥き始めた。しかし、ボク(仮)は、ジャガイモの剥き方を知っていた。ジョアンナのやり方を思い出すとかではなく、自身が体で知っているのだ。
見る見るうちに、ジャガイモの山がなくなって、ジャガイモ用の寸胴がいっぱいになっていく。皮用バケツもいっぱいになってくる。
「おお、早いね。トロイ。すごい、すごい、どっかでやってたの?
いままでの遭難者だと、前の荷物運びでだいたい死にかけてるから、体力が無い以前にジャガイモの皮とか剥けない奴がほとんどなのにね。
トロイ、アンタ、凄いじゃない」
調理の作業をしながら、ジョアンナはボク(仮)に優しく微笑みかけてくれた。まさに、聖女の微笑だ。しかも、名前で呼んでくれている。
でも、遭難者?
そうか、親方は遭難者を見つけると、こうやって、拾って仕事をさせているのか。じゃあ、悪人じゃなさそうだな。仕事は地獄だけど。
ボク(仮)は、15分でジャガイモの皮を剥き終わった。それを見たジョアンナは上機嫌で、ニンジン、玉ねぎと次々に皮剥きを言いつけた。ボク(仮)は、それぞれを彼女が指示する時間の半分でこなした。
「すごいよトロイ、すごい。あんた見どころあるねえ。わたしの弟子にならない?」
え、姉妹そろって、いきなりのお誘い!でも、弟子か?
「料理人が今、あたし一人でさ、前の料理長が、あたしに料理長の座を譲って5年は働いてくれたんだけど、さすがに80歳だったし、先月引退してね。
2年前から求人募集してるんだけど、採用テストがアレだからね。悪い噂が流されちゃって、誰も来てが居なくなっちゃったのよ」
「採用テストって、まさか?」
「そう、あんたが受けたやつ、重労働やってから、料理の下ごしらえすんのよ」
「なんで重労働を・・・」
「なんでって、そりゃあ、なんでも使えるようによ。便利な機械が使えなきゃ、残るのは力と体力でしょ。料理ができるだけのボンクラは要らないのよ。機械いじりや電気工作という特技があっても、やることは変えない。体力無い奴には、ここの仕事は無理。それは、男女関係なしなんだ。
重労働仲間に女の子も居たでしょ。あたしの顔見て気づいたと思うけど、アレ、姉貴だなの。ショタ好きって重い病があるけど、労働技能者としては最高よ!」
ショタ好きは、家族も認めるショタネゴの病なのか?
「野菜が蒸しあがったら、大鍋に入れて煮て、こっちで作ったチャツネをいれて、先代料理長直伝の調合スパイスと隠し味を混ぜたら、カレーは完成よ。
ご飯も、パンも、ナンも、野菜サラダも、お惣菜も、既に出来上がっているから」
あらら、もう、料理の話。やっぱ、このコは料理が好きなんだねえ。笑顔も素敵だ。ボク(仮)は、ジョアンナの笑顔に魅せられながら、彼女ととカレーの調理を完成させた。
「はい、完成!お疲れさま」
いい笑顔だ。可愛いというか癒される。ボク(仮)が男でも、女でも関係ない、そんな気にさせてくれる。
ジョアンナは、夕食を隣の食堂に運びはじめた。夕食はセルフサービス、バイキング形式でとるようだ。給仕とかしたら手間だからな。
彼女は、マイクを握って、「こらあ、てめえら、夕食の時間だ。さっさと、来やがれ!」と、夕食の知らせを館内に告げた。
放送を聞くや否や、どかどかと重量感のある足音がし始める。7割、筋肉マッチョな男女が入って来て、夕食を取りに来る。カレーはみんな大盛りだ。
「ジョアンナさん、今日もご苦労様です!いただきます!」
筋肉マッチョも老人も、若者も、皆、ジョアンナの方を見て一堂に言うと、カレーをむさぼり始める。三人分はあろうかと思える大盛りを1分足らずで食べきると、お代わりをつぎにいく。
そういえば、昔の格言で『カレーは飲み物』と言ってなかったかな。
ジョアンナはそんな彼らをまるで子供をあやす母親のような目線で、笑顔で眺めている。
そして、首に巻いたタオルで、顔を拭いて、一息つくジョアンナ。働く女性の姿は美しい。だが、彼女は、ボク(仮)を見て、あきれ顔してる。
「あんた。その暑苦しい、サバイバルスーツ、いい加減脱がないの?」
「脱がないというより、脱げないのです。脱ぎ方が分からない、と、いうか・・・」
「脱ぎ方が分からない?」
「脱ぎ方なんて、どこのメーカーもだいたい一緒でしょ」
「だいたい、一緒?」
「アンタ以外の遭難者も似たようなサバイバルスーツ着てたけど、うちの親父やオカンとかは脱がせ方わからないから、ここであたしが全部ひん剥いてあげてたわよ」
ジョアンナは母親目線で、自慢気にふふんと語る。
「でも、最初は、重労働させるから、サバイバルスーツは着せたままなの。
そんでもって、わざと重ーい荷物持たせて、スーツの着こなしがうまいか確認するの。まあ、要領の良さと言うか、勘の良さを見てるのよね。
姉さんたちもパワードスーツってほどじゃないけど、補強外骨格や補強外筋肉繊維の服を着てるのよ。そうでなきゃ。ここの重労働は生身じゃ1日も持たないわ。
大概の拾った遭難者は、スーツを使いこなせなくて、生命維持装置がオーバーヒートして、大わらわ。
それでも、どうにか厨房入り口前には来るんだけど、へとへとで、スーツの脱ぎ方もわかってなくて、おたおたしまくるの。
脱がなきゃいけないってことは頭が働くんだけど、それ脱いだら、まっ裸になるって頭はどっかいっちゃってるのよ。
特におっさん、おばさんは最悪。あたしがタンカ切ってしゃべってるからママだと勘違いしちゃったのね。パニクっちゃって、ひどいのよ。
一生懸命、脱ごうとするけど、パニクっちゃって。
だから、ローブを持ってきて、あたしがその場でスーツをパージしてあげるの。そしたら、また騒ぐのよ。きょとんとした、あたしの顔見てね。
特にいい年した男の人は、大騒ぎするわよ。あんな黒い汚いものぶら下げてね、小犬のようにきゃんきゃん泣き叫ぶのよお。
ま、女の人も結構似たようなものだったけどね。股間に大きな雲丹がへばりついていたわ」
あはは、これは、千年の恋も冷める話だ。