11 プロポーズの後日譚
みなさん運転する時には体調を整えるように気をつけましょう
注意一秒怪我一生、ですからね
「キミは片親だろう?それがちょっとな・・・」
付き合っていた彼女にプロポーズをしたらOKを貰えた
だから結婚の承諾を得るために彼女の家に行った
そうしたら彼女の父親に言われたのが冒頭のセリフだ
たしかに俺は父親がいない
20年前に交通事故で亡くなったからな
でも幸い?なことに十分な保険金が下りた
慎ましく暮らしていく分には生活に困らない額だった
父の命と引き換えの金を使うことに当初はためらいを感じた
でも暮らしていくには金が必要だ
泣くなく使った
・・・すべての金が無くなった時、父親の存在も一緒に無くなると思ったんだ
それに母はオレが小学校の高学年になった頃からパートに出た
将来、オレになりたい職業ができた時に少しでも役に立つかもしれない、だった
俺もできるだけ頑張った
塾に行かずに自宅で勉強した
塾は高いからな
母は
「塾に行くくらいのお金は私のパート代でなんとかなる」
と言ってくれたが
「できるところまでやる、ダメならその時に頼む」
そう説得した
・・・夜、寝る前に腰に湿布を貼っているのを知っているんだ
絶対にパート代は使わせない
そう心に決めて勉強した
幸いなことに頑張れば平均点くらいは取れた
・・・全国一位とかは漫画だけだ
まあ、勉強を教えてくれる友達がいたというのはマンガと同じだがな
あと、オレも冬休みとかにはバイトをした
郵便局の高校生バイトだ
早い話、年賀状の仕分け、だな
あれは酷かった
雪崩が起きるくらい年賀状が届くんだ
配達区域ごとにわけるだけでも一苦労だった
あんなに苦労したというのに、高校で認められていたのは今でも謎だ
高校の思い出といえば勉強と郵便局しかないくらい強烈だったな
なんとか学費の安い公立の大学に入ると授業とバイトの二重生活だ
大学に入るとなぜか塾に行かなくても授業についていけるのが不思議だ
でもいろいろなバイトをしたせいか就職活動はうまくいった
いろんなバイトの苦労話をしたのがよかったのかもしれない
え?
大学生活?
授業とバイトしか思いつかない
合コン?
何ソレ?
まあ努力の甲斐もあって授業料くらいは自分で稼げた
若かったからできることだ
今やったら死ぬかもしれん
人並みの会社に入り、人並みの仕事をし、人並みに彼女ができた
時には喧嘩もしたけれど30前には結婚したいとの彼女の意向もありプロポーズをした
ようやく幸せになれると、手土産を持って彼女の親に挨拶に行った
もちろん
「娘さんとの結婚を許して下さい」
だ
ところが父親の返事は
「ダメだ!」
だった
子供が大きくなったら夏休みとか祖父母の家に泊まりにいくことがあるだろう
そこで祖母しかいないのはいかがなものか
運動会にも家族だけでなく祖父母がくるだろう
でも他のウチの友達が祖父母がそろっているのにウチだけ違うとイジメられるかもしれない
もしも何かがあった時に手助けがいるだろう
そんな時におばあちゃんだけだというのは如何なものか
延々と言われた
「だったらやめてやるよっ!」
いままで苦労してオレを育てた母親を見下すようかの態度に腹がたったので手土産を叩きつけて帰ってきた
彼女が
「待って!」
とか言っていたけれど怒りのあまり何言うか判らなかったのでそのまま帰ってきた




