エピローグ
それは、昔のこと。
まだ悠が、家族と仲良く暮らしていた頃のこと。
悠は“海”に来ていた。
封鎖された壁を越えて、波打つ浜辺で腰を下ろしていた。
本を読んで、一度でも良いから“海”に行ってみたい、と両親に駄々をこねて。
「見当たらないなあ」
「御伽噺の、Cのこと?」
母親が訊ねた。
かつて悠に買い与えた童話にあった、神様に“海”の底に封じられた《ルルイエ》に棲む、お姫様のことを。
「うん。一度で良いから会ってみたかったんだけどなあ。それで、友達になってみたかったんだ」
「なれるのかな? 危ない人だから、神様に封印されてしまったんでしょう? ママは怖いわ」
「そんなことないよ。きっと優しい人だと思うな。だって神様のお願いを聞いて、“海”の底に沈んだんでしょう? 僕だったら嫌だなあ。こんな暗いところで生活するなんて」
悠はボロボロになった本を開きながら言う。
何度も読み返した本。
かつてCが地上に生きていた頃、その権能から地上のあらゆる生物に恐怖を与えていた頃。
神様が言った。
『きみが恐れられているから。今は眠れ、深き闇の底で』
と。
その言葉に従い、Cは“海”に沈んだ。
そんな話を、読み返しながら。
「でも、神様のせいで苦しんでいるんでしょう? なら、きっと人間のことを恨んでいるわ。光に生きる人を、怖がらせているのよ。だってそうでしょう? “海”に、人は怯えているわ。私は怖いわ」
「そんなことないよ。うん、そんなことない。きっとそれは、自分じゃどうしようもできないことなんだよ。彼女は、きっと優しいと思う。神様の言葉を聞いたんだから。きっと言葉が分かるんだ。それなら怖くないよ」
そうして、悠は無邪気に笑いながら。
“海”を、見つめながら。
「友達になりたいなあ。きっと優しく微笑みかけてくれると思うんだ」
そう言って微笑む、悠のことを……
真っ黒な“海”の底で……
先ほどまでつまらなそうに王座に腰掛けていた、少女が……
眩しそうに……
目を、細めて……
嬉しそうに――
――微笑んだ。




