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宇宙飛行士の恋人へ会う時の法則

作者: 野庭 今日



 息が白くなる寒い日の朝、地球はとうとう反抗期に突入したようだった。

 海が在った場所を覗けば、宇宙が遥か下まで深海のように続いていた。


 太陽も月も惑星も星も地球のお腹の中へすっぽりと収まって、元に戻すのは不可能のように見える。

 反対に空と呼ばれていた場所を見上げれば、海が果てしなく高く、ゼリーのように潤い、揺れながら伸びている。


 この現象に世界中の科学者たちは大騒ぎしたし(そもそも空は何処へ行ったんだ?)、原因を解明しようと躍起になったが、思春期の子供が大人の思い通りにならないように、この現象もやはりどうにもならない。


 一般市民も最初は戸惑い、怯え、明日は世界の終わりだとぶるぶる震えたりもしたが、何時になっても世界の終わりが来ないと分かると段々落ち着いていった。


「深く考えないことだ。あなたが海産物をまだ食べたいのならば」

 半ばあきらめが入ったこのスローガンは爆発的にヒットした。


 農夫は太陽を求めて海へ作物を育てに行った。

 漁師は直接店に下ろせるからという理由で都会にて漁を始めた。


 私は不可思議で矛盾極まりない現象を内心、両手を上げて歓迎している。

 宇宙飛行士の彼に会いに行くことが出来るようになったからだ。


 彼がいる宇宙ステーションは丁度、日本のとある海辺に位置していて、宇宙の暗闇の中を碇もなしに停滞している。

 今日も宇宙の上に船を漕ぎ出す。船体の上から顔を突き出して、海面、いや、宇宙面?にギリギリまで近づけて声を上げる。


「ハロー・ハロー。こちら地球」

「ハロー・ハロー。こちら宇宙ステーション付近」


 衛星を経由して、ノイズにまみれていたり、くぐもっていた声は今では相当クリアだ。

 手を伸ばせば触れられそうな位置に宇宙服を着た彼がいる。

 私達を遮蔽する物はいまや、この海面一枚だけだ。


「セナ、元気そうでよかった。そっちはどうだい?」

「うん、そっちもね。大分落ち着いてきたよ。だって海、上に浮いてるし。宙也は下にいるし」


 ソラを目指した彼は、皮肉にも地よりも下にいる。

 物理的に上に行きたかったわけではないから、別にいいのかもしれないけど、なんだかやっぱりおかしな話だ。

 私の複雑な心境とは裏腹に、彼はふよふよと呑気に浮かんでは下がってを繰り返して、こちらをニコニコと見上げている。


「こっちはなるようになれって結論に達したよ。宇宙に行ったはずなのに、セナに見下されてるって変な気分だなあ」

「それもう、諦めの領域だよね。私は気分がいいよ、なんだか偉くなった気分」


 考えすぎて発狂するよりは諦めた方がいい。

 


「セナ、身長いつも気にしてたもんね……」

「うるさい。身長のことを言うな。あ、差し入れ持ってきたんだ。良かったら皆で食べてよ」



 アップルパイの入った籠を下げて宇宙を踏む。

 揺れるゼリー、弾けた雫。

 真空の黒に青、赤、緑、白、桃。


 数え切れない程の光の粒が足元の遥か彼方に横たわっている。

 あれが星なのか、惑星なのか、彗星なのかは検討も付かない。


 宇宙の上に腹ばいになって、オペラグラス、或いは天体望遠鏡でよくよく見ればわかったかもしれない。

 あいにく、顔を近づけても目に映るは愛しい恋人だけなのだけど。


 逆さまの彼と逆さまの私。

 分厚い宇宙服に身を包んだ彼は、顔を覆う防護ガラス越しに口を魚のようにパクパクと動かしている。


「アップルパイ、持ってきたわよ」

「ありがとう。手作りの甘味が食べられると嬉しいね」


 ニッコリと微笑み、手を伸ばす彼に籠を落とす。

 とぷん、という音と共に籠はゆるゆると沈んでいく。


 宇宙ステーションに物を届けるためには法則がある。

 荷物に対して三十三グラムの銀の重しをつけるのだ。

 それは1グラム足りともずれてはいけない、きっかり三十三グラムだ。


 法則がわからなかった頃は事故が多発した。

 三十三グラムに満たなければ品物は沈んで行かなかったし、三十三グラム以上ならば、体を清潔に保つためのタオルでさえ凶器を化した。


 ある時、注文した銀に何らかのミスがあったのか、危うく彼を殺しかけたことがある。

 いつもの様に籠へアップルパイを入れ、少しばかり重い銀を括り付けて、彼に投下してしまったのだ。


 私のアップルパイは煌々と輝く炎の玉となって、凄まじい宇宙落下速度を誇りながら、隣の国の衛星をぶち抜いたらしい。

「核のアップルパイ」と後に彼は語った。


 これは当然、月よりも青ざめた二人だけの秘密になった。


「みんなで食べるよ。セナのアップルパイ、評判いいからなあ。セナ、三日後は暇?」

「暇だけど何かあるの?」

「木星がそろそろ見える頃だから。二人で見ようよ、木星を生でみたことないだろ?」


 満面の笑みを浮かべる彼に思わず苦笑してしまった。


「木星、裸眼で見たことある一般人なんていないでしょ」

「まあ、いないだろうね。今の所は、これからのことは知らないけど」


 多分、『これから』は、いくらでも星や惑星、宇宙の神秘が目で観測できるようになる。

 私は星より惑星より、宙也を見ることのほうが重要だけど。

 決して口には出さないけれど。


「三日後、来るよ。また何かお菓子作ってくる。リクエストがあったら言ってね」

「うーん、レモンパイが食べたい。二人で木星を見ながら」


「パイばっかねえ。もうちょっとなんかないの?」

「いいじゃん、パイ。セナの作るの美味しいし」


 アップルパイもレモンパイも作る人間からしたら、あまり代わり映えしなくてつまらない。

 誰かのために作る、というモチベーションがあるからこそ頑張れるのだ。

 指で暗闇の表面をかき混ぜると、マーブルチョコのように大きな水玉がいくつか彼の顔の上でふわふわと暴れて消えた。


「明日もこのままかな?」


 誰にも分からない。


「そうじゃないか?」


 彼にも分からない。


「このままがいいな」

「うん、このままでもいい」


 私達の、希望的天体観測。


『ハロー・ハロー』







ニシンのパイ

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