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ワラシと風鈴  作者: 小町沙都子
7/10

Chapter7

 次の朝、目覚めるとお父さんはもう仕事に出かけてしまっていた。

 お母さんが朝ごはんを支度して、おばあちゃんを呼んだ。

 おばあちゃんは、はい、と返事したがいつまでたっても来なかった。

 サトルが食べ終わると、お母さんは「サトル、ちょっとあんたの部屋いい?」と耳打ちした。

 ほら来た、説得攻撃だ。サトルは一瞬身がまえたが、もうどうでもよくなって、大人しくお母さんと二階に上がった。

「へえ、けっこう片付いてるじゃない」

 サトルの部屋に久しぶりに入ったお母さんはそう言って感心した。

「サトルはここに来て、ずいぶん友達出来たよねぇ」

 地区会でもいろいろ子供の話は聞くらしく、お母さんはいつの間にかサトルの仲良くしている友達の名前をみんな知っていた。

「お父さんね」

 一通り話が終わると、お母さんは畳の上にきちんと正座した。いよいよ本題だ。

「ゆうべ泣いてた」

「えっ?」

サトルはびっくりした。なんで、お父さんが。

「サトル、前にお父さんの弟が死んじゃったこと、誰かに聞いたって言ってたよね」

 サトルは黙ってうなづいた。

「お母さん、ヒデトシ君のことはずいぶん前にちょっとだけお父さんから聞いたことがあったけど、ゆうべ初めて詳しいことをお父さんから聞いたの」

 お母さんは少し声が震えていた。

「お父さんが、今のサトルぐらいの時だったんだって。弟のヒデトシ君が七歳か八歳で。

台風の後で川遊びができなくて、子供たちはみんな家で遊んでいたけど、退屈で仕方なかったんだって。

お父さんはおばあちゃんに、ヒデトシ君をよく見てやって、危なくないように気をつけて、仲良く遊びなさいって言われて、しばらく家でトランプか何かしてたけど、そのうちヒデトシ君の方が飽きてきちゃって、お兄ちゃん外に行こうよって言ったんだって。

外を見たらすごくきれいな虹が見えて、そうだ、高いところから虹を見たらきっとすごくきれいだろうってお父さん思ったんだって。

 川が危ないのはわかっていたけど、崖っぷちにあまり近づかなければ大丈夫だろうって、二人で手をつないで崖に上って虹を眺めたんだって。

 お父さんが虹に見とれて、ちょっとぼうっとしていたら、ヒデトシ君がああって叫ぶ声が聞こえて、びっくりして見たら、ヒデトシ君の姿はなくて、川をのぞいたら、いつもの崖の高さの半分近くまで水が上がってすごい勢いで流れていて、ヒデトシ君があっという間に流されて行くのが見えたんだって」

 サトルは前におばあちゃんがトシ坊の話をした時と同じように、何かドラマのあらすじを聞いているような気持ちでぼうっと聞いていた。

「お父さんは、その時ヒデトシ君を追って川に飛び込めなかった自分を許せなくて、ずっと罪の意識を抱えていたのね。あの時、崖に虹を見に行こう、と言いだしたことも、虹に見とれてしっかりヒデトシ君を見ていなかったことも、何もかも自分が許せなくて、いくら後悔しても気持ちがおさまらなかったって。

 だから、高校も寮に入ったりして、ずいぶん早くにこの村を出たそうよ。

おじいちゃんが亡くなっておばあちゃんが一人になった時、今までの罪滅ぼしのつもりで、自分がしっかり面倒を見ようって思って、おばあちゃんを知らない土地へ連れて行くのはしのびないからと思ってこのうちに引っ越してきたの。その時はお父さんも本当にずっとここに住もうと思っていたそうよ。

 だけど、ここに戻ってくるまでもうすっかり割り切っていたつもりだったのに、この家に住んで、この村の景色を見て、顔見知りの近所の人に会っているうちに、誰にも何も言われなくても、あの時弟を助けられなかった自分が責められているみたいで、お父さんだんだんここに住んでいることもつらくなってきてしまったんだって。

 お父さんが引っ越しまで考えていたのはお母さんもびっくりしたけど、あなたもお友達に聞いたようにお母さんもうわさでね、昔この川でふたり兄弟の弟が死んだ、なんて聞かされると、なんだかお父さんが気の毒で。もちろんお父さんにはそんな話を聞いたことは黙っていたけれど。それに・・・」

 お母さんは一息ついてさらに言った。

「このうちに来てから、おばあちゃんがお父さんのことをトシ坊って呼ぶようになったよね。

 ヒデトシ君がなくなってから、おばあちゃんはお父さんのためだと思うけど、ほとんどヒデトシ君のことを言わなくなったんだって。周りの人もびっくりするぐらい。

 それが今になって、お父さんの名前なんか忘れちゃったみたいに、トシ坊トシ坊って。ああ、本当はいつも死んだ弟のことを思っていたんだ、本当はおばあちゃんは自分より弟の方が大事だったのかもしれない、ってだんだん思えてきたんだって。

 まるで自分の存在なんてはじめからなかったみたいに、トシ坊とばっかり呼ばれて、お父さんにしてみたら本当につらかったのよ。せっかくおばあちゃんの面倒を見ようと思ってこの家に帰ってきたのに、お父さんがおばあちゃんと距離を置くようになったのはそのせいよ」

「ちょっと待って」

 サトルはお母さんの話をさえぎった。

「お父さん、誤解してるよ。トシ坊っていうのは、おばあちゃんの、死んだ自分の弟の名前だよ」

 お母さんは驚いてサトルを見つめた。

「おばあちゃんと二人だけのときに聞いたんだ。戦争が終わってヒキアゲの時、川で流されたんだって。おばあちゃん、自分のせいだって・・・」

 サトルはもどかしくてそれ以上詳しいことは言う気になれなかった。お父さんもお母さんも、この話を知らないのだろうか?

「おばあちゃんに聞いてみようよ」

 サトルはお母さんの腕をつかんで階段を下りた。

 おばあちゃんの部屋をのぞくと、縁台に面した窓がいつものように開いていて、おばあちゃんはいなかった。庭にも、トイレにも、台所にも、どこにもおばあちゃんの姿はなかった。


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